64.謝罪とこれからの事

 次の日の朝……ディアノの部屋にはディアノ、ルナ、マアリムの三人の他に、パイトン、アグキス、ストゥリの三人が揃っていた。

 それはディアノ達が昨夜に決めた方針をパイトン達に説明し、今日の訓練時に正式に男性陣たちに謝罪をすることを告げるためだったのだが……それに対して先に頭を下げてきたのはパイトンの方だった。


「ディ殿……申し訳なかった」


 パイトンが頭を下げた後に、アグキスとストゥリもそれに倣って頭を深々と下げてくる。ディアノもルナもその対応に慌ててしまうのだが、マアリムだけは特に慌てる様子はなく冷静だった。


「パイトンさん……皆さんも頭を上げてください。これは俺とルーが……」


「いいえ、知らなかったこととはいえ……ディ殿には辛い役目を押し付けてしまって……面目次第も無い」


 ディアノ達は男性陣へ謝罪をしたいという説明の際に、ディアノが過去に女性に裏切られたという点についても少しだけ触れた。もちろん、元勇者と元魔王と言う点は話せずに、言葉は濁して説明した。

 それを聞いた三人は、辛い記憶を押し殺してまで自分達のために動いてくれていた点を感謝すると同時に、ディアノに対して非常に強い罪悪感を覚える。


 だからこそ、三人共に頭を下げずにはいられなかった。


「理由はどうあれ、皆を騙したのは事実です。償いはきちんと……」

 

「ふん、ディさんが償うことなど何もないわ……儂等の不甲斐なさの尻拭いをしてくれてるんじゃからな……奴らだってわかってくれるわ……」


「ストゥリさん……ありがとうございます……」


 自分達が謝るつもりだったのに、これではあべこべだとディアノは苦笑を浮かべる。特にストゥリは今回の一件で自らの肉体を女性に変えているのだ……その人に言われてはこちらからは何も言えなくなってしまう。


「ディ様……公主様方も……お互いへの謝罪はそれくらいで……そろそろ皆さんへの謝罪に参りましょうか」


「……あぁ、そうだな」


 マアリムはこの場では誰よりも冷静だった。このままではお互いに謝罪合戦になって埒が明かないだろうと、この場を仕切ってくれた。その冷静さが今は何よりもありがたかった。

 その言葉に促され、女性達の治療を放っておくわけにもいかないと、ストゥリは治療を優先させるという事だったので、まずはルナがストゥリを屋敷へと送り届けることにした。

 移動魔法を使うのでそう時間はかからないのだが、その間にディアノは訓練場へ向かう準備をする。と言っても特別な事はしない。変身魔法をかけずに、仮面を持っていくだけだ。


 今日は初めて、彼等の前に変身魔法をかけずに姿を見せる。そう考えると、仮面を被る手が震えてきたが……それを何とか抑え込んで、半ば無理矢理に仮面を被った。

 初めて仮面を被った姿を見たマアリムは「ディ様には似合いませんね」とだけ呟いた。本当に、そう思う。


 ほどなくして、ルナが戻ってくる……。ルナもディアノの姿を見ると苦笑する。この前はこの姿に変声魔法とかけたのだが今日は何もしない……仮面を被るのは、分かりやすく彼等に正体を明かすためだからだ。


「それじゃあ……行こうか」


 ディアノの言葉にその場の全員は無言で首肯し、訓練場へと向かうのだった。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 訓練場には既に男性陣は全員が集まっており、座してディアノの登場を待っていた。いつもであれば特に緊張する光景ではないのだが、今日はその光景に特段緊張してしまう。


「ディ殿……まずは儂が……」


 ここでパイトンは、まずは自分とアグキスが先に男性陣に話をするとディアノ達に提案する。ディアノは最初はこれを固辞したのだが、公主として先に彼等に話をさせて欲しいという事だったためにそれを了承する。

