73.魔王と聖女は手作り菓子を送る

 一日の終わりをベッドの中で迎えられるというのは途方もなく幸せな事です。


 全ての疲れを包み込んでくれる、その中で……私は友達と一緒に寝るという更に幸せな状況になっています。幸せの二重取りです。


「好意を伝える日……ですの?」


「えぇ、魔族には普段お世話になっている方へと好意と感謝を伝える日って言うのがあるんですよ。感謝以外にも男性からの意中の女性に愛の告白したり、逆に女性が男性に告白したりする日ですね。王国ではそう言うのって無いんですか?」


「……残念ながら王国では、そう言う日はありませんでしたわねぇ」


「まぁ、魔族もうちの父が魔王なってからはそんな日なんて無いに等しかったみたいなんですけどね。……今頃は兄の元で、その日が復活してくれていると良いんですけど」


 私は今、マーちゃんとの寝る前の何気ないお喋りの真っ最中です。二人ともベッドに寝転んで向かい合わせになっています。


 ここ最近、私達はこういう女の子同士の話をするのが日課となっています。


 別に何かをするわけでも無く、旅の最中のディさんの話だったり、私が魔王の娘として過ごしていた話だったり、マーちゃんが聖職者としてどういう生活をしていたのかとか、そう言うお互いを知るための何気ない雑談です。


 そんな何気ない会話の中で、私は魔族の国に伝わる感謝と愛情を伝える日の事を話題に出しました。


 この時は、同じような日は王国にはあったのだろうかと、そう言う素朴な疑問からの発言だったのですが、どうやら王国にはそう言う日は無いようでした。


 当たり前の話ですが、やっぱり国が違えば文化は違うみたいですね。


 ため息をつきながら、私は兄さんがその日を復活させてくれていることを願います。侍女長と兄さんは存分にイチャイチャして、さっさと子供作って、色々と幸せになってもらいたいのですから。

 今頃、何してるんでしょうねあの二人は……。


 そんな風に私が考えていることも知らず、マーちゃんは寝っ転がったままで首を傾げるという器用な事をしていました。

 下手したらその仕草、首傷めません?


「どういう形で感謝と好意をお伝えするんですの?」


「そうですね、家族だったらちょっと良いものを一緒に食べに行ったりとか、お子さんが親御さんに手作りの絵をプレゼントしたりとか、まだお付き合いする前の男女だったら、手作りのお菓子を渡して愛の告白をしたりするんですよ」


 手作りお菓子の話題を出したところで思い出したのですが、そう言えば私ってディさんに初めておんぶしてもらった時に手作りの焼き菓子を上げてましたね。

 懐かしいですね、もうあれから一月近く経つんですか。あの時からディさんと呼ぶようになったんでしたっけ。


 ただ、この時の私はうかつでした。


 マーちゃんに対して本当にうかつな発言をしてしまったのです。よりにもよってマーちゃんに「手作りお菓子を渡して愛の告白をする」と言う単語を教えてしまったのです。


 私が失策に気づいたのは、熱い視線を感じたからです。


 あぁ、ダメだ。これはもうダメだ。私が言っても止まらない。絶対に止まらないという決意を秘めた熱い視線が私に注がれています。


「ルーちゃん……明日、一緒にお菓子を作りませんか?」


 別に明日がその感謝の日と言うわけではありません。全然関係ない日です。

 その日はいつだったか……記憶は朧気です。そもそも帝国領にそんな日があるのかもわかりません。


 でも私にはその提案を断ることはできませんでした。


 こんなにもキラキラした目をする、年相応の女の子の顔をした友達の頼みを無碍に断るなんて……できる人なんているんでしょうか?


