107.勇者と戦士は盛大に喧嘩する

 俺はクロと拳を合わせる直前に……少しだけ昔の事を思い返す。


 それは、俺の兵士時代の記憶だ。


 身も蓋もない話をすると、俺はもともと戦うのは好きじゃ無かった。


 そもそも幼少期には、まともに喧嘩だってしたことが無いんだ。


 じゃあなんで兵士になんかなったんだよって言われると……端的に言えば親父への劣等感からだ。


 それはきっと、世の中にはよくある……ありふれた話だろう。


 親父は腕のいい漁師で、喧嘩っ早くて腕っぷしも強くて、その上……格好良くて女性に凄くモテていた。


 でも死んだ母さん一筋で、言い寄ってくる女性には目もくれずに……男手一つで俺を育ててくれた。


 間違っても、あんな魔王とは違う……。本当に尊敬すべき親父だ。


 俺はそんな親父に憧れていた。


 だけど、凄すぎるがゆえに親父に対して素直になれずに……むしろ反発して……。


 結局、俺は喧嘩して家を飛び出して……そのまま王国の兵士になった。


 兵士になって鍛えれば、少しでも親父のように強くなれるかなとか……そんなことを考えて。


 クロとは、その兵士時代からの付き合いだ。


 兵士の志願は割と誰でもできるが、それでも厳しい世界だ。


 俺は初日の訓練でヒーヒー言って、即座に辞めたくなったけど……そんな俺に最初に話しかけて来てくれたのがクロだった。


『お前、大丈夫か? 良かったら俺、これから自主訓練するんだよ。一緒にやらねぇ?』


 厳しい訓練の後に、自分から訓練なんて正気かと最初は疑ったんだけど、なんだか強引に俺はその訓練に付き合わされて……気が付けばクロとようになっていた。


 兵士時代、こいつは本当に強かった……。俺なんかより圧倒的に。


 同じ平民の出身なのに、貴族出身の騎士をボコボコにする様なんて格好良かった。


 そのあと、何故かクロはその騎士と仲良くなっていた。


 なんで? って思ったけど、あれは一種の才能なんだろう。


 そんなに強いけど気さくで、俺にとても良くしてくれて……友であると同時に、まるで頼れる兄貴のような……俺の憧れだった。


 俺に声をかけてくれたのも、兵士として生き残れるようにと言う気遣いからだった。


『なんかさ、放っとけなくてよ。それにお前、きっと強くなるぜ。俺の勘だけどな。そしたら戦おうぜ!』


 そんな風に照れくさそうに笑うクロに……俺は礼を言って……酒を奢ったのを覚えてる。


 そこで初めて、友達と飲む酒の美味さを知った。


 そのクロと……。あんなに強いと思っていたクロと。まさか俺がこんな風に喧嘩をするなんてな。


 あの頃の俺が聞いたら『自殺行為だ! 止めとけ!』って絶対に止めるだろうな。


 でもさ……。


 昔を思い返していた俺は、拳を合わせる瞬間に笑うと……クロもまた笑った。


 楽しそうに。


 嬉しそうに。


 先ほどよりも獰猛さを増して。


 その笑みは、その表情だけで魔物が気絶するんじゃないかってくらいに迫力があったけど……俺も負けずに獰猛に笑う。


 命のやり取りは無い。


 これは一つのとしての喧嘩だ。


 俺は戦いが好きじゃないと言うのに……何故か心が躍る。


 お互いにどれだけ強くなったのか楽しみで……ワクワクする。


 そして……拳をぶつけた瞬間、合わせた方とは逆の拳が弧を描いて即座に伸びてくる。


「おるぁ、ディ!! ボーっと考え事してんじゃねえぞ!! 喧嘩に集中しやがれ!!」


 大ぶりで、大雑把で、どこを狙っているか丸わかりの拳だ。


 だけど俺はよけようとはせず、あえてその拳に合わせて、握った拳を思いきり突き出す。


 身体強化も何もしていない、生の俺の拳……クロの拳もそうだ。


