58.彼女の謝罪と彼の謝罪

 二人だけの部屋の中で、ルナは一人静かに泣いていたディアノを抱きしめる。その力強さに、ディアノは目を瞬かせて驚いていた。いきなり抱きしめられて慌てることも、拒否することもできずにディアノはそのまま成すがままにされてしまう。


 ルナの姿は衣服があちこち破れてボロボロだ、身体自体には傷は無い事から回復したのだとは思うけれども、それでも何かがあったのは間違いなく、ディアノはまずそれを聞こうとするのだが、抱きしめられているせいで口が塞がれており、喋ることができなかった。


 視線だけを上に向けると、何とかルナの顔が見れる程度には視界が確保できていたため、ルナのその表情を見ることができた。ルナは……ディアノを抱きしめたままで泣いていた。


「ごめんなさいディさん……ごめんなさい……ごめんなさい……」


 ルナは溢れる涙をそのままに、ディアノを強く強く抱きしめる。溢れる涙が抱きしめられた体勢からかディアノの頬に当たり、その顔を濡らしていく。涙を流した姿を見せてしまったため、ビックリさせたかと思ったので、少し恥ずかしいが腕を肩に回してポンポンと慰めるように叩く。


「ルー……どうしたんだよ、何を謝ることがあるんだ? あれか、昨日は帰って来なくて心配かけたってところか?」


 ルナはその言葉に無言で首を横に振る。まずは何があったのか聞こうとしたのだが、泣きじゃくるルナはますますディアノを力いっぱい抱きしめるだけだった。困惑するディアノはルナを軽く叩いて慰め続ける。しかし、ルナは声をしゃくり上げながら途切れ途切れの言葉を続けることしかできなかった。


「違うんですディさん……ディさんに……私はディさんに……酷い……酷い事を……ひぐ……ディさんが優しいからって……気がつかないで……違う……気づかないふりをして……泣かせて……私が……ううううぅぅぅ……」


 そうは言われても、ディアノはルナの発言に対しての心当たりが無かった。ルナには助けられこそすれ、酷い事をされたというのは全く認識として持っていなかった。今だって、会いたいと思った時に会いに来てくれたのだ。

 しかし、ルナは泣きじゃぐり、途切れ途切れの言葉を繰り返すばかりだった。


「ルーにはいつも助けられてるだろ、一緒に居てくれるだけで救われるんだって、ちょうど実感したところだよ。さっき俺が泣いてたのは……まぁ、ちょっと色々と思い出しちゃってさ」


 ディアノのその言葉に、ますますルナは泣いてしまい、抱き着く力を強くする。まずは彼女を宥めなければまともな話はできそうにないと、ディアノは一度ルナから離れるのを諦めて、そのままの姿勢でルナの頭に手をやると、そのまま頭を撫でてやる。

 それからしばらくの間、ルナは泣いたままだったのだが……ディアノに慰められたことで次第に落ち着きを取り戻していった。


 ルナの泣き声が止み、ぐすぐすと鼻を啜る音だけが部屋に響くと、その分ディアノを抱きしめる力が緩まったため、ディアノはルナを傷つけないようにゆっくりとルナの身体から離れていく。

 目の前には涙と鼻水でひどく濡れたルナの顔があったので、ディアノは仕方ないとばかりにその顔をタオルで拭いてやることにした。子供をあやすように顔を綺麗にふき取ってやると、ルナは恥ずかしさからほんのりと頬を染める。


「落ち着いた?」


 ベッドの上で向かい合うように座っている二人はお互いを見つめ合うと、ディアノはその顔に苦笑を浮かべ、ルナはディアノから目を逸らすと悲し気に謝罪を呟いた。


「……ごめんなさい、ディさん」


「だから、何の謝罪だよ……俺はルーに謝ってもらうことなんてないぞ?」


「あります、あるんです。私は……ディさんに……私を救ってくれた勇者であるあなたに……酷い事をしてしまったんです……」


 また泣き出すことはしないが、目尻に涙を浮かべたルナの強い断定を含んだその言葉に、ディアノは目を瞬かせて驚く。ルナはディアノからの視線が耐えられないと言う様に下を俯き、まるで罪を告白するように語り始める。