「……そうですね、一緒に作りましょうか」


 私はその提案を快諾しました。


 まぁ、私と一緒なら無茶なお菓子も作らないでしょうし……料理の時の様な大変さが起きないことを願うだけです。


 変な事をしようとしたら止めればいいだけなのですから。それが一番大変ではありますが……。


 ……それに私も……今までの感謝と、前とは異なる気持ちを込めたお菓子をディさんに渡したいと思ってしまったのですから。


 私の了承に笑顔を返したマーちゃんはそのまま明日に備えて目を閉じ……数秒もしないうちに寝息を立てます。なんて寝つきが良いんでしょうか……。


 私も彼女と同じく目を瞑り……ほどなくして私の意識は夢の中へと沈むのでした。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「マーちゃん、卵の殻は使わないでください。もったいないとか洗って火を通せば食べられるとかじゃ無いんです。お菓子に卵の殻は使わないんです、使うのは中身なんです……」


 早口で捲し立てる私の言葉に、マーちゃんは渋々ながら卵の殻を脇に避けます。私の気持ちは伝わったようです。


 この食材を欠片も無駄にしない精神は何と言いますか尊重すべきことなのかもしれませんが、料理に関してはまずは美味しく作ることが前提となります。アレンジも味を壊さない範囲で……。


 いや、違います。卵の殻は普通は食材ではありません。感覚がおかしくなってます。

 マーちゃんは昔、殻は焼いてすりつぶして粉にして食材に混ぜていたとのことですが、それは焼き菓子ではおそらく致命的です。どんなものになるか想像つきません。いや、普通の料理でもあんまり聞いたことないですけど……。


 ……たぶん、混ざらないでジャリジャリした舌触りの何かになると思われます。試したくないですし、それこそ食材が勿体ないです。


 今私達が作っているのは、基本的に材料を混ぜて焼くだけの、比較的簡単な焼き菓子になります。


 今回は、パイトンさんが事情を説明したら材料を用意してくださったので非常に感謝しています。

 貴重なショコラまで用意いただけたのはありがたいです……帝国の食文化はかなり発展しているみたいですね。


 代金の支払いを申し出をしたのですが断られてしまい……今回は素直に甘えることにしました。


 もしかしたら、国にいた時も帝国から買っていたのかもしれません。

 その辺りは侍女等とかに任せてましたから、私は詳しく知らないんですよね……こんなことなら聞いておけばよかったです。


 卵と小麦粉とショコラとバターと砂糖……これらを分量を守って混ぜて焼くだけ。そんな簡単なお菓子作りのはずなんですが……マーちゃんは捨てる材料(いや、卵の殻は材料じゃ無いですけど)をもったいないと入れようとしたり、余る材料がもったいないと分量以上に入れようとしてしまいます。


 逆に砂糖は貴重だからとほとんど入れようとしません。ちゃんと適量入れてください。


「やっぱりルーちゃんは元お嬢様なんですわね……そんなに材料を惜しげもなく使って……」


 わなわなと震えながら、私が使う砂糖の量に対して戦慄したように呟いてます。いや、お嬢様とか関係ないと思うんですけど……。確かにお菓子作りに砂糖の量は多いですけど、これくらいは普通なんですよと説明しても、いまいち納得していただけません。

 昔よりは調味料も安価に手に入りやすくなってるはずなのに、なんでここまで頑なに使おうとしないんでしょうか……。


 その理由も、一緒にいれば追々わかっていく事でしょう。今はとにかくお菓子作りです。


 お借りしたキッチンで、私達は悪戦苦闘しながらも焼き菓子を作ります。いや、余計なことをしなければ悪戦苦闘する事もないんですけどね。


 納得してくれたと思っていたマーちゃんは、最後まで卵の殻をどうにか諦めずに使おうとしていましたが……何とか阻止することには成功しました。トッピングとしても無しですよ。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 無事にディさんに渡す焼き菓子を作り上げた私達は、いつもより早い時間にディさんの部屋の前に来ています。二人とも少しばかりドキドキして、頬が紅潮しているのが分かりました。驚かせるためにノックは無しと決めていましたので、後は私達の覚悟一つです。


