63.聖女と魔王の初めての夜

 明日、皆に謝罪する。


 その方針も決まり、ルナとマアリムは彼に就寝の挨拶をして部屋を後にした。彼を一人にすることに二人ともほんの少しだけ不安を覗かせるが……迷いのないその顔つきから、彼はもう大丈夫だろうと二人とも確認し、安心し、部屋を後にした。

 そして二人が用意された部屋に入ったとたん……ルナがマアリムに対して丁寧に頭を下げる。


「マーちゃん……いえ、マアリムさん……今日はありがとうございました」


「どうしたんですの、ルーちゃん。唐突に畏まって御礼なんて言ってきて」


 唐突に綽名ではなく名前で呼んできたことに驚きながらも、マアリムはルナの方を向いて柔らかく微笑む。それから部屋の中を見回してみると、部屋の中には大きなベッドが一つあり、ソファなどの間取りもほぼディアノの部屋と同じ作りをしていた。

 一緒に寝る分にはベッドはかなり広いし、素材もかなり良さそうで……今日は疲労もあってよく眠れそうだとマアリムは感じていた。


「いえ、今日は色々と考えさせられました……ディさんと私……同じような境遇だったのに、考えが浅すぎて……それに、ディさんの説得も私では無理でしたのに……」


「それは……私とディ様の付き合いが長いからできた事ですわ。逆にこんな短期間でそこまで距離を縮められてしまったら私の方が落ち込んでしまいます」


 マアリムのさして気にしていない言葉を聞いても、ルナはあからさまに落ち込んでいるようだった。そこでふと、マアリムは気になったことがあった。

 二人が一緒になって旅に出たことは聞いた、今回の騒動の事も聞いた……しかし、そもそもの何故この二人が一緒に旅に出ることになったのか。今更ながらそれを知らないことにマアリムは気がついた。


「そう言えば……詳しく聞いてませんでしたが……ルーちゃんってどうしてディ様と一緒に逃げることになったんですの? あの二人から聞きだしたときも『何故か魔王と一緒』と言う情報程度しかありませんでしたし」


「そうですね……その辺のことは、マーちゃんには聞いておいてもらった方が良いでしょうね」


「……辛いなら、無理にとは言いませんわよ?」


「いえ、聞いてください。私のことをもっと知って欲しいんです。発端は……私が魔王を継いだ時から……いえ、もっと前ですね……父が母を奪った時が、きっとすべての始まりなんです」


 そして、ルナは話を始める。彼女が魔王を継ぐことになったきっかけと、何故彼女がディアノと一緒に逃げることにしたのかを……。夜も更けているので簡潔に話すつもりだったのだが、所々、記憶を思い出しながらなので少々長い話になってしまったのだが、マアリムはその話を黙って聞き続ける。

 そして……話を聞き終えたマアリムは……。


「ルーちゃん……なんて……なんて哀しいんですの……同情されたくないかもしれませんが……それでも酷いですわ……可哀想ですわ……」


 号泣していた。目から滝の様に涙を流して、しゃくり上げながら泣いていた。先ほどのディアノの泣き方など比較にならないくらいに、感情たっぷりに泣いていたのだ。


「マーちゃん泣かないでください……はい、タオルです」


「ありがとうございます……なんで世の中は良い子にばっかり辛い事が降りかかるんですの……良い子は幸せにならなければいけないのに……」


 そこまで号泣されるとは思っていなかったルナはマアリムにタオルと渡すと、彼女はそのタオルで顔中についている水分を拭き取る。それでも、後から後から涙は溢れて止まらない。

 ルナは困ったように微笑むと、泣いているマアリムを慰めるように口を開く。


「まぁでも……そのおかげでディさんにも会えて……こうやって生きていられますし……マーちゃんともお友達になれましたし、あの時に死ななくて本当に良かったですよ」


 健気に微笑む彼女を、我慢できなくなったマアリムは力いっぱい抱きしめた。涙は先ほどよりは出ていないが、それでも止まらない状態でルナを抱きしめ、その耳元で優しく囁いた。