「……ディさん……私はディさんの事を勇者で強くて優しくて……私を救ってくれて……まるで物語に出てくる王子様みたいに考えていたんです……ディさんは皆を救ってくれる、正義の味方だって……。勇者って言うのはなんて凄いんだって……そう思っていたんです」


 涙声で唐突に始まったルナの語りは、いきなりディアノに対する賞賛の言葉だった。予想外のその言葉にディアノは困惑するが、ルナはうつむいたままで言葉を続ける。


「……だから私、ディさんはもう大丈夫なんだって……強くて優しいディさんはもう……もう大丈夫なんだって……そう思ってて……それで……それであんなことを……提案してしまったんです……」


 ディアノはそこで、ルナが何を言いたいかについて感づいた。彼女が言っているのは、先ほどまでディアノが考えていたことと同様の事で……演技とは言え、騎士団長と同じ行動を取らせてしまっていることについて、彼女は気に病んでいるのだった。

 気に病んで、泣いて、謝罪してきているのだと分かった。


「でも違ったんです!! ディさんは優しすぎるんだって!! 自分を犠牲にしてでも誰かのために動いちゃうんだって……だから……だから私はディさんにあんなことを言っちゃいけなかったんです……嫌だったら断って良いって言っても……ディさんがその提案を断るわけ無いんだって……私は……気づかなきゃいけなかったんです……」


 またルナの両目から涙が零れ落ちる。そして、俯いた顔を上げてディアノの顔へとやっと視線を移動する。そして、ディアノの目元へと自身の手を、優しく撫でるように触れる。ディアノの目元は涙で濡れており、その涙がルナの手を濡らす。


「それを今日、私はある人に気付かせてもらったんです。……そして、大急ぎで帰ってきたら……ディさんは一人で泣いてました……。やっぱり私は……間違っていたんだって……。本来は……自分で気づかなきゃいけなかったのに……」


 ルナは再び泣き出す。先ほどの様に声を上げてではなく、静かにその場に涙を落とす。そしてディアノは泣いているルナに対して何もしなかった。頭を撫でることも慰めることもせず、いつもと違うルナの言葉を静かに聞いていた。

 誰に気付かされたというのは気になるが、医者であるストゥリ当たりに言われたのだろうと考えて、それは今は口にすることはなかった。


「やっぱり……こっそり夢の中で本音を聞けばよかったですね……なんだか予感はしてたのに……でも、きっと大丈夫だって……思い込んで……結局……ディさんを泣かせてしまいました」


 夢の中で何をしようとしていたのか、これでディアノは納得した。あの時は聖剣がたまたま話がしたいとディアノを囲ったために、ルナが夢に入る魔法が使えるとわかったが、そうでなかった場合は……夢でルナと話をすることになっていた。

 そうなっていたら、もしかしたら本当の本音を吐き出していたのかもしれない。あれは、そう言う魔法だったのかもしれない。


「ごめんなさい……ディさん……今のだって……言い訳でしかないですよね……。私から提案しておいたこの作戦ですが……もう止めませんか? 虫が良い話だとは百も承知です……ディさんがこれ以上辛い思いをするなら……私が原因だって関係者の方全員に謝罪します。ディさんは悪くないんです、私が……勝手に言っちゃったんですから……」


 ひとしきり泣いた後のルナは、ディアノへと頭を下げながら今回の方法の中止を提案してきた。

 そこでディアノは改めて涙を流すルナの両頬を優しく手で包み込むと、彼女の目を自身の視線を無理矢理合わせるように顔をディアノの方へと向けた。二人の視線が交差する。ルナの潤んだ瞳がディアノを捉え、その頬が赤くなった瞬間……ディアノは両手に力を入れてルナの頬を左右から圧し潰した。


