59.勇者と聖女の初対面

 ディアノは目の前に立っている人物が、かつての仲間のマアリムであることはすぐに理解できた。服装や髪形は異なっており、何故か三匹の魔狼を一緒に連れてきていて軽く城内が騒ぎになっている気がするが、その姿はまぎれもなく僧侶として頼りにしていたマアリムである。

 ゆったりとした服では隠し切れない肉感的な体つき、慈愛に満ちた柔らかな微笑み、かつての仲間では無いと否定する方が難しい状態に、ディアノは困惑していた


「えっと……その……僧侶さん……何故ここにいらっしゃるので?」


 思わず「さん」付けで、しかも敬語でかつての仲間の呼び名をディアノは呼んだ。その呼び方に他意はなく、思わず口をついて出てしまった一言だったのだが、その一言がきっかけだった。

 柔らかな微笑みを浮かべていたマアリムは、その笑顔のままに見る見る間に目に涙を溢れさせ……そして両目から微笑んだままで涙を流し始めた。


 先ほど泣いていたのはルナで、今度は突然現れたマアリムが泣き出したことでディアノの焦りは一気に最高潮になってしまう。周囲を見回してみてもいるのはルナだけであり、ルナはディアノに対してやらかしてしまった人を見る目で見ていた。

 そして、ディアノが余所見をした瞬間……マアリムの姿がまるで弾丸のように弾ける。両脇に控えていた魔狼達も驚くほどのスピードで、余所見をしていたディアノにはそのマアリムの突進への反応が一歩程遅れてしまう。


「ディィィィィィィィィィィさまあああアアアァァァァァ!!」


 音を置き去りにするような叫び声と共に、涙を流したマアリムはベッドに座ったディアノの腰へと飛びつくと、その瞬間に両腕を回すようにして腰全体を抱え込む。そのまま突撃した際の推進力を殺すことなく、ディアノの腰と浮かすとそのまま半回転するようにディアノの背中をベッドへと押し付ける。

 つまりは、超高速でマアリムはディアノを押し倒した。


 油断した上に余所見をしていたディアノにこれを防ぐ術はなく、したたかにベッドへと背中を打ち付ける。柔らかいベッドでもかなりの速度を持って叩きつけられれば、それなりに痛く、一瞬呼吸が止まっていまった。


「なんで他人行儀に僧侶呼びなんです!! なんで魔王に対して呼んでるみたく可愛く名前で呼んでくれないんです!! なんで私達に何も言わずに一人でいなくなっちゃうんですか!! ディ様の馬鹿!! 馬鹿……馬鹿ぁぁぁ……会いたかったぁ……一緒に居たかったぁ……なんでぇ……なんで私も一緒に連れて行ってくれなかったんですかぁ……ディさまぁ……」


 押し倒されたディアノは驚き即座に上半身だけを起き上がらせる。何をされるのかと警戒を含めて抱き着いてきたマアリムを見ると……彼女は泣きじゃくりながらディアノに対して恨み言を連ねていた。

 最初の方は怒鳴り声だった言葉も、最後の方は涙声で次第次第に弱くなっていく。入り口にいた魔狼達はゆっくりと近づいてきてマアリムに対して心配そうな鳴き声を上げるとともに、自身の主人を泣かせたディアノに対して睨みつけるような視線を送ってきていた。


 今日はよっぽど抱き着かれる日……泣かれる日だと苦笑を浮かべながら、ディアノはルナの方を見ると、ルナはジェスチャーで抱き着いているマアリムを慰めるように促してきた。

 ディアノは自身の腰に抱き着くマアリムを見ると、その背中は小刻みに震えており、もはや言葉は紡いでおらずに泣き続けていた。そんな状態の女性を放っておくわけにはいかないとディアノはその背中を優しく撫でながら謝罪の言葉を口にする。


「あーえっと……ごめんよ……そう……」


 思わず、僧侶と言いそうになってしまった際にルナから物凄い視線を送られてしまい、マアリムからは涙目のままで上目遣いで絶望的な視線を送られてきてしまったので、一度咳ばらいをしてから言い直す。


「ごめんな……リム……全部黙って、置いてきちゃって」


 ディアノはマアリムの事を「リム」と呼んだ……かつて全てが終わったら自分の事をそう呼んで欲しいと言われていた、彼女の愛称だ。これで少しは機嫌が直るかと思ったのだが、マアリムはますます目に涙を溜めてしまった。そして、改めてマアリムはディアノの名前を呼びながら抱き着きなおした。

 名前を呼んだのは逆効果だったのかと思って慌てるディアノだったが、それは先ほどまでの涙とは異なり、やっと名前を呼んでもらえたことによる喜びの涙だとルナには解っていた。


 そして無言のまま、ディアノの胸の辺りをたいして力の入っていない両腕て叩いてくる。痛みはないが……その打撃はディアノにはやけに響いて感じられていた。「許しません、許しません……」と言いながら胸を叩いてくる彼女を、ディアノはただ黙って見続ける。

