68.聖女は夢を見る

 私がディ様を追いかけて旅をし始めた頃、毎日ではありませんが……不定期にとある夢を見るようになりました。その夢は、何もない真っ暗な広い空間の中で私は一人で居ると言う夢です。真っ暗なのに広いと言うのが分かるのも奇妙ですが、暗いのに視界はある……そんな不思議な夢でした。

 最初のうちは私が一人かと思ったのですが、ある日ふと気づきました。その空間には私ともう一人……小さな女の子がいるという事を。


 その女の子は真っ暗な空間の中で膝を抱えて一人で泣いていました。時折何かを叫んだり、喋ったりしているようなのですが、その言葉は何を言っているのか私には聞き取ることはできません。

 ただ、哀しんでいることだけは理解できました。だから私は気になって女の子に近づきますが……私が近づいても、彼女は私の方を振り向くことなく泣き続けています。


『何が……そんなに哀しいんですの?』


 私は女の子の目の前にしゃがみこんで目線を合わせますが……女の子は私の方をちらりと見ただけで問いかけには答えません。いえ、正確には女の子は泣きながら何かを私に訴えているようなのですが、残念ながらその言葉が私には理解できないのです。

 女の子の声は暴風に遮られたように途切れ途切れですら聞こえません。でも、私に何かを言いたいことは確かなようなのです。


 仕方がありませんので、私は彼女が泣き止むまでそばにいてあげることにします。それから彼女はしばらく泣き続けるのですが……ある程度泣くと少しは気分が落ち着くのか、泣き止むと同時にある一点を見つめて指差します。

 私が『そっちに行きたいの?』と聞くと、彼女はゆっくりと首を縦に振ります。そっちの方には何もなく……ただ暗い空間が広がっているだけです。何かがあるようには見えません。


 ですが、彼女の指さす方向に目を凝らすとほんの少し……本当にほんの少しですが、小さな光が二つ見える気がしました。女の子はそこに行きたいようなのです。


『それじゃあ、一緒に行きましょうか?』


 私がそう言うと彼女は笑顔こそ浮かべませんが、涙を止めて頷きます。表情が変わらないのに、どこか安心したように見えるのは気のせいではないでしょう。そして、一緒に行きましょうと手を繋ぎ歩き始めたところで……私の目は覚めます。


 起きるとなんとなく、夢の中で女の子が差した方向はこっちなのかなと考えます。そして、根拠はないけれど夢の中の女の子が指し示す方向に向かって、私は旅を続けたのです。

 マディ達に初めて会った晩にも彼女は私の夢に現れて、とある方角を指し示します。その方向がマディ達が住んでいたという森の方向だと知ったのは後のことでしたが……。


 繰り返し見る夢の中で、相変わらず泣いている女の子が指し示す方向へと移動する。移動すればするほどに目的の光は大きくなっていき……まるで導かれるように私は旅を続けました。

 その頃には……もしかして夢の中の女の子は聖具なのかなと思うようになりました。私と一緒に来てくれた、私を選んだ聖なる武具……その正体があんな小さな女の子だったなんて……私は現実で腕輪を慰めるように撫でます。ほんの少しでも気持ちが軽くなるように。

 それでも、女の子が夢の中で泣いたままなのはとても心苦しい事でした。お話ができれば、少しは違うのでしょうが……。それも叶いません。何故か彼女の声は私には聞き取れません。


 ……やがて私はあの森へと辿り着き、魔王……ルーちゃんと出会います。その時の衝撃と言ったらなかったです。そこにはあの日、仲間達と……ディアノ様達と見た魔王が、普通の村娘の様な格好で薬草の採取をしていたのですから。


 彼女はとても親切でした。私を迷った旅人だと思い、魔狼を連れているのに屋敷に招いてくれて、これが魔王なのかと首を傾げるくらいに、普通の魔族の女性でした。人の為に動き、助け、笑い、泣き……見た目より幼い印象を持ちましたが、とてもあの時の魔王と同一人物とは思えませんでした。


 それから私は……彼女に色々と打ち明けた結果……恥ずかしながらディ様の事を聞いて頭に血が上りルーちゃんと戦ったのです。……まぁ、防御特化の私と魔力特化のルーちゃんでは決着が着かずにお互い体力切れで結果は引き分けとなりましたけど。


