57.二人の忙しい日々

 ストゥリが治療のために女性になると言う問題は発生したが、治療や特訓についての方針も概ね決まり、それからディアノは男性達の訓練、ルナは女性達の治療に忙殺されることとなる。

 ディアノは人に教えること自体が初めてだし、ルナは働くと言うこと自体が初めてで……お互いに手探りで対応しながらも周囲に助けられ、なんとかその役目をこなしていた。


 ただ、慣れない事と言うものは身体の普段は使わない部分に負荷をかけ、体力も想定より遥かに消耗が早くなる。特にルナはそれが顕著で、屋敷から帰ってきたら疲れてそのまま眠ってしまうと言うこともしばしばあった。

 魔王として魔力は膨大にあるが、体力はそこまで高くは無いのかもしれないとディアノはそこで感じたのだった。


 食事もせず身支度もせずに眠る様は心配になるので、ディアノは身体に触れることを申し訳なく思いながらもルナを起こして食事を取らせたり、風呂に入るよう促したりと、ルナの介護のようなことをやっていた。

 その度にルナは寝ぼけたような声で謝罪と礼を言ってくるので、ダメだとは思いつつもついつい甘やかしてあれこれと世話を焼いている。

 部屋に戻ればすぐさま燃料が切れるのか、時にはベッドに辿り着くことすらできずに倒れ、ディアノはルナをベッドまだ運ぶこともあった。その寝顔はとても安らかで、ディアノには充実した疲労を感じている様に見えた。


 そのため、予定していたお互いの情報交換はもっぱら次の日の朝……朝食時に行われることになっていたのだが……。


 訓練と治療の開始から六日ほど経ったその日、ルナは帰ってこなかった。


 治療が忙しいのかと考えたディアノは、その日は一人で夕食をとり、一人でベッドに眠ることとなる。普段はあれこれと世話を焼いてからしていたことであったため、時間を妙に持て余すとともに、部屋がとんでもなく広く、寒く感じていた。


(一人旅だったらこんな寂しかったのか……)


 ベッドの中で目を閉じ、もう少し狭い安宿ならこんなことを感じなかったのかと思いつつ……時々喧しいと感じるルナのことを考える。

 静かな部屋に一人で眠るのは久しぶりなのに、なんだか逆に落ち着かなかった。


(まぁ、明日の朝には帰ってきてるかな? ベッドに潜り込んで来るとかならまだいいけど……入り口で倒れて寝てたりしないよな?)


 帰ってきた後のルナの行動に心配をしつつも、それでも昼間の疲労から、徐々に眠気を感じ始め……気がつくと普通に眠れていたようで、すっかり朝になっていた。


 それでも、ルナは帰っていなかった。


 パイトンに聞いても昨晩は帰ってきてなかったと言う答えだけで、特に情報は持っていなかった。ストゥリは治療や治療薬の開発のためには何日か徹夜することもあるらしく、もしかしたらそれに付き合っているのかもしれないとだけ教えられた。

 そんなこともあるかと思いながら、男性陣と訓練をしていてのだが……ふとしたきっかけで何かあったのではないかと心配になってしまう。その心配は表に出てしまっていたようで、セイはどこかいつもと違うディアノに対して心配そうな視線を送っていた。


「師匠、どうされましたか?」


 声をかけられたディアノは、はっとした表情を浮かべてセイを見る。こちらを心配そうに眉を顰めており、それは周囲の男性達も同様だった。今は剣の素振りをしている時間だったのだが、どうやら休憩時間になっても素振りをやめないために心配になって声をかけてくれたようだった。


「……すいません、ちょっとボーっとしていました。訓練中だっていうのにダメですね」


 素振りをやめると周囲の人間がホッとする。そんなに心配させるような状況だっただろうかと首を傾げるのだが、その疑問はセイが回答をくれた。


「えぇ、どこか心ここに在らずというか……師匠って……あれですね……無意識化だとちょっと怖いですね。無表情で延々と素振りをするから何かと思いましたよ」


 その指摘に、前も気になることがあった時には戦士のクロから似たようなことを言われたことを思い出した。これでは彼等にも失礼だと、ディアノは人に言って少しでも気分を軽くするのと、気合を入れ直すためにも今の自身の状況を口にすることにした。

 

「ちょっと、同居している友人が昨晩帰って来なくてね……何かあったのかなと……」


「……それは……心配ですね」


 セイも周囲の男性達も、ディアノの言を受けて心配そうな表情を浮かべている。ディアノはその不安を払しょくさせようと、顔に半ば無理矢理に笑顔を浮かべて彼等に心配ないという事をアピールしようとする。