「ぶぎゅっ?!」


「ルナ……もう良いよ……謝罪はもう十分だ」


 唐突に行われたその奇行に、ルナは口の中にある空気を一気に吐き出して、まるで獣の鳴き声のような声を上げてしまう。目の前のディアノは、いつの間にやら呆れたような視線をルナへと送ってきていた。


「もう正直に言うけどさ……確かにその事を含めてさっきは泣いてたよ……今更ながら、そっち側に立つことの苦痛を感じていた。それは偽らざる俺の本心だ。ルナと離れて、一人になって、弱気になって、気がつかされた俺の本心だったよ」


「ひゃっひゃら……」


 頬を押さえつけられたままなので変な発音になってしまったが、「だったら」と言いたいのはディアノに伝わったようで、ディアノはルナの頬から手を離すことなく言葉を続ける。無理矢理に押さえつけられているので、ルナの唇は自然と尖った形になってしまっていた。


「ルー……俺等さ……知り合ってどれだけ経つと思ってる?」


「ふぇ?」


「俺達、知り合ってまだ一月も経ってないんだぞ?」


 唐突な発言に、ルナは知り合ってからの日数を考える……非常に濃い体験をしていたから長い間一緒に居る様に錯覚していたが、確かに二人は知り合って半月ほどしかまだ経過していない。

 しかし、それが何だというのだろうかと、両頬を押さえられたルナは首を少しだけ傾げた。


「知り合って一月も経ってない俺等が、互いの事をなんでもわかるわけ無いんだよ、それこそ長い時間をかけないとお互いの事なんてわからないんだ。そこを間違えちゃっただけなんだよこれは。それにさ……これは、俺のせいでもあるんだよ」


 そこまで言うとディアノはルナの両頬から手を離す。ルナはディアノのせいと言う言葉に対してそんなことは無いと言いかけるが、その言葉をディアノは手で制する。


「俺もさ、元勇者ってところから抜け出せてなかったんだよ。俺は勇者だ、だからみんなを救わなきゃいけない……そんな固定観念に縛られちゃってたんだよ……もう勇者じゃないのにさ。逃げ出したくせに、勇者って役割にしがみついてたんだ、無意識にさ」


「ディさん……」


「だから俺もさ、もう自分を犠牲にするような方法での解決は止めるよ。もう勇者じゃ無いんだ、誰かのために動くことはあるけど、それは俺もルーも皆も辛くないことが前提だ。もちろん、リスクを取ることはあるかもしれないけど……それを最初に話しておけばよかったんだよ。俺もこれからはさ、辛いときは辛いって隠さずに言うから、ルーも、隠し事はしないでくれよな」


 苦笑するディアノの言葉を聞いたルナは、涙を流して改めてディアノに抱き着いていく。それは先ほどのような抱き寄せる形ではなく、ディアノの腰のあたりに腕を回してお互いを抱擁する形となる。


「……じゃあ、これからどうするんですか?」


「少なくとも今回の役割は続けるよ。乗り掛かった舟ってやつだ。でも、これが最後だ。元勇者として、自己犠牲を発揮して、自分を殺してまで誰かを助けるのは今回で最後だ。そして、終わったら素直に皆に全部話して、一緒に謝ろう。混乱させてしまって申し訳ないって、俺達二人で謝ろう」


「……私のせいなのにディさんも謝ってくれるんですか? やっぱり、自己犠牲じゃないですか……」


「違うよ……これは俺が昔言われたことなんだけどね……他人の梯子を上る時は、必ず自分の梯子を持っておけって言われたんだ」


「……どういう意味ですか?」


「そのままだよ。他人が掛けた梯子は外された時にどうしようもなくなる……何かを決める時は自分の梯子を持っておけば、他人に梯子を外されても何とかなるってさ……。だから、これは俺が自分の梯子を上っているんだよ、登りきらないと気持ちが悪いんだ」


 分かった様な分からない様な……単純に煙に巻かれたような気分にルナはなってしまうのだが、ディアノの意思の硬さはその言葉から伝わってきた。彼は、今回の役割だけは何をしても全うするつもりなのだと、ルナは中止することは諦めた。その代わりに、皆に怒られる覚悟を決めた。