 ただし、正体を明かすのはあくまでも自分の手でとディアノは念押しし、彼等もそれを了承した上で男性陣の前に姿を現した。


「公主様……」


 唐突に現れたパイトンとアグキスの姿に男性陣は何があったのかと顔を見合わせる。パイトンは彼等の顔をゆっくりと見渡すと、ゆっくりと口を開いた。


「皆……日々の訓練ご苦労じゃな……どうかな、訓練は……辛くないか?」


 その言葉に、忙しい合間に自分達の様子を見に来てくれたのかとホッと笑みを浮かべる。そして、男性陣は口々に言葉を発していく。


「訓練は確かに辛いですが、日々強くなっていけるのは非常に楽しいです」


「自身がいかに弱かったか、甘かったかを実感するとともに……段々と自信もついてきました」


「師匠に出会えて、教えを受けられて良かったです……」


「師匠は厳しいけど、その分温かさも感じています。本当に……あれだけの獣人がいるとは世界は広いです」


 皆が口々に日々の訓練は辛いと言うが、それと同じ程度にディアノに対しての感謝の弁を口にする。その言葉を聞いたパイトンは、安堵したように両目を閉じて笑みを浮かべる。


「……そうか」


 パイトンがその一言を呟くと、少し様子がおかしいことに首を傾げたセイが訝し気に口を開いた。


「……公主様、今日はどうされたのですか? アグも一緒に……何かあったのですか?」


「……それをこれから説明しよう……ディ殿……来ていただけるか」


 パイトンの言葉に促され、訓練場には仮面を被ったディアノとルナ、そしてマアリムが足を踏み入れた。その姿を見た男性陣はほんの一瞬だけ驚いた表情を浮かべディアノ達とパイトン達を視線を交互に彷徨わせる。何名かは新たな人物であるマアリムに対して、いったい誰なのかと視線を送っている。


 それから男性達はその場でゆっくりと立ち上がると、ディアノが自分達の前に到着するまでは一切の言葉を発さずにいた。


 訓練場にはディアノ達が歩く音のみが静かに響き……彼等の前に辿り着くとディアノは立ち止まり、そのすぐ後ろにルナとマアリムが控える形となる。


「貴方との勝負は……まだ先のはずですが?」


 立ち止まったディアノに対して、セイは特に感情を込めない口調で告げる。ディアノを見る目にも憎しみも何もない、何の感情も伺い知れない目で見ていた。

 そして……ディアノはゆっくりと仮面に手をかけると……その仮面を取り外し素顔を晒した。


 そこには、変身魔法をかけていない……獣人の姿をしていないディアノの姿があった。耳も尻尾も生えていない。しかし、顔だけはノアとしての姿そのままのディアノの顔だ。


 何名かの獣人の息を呑む音が聞こえてきた。そしてディアノはそのまま、ゆっくりと頭を下げる。


「皆さん、申し訳ない……この姿を見てもらえればわかると思いますが……俺は君達を騙していました。……君たちの仇敵であるディと、師であるノアと言う姿と、両方を演じていました」


 男達は何も言わない。ただ黙って、頭を下げるディアノの言葉を聞き言っている。両隣のルナとマアリムも一緒に頭を下げているが、彼女達は言葉を発しない。ただ、ディアノの発言に全てを任せている。

 そのままディアノの独白は続く。


「言い訳をするつもりはありません……すべては俺と……ルーで考えた事です。公主であるパイトンさんを巻き込み、君たちの気持ちを玩んだ……許してくれとは言いません……償いは何でもしましょう」


 ディアノはあえて自分だけの責任とは言わず、自分とルナの二人の責任であることを告げる。そして、そこまでで一度言葉を区切る。

 男性達からは何の言葉も出てこないが、ここで頭を上げるわけにはいかなかった。永遠に続くかと思われる沈黙を破ったのは……セイの一言だった。


「師匠……頭を御上げください」


 ディアノの事をまだ師匠と言うセイの言葉に従うように、ディアノはゆっくりと頭を上げる……。その顔に浮かんでいるのは嫌悪の表情か怒りの表情か……相手の表情を見るのが少し怖くなるのだが、覚悟を決めてその表情を視界に入れる。

 しかし、セイのその顔に浮かんでいた表情は優しい笑顔だった。他の男性陣の顔を見回してみても、全員がその顔にどこか納得したような笑顔を浮かべていた。


 その反応にディアノは困惑したような表情を浮かべる。ルナとマアリムも遅れて顔を上げて男性達の表情を見ると、ディアノと同じような表情を浮かべていた。


「真実を話していただきありがとうございます、師匠。我々は、そのことに対して感謝こそすれ、怒りなど感じておりません」


 セイは頭を下げながら口を開く。罵倒を覚悟していただけに、ディアノはその対応に狼狽仕掛けてしまう。彼の言葉に嘘は無かった。


「師匠はこの一週間……我々を真剣に鍛えてくれました。訓練は厳しいものでしたが、私達のことを考えてくれたことはよく分かっております」


「しかし……」


「悪意があって我々を騙していたので無いのならば何も問題はありません。どうか謝罪などしないでください、我々は師匠に感謝しかしてないのですから」


 セイの言葉に、周囲の男性陣も次々に同意の言葉を口にしていく。誰もディアノを罵倒するものはおらず、その言葉にディアノは何も言えなくなってしまう。


「ありがとう……ございます」


 かろうじて絞り出せた礼の言葉は震えていた。その姿を見たセイは苦笑しつつ言葉を続けた。


「それに……実際、師匠が仮面の男と同一人物って考えなかったわけじゃ無いんですよ。そもそも師匠の登場タイミングも良すぎますし、獣人が苦手な身体強化を使いこなすし……彼等が言うには匂いも違和感があったそうです。見た目が獣人なのに匂いが人っぽいって」