 だけど今にして思うのです……あの時の怒りは果たして私だけのものだったのでしょうか。ディアノ様の……勇者様の持つ聖剣の話を聞いたこの子も、私の心に同調していたのではないかと……今にして思うのです。ディ様に牙を向いた今だからこそですが。


 色々と言う事を聞いてくださったので、私はこの聖具と相性が良いのかと思っていたのですが……もしかしたら相性が良すぎるのかもしれません。お互いの気持ちが同調して、膨れ上がり、暴走してしまうくらいに。


 ディ様と再会して、最初のうちは平気でした。胸の内を打ち明けて……また一緒に居られて。皆さんと過ごす日々は楽しくて……忙しくも穏やかな日々に満足していたはずなのです。


 でも、私の中にほんの少しのしこりのようなものが残っていました。最初は気づかなかったのですが、その気持ちは日に日に大きくなっていきます。

 まだ私を見てくれていない、私と触れあってくれてない、声をかけてくれていない……そんな思いが日に日に募っていきます。ディ様とは一緒にいられているのに。


 ある時にふと私は気づきました……この気持ちは私の腕輪……聖具の物ではないかと。この子が何かを訴えかけているのだと……その頃は何故か夢に彼女は現れませんから、確かめようが無かったのですが……。


 私にできるのは、せめてディアノ様のやりたいことをやり終えるまではこの気持ちに蓋をして耐えること。聖具に、良い子だからもう少しだけ待っていてねと言い聞かせ……きっと聖具はギリギリまで待ってくれたのです。

 それが逆に私の気持ちと同調する期間を長くしてしまい……最終的にあのような形になってしまったわけですね……。お恥ずかしい……。


 そして私は今、例の夢の中の真っ暗な空間に一人でいます。あの子がいるはずの、夢の中……実に久しぶりです。


 確か……私は自身と聖具の衝動に突き動かされるままにディアノ様と戦い……そして……どうなったのでしょうか?  最後の記憶は、私がディアノ様を押し倒すところで途切れています……今思うとはしたなくて少しだけ赤面してしまいます。

 あの戦い自体は後悔しておりません。と言うよりも、むしろ溜まったものを吐き出すことができてスッキリした気分にはなったくらいです。ディ様には申し訳ないですが……。

 きっと聖具もそうだと思うのですが……気持ちは暴走してましてが話したことは全部覚えています。だからこんなに気持ちが軽く……。


 ……そう言えば、あの女の子はどこにいるのでしょうか? この空間には今はいないです。もしかして、今も泣いているのでしょうか? それとも、怒っているのでしょうか? 怒っているとしたらそれは誰に……。とりあえず、暗闇の中を少しだけ歩きます。あの子を見つけるために。


 ほどなくして、すぐに女の子は見つかりましたが、女の子はいつもと違いました。

 今回のこの空間には私と女の子……それともう一人……男性がいるのです。


 女の子よりは年上でしょうか、端正な顔立ちをした、今まで夢の中では見たことの無い男性です。妙に真っ白な格好をしていますが、いったい彼は誰なのでしょうか?


 女の子は泣いていますが、今は膝を抱えていません。目の前の男性に対して、泣きながら必死に何かを叫んでいます。何を言っているかは分かりませんが、怒りや悲しみ、色々な表情が混じった顔で男性へと叫んでいます。でも、その顔には憎しみの色は見られません。


 男性は困った顔を浮かべながら女の子の話を黙って聞いています。そのうち、女の子から手が出始めした。

 両手で男性の胸の辺りをぽかぽかと叩きます……それが徐々に腰の入ったパンチに変わっていき、脛の辺りを蹴りつけ、男性が思わず屈んだところで、右拳をすくい上げるように顎先へと目掛けて叩きつけ、その拳を受けた男性の顔が下から上へと跳ね上がります。


 顔面が跳ね上がったところで更にダメ押しで左拳を真っ直ぐ突き出し、直撃した男性はそのまま仰向けに倒れ地面に激突し後頭部を強かに打ち付けます。

 そして激突したかと思った瞬間に女の子は飛び上がり、男性の腹に目掛けて両膝で着地します……って、最初は可愛らしい動作だったのが、徐々に本格的な攻撃によって、一方的に男性がボコボコにされています。