「それにさ……俺はルーに責任持つって言っただろ? だから……ごめんな、ルー」


「ディさんが謝んないでくださいよぉ……ごめんなさい……ディさん……」


 お互いに謝りあった二人は、そのまましばらく抱擁をしていたが、やがてゆっくりと離れる。ほんの少しだけ照れ臭くなった二人は、そのまま顔を見合わせて、思わず吹き出して笑い合う。

 ひとしきり笑い合った後で……ディアノの頭の中にふと疑問が浮かんだ。先ほど、ルナは自分の間違いに気づかされたと言っていた……それはいったい誰からなのだろうかと。

 てっきりストゥリさんから言われたのかと思っていたのだが、よく考えるとそれはあり得ない事ではないだろうか。ストゥリさんこそ付き合いが短く、ディアノの性格を把握しているとは思えなかったからだ。


「しかしさ……そんな俺の性格の話なんて誰から聞いたの? それにそのボロボロの服って……」


「あっ……コレはお見苦しいものを……ちょっと着替えますね……待っててください」


 そのままルナは部屋の片隅へと良き、服を簡易な寝間着に着替える。先ほどまでの服はどうするのか、わからないが、とりあえずは畳んで部屋の隅に置いているようだった。明日には、誰かに修繕を頼むのかもしれない。

 着替えてきたルナはそのままベッドに腰かけると、ディアノの方へと身体を向ける。改めてその姿を見たディアノは、仕切り直すように咳ばらいを一つする。


「でさ、話は戻すけど、俺の事って誰から聞いたの?」


「聖女さんです。昨日は帰ることができなかったのって、その聖女さんとちょっとひと悶着ありまして……」


 唐突に出てきた名前に、ディアノの動きがピタリと止まる。聖女がルナの所に来たという事実もそうなのだが、その聖女がディアノの事をルナに教えたという事になるのだ。それが意味することが、解らないディアノでは無かった。

 そもそも聖女とひと悶着あって服がボロボロになるとは、いったい何があればそんなことが起きるのか。身体の全身から、変な汗が噴き出して止まらなかった。


「聖……女……?」


 それを言うだけで精いっぱいだったのだが、ディアノの身体は硬直したように動かない。自身の性格を把握していて、その上で魔王に対して抵抗できる存在……。ディアノは可能性としては無いと考えていた一人の女性の姿を頭に思い浮かべる。

 いや、彼女は違うはずだ……そう思っていたのだが、ルナはディアノの気持ちを知ってか知らずか聖女についての話を続ける。


「えぇ、聖女さんからディさんの事を色々と教わって……それで今日、一緒に帰ってきたんです」


 一緒に……帰ってきた……その言葉をきっかけにしたのか、閉じられていた部屋の扉がゆっくりと開いていく。ゆっくりゆっくりと……先ほど勢い良く開いた時とは全く異なるその動きに、ディアノは徐々に戦慄していく……。

 そして完全に扉が開いたとき……そこに立っていたのは優雅な微笑みを讃えた一人の女性……。髪型も服装も違っているが、見間違うはずがない一人の女性。


「え……? えっと……もしかして……そ……僧侶さん……ですか?」


 完全に可能性から排除していた女性がそこには立っていた。その背後からは、後光とも威圧感とも知れない何かを感じ、ディアノは思わず敬語になってしまう。


「……お久しぶりですわね……勇者様? いえ……今はディ様でしたっけ? しばらくお会いしない間に……ちょっとお姿が変わりました?」


 ディアノはルナからの謝罪を受け取った。そして、彼女を許した。ルナもディアノからの謝罪を受け取った。そもそもが許す許さないの話では無いのかもしれないが、ほんの少しだけ二人の距離が縮まった気がしていた。


 しかし今……目の前にはディアノが謝罪しなければならないであろう相手が、聖母のような慈悲に満ちた微笑を浮かべて、静かに佇んでいた。

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