56.二人は家族の姿を見る

 二人はパイトンと共にストゥリの自宅へと一緒に移動していた。ディアノは犬の獣人姿のままで、ルナも自信に変身魔法をかけて犬の獣人姿に変身していた。さらには変装として伊達のメガネをかけていた。本人は目立たないように……と言う事なのだが。ディアノには余計に目立つのではないかと言う疑問が頭に浮かぶ。

 ただ、ストゥリの家までの移動に馬車を使うらしく、街中は歩かないので特に変装には意味は無い結果となったのだが、メガネが気に入ったのか伊達メガネは掛けたままでルナは馬車へと乗り込んだ。


 道中では会話らしい会話は発生せず、馬車の内部は重苦しい沈黙で支配されていた。皆、これからストゥリの家族にどのように説明したものかと頭を悩ませ、当の本人が一番涼しい顔をしているのに、周囲の三人は眉を顰めて苦渋に満ちた表情を浮かべている。


「ふん……別に問題は無いというのに。心配性じゃのうお主らは」


 大いに問題があると思うのだが、ストゥリの態度は男であった時と何も変わらない。これでは頭を悩ませている自分達がバカみたいではないかとも思うのだが、かと言って思考を止めることはできなかった。

 何よりも、彼の友人であるパイトンが一番頭を悩ませているのだから、まだあったばかりのディアノとルナから何を言えるわけもなく……。

 パイトンは軽口をたたいた友人を一瞥するだけで、口論を始めることもない。その態度にストゥリは至極つまらなそうに鼻から息を漏らしていた。


 結局、馬車の中は重苦しい雰囲気のままとなってしまっていた。


 そのまま碌に会話らしい会話も無く、沈黙を保ったままで馬車はほどなくしてストゥリの診療所兼自宅へと辿り着く。他の三人がまごつく間にストゥリはさっさと馬車から下りて診療所へと歩き出していく。

 診療所の入り口には諸事情により休診中の札がかけられており、扉は閉まっているようだったので、ストゥリは勝手口から中へと入っていく。三人は慌ててその後をついていき診療所の中に入って行った。


「ふん……帰ったぞ、誰かいるか?」


 ストゥリの言葉に、診療所の奥からパタパタとした音を響かせて一人の鳥の獣人が現れる。背中に大きく綺麗な羽を持つ女性の獣人であり、背はストゥリよりもかなり低く小柄で、かなり若く見える。

 ルナとディアノが看護に携わる人だろうかと考えたのだが、女性の言葉でその考えは否定された。


「はいはい、あんた帰ったのかい? 予想してたよりも早いじゃないか、なんかあったのかい?」


「ふん、必要な機材と薬品を取りに帰っただけだ、すぐにまた出る。最長でも半月は外での診察だ……その間は家の事を頼んだぞ」


「また長期だねぇ今回は。公主様からの依頼なんだからしっかりやんなよ。あんたの事だから心配してないけど、手を抜こうもんなら羽毟って出汁にしちまうからね」


 口調は少しぶっきらぼうだが、その表情に優しい微笑を浮かべた女性は、ストゥリをその表情の通りに労っているようだった。ストゥリも口調こそ荒いのだが、その声色はどことなく優しいものだった。

 会話から、どうやら彼女がストゥリの奥さんの様で、見た目は体格差もあって親子の様にも見える。ディアノとルナは、その夫婦の会話をどことなく羨ましく感じていた。


「ふん……誰に言っておる。儂が手を抜くなどありえんわ。……すまんな、また長期に家を空けてしまって。たまには帰るようにするから……」


「何言ってんだい、あんたと結婚した時から覚悟してるよそんなの。亭主元気で留守が良いってね。あんたはしっかり稼いできとくれ。全部終わったら、夜にたっぷり労って……」


 そこまで彼女は口にして、後ろにいる三人に気がついたようで一度言葉を途切れさせた。そして、少しだけバツが悪そうに頬を染めて三人へと挨拶をしてから、ストゥリへと視線を戻し……その時にストゥリの異変に初めて気がついたようだった。