 しばらくは、彼女のためにその事はあえて口にせずに、久しぶりのディアノを堪能させてあげようとルナは考えて二人の行動を見守っていたのだが……。


 その雲行きが、徐々に怪しくなってきていた。


「ディ様……あぁ……ディ様にこんなに可愛らしいお耳と尻尾が生えているなんて……何があったのでしょう……こんなにふさふさで毛並みも良くて手触りも良くて良い匂いで……あぁ……久しぶりのディ様の匂い……」


「何やってんのリム?!」


 いつの間にやら腰に回していた手は変身魔法で生えた尻尾に伸びており、それから流れるように巻き付けるように身体を滑らせて背後に移動すると、その耳をモフモフと触りだす。唐突に変わったそのキャラに


「あー!! マーちゃんズルいです!! 私もディさんの耳と尻尾触ったことないのに!!」


「良いじゃないですかルーちゃん!! 貴女は私にはできなかったこと沢山やってたんでしょう?! 今くらい……いや、今日くらい私に譲ってください!!」


「ズルいです!! 私もディさんの耳を触ります!!」


 先ほどまでしおらしく泣いていたルナも、悲しさと嬉しさの涙を流し続けていたマアリムも、今では我先にとディアノの耳と尻尾を目掛けてその手を伸ばしている。

 そのお互いの呼び名はなんなんだと突っ込むこともできず、ルナもディアノに突撃してきた。


 マアリムの慰めのために近づいてきていた三匹の魔狼も、困惑したようにベッドの周りをうろうろとしているのだが、その中の一番小さな一匹が、自分の尻尾と耳も撫でて欲しいと言わんばかりにディアノ目掛けて飛び込んでくる。


 マアリムを慰めていたはずだったのに、いつの間にやらもみくちゃにされながらもディアノは……あぁ、マアリムが元気そうでよかった……と言うか、前に一緒に旅していた時よりも元気いっぱいではっちゃけているから、ほんのちょっとでいいから昔の御淑やかな感じに戻って欲しいなぁと思いつつ……。

 色々な負い目から、彼女達が満足するまでは諦めてある程度成すがままにされることを選択した。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「リム、落ち着いた?」


「えぇ、お恥ずかしいところをお見せいたしました。久しぶりにお会いできたので感極まってしまいまして……」


 変身魔法の効果も解けて、人間の姿に戻ったディアノは、ベッドの上から移動した。

 今はソファの上にディアノが座り、テーブルを挟んで向かいにルナとマアリムが座る形となっている。魔狼の二匹はマアリムの後ろに、小さいのはマアリムの膝の上に座っていた。


「すいません、マディはまだまだ甘えん坊みたいでして……」


 膝の上の魔狼をディアノに紹介すると、その声に合わせるようにマディと名付けられた魔狼は小さく可愛い鳴き声を上げる。

 ルナがその様子に目を輝かせて撫でようとするのだが、マディはほんの少しの警戒したように身を避けて、ルナはほんの少しだけ落ち込んだ。それもルナの言っていたひと悶着に関係するのだろうかとディアノは想像していた。


「ちなみに、この子はマディで……後ろのはお父さんの方がロイ、お母さんがポーラと言う名前です。改めてよろしくお願いいたしますわ」


 挨拶に合わせて狼達は頭を下げてきた。もしかしたら、芸として仕込んでいたのかもしれない。なんとも凝り性な話である。


「いや、魔狼の名前は良いんだ……そうじゃなくて色々聞きたいことが多すぎるんだけど……まずは……聖女って何さ?」


 魔狼の名前がマディと言う名前であることにいささか不安を感じつつも、沢山の聞きたいことの中からディアノはまずはそれを選択した。

 聖女……魔王討伐の旅には現れなかった存在にかつての仲間がなっているという事をハッキリさせておきたかった。ここに居ることや王国がどうなっているかも気になるが、この質問は全てに繋がっているように感じていた。


「そのままの意味ですわ……私は聖女……もともと……魔王討伐の旅に出る前から聖女だったのです……」


「はい?」


 衝撃的なその一言に、ディアノは素っ頓狂な声を上げてしまう。そんなディアノの表情が新鮮なのか、マアリムは非常に良い笑顔を浮かべながら説明を続けた。


「私、どうもこの聖具と相性が非常に良いらしいのです。騎士団長が勇者になるのが確実と言われていたので聖女に選ばれたくないとお願いしたら、この聖具は私を聖女だと隠してくれまして……」


 そんなことが可能なのかと呆気に取られながら、ディアノは自身の腕に装着される形に変化した聖剣に目を落とす。自由に話せればもう少し詳しく聞けるだろうが、あれから一向にこの聖剣と話すことはできなかった。と言うか今は、なんだか委縮しているようにも感じる……聖具がいるからか?

