61.聖女様はありがたい御説教をする
誠意を見せるというのは非常に大切な事だ。相手に信頼してもらうための言葉を発する時、謝罪する時、その時に心からの誠意が無ければ相手には響かず、かえって反発などを招いてしまう可能性だってある。
例えば全く同じ謝罪の言葉を、身なりを整え礼を尽くした人から言われるのと、だらしない恰好でまるでおざなりなように言われるのでは、たとえ気持ちは同じものを込めていたとしても、誠意を感じるのは前者のみだろう。
大事なのは姿勢であり、態度であり、そこに至るための心構えだ。
そして、今のディアノはその誠意を自ら体現している。誰に言われるわけでも無く地面へと静かに正座し、その背筋を真っ直ぐに伸ばしていた。腕は自身の腿の上に軽く起き、心を穏やかに目を瞑る。その姿勢はどこか高潔にも、今から戦場へと赴く戦士の様にも見える。
そんな座っているディアノは……現在は完全に放っておかれて、マアリムとルナの会話が続いている状態だった。それでもディアノは表面上は動じない。あくまでも静かにその時を待つだけだった。
『三人で一緒に寝られますね』
その一言が……爆弾的な一言がルナから出てきた際に、マアリムの笑顔が固まった。聖母のような微笑で修羅のような威圧感を放っている。主にディアノに対して。
そして今、マアリムはルナから事情を静かに聞き続けている。時折「へぇ……」「なるほど……」と言う相槌が聞こえてくるのだが、その相槌が聞こえるたびに心が乱れそうになるが、ディアノは平常心を保つ。
ちなみに、魔狼の三匹は食事が終わると主人であるマアリムの怒りを感じ取ったのか、部屋の隅で三匹揃って怯えるように固まっていた。ディアノに対して、どこか憐みの混じった視線を送っているように見えるのは気のせいだろうか?
そして、話が終わったマアリムとルナがディアノを見ると……ほんの少しだけマアリムは呆れたようにディアノへと口を開いた。
「ディ様……固い床の上ではその姿勢は足を傷めます……柔らかいソファへお座りくださいな」
一見マアリムの優しさともとれるこの言葉だが、実際にはそうではない。これは、長時間お説教をするから足をなるべく傷めないようにした方が良いという宣言であり、ディアノはかつて数回程だけ自分と戦士に向かっていたあの説教が再び行われることに恐怖を感じつつ……やっぱり素直に従っていた。
まず、女性同士の会話に入ってはいけない。それは藪蛇であり、途中で話を遮ってしまうのは自分が疚しい事があるような印象を与えてしまうからだ。そして動揺もしない。あくまでも静かに堂々と、自分は何一つ間違ってはいないという自信を身体からみなぎらせる。
そしてソファに座り直したディアノは、背筋をピンと伸ばして、まるで今から何かの面談でも行うかのように姿勢を正す。軸のブレていないその姿勢は思わず女性二人をして見惚れる程だった。それからディアノの向かいにマアリムも座り……ルナはその状況から自身は座ってはいけないのではないかと感じ、少し離れた場所から立ったままで二人を見守ることにした。
妙な緊張感が場を支配し……最初に口火を切ったのはマアリムの方だった。
「ディ様……私……今までルーちゃんが何をしてきたかのおおよそをお聞きいたしました。」
目を瞑ったままのマアリムは、ルナから聞いた話を思い出しながら……まるで噛みしめる様に今までのルナの行動をゆっくりと口にしていく。
「膝枕……おんぶ……手を繋ぐ……身体に触れる……一緒のベッドで眠る……」
どれもこれも……ディアノには心当たりはあるが下心は一切無いものだった。無い……無いという体でしていた行動だ。おんぶはルナが歩けないから、手を繋いだのは馬車で、身体に触れたのは男性達に見せるため、一緒のベッドで眠るのは部屋が一緒になったから……。
