65.勇者と聖女の訓練
全員への謝罪も終わり、ルナもアグキスも治療のために屋敷へと移動していった。パイトンは仕事のために訓練場から居なくなり……後には男性達とディアノ、マアリムだけが残る。
「改めてよろしくお願いします、師匠。……こうして改めて見ますと、獣人ではない師匠はほんの少しだけ違和感がありますね」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
笑いながら指摘された点をほんの少しだけ気恥ずかしく感じながらも、ディアノはもう偽らなくても良いことに気持ちが軽くなる。これからはノアでは無くディとして彼等と接することのできる喜びが心を満たしていた。
改めて全員と挨拶を交わし、新しい気持ちで訓練に臨む……先ずはいつも行なっている基本メニューから消化していく。最初の頃はこれだけで終わっていたのだが、今では全員慣れたのか、余裕とはいかないまでも問題なく訓練をこなしていく。
マアリムはその光景を少し遠くから、全体を見れる位置で眺めていた。正確に言うとディアノが彼等を指導し、共に訓練する姿を凝視していた。
(あー……訓練に汗を流すディ様……格好いいですわぁ……ああやって指導されるお姿を見られるなんて)
ニヤニヤと浮かんでくる笑みを必死に噛み殺しながら、それでも視線はディアノに集中してしまう。
全員への謝罪後に紹介しようと改めて連れてきた魔狼達は、そんなマアリムにほんの少しだけ怯えながらも彼女からは離れない。逆に小さなマディなんかは自分を見て欲しいと言わんばかりに擦り寄ってくる。
そんなマディのお腹を撫でながらも、マアリムはディアノへの視線を外さない。
その姿をルナが見たら、訓練に参加すると言い出したのはまさか一緒にいるためだったんじゃないかと誤解を受けそうな光景だが……一応それは誤解である。たぶん、誤解である。
(いけませんね、ついついディ様ばっかり見ちゃいますが……他の方も見なければ……訓練のお手伝いをするのですから……)
本来、基本稽古の訓練というのは外から見ていても退屈な代物なのだが、ディアノが指導しているというだけでマアリムにとってそれは、どんな観劇よりも素晴らしい極上の催し物へと変化する。
だけど、楽しんでばかりはいられない。彼等に魔法の技術を教えるためには彼等に何が足りないかを見なければならないと……必死で自制を促してディアノから視線を外そうとする。
しかし、視線を外そうと思えば思う程に、気持ちとは裏腹に余計に視線はディアノに向けられてしまう。
(あぁ、ディ様がお手をとってそんな指導を……腰にまで手を伸ばされて……これもしかして私も剣を習いたいって言えばあんな風に指導してもらえるってことですか? ……ルーちゃん誘って、今度お願いしてみようかしら)
他者を指導することが初めてであるディアノは、当然の事ながら指導自体に慣れていない。そのため指導の仕方も試行錯誤しており、相手の身体に触れることも少なくない。これが女性相手であればまた違うのだろうが、同性であるため接触にはそこまでのためらいは無かった。
そうとは知らずに、ディアノの指導するその姿を見て邪な考えを……そんなことはしてる場合じゃないと知りつつも、頭に思い浮かべてしまう。
それからも視線はディアノと男性達を行ったり来たりしてしまうのだが……このままではいけないと、マアリムは自身の両頬を思い切り掌で叩く。
パァンという軽い音が辺りに響き、ディアノも男性陣も何事かとマアリムへと視線を送った。
「お気になさらず。気合いを入れ直しただけですわ」
両頬を赤くさせながら、マアリムは何でもないと言うように微笑みを浮かべた。何か言いたげだったディアノもそれ以上は追求せずに、「そうか……」と短く呟いて訓練に戻る。
それからのマアリムは、やっぱり視線は時々ディアノに吸い寄せられてしまうが、それでも先程よりは他の男性達も見る事ができるようになった。