 後ろにいる獣人達が照れ臭そうに頭をかいていた。変身魔法でも匂いまでは変えられなかったのか、それともそれは教えた感覚強化のためなのかは不明だが……かなり怪しまれてはいたらしい。

 ストゥリの奥さんも、獣人の感覚を舐めるなと言っていたが……改めて獣人の感覚は侮れないと実感する。


「結構、バレバレでしたか。そう考えると恥ずかしいですね」


「えぇ、バレバレでしたよ師匠……戦いではまだまだ敵いませんけど、初めて師匠から一本取れた気がしますよ」


 そう考えると非常に恥ずかしい事をしていたのだなと、頬を染めて苦笑するディアノを見て男性達も笑っていた。そのように笑ってくれると、幾分か気持ちが軽くなる。

 お互いにひとしきり笑った後、セイは再び真剣な表情に変わると、深々と頭を下げる。他の男性達も同様に、頭を下げ始めた。


「師匠、改めて……償いをなんでもすると言うなら……我々をこれからも鍛えてください……お願いします」


「……分かりました……こんな俺なんかで良いと言ってくれるなら……これからもよろしくお願いします」


 改めてディアノは手を差し出すと、その手を見たセイが握り返し、固い握手が交わされる。その手の上に次々に男性陣は自身の手を置き……これからも訓練の継続を約束する形となった。


「それじゃあ、最終日の対決はこれで無しですね。訓練して、強くなったら女性達を迎えて……」


「そうですわね、これで安心ですわ……」


 女性達が安堵した言葉を発したのだが、その言葉に対して反応したのはセイだった。


「いえ……それなんですが……良ければ最終日には予定通り、我々全員と戦っていただけませんか?」


 握手をしたままの体勢でセイはディアノへと懇願する。元々の約束では最終日には戦うと言っていたが、その辺りはマアリムに指摘された自身の不得手である手加減の必要があることから、止めようと考えていたのだが……彼等から懇願されるとは予想外だった。


「いや……それは……その……」


「あぁ、もちろん本気じゃなくて良いのです。我々ではまだ師匠には遠く及びません。実力差くらいは分かっております。だけど、我々全員でかかって果たして師匠にどれだけ食い下がれるか……教えを受けた身として試してみたいのです」


 この言葉にディアノは迷ってしまう。自分は手加減と言う者が不得手であるとマアリムに指摘されたばかりであり、もしもその戦いで彼等に重傷を負わせてしまったら……せっかく正体を明かして戦いを避けた意味が無くなる。

 何よりも、彼等の修行の最後に自身の師と戦いたいという気持ちは、自身もかつてそうであったために理解できた。それでも……。


「そうですわね……ディ様の今後の為にも……最終日には皆さんと戦っていただいた方が良いかもしれませんわね」


 迷った末にセイの提案を断ろうとしていたディアノの言葉を遮ったのは、マアリムだった。マアリムに指摘されたことから断ろうとしていたのにと彼女の方へと視線を向けると、マアリムは首を傾げながら微笑み、自身の指を頬に当てながら言葉を続ける。


「ディ様、今回の訓練はディ様の苦手な手加減を習得するにはうってつけだと思います。皆様と和解したならば、皆様がディ様を相手に本気の殺意を向けてくることもないでしょうし……。今回の事から、ディ様も皆様から学ばせていただくのです」


「マーちゃん、ディさんってそんなに手加減苦手なんですか? 一応、以前に見た戦いでは殺しまではしてませんでしたけど……」


「ディ様って技術的には色々なことできるんですが、性格的には直線的なので……。たぶんその時も、殺してないだけで相手は悲惨なことになってたんじゃないんですか?」


「まぁそうですね……全力でぶん殴って気絶させた後に、動けないように手足の骨を外してましたし……容赦はなかったです」


 好き勝手に言う女性陣の言葉を背に受けて、ディアノはほんの少しだけ考える。本当に大丈夫なのかと逡巡するのだが、確かにマアリムの言う事にも一理はあった。

 ディアノはもう勇者では無いのだから、敵対する魔族を殺す事を前提にした戦いはする必要はなくなったのだ。これからは手加減することも覚えなければ余計なトラブルを背負い込むことにもなりかねない。状況に応じた臨機応変さを学ぶ必要がある。