 その辺は置いておいて、ディアノはマアリムと話を続けることにした。


「そんなに騎士団長が嫌だったのか……あの人、結構人気あったのに?」


「なんか……あぁいうお坊ちゃん的な方って好きになれないんです私」


「だったら、俺が勇者に選ばれた時に聖女だって名乗ってくれても良かったんじゃ……旅も……ずいぶん楽になったんじゃないかな」


「ごめんなさい……最初の頃はディアノ様の事は好きでも無かったので……それで、見極めるために旅には同行させていただいたのですが……結果として最初に言えば良かったと後悔しております」


「あ……うん……そっか……」


 そこで唐突に、ディアノは目の前の女性から告白されたのだったという事実を思い出した。その時は王女様の事が好きだったから彼女の告白を断ってしまったのだが……唐突にその時の罪悪感が蘇ってくる。そして、そのタイミングで今度はマアリムの方が質問をディアノへとしてきた。


「ディ様、一つお聞きしてもよろしいですか? 先ほどは明確な答えをいただけませんでしたので……」


「あ……あぁ、答えられる範囲でなら……」


「なんで、私達には言ってくださらなかったんですか? 王女様と騎士団長の事……」


 途端にディアノの身体からは血の気が引いた……その口ぶりから、全てを知っているという事が分かったからだ。どこから漏れたのか……と言っても出どころはあの二人しかありえないのだが……情報を漏らした二人に怒りを覚えるとともに、マアリムがどうやって聞き出したかを考えて少しだけ戦慄する。

 ルナの方をちらりと見ると、こちらを見て頷いてきたので、その辺りの事情は把握しているようだった。だからディアノは、何故マアリムがその事を知っているのかと言う事には触れず、質問にだけ完結に応えることにする。


「……何を言っても言い訳だけどさ……俺は……お前達を巻き込みたくなかったんだよ……俺の個人的な事情に……。お前達に迷惑をかけたくなかった……」


 相手の事を考えたような言葉を並べてから……ディアノは一度言葉を途切れさせる。そして、そのまま首を横に振ると、ほんの少しだけ考えるようにして言葉を選び直した。


「違うな……これだと言わなかった理由をお前達に転嫁しているだけだ。巻き込みたくないから黙るのが正しいと自分に言い訳していただけだ……。きっと……怖かったんだよ俺は。自分の師でもあり友でもある騎士団長と、好きになっていた王女様の裏切り行為を目の当たりにして……。もしもそれをお前たちに打ち明けて……もしも……もしも……お前達に喋って……彼等の方に行かれたらと思うと……怖くて言い出せなかったんだ。俺は完全に一人になると……言い出せなかったんだ」


 勇者だというのに……ディアノは勇気を出すことができなかった。彼等を巻き込みたくないと思いつつ、自分がまた裏切られるのが怖かったから……彼等を置いて姿を消すことを選択してしまった。

 あの時彼等は言ってくれたのに。もしも二人が裏切っていたらどうするかと言う問いかけに対して、「騎士団長を殺す」「王女を呪う」「国を滅ぼす」とまで言ってくれたのに……それが嘘じゃないと分かっていながら、自分の得た能力も仲間達も、疑心暗鬼で完璧に信じ切ることができなかった。


 目の前にいるマアリムの姿を見てその判断が間違いだったと実感する。マアリムは来てくれた。全てを捨てて逃げ出したディアノを追いかけてきてくれた。こんな情けなく、弱い自分を。


「……ごめん、リム」


 呟いた謝罪の言葉で、部屋の中はしんと静まり返る。そして、その一言を放った少し後……ディアノの頬に衝撃が走る。パァンと言う小気味の良い音と共に、自身の頬が掌で叩かれたことをそこで認識した。

 頬は赤くなっており、じんじんと痛むが……叩いた方の掌も赤くなっていることにディアノは気づく。


 マアリムが……初めてディアノを叩いた瞬間だった。静かに涙を流したマアリムは、ディアノを真剣な目で見据えていた。


「本音を聞かせていただけたので……全部ではございませんが……これでほんの少しだけ……許して差し上げます……」


 まだまだ許してもらうには遠そうだと感じつつ、ディアノはほんの少しだけでも許してもらえたことに、なんだか重い荷物が少しだけ軽くなったような気持ちになる。


「昔は俺の言うことは全部肯定してくれたリムに叩かれるなんてね……」


「あら、私もディ様が間違った事をするときは一言くらいは言っておりましたわ。これは……明確な間違いを起こしたディ様への罰です。全部は許していませんので、勘違いなさらないでください」


 叩かれた頬を押さえながら、冗談めかしてそんなことを言うが……基本的にはあまりマアリムに反対された記憶はなかった……あの時は四人居たから、きっと役割が分散していたのだろうと結論付ける。


「覚悟してくださいね、ディ様。私もまだ全てを許しておりませんし……クロとプルもきっと追いかけてきています……その時は、きっとこの程度じゃすまないですよ」


 マアリムの悪戯っぽく笑うその笑顔に、ディアノはあの二人も追いかけてきてくれているのかと……嬉しく思う反面、今から謝罪をどうするか考えないとなと、笑いながらも気をほんのちょっとだけ気を重くしていた……ただ、それは不快では無かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る