そして、自分であれば彼等に対して強化魔法をどのようにかけるのかを想像し、分析していく。
(やっぱり、獣人の方は素の身体能力が非常に高いですね……。魔族は魔力は強いですが身体能力はそこまで高くありませんでしたし……。最初は全身を強化と考えてましたが、ピンポイントで強みだけを強化した方がいいかもしれません……)
犬の獣人や熊の獣人など、それぞれで得意な点は異なるようだったので、下手に全身を強化するよりは犬の獣人は脚力、熊の獣人は腕力等、どのような強化をするかをシミュレーションしていく。
そんなマアリムの視線には気づかずに、ディアノは彼等に対して自身の持っている技術を指導していた。
「皆さん、だいぶ動けるようになってきましたね……俺なんて同じ修行をしてた時に、こんな短期間でここまで動けるようになりませんでしたよ」
「いいえ、師匠の指導が良いからですよ」
「そんなことは……師匠呼びだって照れくさいのに、持ち上げないでくださいよ」
ディアノは自分自身と重ねて彼等の上達ぶりに感心するのだが、それに対しての返答に思わず頬を綻ばせてしまう。今まではどこかぎこちなかった関係が、自然になれたことに対する安堵もそこには含まれるのだが……。
(今の! 今の照れ顔!! そういえば映像を記録できる水晶ありましたわよね……あれ、おいくらくらいするのでしょうか。今の表情はルーちゃんにも見せてあげたいです……!)
表面上は平静を装いつつも、マアリムは内心で狂喜乱舞していた。改めて入れた気合もどこへやら……所々で見せるディアノの表情を結局は堪能しつつ……マアリムは彼等の修行風景を確認していた。
内心で、ここにいないルナに詫びを入れながら……。
余談だが、その日の訓練の終了後にマアリムはこっそりとパイトンに映像を記録する水晶を用意してもらえないかを依頼し、パイトンはそれを快く了承してくれた。
そこにはディアノを記録する以外にも、修行風景を映像で残して男性陣に後から復習させるという用途と、治療中の女性陣に自分達の大切な人の頑張る姿を見せてあげることができるという思惑もあった。
結果として、その映像は男性陣にも女性陣にも大好評となる。
男性陣は自身の動きの再確認をできると喜び、女性陣は自分達の伴侶や恋人が自分達を見捨てないでくれていたという事を、話には聞いていたが事実として見られたことに喜んでいた。
ただ一人、自分が指導する姿を記録されたディアノが、褒められた時とはまた違う照れた表情を見せるという彼にとっての被害は生まれたのだが……それはそれでルナとマアリムには喜ばれるのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「それじゃあ皆さま、よろしくお願いいたします」
マアリムの挨拶に、男性陣もその場で深々とお辞儀する。今日からはディアノが教えていた身体強化の魔法部分についてはマアリムが教えることとなった。今度は先ほどとは逆にディアノが彼等の訓練を見る番となっていた。
魔狼達はディアノに対しては見向きもせずに、マアリムの後ろに大人しく座っている。少しだけ魔狼達を撫でてみたかったディアノは露骨がっかりするが、すぐに気持ちを立て直す。
(……リムは教えるの上手いんだよな、俺もリムに教えてもらって身体強化魔法を覚えたくらいだし……)
ディアノはその時の事を思い出すと、本当にできの悪い生徒で申し訳なくなってくる。しかも、他者への身体強化は結局覚えることができなかったのだ。彼女は自分の教え方が悪いと言っていたが、そんなことはない。
同時期に教えられていたクイロンは自身の強化、弱いけれども他者への強化を覚えたのだから……。やはり自身の落ち度なのだろうとディアノは改めて考える。
今も彼女は一人一人と話をしながら、その強化魔法の練度を確認していた。それから、一人一人に合った練習方法を各自に伝えている。