「危ないと思った時は私が防御魔法をかけますし、回復もさせますので……安心してください」


 そのマアリムの言葉を受けてディアノは一度目を瞑ると思考を巡らせる……。思い出すのはかつての師達との訓練の日々。彼等は自分の全力を受け止め、いなし、そしてディアノを殺すことなく余裕を持って制してきた。自分は全力で……それこそ師を殺す勢いで向かっていったがそれでも師達には届かなかった。

 師匠達は手加減していたが、それはディアノを侮辱するものでは無く、あくまでも彼を成長させるための手加減だった……それを自分も習得する機会なのだと考え……ゆっくりと目を開く。


「分かりました……最終日には貴方達全員と戦わせていただきます。俺も、貴方達に学ばせていただきます」


「……師匠……ありがとうございます。我々から師匠が学んでくれるなど、身に余る光栄です」


 お互いに笑みを交わして、最終日の戦いを約束する。ディアノの心中に少しの不安はあるが、マアリムがいるのであれば万が一も起きないだろう。


「それで師匠……そちらの女性達は……」


 握手と解いた男性陣は、後ろのマアリムに視線を向ける。ルナは一度会ったことがあるが、その時はあくまでも悪女然とした振る舞いなので、改めて紹介した方が良いだろうと、二人に前に出るように促した。


「改めて紹介します。この二人は……俺の幼なじみでして、魔族の方がルー、人間の方がリムと言います」


「ルーです、女性陣の治療をお手伝いさせていただいています。皆さん、順調に回復されていますので安心してください」


 紹介されたルーは、頭を下げて女性陣の回復具合を男性陣へと説明する。その言葉に、男性陣は安堵の笑みを浮かべるとともに、ルナに対して感謝の気持ちを向ける。


「リムと申します。今日から皆さんの訓練のお手伝いをさせていただきます。この度は二人がご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」


「いえ、ご迷惑など……訓練の手伝い……ですか?」


 まるで二人の保護者のようにマアリムが頭を下げて謝罪をするのだが、彼等はその前の訓練の部分に反応した。てっきり、マアリムも女性達の治療の手伝いをしているのかと考えていたため、予想外の言葉に男性陣は戸惑っていた。


「はい。ディ様は自身にかける身体強化しか使えないのですが……私は他者への身体強化を使えますので、その辺りをお教えできます。これを人が覚えれば獣人の方の全身を強化することも可能です」


 その言葉を聞いた男性陣が、新たな技術を学べることの期待を込めた視線をマアリムへ送っている最中……ディアノはほんの少しだけ恥ずかしい気持ちになる。

 彼は自分自身に魔法をかけることはできるのだが、何故かディアノは他者にかける魔法が苦手でいまだに使用することができない。マアリムにつきっきりで教えてもらってもダメだったのは苦い思い出だ。


「それに……私はディ様の戦いのクセなどを間近で見てきました。ですから、その辺りもお教えする事が可能です。最終日に十人全員でかかれば……もしかしたら勝機はある……かもしれませんよ?」


 大袈裟に言うマアリムの言葉に、男性達は反応を示す。勝機がある……と言う非常に魅力的な言葉に対して、男性達の何かを期待するような視線がマアリムへと注がれる。ディアノはその姿を見て……嫌な予感が頭をもたげる。


「さあ、皆さんで頑張って、ディ様に一矢報いれるようになりましょう、特訓はこれからです!」


「はい!!」


 片手を上げて全員を鼓舞するマアリムに対して、男性達は力強く、腹の底から声を響かせる。周囲の空気が震える程の声量であり、その言葉は酷く耳に響いた。

 あっという間に彼等の心を掴んだマアリムを、ディアノは冷や汗をかきながら見つめる。そして……ある可能性を考えてその事を口に出す。


「えっと……リムさん? もしかして……もしかしてなんですけど……置いてった事、まだ怒ってます?」


 その言葉に対して一切の返答はせず、ただ黙ってこちらを振り向き、にっこりと優しく微笑むマアリムの笑顔からは彼女の真意を読み取ることは一切出来なかった。

 せめて喋ってくれれば嘘かどうかわかるのにと……ディアノはまた自分の能力の欠点を自覚する。


 助けを求めるように後方にいるルナへと視線を送るのだが……彼女は申し訳なさそうな、気の毒そうな視線をディアノに送り、首をゆっくりと横に振るのだった。

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