第60話独立する意図


「やほ……観柱くんと観柱さん」


 俺とアリスは、スーパーで古洞さんと合流した。夕食はアリスが作ることになり、買い出し係に古洞さんが派遣されたのだ。


「ご都合宜しくて?」

「こっちは大丈夫」


 そんな女子のやり取り。こっちは関知しなかった。


「じゃあ付け麺でもしますか」


 アリスは述べる。出汁と麺を買う。ついでにその他諸々も。薬味だったり味玉だったり。普通に美味しそうだ。


「兄さんには何かリクエストもございまして?」

「アリスに任せる。美味しいしな」

「ついでに私を味わってもいいんですよ?」

「考慮しよう」

「兄さんはヘタレです」

「健全と言い替えてもいいな。その辺は。ていうか別に俺にこだわる理由もそんなに無いだろ?」

「兄さんが私の全てですが?」


 何の疑問も抱かずソレを言えるお前が凄い。


「食前の肴に刺身でも買いますか」


 そんなこんなで買い物を済ませる。スーパーを出た瞬間、


「……………………」

「――――――――」


 ヒュッと体感温度が下がった。結界だ。


「えと。あれ?」


 周囲が静まったことに古洞さんが困惑する。


「兄さん。これは」

「だろうな」


 なるほど懸念は正しかったわけで。


「死ね……死ね……死ね……」


 血涙を流す糸鬼が現われた。指先から糸が伸びている。それも視認ギリギリの細さだ。


「――――――――」


 おもわず庇ってしまう。糸は俺に絡みつき、切り裂こうと奔る。が……普通に無理だ。こっちの事情もまた規格外。


「観柱くん」

「心配はいらないが、まぁ妥当な判断だ」

「――ウォータージェット――」


 水の糸が一線奔る。空間を貫いて、されど糸鬼はソレを避けた。


「工藤……さん……」


 それが悪夢である様に、古洞さんは呟いた。


「死ね……死ね……死ね……」


 糸が振るわれる。アリスが切り裂き、俺が防ぐ。ちなみに買い物袋は滅茶苦茶だ。くそう。一応金出してるんだが。瞳の流血が地面を赤く染める。


「死ね……死ね……死ね……」


 ヒュン。糸が振るわれる。アリスの斬撃が断ち斬る。


「綾花が居ればなぁ」


 無い物ねだりは百も承知だ。


「とりあえず」


 リミッター解除。


「兄さん!?」

「フォローシクヨロ!」


 俺は糸鬼に突っ込んだ。一瞬の半分の半分。縮地の領域だ。拳を埋め込む。相手は鬼であろうと元は女子高生。近接戦闘は心得ていないだろう。その楽観論がドンピシャだった。真っ向から叩きのめす。中指一本拳。なんちゃって中国拳法が役に立った。


「疾!」


 殺す……には器量不足。


「死ね……死ね……死ね……」


 殊更に殺意を溢れさせる糸鬼。その殺意の意図が、古洞さんに振るわれる。


「しまっ――」

「――――」


 アリスの魔術でも届かない。死角からの一撃。


 パシュッ。


 それは古洞さんの首を薄皮一枚割いただけだった。混乱が俺を襲う。それはアリスもそうだろう。古洞さんは分かっていないのか。


「血……血が……」


 狼狽えていた。出血を呼ぶ斬撃。それも首を狙って。だからこそ、それは心象だった。


「――ウォータージェット――」


 アリスが糸を切り裂く。


「大丈夫ですか古洞さん?」

「私は……だよ」


 無事らしい。毒の類でもない。とすれば……。


「兄さん……!」

「はいよ」


 踵落とし。ただし人体リミッター無視で。そのまま地面に頭部を叩きつける。殺せはしないも、ある程度の牽制にはなろう。それでも糸は動いた。パシュパシュッと古洞さんを切り裂く糸。その全てが出血を呼び、衰弱させる。


「兄さん避けて!」


 アリスが警告した。無論反論する時間などない。俺は即座に糸鬼と距離を取る。


「――ウォータージェット――」


 水の斬撃が叩きのめされた糸鬼を貫く。頭部を……だ。


「死ね……死……s……」


 そして動かなくなる糸鬼。まるで感傷を誘う様に、フツリと消えて、初夏の風に紛れてしまう。いつの間にか雑然とした音が戻ってきた。人々のざわめき。車のエンジン音。横断歩道のサイレン。


「工藤……さん……?」

「殺したのは悪かったが諦めろ。あれは鬼だ」

「でも……私に死ねって……」

「それをお前が気にする必要は無い」


 少なくともアレが工藤さんとやらの本音なら。


「私だけ生き残ったんだよ」

「じゃあ喜んでくださいよ。生きているんですから」


 アリスも半眼で呆れていた。実際にその通りだ。普通に生きている人間が死んでいる人間に出来る事は無い。迷ったなら送り返すのが世の常。そうである以上、ウェルテル効果は単なる感傷だ。別にソレが悪いってワケじゃないが、死んでどうにかなるなら、生きている内に業を重ねた方がまだしも有益ではあろうぞ。


「工藤さんは死んだの?」

「鬼としてはな」

「観柱兄妹が?」

「手を下した……の意味ではな」

「なれば敵対なさいますか?」


 アリスの言葉には殺気が乗っていた。俺の意見を尊重しない人間は押し並べてアリスの敵だ。ヨハネって名前も業の深い。


「これで全てが終わったわけだ」


 俺はポンポンと古洞さんの肩を叩いた。


「だからお前も気にするな。死者は死の国に帰ったんだからな」

「死の国」

「黄泉とか奈落とか地獄とかな」

「工藤さんが?」

「さてどうだか。あまり死後の世界は信じていないもんで」


 其処は確かに俺の思うところだった。

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