あのような形で魔法の練習方法を伝えるのは自分にはできない部分であるためディアノは感心する。
(……今度はリムに『他者への教え方』を教わった方が良いかもな……前にルーにチラッと聞いた時は感覚で『こうギュっとします』とか『グッと力を込めます』とか感覚系だったしな……俺も似たようなものだけど)
そんな風に考えると、眺めているだけよりはリムの『他者への教え方』を改めて聞くのも良いかもしれないと考えた。以前に教わった際には自身の強化を取得するので精いっぱいで、そこまでの余裕は無かったたが、今ならもう少し違った聞き方ができそうだった。
「リム、俺も一緒に話を聞いても良いかな?」
「え? ディ様には既に教えたことばかりですし……退屈されませんか?」
「どっちかと言うと……リムの教え方を学ばせてもらいたくてさ」
「そう言う事でしたら……みられるのは少し緊張しますが……よろしくお願いしますわ」
「あぁ、よろしく」
そして彼女の教え方をディアノは観察していき、マアリムが何かを説明するたびに感心したように頷いていく。過去に彼女に教えられた時は気づかなかったが、彼女の教え方は淀みがない。
自分が教える時は過去の記憶を引っ張り出しながら、つっかえつっかえで教えていたのだが……彼女の教え方はそのような引っ掛かりが全くないのだ。だからすんなりと頭に入ってくる。
自分なりに必死に教えていたが、反省するべき点は多々あるなと感じ……それからも彼はマアリムの話を聞いては頷いて行く。
(……なんだか……や……やりにくいです)
逆にマアリムの方はディアノにここまで注目されることに……内心で狼狽と高揚が同居するような、むず痒い複雑な気持ちを抱く。自身の一挙一動に感心されるたびにその気持ちは沸き上がるのだが……何とかその気持ちに耐えて、男性陣への訓練を続けていった。
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「ディ様、久しぶりに私と手合わせいたしませんか?」
その日の訓練も終了し、これで今日は終わりかと考えた矢先に……マアリムが唐突にディアノに対してそんな提案をしてきた。
唐突に胸を張りながら言うマアリムの姿に、男性陣の間にどよめきが広がる。彼女の姿を見る限り、後衛での支援が主な担当だと見て取れる。そんな彼女がディアノと手合わせとか無茶ではないかと考えるのだが……。
「……そうだな、久しぶりにやるか。強化ありで、武器なしでいいよな?」
「それで良いです。と言うか、強化なしだと流石に無理ですし」
何でもないことのようにディアノは軽くその提案を受け入れる。驚く男性陣を尻目に、二人は軽く距離を取り対峙した。その姿を見て本気だと悟った男性陣は、邪魔にならないように二人から離れる。
「ディ様とこうやってするのも久々ですね、なんだか遠い昔のように感じます」
「そうだな、俺もすごく前のことのように感じるよ」
「ルーちゃんとはされてないんですか?」
「してないなあ、あいつは魔法特化だからこう言うのは……」
ディアノがその言葉を最後まで言うことは無かった。言葉の途中でマアリムは動き出す。
低い姿勢から矢のような速度で間を詰めたマアリムの手がディアノに伸びるが、ディアノはその手を無視する形で逆にマアリムの胸の下……鳩尾へと拳を突きつける。
ディアノの拳が鳩尾の部分に当たる寸前、マアリムは伸ばした手をたたみ身体を半回転させて拳を回避、その勢いのままディアノの懐へ潜り込み、体勢を低くすると足の間に自分の足を滑り込ませた。
そのまま膝を跳ね上げて股間を狙うが、ディアノはそれを間一髪……掌で受け止める。男性陣は思わず股を抑え、ディアノも冷や汗を掻き、一瞬動きが止まる。
その一瞬を狙いすましたかのように、ディアノの顎目掛けて掌底を突き上げた……が、それも空振り、今度はマアリムが無防備な身体を晒すことになった。
