95.勇者は働き始める

「おーい、ディ君!! この書類の整理を頼めないか? 担当のヤツが忙しくて整理しきれてないんだ。記載されてる月別に纏めてくれ」


「わかりました! 任せてください!」


 俺は口ひげを蓄えたすこし小太りの男性……俺の教育係であるバルトさんから大量の紙の束を渡される。


 雑多に重ねられたその紙束には難しい文字が多々書かれている。


 だけど、月別に纏めるくらいなら見る箇所は特定されるので俺でも問題ないだろう。


 俺は与えられた机の上で、その紙を黙々と整理しながら内容に目を通していた。


 これも文字の勉強だ。何ヶ月か前の記事だけど、そこには俺のことが書かれている。


 へぇ……俺が魔王を倒しに行ったことは帝国ではこんな風に伝わってたのか。


 乱心した魔族の王を人間の勇者が倒しに行く……。


 いやぁ……情報って筒抜けだったんだなぁ。


 他にも魔王の国での現状、予測……俺達が住んでいた国や周辺国がどういう状況なのか……膨大な量の情報がそこには書かれていた。


 俺は黙々と、勉強するために文字を確認しながら書類の整理を続ける。


 なぜこういう状況になっているのかと言うと、時間は少しだけ、ほんの少しだけ遡る。


 新しい身分証を貰ってから、俺とルーはニユースの街を出る……ことはせずに、とりあえずこの街でしばらく働かせてもらうことを希望した。


 身分証を貰ってはいさよなら……と言うのも味気なかったし、あの三人の件もあって少しだけ疑心暗鬼になっていたというのもある。


 完全に俺とルーの勘だけど……まだこの街には居た方が良いような気がしていたのだ。


 だから、ルーはこの街でも魔法の研究をしたいと、そういう関係の施設に見習い職員として。


 俺は、この街が情報産業で発展しているという事なので、その情報を集める施設の雑用係……下っ端として。


 それぞれ、ノストゥルさんに紹介してもらった場所で働いている。


 当初はノストゥルさんは、俺達に対して働かなくても良いじゃないかと言ってくれたのだけど、流石に毎日ゴロゴロしてタダ飯を喰らうというのもなんだか申しわけない。


 そして何より、何かしてないと落ち着かないのだ。


 だけど俺のこの考えは、思わぬところからも妨害を受けたりする。


 ルーだ。


 ルーはなぜか「いや、私が働くからディさんはゆっくりしてくださいよ。私が養ってあげますから」と頑なだった。


 ……また変な本の影響を受けて、ノストゥルさん側について、俺を働かせないよう説得にかかってきた。


 お前はどうしてそう、俺をダメにしたいんだ。


 ルーなりに気を使ってくれているという事なんだろうか?


 でも、それはいらぬ気遣いなんだけどな……。


 しかもそのことをリムに相談したら、リムはリムで「ズルい!! 私もディ様を養いたい!!」とか訳の分かんないことを言い出した。


 何なの君達は。


 俺を一体どうしたいの。


 自分が居なきゃ何も出来ない人にしたいの?


 怖いんだけど。


 ちょっと、身近な女性陣の精神的な恐ろしさを垣間見たけれども、俺は逆に彼女達を説得した。


 それは前向きに生活するためにも、必要だからだ。


 何せ俺は文字の読み書きが苦手だからな。


 そういう情報を扱う施設に入れれば、ちょっとでも成長できるのではないかと考えての事だ。


 職場の人も俺を普通の一男性として扱ってくれる。


 今まで勇者として戦ってきてばかりだった俺にとって、この仕事は実に新鮮で非常に楽しいものだった。


 身分証の件はお偉いさんには話は通ってるらしいけど、それ以外の人には秘密にしてもらっている。


 だから身分証は普通で良いと言ったのに……。


 まぁ、いまさら言っても仕方ないか。


 とりあえず俺は書類に目を通しながら、書類整理を時間をかけて終える。


 しかしこうやって改めて見ると……王国の情報って凄い筒抜けなんだなぁ……王国もこういう情報機関あるんだろうか?


 いやまぁ、あるんだろうけど。一般人は全くもって知らされていない。


 王国と帝国の一番の違いはこの情報は一般の人にも見せるために集めているという点か。


 さすが、情報を扱うことで発展したニユースと言うべきか……。


 それとも……王国のザルさを嘆くべきなのかは分からないが。


「しっかし、何やってるのかねぇ……あの二人は……」


 俺は最後に手に取った紙に書かれた情報を見てため息をつく。


 そこには騎士団長と王女様が……魔王の国にいるという情報が書かれていた。


 どういう経緯でそうなったのかは分からないけど……。


 王女は療養、団長は魔王の補佐をしていると……。そこには書かれていた。


 いや、ほんと。どうしてそうなったの?