「あんた……なんか綺麗になった?」


 異変には気がついたのだが、ちょっとだけ目の付け所が違った奥さんに対して、パイトンがたまらず口を挟む。


「いや、メラナさんや……綺麗になったとかじゃなく……こいつはな……その……えっと……」


「あら、公主様。御無沙汰しています。うちの人がご迷惑かけてませんか?」


 説明しずらい事柄に口ごもるパイトンに、メラナと呼ばれた女性は首を傾げていた。その視線に耐えるので精いっぱいなのか、言いたい言葉が出てこなかった。

 しかし、そんなパイトンの葛藤を無視してストゥリはあっさりと自身の身に起きていることを口にした。


「ふん、儂な、治療のために女になったんじゃ。男にはたぶん戻れんが……改めてよろしくの」


「なんか綺麗になったと思ったらそう言う事かい。私よりも綺麗で羨ましいねぇ」


「ふん、儂なんぞよりお前の方がずっと綺麗に決まっとるわ」


 まるでなんでもない事のように発言したストゥリの言葉を、メラナもすんなりと受け入れてまるで問題では無いと言わんばかりに返していた。そのあまりにもあっさりとしたやり取りに、逆に三人がポカンとしてしまう。

 メラナはストゥリに褒められたことが嬉しいのか、その肩を背中の羽を動かしてバンバンと照れ隠しにストゥリの身体を叩いている。


「いや、メラナさん……それだけか?」


 ポカンとした表情を浮かべたまま、パイトンはメラナへと現状への反応がそれしかなかったことについて言及する。しかし、当のメラナは小首を傾げて、パイトンが何を言っているのか理解できないというような顔を浮かべていた。今度は、その表情を見たルナが一歩前に出てメラナへと謝罪する。


「……ごめんなさい、旦那さんを女性にしてしまったのは私なんです……必要なこととはいえ本当に……」


 しかし、メラナはルナの謝罪を豪快に笑い飛ばした。


「あぁ、どうせこの人が自分から望んだんでしょ? そんなのいつもの事だから、問題ないよ。性別が変わってもこの人は私の旦那だ」


 あまりにも豪快な発言に、謝罪していたルナも一緒にいたディアノも目を丸くしてしまう。ストゥリの方は得意気な笑みを浮かべて、三人へと誇らしげに胸を張った。


「ふん、儂の妻じゃぞ。この程度は問題ないわ……言った通りじゃろ?」


 だいぶ大ごとだと思うのだが、ストゥリはこの程度と切って捨てる。そう言うストゥリの顔は自身の妻への信頼と誇りに満ち溢れており、三人はそれ以上何も言えなくなってしまった。三人は、顔を見合わせて苦笑するしかなかった。


「それにしても……よく女性になったストゥリさんの事が分かりましたね。入ってきた時から、普通に対応していましたよね」


 ディアノの感じた疑問は、ルナも同じく感じていた。メラナは女性になったストゥリを初見で自身の夫だと理解していた。なんだか綺麗になった……と言うのもその通りで、今のストゥリはかなり色っぽいお姉さんと言うような見た目になっており、普通は戸惑うはずだ。

 それでもわかったのは、それが夫婦の絆やら愛なのかと思っていたのだが、実際は違っていた。


「あはは、獣人の感覚を舐めないで貰いたいね。私等の五感は人間以上だよ。そりゃ、最初から知らない人なら話は別だけど、私の旦那だ。ちょっとやそっと見た目が変わったくらいで……それこそ、たかが性別が変わったくらいで自分の旦那を間違えるわけ無いよ」


 メラナは豪快に笑って理由を説明してくれた。思ったよりも現実的な理由だったが、それも結局は二人で育んだ絆があってこそなんだろうなと二人は感じていた。


「あんたらも、結婚して長い間一緒にいる様になれば、これくらいは軽くできるよ。安心しな」


 そう言ってメラナは、お互いに顔を見合わせるディアノとルナの肩に手を置いて豪快に笑う。ディアノもルナもその言葉に明確な返答ができずに頬を染めて慌ててしまい、それがおかしいのかメラナはますます笑みを深くしていた。