 そして拳同士はぶつかることなく交差して、お互いの顔面を的確にとらえる。


 俺の頬にはまるで反対側まで突き抜けるような衝撃が走り、鉄錆臭い血の味が口中に充満した。


 それはクロも同様であり、俺の拳には手ごたえがしっかりと感じられていた。


 お互いに口の端から血が滲み、地面に一滴だけ落ちる。それを見て……俺達はまた笑う合う。


「クロォ!! 大ぶりの拳で随分とまぁ分かりやすいな!! もうちょっとコンパクトにたためよ!!」


「はっ!! それで喰らってりゃ世話ねえぜ!! なんだぁ?! わざと喰らったのかよ!! マゾかよ!!」


「久々にお前の拳を味わってみたくてよ!! 痛ぇじゃねえかこの野郎!!」


「お互い様だこの野郎!! おら、もう一発ぅぅぅぅぅぅ!!」


 これは喧嘩だ。だからお互いに思いのたけをぶちまけ合う。


 今度は交差した拳と逆の拳を、下から救い上げる様にして俺の顎めがけて振りぬこうとするが、俺はそれを首の動きだけで、間一髪で躱す。


 だけど躱したはずの頬に痛みが走る。


 拳の風圧で頬が切れたのか、下から上にかけて鋭い痛みが走るのだが、その痛みに構わず俺はクロの顔面にめがけて拳を真っ直ぐに突き出す。


 流石に顎に喰らったらシャレにならないだろうが! そっちがその気なら俺も狙わせてもらうぞ!


 狙うのは鼻……鼻から血を吹き出させれば呼吸が苦しくなり、大分有利になる。


 何より鼻を的確に殴られると、程度の差はあるがどんな男も一瞬は怯む。


 そこからの回復が早いか遅いかの違いはあるが、俺達の実力なら、畳み掛けるには一瞬の隙で十分すぎるくらいだ。


 だけどクロも、首の動きだけで俺の拳を躱す。


 クロの頬に横に一本の傷が入り血が滲むと……俺達は一度、後方に飛ぶようにしてお互いに距離を空けた。タイミングは、まるで示し合わせたかのように同時だった。


「そういやクロ、今更だけど身体強化魔法はありか? なしにするか?」


「こっからはありで行こうぜ。武器自体を使わなきゃぁ基本的には何でもありだ。喧嘩はそっちの方が面白いし……良いものが見せられるぜ」


「俺の方が身体強化は得意だったのに、随分余裕じゃないか。なんか奥の手でも身に着けたか?」


「はっ!! 喧嘩の最中に教えるかよ!! 自分の身体で味わって見ろよ! じゃあ……行くぜ!!」


「行くぞ!!」


 一度距離を取ったのは、会話で強化魔法の有無を確認するためだけじゃない。お互いに助走の距離が欲しかったからだ。


 速度を十分に乗せた一撃は、強力だけどこちらの拳が壊れるリスクを孕む。そのリスクを身体強化魔法でほぼゼロにする。


 ほぼゼロ……と言ったのは、相手の強化の方が強ければ拳が壊れる可能性があるのと……やっぱり速度を乗せれば拳は多少なりとも痛める。


 だから素手の喧嘩の時は、身体強化と回復魔法がかかせない。


 身体強化を使い相手を殴り、殴って消耗した拳は回復魔法で治す。場合によっては蹴りも使うが、その時もやることは同じだ。


 殴った方の手も痛い。だから治して殴る。それが俺達の喧嘩の常套手段だ。


 俺達は互いに脚力を強化して、相手めがけて突進する。防御することを何も考えない、ただただ目の前の相手を倒すことだけを考えて。


 自然と笑みが零れるが……クロも笑みを浮かべてるか確認する時間は無い。あっという間にお互いの間合いに到達し……拳を突き出す。


 今度は交差せずに拳同士がぶつかり合い、ミシリと骨の軋む音が聞こえるがその瞬間に拳を治し、さらに身体強化を上乗せしてそのまま相手の拳をぶち抜く。ぶち抜こうとする。


 ……だけど……


 クソッ! クロの拳がやけに重い!