「いやぁ、仕事速いねぇディ君。この量の整理をもう終わったって……。で、何見てたの? 王国の情報?」


 俺がその記事を見ていると、唐突に背後から声をかけられた。


 まぁ、後ろにいるのは分かっていたけど、話しかけて来るとは思っていなかったので、ちょっとだけビックリした。


 そこには、この仕事をはじめて仲良くなった猫の獣人であるピルムさんが立っていた。


「ピルム!! ディ君に礼を言っとけよ!! お前が整理できてない書類を整理してくれたんだからな!!」


「いやぁ~、私ってズボラだからそう言うの苦手なんですよー。ディ君が来てくれて本当に助かってます~」


「いえ、これくらいならいつでもやりますので」


「ありがとうねぇ、ディ君」


 戦う時の殺伐とした雰囲気はないが、慣れない仕事に対する緊張感はあるので……こうやって褒められるのは悪い気はしない。


「そんな王国の情報に興味があるディ君にとっておきの情報を教えちゃおう! なんかね、その王女様って勇者と恋仲だったらしいんだけど、騎士団長が横からかっさらっちゃったんだって噂だよー」


「ピルム、そんな確証もねぇ噂話使えないって言ってるだろ。王国の民達の間で流れてる噂話ってだけで何の証拠もねぇ」


「まぁ、そうですよねぇー。勇者と魔王は相打ちになったから、例え恋仲になっててもかっさらったとは言えませんもんねぇ」


「そう言うことだ。お前も情報扱うなら、真偽くらいはちゃんと確認してから口にしろよ」


 良い気分になっていたところで、とんでもないことがピルムさんの口から飛び出した。


 俺は顔色を変えないように、笑顔を張り付ける。


 えぇ、当事者です。


 しかもピルムさん……その話、当たってます。


「その勇者も実は生きてるかもって情報もあるし、そっち方面の取材とか面白そうだと思うんですけどねぇ」


「それで本当に死んでましただったら時間の無駄だろうが。だいたい、勇者が生きてたら、なんで王国に戻らないんだよ」


「そこはほら、なんか……やんごとなき事情があるとかー。浪漫があるじゃないですか、死んだかもしれない人が生きてるって話」


「浪漫を追うのも結構だが、現実の仕事をまず片付けろ。魔王と王国の動向が今一番の話題なんだ……。こっちに攻めて来て戦争なんてアホはやらかさないと思うけどな。情報だけは集めておけよ」


 たぶん、二人とも単なるコミュニケーションとしての雑談をしているだけなのだろうけど、当事者としてはちょっとだけ……ちょっとだけ変な汗が出る。


 それを悟られるわけにもいかないので笑顔で二人の会話を聞くだけ聞いて、そのうえで笑顔だけは崩さないでおく。


「はーい。あーあ……勇者も生きてたら王女様と結婚してたのかなぁ……? そういえばディ君。君って彼女いるの?」


 少しだけお叱りを受けたピルムさんは、唐突に話題を変えてきた。


 俺は話題が逸れたことで内心で安堵しつつ、それを表に出さないように笑顔をピルムさんに向ける。


「いますよ。故郷から一緒に旅に出た幼馴染なんですけどね。ちょっと前から、この街の魔法の研究施設で見習いやってるはずです」


 とりあえず、俺とルーの恋人設定はこの街でも継続することにしてる。


 リムも交えて三人で話し合った結果……その方が良いだろうということからだ。


 その時に、ルーには改めて……好きな男ができたら全力でくっ付けてやるから安心しろよと言ってやった。


 なぜかリムとルーの二人からは物凄いジト目で睨まれて、その後に盛大にため息をつかれたけど……。


 やっぱりまだ、父親の事もあるし……ルーはそういうことを考えられないのかな?


 ちょっと無神経だったかもしれない。反省だ。


「え?! それってもしかして魔法研究所に現れた噂の超絶美少女魔法使いさんの事?! 研究所のアイドルって言われてる?!」


 唐突なその言葉に、俺は思わず吹き出してしまう。


 なんですかその呼び名は?!


 超絶美少女……?! いや、確かにルーは可愛いけど……何、そんな話題になってるの?


「えーっと……超絶美少女魔法使いかどうかはわかりませんけど……。名前はルーって言うんですけど……」


 ルーの名前を出したとたんに、ピルムさんとバルトさんの顔が驚きに満ちる。


 えーっと……やっぱりルーの事なの? なにやってんのあの娘?


「ねぇ、ちょっと今度お話聞かせてもらえない?! いきなり現れた謎のアイドルにみんな興味津々で!! 研究所でもかなりモテてるらしいのよ! でもみんな彼氏がいるから袖にされてるって!!」


 へぇ、ルーの奴そんなにモテてるのか。これは俺がお役御免になる日も近い……かな……?


「そうなんですか。そんなにモテてるなんて知りませんでしたよ。研究が楽しいって話は毎晩聞いてるんですけど……」


「そりゃあ、彼氏に職場でモテてるなんて言えないでしょ。でも安心してよ、なんかそういう目的の男性に対してはすっごい冷たい対応だって話だから」


 そっか、それは安心だ。


 ……安心?


 何が安心なんだ俺は?


 なんだろうか……俺の中にちょっとだけ……ちょっとだけモヤモヤする気持ちが出てくる。


 少しだけ自分の中に芽生えた気持ちに対して違和感を感じていたのだが、その気持ちはすぐに霧散する。


 直後に俺は二人に何とかルーに対して取材をさせてもらえないかと頼み込まれたからだ。


 噂の人物と、その彼氏について独占取材を……と。


 その時に俺はルーの現状を詳しく知ることになるのだが……。


 ルーよ……お前さぁ……断るときに彼氏がいるからって断るのは良いけどさ……。


『ものすごく格好良くて、強力な魔物も一人で倒せるくらい強くて、そのうえ性格も完璧で優しくて、非の打ちどころのないとても魅力的な男性とお付き合いしているので、ごめんなさい』


 とか……俺を超持ち上げて断るのは止めてくれませんかね……。


 そのおかげで、どうやら俺も『噂の彼氏はどんなヤツだ』と話題になっていることを、この時に初めて知ったのだった。

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