 その後、ストゥリはテキパキと必要な物を準備して、別れ際には、まるで仲を見せつけるようにメラナとキスをして再び馬車に乗り込み、城へと戻って行った。仲の良い夫婦の絆を目の当たりにしたルナとディアノは、その光景に思わず赤面してしまう。


「うちの人をよろしくお願いします」


 馬車の出発する直前、深々と頭を下げてきたメラナの姿は夫を心配する妻の物であり、三人はその姿に任せてくださいと力強く答えていた。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 ストゥリの家族へと説明が無事に終わり……と言うよりも奥さん懐の広さを見せつけられた二人は、精神的に圧倒された気持ちになってしまっていた。まさか旦那が女になっても動じないとは、どこまでの覚悟を決めていたのだろうか、その覚悟の大きさは想像もつかなかった。


 必要な物をそろえたストゥリ達を屋敷へと送り届けたルナは、夕食を取った後はどこか呆けた表情を浮かべて椅子へ座っていた。


 ストゥリは屋敷の女性達と食事をするという事だったので、食料も一緒に運んだのだが……それならば奥さんと食事を取ってから移動すればいいのではないかと言う疑問がルナの中に浮かんだ。そしてその事を聞くと、ストゥリは食事がきちんととれるかどうかの観察も兼ねていると、あくまでも医療行為の一環だと言っていた。

 妻を愛しているが、仕事を完遂するまでは気を緩めないためにあえて団欒を取らない……そして、それを妻であるメラナも理解していた。


 今まで自分が見たことの無い家族の姿に、ルナは圧倒され色々と考えさせられていた。考えてみれば、自分はあのように仲の良い夫婦の姿と言うものを見た事が無かったことに、今更ながら気づかされる。

 本性を隠していた頃の父は優しかった、生きていた頃の母も優しかった……しかし、仲の良い父と母の姿と言うのは全く見たことが無かったのだ。


 子供の前で喧嘩をする夫婦もいるだろう、口論の絶えない夫婦もいるだろう。しかし、自分はそうでは無かった。自分は父と母にはそれぞれ個別にしか会ったことが無かったのだ。同時に自分と会うことの無い両親……それがどれだけ歪だったのかを改めて実感する。


 ルナが呆けているのと同時に、ディアノも同じように呆けていた。椅子ではなくベッドの上に身体をだらしなく投げ出しており、口も半開きで視線はどこを見るでもなく宙に浮いていた。

 ディアノが考えていたのは自身の両親の事で、もしかしたら昔の父と母もあのように仲睦まじかったのかなと、故郷の父に思いを馳せていた。


 それと考えていたのはもう一つ……あの時、ストゥリとメラナのキスシーンを見た時に感じた自分自身の感情だ。

 仲睦まじい夫婦を見るという羨ましいという気持ちと、あの時の記憶が蘇ってしまい自分の中に黒い感情が広がっていく気持ち……そんな相反する気持ちが同時に沸き上がってきていた。


 あの二人とは違うと頭ではわかっていても、そう言うシーンを見てフラッシュバックする自身に驚き、まだまだ吹っ切れていないのかと言う事を情けなく感じていた。


 二人とも、夫婦の姿を見てそれぞれ、考えることは異なっているのだが……やがて一つの結論に達した。

 経緯とその意味合いは若干異なっているのだが……「自分もいつかあのような家族を持てるのだろうか」と言う共通した思いを二人は抱いていた。


「ねぇ……ディさん……」


 沈黙を破り、最初に口を開いたのはルナの方だった。ディアノは宙に浮かせていた視線を椅子に座っているルナへと移すと、こちらを見ているルナと目が合う。そのまま特に反応は示さず、ルナの次の言葉を待った。