「まあ、強いやつなんで無事だとは思うんだけど……」


「それでも心配でしょう? だって、僕の妻は……僕より強かったのに、あんなことになってしまいましたから……強い相手を心配しちゃいけない理由は無いですよ」


 汗を拭きながら呟いたその言葉に、セイは過去の自身を重ねているようだった。そして、セイの発言したその言葉は、かつてディアノ自身がルナに対して発言したのと同じ内容だった。ディアノは、自分の失言を反省するとセイへ頭を下げて詫びる。


「……そうですね……申し訳ないです、辛い記憶を思い出させて」


「いえいえ、大丈夫ですよ。今では師匠にこうして鍛えられていますし、自信もだいぶついてきました」


 笑顔で許してくれたセイに感謝しながら、彼等の上達ぶりを改めて考える。皆、過去の自分なんかよりもよっぽど才能には溢れていた。総合的には負けることはないが、獣人の身体能力の高さを改めて見せつけられる。

 セイ達人間の方は、魔法の覚えが非常に良く、まだ詠唱は必要だが身体強化の魔法も覚えてしまっていた。ただ、無詠唱を覚えられれば一番良いが、それは期間内には難しそうだ。

 獣人達は魔法が苦手だからか身体強化の取得に苦戦しているが、それでも何名かは覚えられそうな兆しがある。彼等は魔力量が少ないので全身は無理でも、一部でも強化できれば御の字だ。


 そのひたむきに訓練を続ける姿に、自分ももっと鍛えなければならないと、獣人から取り入れられる技術があれば積極的に盗むため、彼等の動きを目を皿の様にして注視する。

 教えている立場ではあるが、教えられると感じる部分は素直に取り入れる……そうしなければ、基本的に才能の無い自分は強くなれないとディアノは考えていた。


 ……そう言えば、聖剣は腕輪に変わってくれたけれど……これに魔力を通したらどうなるんだろうか? 今は試すことはできないけど、ルナが帰ってきたら試してみよう結論付けた。

 もしも光の刃がこの腕輪の周囲から出たら……手が切断されかねない。無いとは思うが、そうなった場合は自分で回復できる自信もないので、誰かがいるという事は必須だった。


 そして、訓練に関する考えとは別に……ディアノはやはりルナの事が心配だと結論を出す。一日帰ってこないだけで心配性すぎるかもしれないが、やっぱり心配なものは心配だった。その為、今日の夜もルナが帰ってこないようであれば、馬車を飛ばして屋敷に移動することを決意した。

 真夜中から移動すれば、明日の訓練には戻って来れるだろう……。屋敷の方に居るであろうルナと合流すれば移動魔法を使ってもらえれば帰りは問題ない。


 セイ達のおかげで気持ちを切り替えられたディアノは、それからは先ほどの行動が嘘かの様に訓練へと集中していた。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 訓練も終わり、部屋に戻るが相変わらずルナの姿はなかった。ディアノは、このまま待って夜に帰って来なかったら一人でも出発しようと身支度を整えることにした。


 そして身支度を整えながら部屋に一人で居ると、色々な事を考えさせられる。ルナは今何をしているのだろうか、彼等の訓練を自分は上手くできているだろうか? そんな不安が心に去来していく。一人だと弱気な考えが出てしまって駄目だなと……ディアノは頭を振って不安を払拭しようとする。


 そこでふと、そう言えばルナが壊れた通信水晶を欲しがっていたという事を思い出した。帰ってくる前にそれを出しておいて、すぐに渡せるようにしてやろうかと荷物を漁る。

 こんな時だからこそ、ディアノは、遠く離れた相手と現状を確認できる通信水晶のありがたみを改めて認識していた。なるべく早めにルナに研究してもらい……通信が可能なようにしてもらえればこんな不安も感じる必要はないのにと、一人で大きくため息をつく。


 探してみると壊れた通信水晶は荷物の奥の奥へと移動していた。もう使わないし、捨てるのもなんだかもったいなかったので当然だが、久々に手にするツルリとした手触りと少し重たい感触に懐かしさを覚える。

 その水晶をしげしげと眺めていると、最後に通信した時を思い出した。あれから、まだ一月も経過していないのかと、ここ最近の怒涛の日々を振り返る。魔王と知り合って、まさか彼女と二人で帝国領にいるんだとあの頃に自分に言っても絶対に信じないだろう。


 思えば最初もこの水晶からだったよな……と思った瞬間に……ディアノの脳裏に王女と騎士団長の睦言を見てしまった記憶が蘇ってしまう。ここ最近は、訓練の忙しさやルナと一緒に居たことですっかり忘れていた記憶が蘇った瞬間に、思わず手にしていた通信水晶を地面へと取り落とす。水晶はゴトリと言う音を立てて地面へとぶつかって行った。