ふと気がついたのだが……膝枕だけ覚えが無かった。もしかしたら、最初に出会った時にしばらく膝枕をしてくれていたのかもしれない。……照れ臭いし改めて聞くのも憚られるので、その辺りはスルーすることに決めた。
「私達が四人で旅をしていた時には一切なかったそれらの行為……なんて羨ま……いえ、とても羨ま……非常に羨ま……。……素直に羨ましいと言える行為ばかりでした。そこは私も認めざるを得ません」
必死に訂正していた言葉をマアリムは諦めた。羨ましい以外の言葉が出てこなかったためか、聖職者としての自身の矜持からか、嘘偽りなく羨ましいと認めた。その顔はどこか晴れやかである。
そしてその言葉に嘘はなく……また嘘を付く意味もないだろうと、ディアノはその言葉を静かに聞き入れる。……今度、おんぶくらいはしてあげても良いかもしれないと思いながら。いや、でも……基本的にこれからは馬車の旅だから機会が無いよなと思い返し、とりあえずそれは黙っておく。
「しかし……しかしです……他の行為は百歩譲って仕方ないとしても……。おんぶとか移動に必要な行為は兎も角としても……流石に同じベッドで一緒に眠るというのはいかがなものでしょうか?」
「はい……仰る通りです」
ぐうの音も出ないほどの正論に、ディアノは反論することなくマアリムの事を肯定する。ここでの下手な反論は逆効果であることもわかっているし、そもそも適切な反論が一切思い浮かばないのだから、どうしようもなかった。
ディアノは姿勢を正したこのお説教をほんの少しだけ懐かしく感じていた。最後に説教を受けたのはいつかは思い出せないが、最初に受けた説教は今もよく覚えている。あの時は確か……クイロンとちょっとエッチなお店に行こうとした時だったか。あの頃のマアリムはまだ聖職者としてガッチガチで、お酒も飲むことも覚えていない頃だった。
その考え方は旅をしている最中に徐々に緩くなっていき……。具体的に言うとお酒を飲むことを覚えるようになってからは割と柔軟な姿勢を見せてくれるようになり、説教の頻度も減ってはいったのだが……まさか旅が終わってから説教を受けることになるとは、ディアノは想像もしていなかった。
その事はおくびにも出さずに、あくまでも真摯にマアリムの話を聞いている態度は崩さない。
「年頃の男女が……一緒のベッドで眠るなんて……いつ間違いが起きるかわからないのです……。実際にそのような行為をするのは婚姻してからでないとと言うのが、基本的な私の考えです。これは些か古い考えかもしれませんが……」
「いえ、仰る通りです」
「いえ、私はディ様がそのような間違いを犯す方では無いと信じております。何せ私と二人っきりでお酒を飲んで、私がべろべろに酔っぱらって、スキだらけなのにもかかわらず、私を普通に部屋に送るだけで何にもしてこなかった、ほっぺにキスとかそう言う事すらしてこなかった………………紳士的なディ様ですから、そう言う状況で自ら手を出すことはしないと信じております」
……なんだか今の紳士的と言う言葉の前に非常にたっぷりとした間があったのだが、そこに対してはディアノは突っ込まない。その後にぼそりと「まぁ、そこで手を出すような人なら私はそもそも好きになっていませんが……」とマアリムが呟いたので、あの時の行動は正解だったのだと自信を深める。
たぶん、彼女はその時にしていたのは誘惑と言うよりも……俺が断った愛人でもと言うところの心変わりを狙ってか、告白を断られた事に対しての可愛い意趣返しと言った所なのだろう。
「しかし、それはディ様に限っての話です。一緒に寝ているルーちゃんは別です。ルーちゃんが我慢できずにディ様に襲い掛かったらどうするというのですか……。私が逆の立場なら、絶対に我慢できる気がいたしません。据え膳ですよ。お隣ですよ。一緒寝ですよ。なんですかその状況。……まぁ、ルーちゃんもヘタレっぽいので心配はないのかもしれませんが、それでも万が一と言うこともあります」