 流石に止めた方が良いかと思い近づこうとするのですが、男性は私の方を向いて首を横に振ります。

 止めなくていいという事でしょう。そのまましばらく男性は、女の子の好きにさせていました。


 そして、女の子が満足したのか……男性の上で動かなくなるとそのまま再度泣き出してしまいます。彼女を抱えて立たせた男性はそのまま頭を下げると、また女の子はその頭をはたきます。そんな風に、二人の会話は続きます。


 話をしているうちに、徐々に徐々に女の子の顔にも笑顔が浮かびます。はじめてみる、彼女の笑顔に私もなんだか安心してしまいます。そこでやっとこの男性の正体に気付きました。

 最後の最後にディアノ様は手にした聖剣を私の腕輪にぶつけてきたとこを思い出します。そして、聖具は形を変えてそれを包み込んだ……そのために起こった光景がこれなのでしょう。


 感慨深くその再会を見ていると、二人は……唐突にお互いの身体から何かを取り出し、それを交換し合います。

 それが何なのかは私にはわかりませんが、女の子は嬉しそうに男性からもらったその何かを抱えています。そしてそれを自分の身体の中へと吸収していきました。

 その交換が終わったところで、女の子が私の所へと小走りで近づいてきました。初めて彼女から私に近づいてきてくれて……その顔には晴れやかな笑顔が浮かんでいます。


 女の子は私の目の前でぺこりと頭を下げると、私へと穏やかな口調で口を開いてきました。


『ごめんなさい……そして……ありがとう。これでもう……ずっと一緒……』


 鈴の音のような可愛らしい彼女の声を私は初めて聞いたことに驚き……彼女と話をしてみたいと思ったところで……残念ながら私の意識は途切れるのでした。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「……ここは?」


 マアリムが目を覚ますと、そこは柔らかなベッドの上だった。夢を見ていたので自身が寝ているのは予想できていたが、状況が分からずに周囲を見回すと、ベッドのわきにはディアノとルナの二人が居た。


「気がついたか、リム」


「マーちゃん!! 気づいたんですね!! 私、ストゥリさん呼んできます!!」


 ルナは気がついたマアリムを見ると、そのまま慌てて部屋から出ていく。後にはディアノとマアリムの二人だけが残り、ほんの少しだけ気まずい沈黙が流れる。

 その沈黙を破り、最初に口を開いたのはディアノの方だった。


「リム、身体は大丈夫なのか? お前、一週間も寝込んでたんだぞ」


 そんなに長い間寝込んでいたのかとマアリムは驚く。恐る恐るベッドの上で上半身を起こすが、身体については特に不調は感じられなかった。それどころか、調子は良く気持ちはすっきりとしているくらいだった。


「ディ様……あれから何があったんです?」


「俺とお前が戦ったのは覚えているのか?」


「えぇ……覚えてますわ。あれは私の意思でもありましたから。言いましたよね、操られてはいないって」


 穏やかな笑みを浮かべるマアリムの中に、戦いの最中に見せた彼に対する異常な程の執着心は見受けられなかった。少し安心したディアノは、ことの顛末を穏やかに語り出した。


「聖剣ってさ、もともとは聖具に収まってたろ……だから思ったんだよ、聖剣を聖具に触れさせれば聖具は満足するんじゃないかって。結果、聖具と聖剣が何故か一体化して……その衝撃で俺は吹き飛ばされて、お前はそれからずっと眠ったままだったんだ」


「……一体化?」


 ふとマアリムは自分の右手に装備されている聖具に目を落とすと、その形が変わっていた。

 腕輪には剣の形の意匠が加わっており、その形はディアノが持っていた聖剣にそっくりだ。その時に夢の中での男女の姿を思い出す。

 聖剣と聖具の少し過激なコミュニケーション……それに一週間もかかっていたのかと思うと、あの二人のやり取りは一体どれだけ長い間行われていたのか。

 マアリムは腕輪を撫でるが、腕輪は特に反応を示さない。


「……この一週間、その腕輪がマアリムを守るように光ってたけど、流石に心配したよ。身体の調子はどうだい?」


「えぇ……不思議なことに身体は何ともありませんが……ディ様……その……ディ様の方は……?」


「俺は問題ないよ。一週間も経てば身体すっかり治ったし……色々と落ち着いたよ」


「いえ……それもそうなのですが……」


 赤面しながら言い淀むマアリムの顔を見て、流石にディアノも察したのか、彼女を安心させるようにその顔に軽く笑みを浮かべる。


「あの戦いの事を言ってるなら、もともとは俺が悪いんだし……気にしないでくれ。そもそも……聖剣からやましい事は無いって言ってくれって言われてたのを、すっかり忘れてたんだし……」