 拳が弾かれたことで一瞬だけ俺の身体は死に体になり、体の真ん中ががら空きになる。


 開いた身体の胸の中心部に向けて、クロは勢いそのままに拳を伸ばしてくる。


「よっしゃぁ!! 打ち抜かせてもらうぜぇ!! でも一発で気絶すんなよディ!! まだまだこっからなんだからよぉ!!」


 拳は俺の身体の中心……心臓の位置に伸びてきている。勝負を決めるかもしれない一撃を前に、クロは無茶なことを叫んでくる。


 そうだよな、ここで終わるわけにはいかねーよな!! だったらその拳は喰らってやんねぇ!!


 俺は拳を弾かれた勢いを利用して軸足を回転させて、そのままクロの側面に沈むように回り込んだ。


「なぁっ?!」


 狙いを外したクロの真っ直ぐに伸ばした拳は空振りに終わり、俺はクロの身体をちょうど下から見上げるような体制になる。


 今度はクロの身体が死に体になる番だった。


「おらぁっ!! 喰らえやクロォォォォ!!」


 俺は叫び声をあげ、勢いをそのままにクロのどてっぱらに目掛けて、下から膝蹴りを繰り出す。身体が伸び切った状態のクロにその蹴りを交わす余裕はなく、モロに俺の膝が当たる。


 だけどクロは……喰らったと言うのに口から血を流しながらも負けじと俺の足を思いきり掴んだ。


「てめぇ……!! 拳骨でやるって俺言ったじゃねぇかぁ!!」


「喧嘩に蹴り無しとかあるわけないだろ!! 少しは頭使いやがれ!!」


「だったらこれも有りだよなぁ!! オラァッ!!」


 クロは俺の足を掴むと、その足を持ったままで俺を地面に叩きつけようと持ち上げる。


 あの戦斧を持てるくらいだから、俺ぐらいなら軽いってか!?


 気持ちの悪い浮遊感と、ものすごい速度で移動する景色を視界に捉えながら……俺は地面に向けて両手を伸ばす。


 間に合えぇぇぇぇぇぇ!


 俺の身体が地面に叩きつけられる瞬間に、強化した両手を伸ばして地面に付く。


 いくら強化していても、ピシッという嫌な音が両手から響くが、即座に回復……そのまま身体を捻ってクロの両手から掴まれた脚を解放する。


 人の身体を斧みたいに叩きつけようとするなこの馬鹿!!


「なんだよ! 大人しく地面に叩きつけられるところだろそこは!」


「易々と許すかそんなもん! つーか、あの蹴り腹に喰らって即反撃って、どうなってるんだお前の体!! 絶対なんかやってるだろ!!」


「凄く頑張ったんだよ! お前がいなくなってから!」


「答えになってねえよ!」


 地面に倒れていた俺は即座に起き上がると、クロへ飛びかかり、クロもまた飛びかかる俺を殴りつけてくる。そこから単純なぶん殴り合いだ。


 だけどクロの強化が強い! 何だこの強さ!? 押し切られかねないぞ?!


「お前に嘘言っても意味ないみたいだから教えてやるよ! これが俺の奥の手だ!」


「奥の手だぁ?! 何やってやがる!!」


「俺は竜のおっさんの主になった!! だからあの戦斧から竜の力を上乗せしてんだよ!! 分かりやすくしてやるよ!!」


 そう言った途端……クロの身体が緑色の光に包まれる。


 魔物達を蹴散らした時に戦斧から放たれていたあの光だ。でも、戦斧は持っていないのに……。


「てめぇ!! ズルいぞこの野郎!! どうやってんだそれ!」


 俺はありったけの強化した拳でクロを殴りつけるが、手ごたえが先ほどまでとまるで違う。まるで硬い金属を殴っているような感触だ。


 反対に、クロの拳は重さと威力を増している。ガードしているが、あまりの威力に身体が持っていかれてしまう。倒れはしないが、身体がグラつくのが分かった。


「お前だってできるはずだぜ、お前は聖剣の主だろう! 離れてたってあの手の武器は主と繋がってんだよ!! 意識してやってみやがれ!!」


「なんだそりゃどういう事だ?! 説明が足りねーんだよお前は!! どうやってんだって聞いてんだこっちは!!」


「そんなもん、存在を意識してグッと掴んでからギュッと力を絞ってんだよ!!」


「そんな説明で分かるかぁぁぁぁぁ!!」


 これあれだ、兵士時代に訓練時に俺に何かを教えるときの奴だ。感覚で伝えるから分かんねーけど、やるしかないやつだ!!