「なんか、唐突に私に矛先が……マーちゃん酷い……絶対にマーちゃんもヘタレなくせに……そんな度胸ない癖に」
唐突に自分に矛先が向いたことにルナは抗議の声を上げるが、その事にマアリムは反応はしない。ディアノはマアリムの言葉に内心で静かに同意する。それは、この部屋で初めて二人っきりになった時の反応を見れば明らかだった。
マアリムも我慢できないとか言っているが……なんとなくその辺りはルナと同じでは無いかとディアノは考えていた。先ほど、酒の席での話が出たが……マアリムが明確に誘惑をしてきたことは一切無かったのだ。せいぜい、暑くて服を緩めたり、ディアノに部屋まで送ってと駄々をこねるくらいで……それ以外には何もしてこない。ほっぺにキスとか言ってたが、そんなおねだりなんて口にも出してこなかった。
だから安心して二人で飲むこともあったという話ではあるのだが……。
たぶん……似た者同士なんだろうなと、この二人に対しての結論をディアノは内心で出していた。
「それにディ様……状況にもよりけりですが……旅の途中でそう言う行為は基本的に慎むべきです。万が一、二人の愛の結晶ができてしまった場合……それが町中なら問題ありませんが、そうではない場合……最悪の結果を生むこともあるのです」
「……そうだな、その通りだ」
その考えは概ねディアノも賛成だった。万が一、どちらかが我慢できなくなり行為に及んだ場合、子供ができて一番負担が大きいのは女性の方だ。設備の整った病院での出産でさえ命懸けだと聞くのに、それが旅の途中ではリスクは余計に跳ね上がる。
それが分かっていて手を出さなかった……と言うわけでは無く単に手を出す気がなかったのだが、マアリムに言われて改めてディアノは軽々な行動はできないなと心に刻む。
それからも滾々とマアリムの説教は継続された。その内容は多岐に渡り、男女の関係の在り方から、責任と言う言葉の重さ、ルナのどういうところにドキドキしたかと言う事情聴取めいたものまで様々だ。どれもこれもが耳に痛く、ディアノはその言葉を真摯に受け止めて反省していく。
ルナもいつの間にかソファに座ってマアリムの説教を一緒になって聞いていた。なんだか目を細めて懐かしそうな表情を浮かべている所を見ると、誰かを思い出しているのかもしれない。
そして、いつもであれば説教ももう終盤と言う時間になったところで……不意にマアリムの言葉が途切れる。それから躊躇いがちに顔を少しだけ左右に振る。説教中に珍しく言い淀むマアリムにディアノは首を傾げ、つられたルナも首を傾げた
「ディ様……あの……えっとですね……それで……これからの事なんですが……私の気持ちとしては……これからは私も一緒に寝ますと言いたいところなんです……言いたいところなんですが……」
一度大きく上を見上げるとそのまま間を溜めて……真剣な表情を浮かべてディアノへと告げる。
「今日からは……私とルーちゃんは別のお部屋を借りて寝させていただきます」
「えぇ!? そんなっ?!」
「あ、はい。それでお願いします。」
抗議の声をルナはあげたが、ディアノはその提案を非常にあっさりと了承した。そのあまりのあっさりぶりにマアリムの目が点になる。
ルナもディアノに抗議するような視線を送っており、拒絶された子供のように不安げな表情を見せていた。別にそこまでショックを受けることでもないだろうに。
「随分あっさりですのね……いいんですのディ様? その気になれば両手に花で眠れるのに、別々の部屋で……」
「いや……リムが言い出した事だろ……。まぁ、俺も男だしそれは正直惜しいけど……でも、リムの言う通りなんだよね。そういうのはちゃんと交際してからでないと……」
ディアノのその回答に、マアリムは安心したような、あっさりと許容されてほんの少し寂しいような複雑な笑みを浮かべる。心の中ではディアノと一緒に寝たいという思いはあったようだが、その思いを自身の中から必死で振り払う。