 落とした通信水晶へと目を向けると、丈夫なためか傷一つ無かった。そして、水晶が光を反射に、その反射光がディアノの目に届いた瞬間……まるであの日の様にその水晶に映像が映っているような気がしてきてしまう。

 実際にそこに映っているのは自身の顔のみなのだが……水晶を前にして、部屋に一人でいるという状況がまるであの日のようだと錯覚する。そこからは、不安な気持ちを止めることができなくなってしまう。


 不安を感じる心は頭の中に後ろ向きな事をどんどんと浮かばせていく。騎士団長と王女の事、ルナの事、被害者の女性と男性、あの三人組……。まるで走馬灯の様に次々と不安な考えが浮かんでは消えていく。

 ルナが帰ってこないのは……もしかして何かあったのではなく……と言うあり得ない妄想までもが頭に擡げるが、それを無理矢理に振り払う。そんな事は絶対に無い、ルナは……自分を信頼できるかと聞いてきた、それに対してディアノは信頼したいと答えたではないかと、自問自答する。


 しかしそんな気持ちとは裏腹に不安は加速し、とうとうディアノの脳裏にあった騎士団長の姿と、自身のやっていることが重なってしまう。気づいたときにはもう遅かった。


(俺は……今……あの日の団長と同じことをしてしまっている……。彼等に対しての騎士団長に……俺はなっている)


 実際にはその事に気付いてはいたが、自身はもう吹っ切れているのだから大丈夫だと、己の心をディアノは過信していたことを実感する。

 ただの演技だと、彼等の為だと、軽く考えてもう大丈夫だとたかをくくっていた自分自身に腹を立てる。そんな気持ちが浮き上がらなかったのも、二人だったからだ。日々をルナと過ごし、のべつまくなし喋っていたからこそ耐えられていたのだ。


 一人になったことで、自分はまだ全然何も吹っ切れていなかったことを、改めて気づかされてしまった。


 計画をルナから聞かされた時は、騙す様で気が引けるという思いはあったが、それ以外には何も思わなかった。ただ、皆のためにそれをするのが正しいと思い、ルナから嫌なら断っても良いと言われたが、その時は断るという考えは頭に浮かずにルナの案をそのまま受け入れた。


 俺にしか……勇者である俺にしかできない事じゃないかと錯覚をしていた。


 ……だけど、麻痺してしまっていただけで本当は嫌だったのではないか。ディアノは今更ながらその考えに思い至る。そして、未だにあの事を引きずっている自分自身にショックを受けた。


 そのままディアノは、ふらふらとした足取りでベッドまで移動すると、その場に仰向けに倒れる。そして、片腕を両目の前に、まるで涙を堪えるかのように押さえつける。身体は小刻みに震えて、指先だけではなく全身が冷たくなってくる。

 気を抜くとすぐに泣き出してしまいそうで、全身に力を入れようとするのだが力が全く入らなかった。ベッドまで移動することはできたが、そこから何もする気力が起きない。


 ディアノは無性にルナに会いたくなった。ルナと会って、また馬鹿な事をやり取りして、それからいつもの日常を過ごしたいと強く考えた。そんな風にルナに会いたいのに、身体は動かない。

 でも、こんな情けない状態ではルナには会えない。そもそも、ここにはルナはいないのだ……だったいっそ今は全部吐き出して、明日からは全部元通りにしようと考える。


 そうだ、迎えに行くのは先延ばしにしよう。まずは自分の気持ちを整え、全て吐き出し、心配かけなくなってから迎えに行こう。前向きなようで後ろ向きなその考えには気づかず、ディアノは一人で天井を見上げる。


 そして我慢できずに、堪えていた涙を両目から流し、嗚咽を漏らした瞬間……部屋の扉が勢いよく開かれた。


「ディさん!」


「あ……ル……ルー?!」


 勢いよく扉を開けた音に驚き、ディアノはベッドから飛び起きて部屋に入ってきたルナの姿を見る。その姿を見てディアノは驚愕した。彼女は、何か事件があったのだとわかるほどに、身体自体は無事ではあるが……衣服が所々破れてボロボロの姿となっていたのだ。


「ルー……何があったんだ……?」


 ルナを気遣うような言葉は、ルナの耳には届いていなかった。ディアノがルナの姿を見て驚愕したように、ルナの方もそれは同じだった。自身の目の前で目からボロボロと涙を流しているディアノを、悲痛な表情でルナは見てしまった。


 その事に気付いたディアノは、見られたことをマズいと感じて、慌てて顔を背けて目を擦る。しかしルナはそれを許さず、まるで飛び込むようにディアノへと近づいて行くと、半ば強引に、力いっぱいに彼をその胸の中へと抱きしめた。

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