 そこで一度……クロからの攻撃が途絶える。見るとクロ俺から少し距離をとっていて、その足に緑の光が集中し光り輝いていた。


「今から全力で蹴りこむぞ。防ぐならお前もやってみろよ。まぁ、死にゃあしないけど……これで決着だ。俺の勝ちでな」


 勝ち誇る様に胸を反らしながらの笑顔が少し……いや、正直かなりムカついた。


 勝利宣言だぁ?


 やるしかないってんなら……やってやるよ!!


「来いやクロ!! そのへなちょこな蹴りを防いで喧嘩続行だ!!」


「……良く言った!!」


 俺の答えに……クロは晴れやかな笑顔を浮かべていた。


 こいつアレだな。


 喧嘩だって言っときながら俺にまずはこれを教える気だったんだな。相変わらず実践式でモノを教える奴だ。スパルタと言うか、脳筋と言うか……。


 でもこいつは……俺ならできると信じているからこんな無茶を言ってくる。だから……その気持ちに応えてやる。


 存在を意識してグッと掴んでギュッて……聖剣は今……ルーが持ってる。聖剣の存在は分かる。聖具である鞘も一緒に預けている。


 それを認識して……そこから力を……いや、グッてどういう感じでやれば……?


「敵は待ってはくれないぞ!! 行くぜディ!!」


「おっしゃ!! 来いやぁ!!」


 来いやぁじゃねえよ俺!! どーすんだよ!! あぁもう!! こいつのペースに乗せられた!!


 俺の声と同時にクロは、蹴りをぶち込むために駆け出してくる。光を放つ足は走るたびに地面を穿つ。


 あんなもん喰らったら死ぬぞオイ!!


 そう思った瞬間に、目の前にはもうクロの姿があり、クロは地面を削りながら大きく足を振りかぶって、土煙を周囲に巻き起こす。


 そして……叫び声を上げながら俺に向けてその蹴りを思い切り振りぬいた。


 ……あぁ、もう!! 四の五の考えるから混乱するんだ!! 俺が聖剣の主で離れても繋がっている?! だったら今も繋がってるのか?! なら……力貸してくれよ相棒!!


 その時……まるで時が止まったかのように……クロの蹴りが急激に遅くなった。蹴りの軌道はおろか、周囲の土煙の一つ一つまでもが把握できるような状態だ。


 走馬灯?


 時間がゆっくりゆっくり流れている中で……俺は聖剣と聖具の間に、奇妙な繫がりができていることを視認する。


 白い光と……金色の光……その光が二つ……俺と繋がっている。


 これが……離れているけど繋がっているってやつか?


 疑問に思っている中で、まるで少し太い糸のようなそれを俺は手で掴むと……そこから離れているのに聖剣と聖具の存在と力を感じ取り、俺の中に力が流れてくるのが分かった。


 これがグッと掴んでギュッとしてってやつかよ……いや、全然違うじゃねえかよクロ。いや、違わないのか? 何でもいいか。


 とにかく……力借りるぞ……二人とも……!!


 そして、遅くなっていた周囲の時間が元に戻る。


 その瞬間、蹴りは俺の身体にぶち当たった。


 まるで地面に重量のある物体を叩きつけた時のような……爆発音にも似た音が俺の身体から鳴り響く。


 とんでもなく重い蹴りだったけど……俺は吹き飛ばずに……腕を交差させてクロの蹴りを防いでいた。


 俺の腕からは二色の光が放たれていた。


「……やりゃあできんじゃねえか」


「当り前だろ……俺を誰だと思ってるんだよ!」


「俺等になんも言わずに消えた……元勇者だろ。それくらいできると思ってたさ」


 この結果にクロは満足そうに笑みを浮かべる。俺も……ちょっとだけ焦っていたのはおくびにも出さず、強気な笑顔をクロへと向けた。


「お前も力の使い方も分かったみたいだし……まだまだ言いたいことはいっぱいあるんだ! 仕切り直しだ!! 行くぞディ!!」


「あぁ、そうだな……。でも、文句は聞いてやるけど絶対負けてやるかよ!! 改めて行くぞクロ!!」


 そして、お互い全力を出せるようになった喧嘩は……再開する。

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