「あのご夫婦……姿が変わってもすぐ相手の事が分かって、そんな状態でもお互いの信頼が変わらないって凄いですよね……正直に言って、羨ましいなって思いましたよ」


「そうだなー……確かに羨ましくはあったよな……あぁいう信頼関係って……。きちんとした相手となら、信頼を築けるんだって言うのを見せてもらったよ……」


 その言い方にほんの少しだけ引っ掛かるものを感じたルナは、椅子の上で身体を仰け反らせながらディアノの方を見る。ディアノは表面上はいつも通りだ、だけどその目が何処か揺らいで悲しそうにも見える。

 ルナは椅子から飛ぶように下りると、そのままベッドの前まで移動して、自身の姿勢がうつ伏せになるようにベッドへと倒れ込み、ディアノを見上げるような姿勢を取る。


「ルー? 流石に疲れたからもう眠いのか?」


「いえ、そう言うわけじゃないですよ。ディさん、大丈夫ですか?」


 思わぬ一言にディアノは一瞬だけ息が詰まってしまう。その様子を見たルナはあえて多くは聞かず、大丈夫かとだけ聞いたが、この様子だとあまり大丈夫ではなさそうだと判断し、なるべく明るい声を上げる。

 嘘がわかるわけでも無く、あのご夫婦の様に以心伝心ができるわけでは無い自分では、できることが限られていることをもどかしく思いながら、それでもディアノの負担を軽くできるように、言葉だけは明るくする。


「ディさん、私とは信頼は築けそうですか?」


「……いきなり何言ってんだよ」


「だってほら、さっき言ってたじゃないですか。ちゃんとした相手となら信頼を築けるって。私は、そのちゃんと信頼できる相手になれてます?」


 ディアノはその言葉に苦笑しながらも腕組みをして、ルナと出会ってから今までの一緒に行動してきた思い出を思い返す。そして、ほんの少しだけ考える時間を作ってから、ゆっくりと口を開いた。


「……大丈夫、ルーの事は信頼したいと思ってるよ」


「そこは即答してほしかったですねー。なんか考え込むようなことありました?」


「……勝手に人の夢の中に入ろうとしたり、やたらとスキンシップしようとしてきたり?」


「あはは……夢はともかくスキンシップは良いじゃないですか。私だって人肌恋しい時もあるんですよ?」


「その時の頻度が多い様な気がするが……」


 その後も二人は、理想の家族像について談笑を続ける。ルナは自身の理想とする家族を語り、ディアノはその家族像を語るルナをどこか眩しく見ていた。

 ひとしきり語り合った直後に、喉が渇いたとディアノは水をとりにベッドから降り、すぐに戻るのだが……ベッドの上には静かに寝息を立てるルナの姿があった。


「……あれ? ルー?」


「ん……んにゃ……うみゅぅ……」


 ディアノが小声で話しかけると反応はあるが、ルナはすっかり寝落ちていた。元々、労働なんかしたことがないから、なれない労働で疲れてのだろう。

 会話が途切れたタイミングで燃料が切れたかの様に落ちてしまった様だった。


 念のために夢の中に入る魔法を使って、もう一度聖剣と会話ができるか試したかったのだが、これでは無理だなとディアノはそれを諦める。

 できる保証も無いし、なによりも気持ちよさそうに眠るルナを起こしたくは無かった。


 ルナの寝顔をしげしげと眺めたディアノは、そのまま彼女を起こさない様にベッドの中へとゆっくりと入れてやる。

 自身も、少し離れてベッドの中に潜り込むと目を閉じた…すると、直後に背中のルナが寝言を言い出したので思わず目を開いてしまう。


「ディさん……幸せな家族……作りましょうね……」


 どの様な夢を見ているのかはわからないが、幸せそうな声色で呟いた寝言にディアノは苦笑を浮かべつつ、その寝言に応える。


「そうだな……作れると……良いな……」


 寝ているのだから当たり前だと思うのだが、願望の混じったディアノの言葉に応えるものは誰もいない。

 改めて目を閉じたディアノは、背中のルナを起こさない様に小さく呟いた。


「おやすみ、ルー……」


 返答のないその呟きを口にした直後、ディアノも久々の訓練で疲れていたためか、すぐに眠りの世界に落ちていくのだった。

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