「ディ様……聖剣と話ができたんですか……私はできませんでしたのに……。ディ様、私は起きるまでの間こんな夢を見てましたの」


 マアリムはそこで、ディアノを追いかけてから見るようになった夢、そして先ほどまで見ていた夢の話をディアノにする。ディアノはその男性の特徴を聞いて、無事に聖剣と聖具が再会できたことに胸を撫でおろす。ボコボコにはされたようだが、話の内容から無事に和解できたようだ。


「私……この子にお礼と謝罪を言われたんです。ありがとう、ごめんなさいって」


「そうだな、夢での様子を聞く限り……俺からの伝言だけで終わらせてたら余計に拗れていた気がするよ」


 愛おしそうに腕輪を撫でる。今はこの腕輪で聖剣と聖具が一体化している状態なのだろう。つまりそれは、ディアノが聖剣を失ったことを意味する。

 その事に気付いたマアリムは心配するような表情をディアノへと向けるのだが、彼は特に気にした風もなくその顔に笑顔を浮かべていた。


「聖剣が無くなったこと心配しているか? 確かに相棒が居なくなるのは不安だけどさ……。元々は国に返さなきゃならなかったんだし、ここで聖具とまた別れさせるわけにもいかないだろう。やり方も分かんないしな」


「でも……ディ様はこれからも旅を続けられるのでしょう? それなのに聖剣が無いというのは……」


「そうだな……弱くはなっちまうよなぁ……。でもまぁ、仕方ないさ。しばらくは普通の武器で我慢して特訓を……」


 その瞬間、マアリムの腕輪から神々しい光が放たれる。突然の力強いその光に二人が目を細めると、マアリムの手に付けられた腕輪の形が、まるで液体の様に不定形に変わっていく。装着したままなのにグニャグニャと形を変える聖具を注視すると……腕輪から何かがゆっくりと伸びてくる。


 あまりの眩しさに二人は完全に目を閉じてしまう。そして光が収まると、マアリムの寝ているベッドの上には、ほんの少しだけ形を変えた聖剣が現れていた。今までの様に抜き身の状態ではなく、鞘に納められた状態になっていた。


「聖剣?」


 ディアノはベッドの上に現れた聖剣を手に取る。ほんの少しだけ形が変わっているが、手に馴染む感触はいつもの聖剣と変わりない。しかし、せっかく一緒になったのに聖具が聖剣を手放したという事が解せずに、ディアノは首を傾げ聖具へと視線を向ける。


 マアリムも視線を聖具へと向けると、先ほどの夢の中で聖具と聖剣が何かを交換している光景を思い返す。そして彼女は一言『ずっと一緒……』と言っていた。

 もしかしたら、あれは聖具と聖剣を繋ぐ何かだったのかもしれない。だから、聖具は聖剣を解放した。


「……良いのかな? また寂しくて気持ちが暴走するようなことは」


「大丈夫だと思います……この二人はもう離れても繋がっているんだと思いますから。だから聖剣を解放してくれたんだと思うんです」


「そうか……まぁ、リムがそう言うなら心配は無いのかな……」


 鞘から剣を抜くことはせずに心配そうに言うディアノだったが、マアリムはその不安を吹き飛ばすようにディアノへと笑顔を向けた。ディアノはそのマアリムの言葉を信じて、改めて自分の手の中にある聖剣に対して、心の中で改めてよろしくと呟いた。


 マアリムも改めて自身の腕輪を撫でると、「ありがとう」と感謝の気持ちを聖具へと伝える。そして一度目を瞑ると……ディアノの方へと視線を移す。


「……ディ様は……この町にはいつまでいらっしゃるんですか?」


「あぁ、しばらくは滞在するつもりだけど、落ち着いたら旅を再開しようと思ってるよ。と言っても、当ては無いんだけどさ」


「そうですか……」


 その言葉を聞いたマアリムは、聖具を撫でながら何かを考え込むように両の目を閉じる。しばらく、二人の間を沈黙が包み……彼女はゆっくりと目を開くと、微笑みながらディアノへと口を開いた。


「ディ様……私は……この町に残ろうと思うんです」


 唐突に出てきたマアリムのその言葉に、ディアノは驚き目を見開いた。

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