 気配を殺し、そっとお互いが扉に手をかけます。そのまま二人同時に新呼吸して……。3……2……1……。


 数を数えてぴったり同時に扉を開き、恥ずかしさを誤魔化すように大声を張り上げます。


「ディさんお見舞いですよー! お加減いか……が……?」


「ディ様!! お……お邪魔いたしま……す……?」


 わざとノックもせずに部屋へと侵入した私達は、その光景を見て固まってしまいます。決めていたはずの覚悟も何もかもが霧散する光景がそこにはありました。


 それは……下半身に見たことの無い形の布を巻いただけの姿で汗だくになっているディさんでした。


「なななななななななな何やってるんですかディさん?!」


「……ディ様……もうちょっとこう……右を向いていただけませんか?」


 私は思わず両手で顔を隠してしまいますが、マーちゃんは最初こそ驚いたもののディさんに視線を釘付けて、あまつさえ見る方向を指定しています。

 いや、ディさん意外と筋肉ついてるんですね、ここまで裸体を見たのは初めて……じゃない!! なんでそんな真っ裸なんですか?! いや、何かヒラヒラした下着みたいな物を付けてますけど!! お尻なんて丸見えじゃ無いですか!!


「二人とも……ノックくらいしてくれよ。修行中だったのに」


「それについては謝りますけど!! って修行?! 何なんですかその姿は!?」


「なんだとは失敬だな、これは修行のスタイルだ。俺に戦いを教えてくれた師匠からいただいた、由緒正しい褌スタイルと言う名の修行における正装なんだぞ。これを履くことで、気を引き締めてだな……」


「こっち向いて説明しないでください!!」


 背を向けていたディさんはこちらを向いてわざわざ解説してくれます。真っ白い布は汗で濡れていて、その下の肌色を若干透けさせています。前垂れのような部分があるので致命的な部分は見えませんが、それでも見ていて恥ずかしいです。


「うーん……確かにこの姿を見せたことがあるのは仲間達だけだったからな……。ちょっと感覚が麻痺してたかもな、最初は俺も恥ずかしかったのを思い出したよ。初心を思い出させてもらえて良かったよ」


「ディ様のその修行スタイルを見るのも久しぶりですわねぇ……良い目の保養ですわ……」


 なんでマーちゃんはそんなに冷静に見ているんですか!! 近づいてタオルを手渡せるんですか?! 普通にそんなにまじまじと見ることができるんですか?!

 この空間内で、まるでおかしいのは私の方のような気分になってきますが、何でしょうか……もしかして、マーちゃんも修行する時はあんな格好をするんでしょうか……?


「ルーちゃん……流石に私も褌姿にはなりませんわ……恥ずかしいですもの……。それにこれは、殿方にだけ許された正装らしいですわ……」


 半眼を向けていたことで気がついたのか、マーちゃんは私の考えを否定してきます。……よかった、一般的では無いんですね。しかし、私がホッとしたのも束の間でした。


「それより聞いてくれ二人とも、あまりにも暇だったし、身体がなまっているから聖剣で素振りをしていたんだけどな、確かに光の刃は少し弱くなったけど、その分色んなことができるようになって……」


「こっち来るなぁぁぁぁ!! 服を着てくださいぃぃぃぃぃ!!」


 思わず声を荒げた私に、ディさんは失礼したと謝罪してからいそいそと服を着てくれました。……マーちゃん、そんな惜しそうな目を向けないでください。


「んで、二人ともどうしたんだよ? ノックもせずに部屋にこんな時間に入ってくるって珍しいけど……」


 服を着たことでやっと私はディさんにまともに見ることができました。えぇ、さっきまではまともに見られていなかったので、頬は熱いままです。すっかり出鼻をくじかれましたが、ここからは私達の番です。