「ルーちゃん、私達はもうお友達ですわ……喧嘩もしたし、間違った事があれば私がちゃんと伝えます。これからは私が……私がルーちゃんを護りますわ」


「ありがとうございます……マーちゃん。私もマーちゃんを守りますね」


 お互いにお互いを守るという発言をして微笑みながら抱きしめ合っていた二人であったが、マアリムはルナの中にディアノと同じか、それ以上の危うさを感じていた。彼女の話の中で背筋が凍ったのは、彼女が死ぬことを選んでいたことだった。


 いくら自分の種族全体のこととはいえ、それをあっさりと許容してしまえるのはあまりにも危険な事だった。マアリムは友人として……何よりもルナにも幸せになって欲しいという思いから、その考えは今後は矯正していかなければならないと静かに決意していた。

 しかし……自分は置いて行かれたことを嘆き悲しんでいたのだが……まさかそれ以上に悲しいと思う事を聞いてしまうとは、マアリムに取って予想外だった。


 それとは別に……「一緒に逃げないか」とは……自分にも言ってもらいたかったなとマアリムは素直に羨ましがっていた。だから、次の言葉も自然を口をついて出てしまっていた。


「でも……そんな風に助けられたのなら……ディ様のことを好きになるのも仕方ないですわね……私も同じ状況ならコロっといっちゃいますし」


「へ?」


「へ?」


 ルナの間の抜けた反応に、思わずマアリムも同じような返答をしてしまう。抱きしめ合っていた二人は離れ、お互いにきょとんと眼が点になり、その点になった目で視線を交わす。

 冷や汗をかきつつ、頬を引きつらせながら……マアリムは絞り出すように声を出した。


「ルーちゃん……ディ様の事をお好きなのでは?」


「いや、私が……ディさんのこと……え? す……」


 目が点になったと思ったら今度は頬を染めながら変な踊りのような仕草をルナはし続ける。動揺しているのか言葉も支離滅裂なものを発しており、自問自答を繰り返しているようだった。


(……これ、もしかしなくても……余計なこと言っちゃいましたかね?)


 不思議な動作をし続けるルナを見て……マアリムは自身の過去の過ちを思い出した。彼女は過去にも似たようなことをしてしまったのだ。

 それは、ディアノが王女の事を好きなのかどうか自問自答している時に背中を押してしまったこと……あの時に自分が背中を押していなければ……未来は違っていたのではないかと今でも思ってしまう出来事だった。


(少しだけ嫌な予感はしてましたが……自覚無しだったパターンでしたか……ディ様も……もしかしたら……いや、まだそこまでは行っていないはず)


 ここで先ほどの自身の発言がのしかかる。「短期間で距離を縮められたら……」この二人の距離は、自分の予想よりもかなり縮まっているのではないだろうかと、内心で焦ってしまう。

 そして、いまだに不思議な踊りのような動作を続けるルナを見て、藪蛇だったかと内心でため息をついた。だけどそれは、この結果が分かっていたとしてもマアリムはきっと同じことを彼女に言っていただろう。これはもう彼女の性分なのだとも言える。


「そそそそそういえば、兄さんは元気でしたか?」


「え……ええ、手紙を残してきましたから……私の予想でありますけど、貴女が生きてる可能性も書いておきましたわ」


「そうですか、いつか会える日が来ますかねえ」


「……来ますよ、絶対に」


 露骨に話を反らしだした彼女の言葉は、一見すると取ってつけたようではあるが、その言葉の中には兄に対しての気持ちも感じられた。このまま話を反らして有耶無耶にすれば、彼女は自身の考えも一緒に有耶無耶にしてしまうのかもしれない。それはマアリムにとっては都合が良い事だった。

 このまま有耶無耶に、彼女は自身の気持ちに気付かないふりをして、明日からはまた仲の良い三人に戻るというのも一つの選択だ。


 そして、ルナの過去を聞いたマアリムは、彼女のスキンシップの多さの理由は彼女の過去の寂しさから来るものでもあるのだろうと考えていた。

 だからきっと……ここでその話を有耶無耶にして、その寂しさを埋める方向をゆっくりとマアリムへと向けてしまえば、彼女はきっとそれで満足してしまう。ディアノに対しての気持ちよりも、マアリムに対しての気持ちを優先するようにきっとなる。