しかし、そんな二人とは裏腹に……絶望したような表情をルナは浮かべていた。
「ディさん……そんな……じゃあ私はこれから誰と寝ればいいんですか?!」
「ルー、言い方考えろ……それは誤解を生む」
わなわなと震えたルナは、ディアノとマアリムにすがるような視線を送っていた。しかし、そんなルナに助け舟を出したのもマアリムだった。
優しい微笑を浮かべたマアリムは、ルナへと子供へ言い聞かせるようにこれからの方針を告げる。
「ルーちゃん、安心してください。私が一緒の部屋で寝てあげますから。女の子同士でお泊りしましょう」
「ディさん、今日から一人寝が寂しいかもしれませんが、泣かないでくださいね」
ディアノは目の前で行われた酷い掌返しを見る。あれほどまでに絶望していたのに、マアリムが一緒に寝てくれると言ったとたんにこれである。いや、女の子同士でお泊りに反応したのかもしれない。友達はほとんどいなかったと言っていたので、そう言うのに憧れがあるのかもしれない。
……一瞬、一緒に寝る二人の姿を夢想してしまったがそれを振り払うように首を振ると、ルナの言葉へと慌てて返答した。
「誰が泣くか、ルーこそリムに迷惑かけるなよ」
「迷惑なんてかけませんよ……抱き着いて一緒に寝るかもしれませんけど……それくらいなら良いですよね」
「……迷惑かけるなよ」
「ディさん、今私とマーちゃんが一緒に寝てるところ想像しましたね?」
「……してません」
ここにきて、やっといつも通りのやり取りがやっとできた気がすると、二人とも安心した笑顔を浮かべながら軽口を叩き合う。マアリムもそのやり取りを苦笑しながら眺めていた。
それから、パイトンへと女性陣用に部屋を別に用意してもらえないかと頼んだところ、彼はそれを快く受け入れてくれた。ただ、パイトンはディアノにこっそりと、他の二人に聞こえないように耳打ちしてきた。
「……良いか……女性を怒らせたときは下手な言い訳は逆効果じゃ……話を聞き、何に怒っているかを理解し……それから誠心誠意謝るのじゃ……良いか、理解する前に闇雲に謝ってもダメじゃぞ」
どうやら、ディアノが彼女達を怒らせたために部屋が別れると解釈したようで、自身の体験も踏まえてなのかしっかりとしたアドバイスをしてくれていた。その考え方は偶然にもディアノと同じであったため、ディアノはパイトンへと視線で答えると、二人は熱い握手を交わす。
その行動の意味がわからないルナとマアリムは、首を傾げて「なんだか仲が深まってる?」とだけ口にしていた。
部屋は近場の方が良いという事で、すぐ隣の部屋が女性達に当てられた。食事についてはディアノの部屋で変わらず取るが、今日からは二人はそこで寝る運びとなる。
そして、パイトンも去り、就寝前に明日以降の行動について打ち合わせを行う運びとなった。急遽参加となったマアリムが、どうしたいのかと言う事を聞くためでもあるし、今後、訓練も含めてどうしていくか方針を改めて決める必要があったからだ。
「……リムは明日から、屋敷で治療の手伝いをするのか?」
「そうですね、マーちゃんが参加してくれれば私としても助かるんですけど……」
二人のその言葉に、マアリムは申し訳なさそうに眉を顰めながら静かに首を横に振る。彼女は回復魔法についてかなりの腕前であり、彼女の性格を考えると治療の方の手伝いをすると言うと予想していただけに、この反応はディアノとしては予想外だった。
それから彼女は、反応でどうするかはわかってはいたのだが、宣言するように自身の考えをはっきりと言葉にする。
「……私も最初はルーちゃんと一緒に治療に協力をと思ってたのですが、考えを変えまして……。私も、ディ様の方の訓練に参加させていただきます」
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