「いえね、ディさんにお見舞いを持ってきたんですよ。手作りの焼き菓子です」


「私も頑張って作りましたのよ、ルーちゃんに教わったので同じものです恐縮ですが……」


 私達はそれぞれ可愛らしく包装した焼き菓子をディさんに見せつけます。私は星型の留め具を付けて、マーちゃんはハート形の留め具を付けて、布製の袋に焼き菓子を入れています。私もハートにしようかと思ったんですけど、直前で照れ臭くて星形にしてしまいました。


「……どうしたの突然?」


「ルーちゃんに、魔族の国には好意を持つ殿方には贈り物を送る日があるとお聞きしましたので、やってみたくなったんですの」


 ほんの少しだけ警戒したようなディさんですが、大丈夫です。私がちゃんと一緒に見ましたから。問題ないです。指で丸の形を作ってディさんを安心させると、ディさんは笑顔でその包みを受け取りました。


「そんな風習があるのか、ごめんな、俺だけ何も用意してなくて」


「いえいえ、もうお返しは十分いただきましたわ」


 先ほどの修行スタイルを思いだしたのか、ニマニマと笑顔をマーちゃんは浮かべます。私もディさんに袋を渡しますと、すんなりと受け取ってくれました。

 私は別でお返しをいただきましょうか……あれがお返しと思いたくないです……。


「ディ様、さっそく開けて食べてみてください。あ、私はお茶を用意してきますわね」


 嬉しそうにいそいそとお茶の準備を始めた彼女を尻目に、ディさんはまずはハートの留め具が付いた包みを開きます。中からは、真っ白な色に彩られた焼き菓子が姿を現し……。


 ……白?


 何で白? 一緒に作った時は黒い焼き菓子だったんですが? なんで色が変わっているんですか?


「へぇ、珍しい色だな。リムのが白で、ルーのが黒か。作るの大変だったんじゃないか?」


 私の包みも明けたディさんは、二人の焼き菓子を並べます……。いえ、今回は二人とも同じ材料で同じ作りにしたんですが……。なんでそうなる……まさか……?

 私の考えを他所にディさんは白い焼き菓子を手に取ります。そしてそれを口に運ぶと……ガリッと言う音が辺りに響きました。


「……なんか……珍しい歯触りと言うか……歯ごたえと言うか……何でしょうかコレは」


「やりやがりましたね……マーちゃん……?」


 お茶を持ってきたマーちゃんは、自身の焼き菓子を口にしているディさんを見て満面の笑みを浮かべています。私はその笑みを見て……半眼でマーちゃんを見返します。


「ディ様の骨が強くなるように、きちんと火を通した卵の殻を細かくしてコーティングしてみましたの。いかがでしたか?」


 やりやがりました。この子、私が少し目を離したすきに、脇に避けてた卵の殻で素早くアレンジしたみたいです。盲点を突かれました……そこまでやりますか?!


「うん……味は美味しいよ……味は……リムも食べてみて……」


 マーちゃんはディさんに作ったのにと最初は躊躇いますが、最終的には自身の作ったその白い焼き菓子を口に運んで咀嚼しますが、特に何問題も無しに食べて「自分で作るとやっぱり美味しいですわね」とまで言い出しました。

 私も試しに一ついただきましたが……うん……卵の殻のガリガリとした歯触りは焼き菓子には流石に合いません……なんでマーちゃん、これを平気で食べられるんでしょうか……。


 その後……ディさんは私達の作った焼き菓子を笑顔で美味しいと全て平らげてくれましたが……心なしかその顔はげっそりしたように見え……私達にお礼を言うとベッドに寝込んでしまいました。

 結局、ディさんが修行で何ができるようになったかは聞けずじまいとなってしまいました。


「喜んでもらえて良かったですわ」


 上機嫌のマーちゃんを尻目に、私は心の中でディさんに合掌をして一人決意していました。絶対にもう……マーちゃんには料理を一人でさせないし……料理をするときには絶対に目を離すことはしないと。

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