 非常にマアリムに都合が良く、一見するとお互いに損をしていない様な状況にできる……。


 しかし、その考えをマアリムはなんて浅ましいと切って捨てる。それが最も効率が良いと分かっていながら……マアリムはあえてその選択を除外した。


「ルーちゃん、大事なお話があります。ルーちゃんは、ディ様の事好きですか?」


「え?いや……私はその……えっと」


 あえて逸らした話を蒸し返し、その顔から笑みを消して真剣な表情でマアリムはルナへと問いかける。ルナは戻された話にしどろもどろになっていまい、その両手を合わせて妙な動きをまた始めてしまう。


「これは大事な事ですよ。私はディ様が好きで追いかけてきました、でも……だからと言って貴女が遠慮をする必要はないんです。自己犠牲の危うさは……ディ様を見て、今回の事で……過去の自分の行いでもう十分に分かっているでしょう」


 しどろもどろになるルナの肩へと優しく手を置き、彼女に自分自身の気持ちと向き合わせる。その真剣な眼差しを受けて、ルナも自信の考えを改めて整理するように一度静かに目を瞑る。

 そして、たっぷりと時間をかけて冷静になった後に……、マアリムへとゆっくりと……恐る恐る告げるのだった。


「……はい、まだ……実はよくわかんないんですけど……私はきっと……ディさんの事が好きなんだと思います……いや、まだちょっとわかんないですけど……」


「そうですか……」


 自分の意思を言葉にしてくれたことをマアリムは嬉しく思う反面、強力なライバルが現れてしまったことに対してほんの少しだけ不安を感じている。しかし、それをおくびにも出さずにマアリムは微笑むと、ルナに対して宣言をする。


「じゃあ、私達はライバルですわね。どっちが選ばれても恨みっこなしですわ」


 マアリムは真剣な表情から一転して笑顔を浮かべ、そのままルナの両手を取る。そのマアリムの姿にルナは困惑したような、でもどこか嬉しそうな笑顔を浮かべていた。


 損な性分だとは分かっていたが、マアリムはそこをはっきりさせずにはいられなかった。彼女が気付いていなかった気持ちに気付かせるとは、敵に塩を送るような真似をしてしまったが、その行為に今は後悔はなかった。

 確かに余計な事を言ったのかもしれない。今は後悔してなくても、いつかここで彼女を後押ししたことを後悔する時が来るのかもしれない。しかし……この不憫な少女に対してそんなことをするなんて、同じ女としてマアリムはとてもできなかった。


 ルナにも、きちんと幸せになって欲しいと思ってしまったのだ。


(ディ様もルーちゃんも……手のかかる弟と妹みたいですわね、私よりほんの少しだけ年上でしょうに……。ルーちゃんって年上ですよね?)


 心の中で苦笑するが、この二人を追いかけてきて良かったと……今なら心から思えている自分に気がつく。逆に自分が追い付いていなかったらどうなっていたのかを考えるとゾッとしていた。


 それから、二人は何気ない軽い雑談や明日からの事、ディアノに対しての言いたいことを言い合ってから……まるで姉妹がそうするように、同じベッドで眠ることにした。

 ベッドに入ったとたん、ルナはマアリムに嬉しそうにくっついてきた。その行動をマアリムは不快に思わず、むしろ嬉しそうに彼女を受け入れて……一緒に抱き合うようにして眠ったのだった。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 一方その頃……部屋で一人残されていたディアノは、最初に男性達の前に出る時に付けていた仮面を荷物から出して、それをじっと眺めていた。

 何の力もないただのお土産物の仮面……本当、こんなものを付けることを考えるとか、あの時の自分はどうかしていたとしか思えない。


 また仮面を被ってみると、相変わらず視界は全く無いに等しくなり、この仮面を被る意味は無い……。しかし、明日は改めてこの仮面を被って彼等の前に出なければならない。彼等に謝罪をするために。


「明日……皆の前で謝罪をする……かぁ……。あー……情けないなぁ。こんなに緊張したのはいつ以来だろうか?魔王と戦う前と同じくらい……いや、あれだな……あの二人を問い詰める前と同じくらい緊張しているな」


 この緊張感は自業自得だが、それでも身体がほんの少しだけ震えてしまう。でも、もう心に不安はなかった。今日の昼間の様に情けない姿を見せることはもうない。

 隣にいる仲間の事を考えると、気持ちが段々と静かになってくる……そしてディアノは、自分でも驚くほどに穏やかな気持ちでその日は眠ることができた。

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