その腹に目掛けて……ディアノは寸止めする気のない速度で拳を思い切り突き出した。
誰もが拳が当たると思った瞬間に、金属を叩いたような音が響く。とても柔らかい女性の腹を殴ったとは思えない音だ。だが、ディアノは構わずそのまま拳を振り抜く。
マアリムは後方へとほんの少しだけ飛ばされるが、特に大きなダメージは見られなかった。
距離ができたことでディアノは改めて右半身を前に出して腰を落とす。それから、マアリムに抗議するように口を開く。
「随分といきなりだな」
「油断大敵です」
それだけ返答し、再びマアリムがディアノへ猫のように宙を飛んで一直線にディアノへと飛びかかると、ディアノの頭部に目掛けて蹴りを放つ。
その蹴りはディアノの頭部へと綺麗に入ったのだが……その瞬間にマアリムは足首を掴まれた。そしてそのまま地面へと身体を叩きつけられてしまった……。ダメージはそれほど大きくないが、背中から叩きつけられたことで一瞬息が止まり、ディアノに上から押されこまれる。
「また勝てませんでしたねえ……」
「流石に負けてられないよ」
両手を上げて降参の意を示すと、ディアノはマアリムから離れる。流石にそこからは襲い掛かることはしないようで、マアリムはその場からゆっくりと起き上がり、男性人達の方へと笑みを向けた。
「さて、みなさん。私とディ様の手合わせなんですが……いかがでしたか?」
「いや、凄かったですけど……まさか会話の途中で攻撃しだすとは思っていませんでした……」
「不意を突いてもダメだったのはお恥ずかしい限りで……普段ならやらない金的くらいは当たるかと思ったんですが……。まぁ、ディ様と戦う時の参考になればと思い手合わせをしてみました」
「……まさか手合わせで金的狙ってくるとは思わなかったから焦ったよ」
先ほどの金的を防いだ掌を見て、またもディアノは冷や汗をかく。男性陣も目の前で優雅に微笑む女性が容赦なく金的を狙う姿を思い出して、顔を青くして思わず内股気味になる。
「いやー……マーちゃん容赦ないですね……私も見ててビックリしました……」
「あら、ルーちゃん。いつの間に……」
いつの間にか訓練場に来ていたルナは、ディアノの横に立って微妙に引いた発言をしていた。
「えぇ、今日から男性の方にも治療の状況をお伝えした方が良いかなと思いまして……皆さん、順調に回復されてまして……獣人の女性は歩けるようにまで回復してきましたよ」
その言葉に、男性陣は安堵の笑みを浮かべていた。これも後日……マアリムの提案で男性陣の映像水晶を見せられた女性陣が、自身の映像を記録した水晶を男性陣に見せるという事が起こるのだが……それは別の話である。
「それじゃあ、ここからはディ様対策をお教えしますので……ディ様はいったんルーちゃんと部屋に戻っていただけますか? 私もすぐに戻りますので、夕食は一緒に取りましょう」
ポンと手を叩いて、これから秘密の訓練を開始するとマアリムはルナとディアノを先に帰すこととした。何を話されるのか……少しだけ嫌な予感はしたがマアリムであればあまり変な事は言わないだろうと、ルナと二人で部屋へと戻ることにした。
訓練場を出る直前にちらりとマアリムの方を見ると、男性陣はマアリムの話を非常に真剣に聞いていた。
(……俺のクセか……これが終わったらその辺の詳しい話を聞いてみようかな)
それから残りの一週間……ディアノによる剣術、体術の訓練とマアリムの魔法の訓練は続く。過酷な訓練ではあったが男性陣はそれに食らいついていき、その実力を上げていく。
ディアノはディアノで、自身の苦手である複数の人間相手の戦いと、手加減について男性陣と戦いながら学んでいく。
そしてあっという間に時間は過ぎていき……約束していた男性陣とディアノの対決の日を迎えた。
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