第34話目立たず騒がず落ち着かず
「んー」
「起きろコノヤロー」
ペシッと教鞭で軽く叩かれた。
「むに?」
ヒュプノス様のご祝儀が晴れて、現実世界に寄り戻る。
「おはよう観柱」
「おはようございます」
「良い夢は見られたか?」
「おかげで御機嫌な目覚ましにございます」
中々この程度でへこたれる俺でも無かったりして。
「問題を解け」
と黒板の英文を指差す英語教諭。てきとーに答えてうつらうつら。なんか英語って聞くだけで眠くなる。言っている意味は分かるが、それにしても日本語と乖離しているので、意識として面倒な手順を一つ踏む。アリス辺りなら普通にやれそうだ。
「で」
小さく休題。
――アレは良いのだろうか?
俺の視線の先。隣の席。綾花がスカーッと寝ていた。人避けの呪いも効いているのだろう。普通に教諭はスルーしている。うーん。便利ね魔術って。俺にもかけてくれんもんかね? 教卓前の席で普通に寝こけてスルーされるなら、それこそ刺されても問題にならないのでは? いや刺す気は無けれど。
「んー」
目覚まし様のミント錠剤を噛む。ノートは取っていない。別に必要も無い。確認事項があるなら、アリスに聞けば宜しいし。隣の席で勉学に向かっている蛍雪の功。愛妹のノートは、在る意味で教科書より分かりやすく出来ている。文字の芸術とでも申せましょうぞ。
しかしヒマだ。一人古今東西でもするか。
眠りは遠のいたものの、理解していることを次いで教えられてもな。
「綾花」
とは昼食時。俺とアリスと綾花。
「なんですか……ヨハネ……?」
「人避けの呪いって、俺にも適用可能か?」
「場合に寄りますけど……どうでしょう……?」
自信が無いらしい。
人に目立たず。衆目に騒がれず。気分は落ち着かず。
俺は味噌ラーメンをズビビと食べていた。
「やっぱり魔力って奴が必要なのか?」
「それは補填できるんですけど……」
そりゃそうだ。補充がきかなきゃエネルギーじゃない。特に魔法はエントロピーすら無視してのける。
「えと……要するに相性の問題で……」
ええと、と綾花は唸る。
「その……ヨハネの治癒の聖術が……何処までの異常を治すのか……」
なるほどだ。
「兄さんが異常と思えば魔術すら治癒してしまうんですか?」
「実際に……アリスの呪詛は……治癒されているわけですし……」
それもご尤も。
「となれば俺に魔術の才能はないワケか……」
「トランス状態が……魔術の基本ですからね……」
現実と幻想を取り違える病的感覚。魔術を使う第一歩。その上で魔術にイメージを加えるなら、確かに神秘主義が手っ取り早い。一般的なことを脳を壊してまで願う必要もあるまいに……か。
「では私には才能が在ると」
「えと……まぁ……可能性の問題でなら……」
それが天災か非才かまでは保証しないらしい。
――とすると、厄介事に首を突っ込んでいる由、憶えて損も無いものか?
「兄さん自身は無敵ですけど、周りがそうではありませんし」
「だよなぁ」
そこは同意。
「えと……ヨハネは無敵……なんですか……?」
「一応」
「……?」
そりゃそうなるわな。どういう理屈か……を話そうとする前に、
「席宜しいですかぁ」
声が降りかかった。
「どうぞ」
とアリス。俺はラーメンをズビビ。綾花は多分、認識されていない。
「アリスさん。その髪、地毛?」
「そうですね」
でなければとっくに生徒指導室だ。
「ぐうかわじゃん。兄貴に惚れてるって本当に?」
「ゾッコンです」
照れるな。ラーメンをズビビ。
「なんなら俺に乗り換えてみない? 普通に乙女の扱いは手慣れたもんだぜ?」
「不愉快です」
「あ……?」
声が三段、低くなった。両者共に。
「大丈夫なんですか……?」
「それは俺の知るところじゃないな」
綾花のオドオドに俺は端的に答えた。
「兄妹で恋愛ってマジ有り得ないんだけど?」
「知ってますよ」
もちろん知らないわけがあるまいよ。非常識な恋愛観ではあれど、アリス本人の知識は真っ当だ。感性と理性の同居とでもいうのか。
「マジキモいんだけど。有り得なくね?」
「ですからキモいので話しかけなければ良いでしょう?」
「兄貴の方はどう思ってるわけ?」
こちらに水を向けられた。綾花はオドオドしながらも昼食を進める。
「可愛いのでキープ」
「最低の答えをどうも。キープだってよ観柱さん?」
「つまりワンチャンがあるわけで」
天和ツモるより難しいんだが……。
「ええと……好意は嬉しいんですけど……」
穏やかにアリスは笑った。
「邪魔」
クッションの前言に対し、結びの言葉は痛烈だった。たった漢字二文字だ。
「あー、あー、お前みたいなビッチには用ねーよ!」
不機嫌そうに述べて、男子生徒が去って行く。
「ビッチなの……?」
綾花がアリスに尋ねた。
「処女です。エッチではありますけどね」
男狂いではない。兄狂いではあっても。
「因果な渡世にございます」
「それをお前が言うか」
「兄さんに助けられた命ですから、兄さんのために使い潰します」
そう云うほかあるまいな。実際に俺が処置しないと都市が呪いに沈む。なんとなーく地中に埋もれた不発弾を想起させるのだった。
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