55.魔王は治療を手伝った

 私達が城に戻ってきた時にちょうど合わせるように、ディさんは部屋に入ってきました。首からタオルを下げて汗を拭いているので、向こうの訓練とやらも結構ハードだったみたいです。

 でも……今の私はそれどころじゃ無いです。すごく疲れました。


「ディさん……ただいま帰りました……疲れました……お風呂入りたいです……」


「あ……あぁ……ルーおかえり……いや……おかえりって言うか……え?」


 ディさんの視線は疲れ果てた私ではなく、私の横のストゥリさんに注がれています。ちょっぴり嫉妬心のようなものは湧きますがこれは仕方ありません……なんせ、朝には男性として顔を合わせていた方が夜には女性になって目の前に現れたんですから……。

 これにはパイトンさんも驚きに目を見開き、口を滅茶苦茶に開けています。蛇の獣人だからか顔の長さよりも大きく口を開けていて、その驚きの度合いがよくわかるというものです。


 ディさんは、ひとしきりストゥリさんを見た後……私の方へと首だけを動かして視線を向けてきます。錆び付いた人形がギチギチを音を立てそうなくらいにぎこちなく、私の目を半眼で見てきました。

 あれ? 治療のお手伝いをして疲れて帰ってきた私に対して向ける目じゃ無いですよそれ?


「ルー……お前……なにやらかした?」


 ……あ、疑惑の目を向けられてます。いやまぁ、こんなことできるのは私くらいですから正解なんですけどね。表情も怒っているというわけではなく、何がどうしてこうなったのか説明を求めている顔です。

 パイトンさんも私の方へと驚いて視線を移してます。そう言えば、パイトンさんには私が使える魔法について説明していませんでしたね。私は期せずして男性二人の視線に晒されてしまいます。


「ふん……ディさんや、ルーさんを責めんでやってくれ。これは儂が自ら望んで、やってもらったんじゃからな……」


 私を庇うようにしてストゥリさんが私とディさんの間に割って入ります。自ら望んで……と言う部分にディさんもパイトンさんもますます困惑した表情になっています。そうですよね、そうなりますよね……。


「ルー……何があったか説明してもらえるか?」


「良いですよ……その前にディさん……汗だくみたいですから……着替えません? 風邪引いちゃいますよ。私も、話を整理したいですし……」


 ディさんはすぐにでも話を聞きたそうにしていましたが、パイトンさんからは、それならばとお風呂に入る様に進められて渋々ながらそれを了承します。兵士の方々とは別に、公主さん達が入る用のお風呂が城内にあるそうなので、私もディさんもそこを使わせてもらうことにしました。


 少し休んで落ち着いたら会議室に集合と言う運びとなりました。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「お待たせしました、パイトンさん、ありがとうございます。スッキリしました」


 お風呂をお借りした私とディさんは、揃って会議室に到着いたしました。当たり前ですが、一緒に入ったわけでは無く別々です。冗談で「一緒に入ります?」と言おうかと思ったんですが、ちょっとだけディさんの目が怖かったのでその冗談はやめました。

 ディさんは汗をかいた衣服を着替えて、パイトンさんが用意してくれた薄い青色の服を着ています。なんでも、この城の兵士たちが鎧の下に着る服なんだとか。


 ディさんもお礼を言うと、部屋の中で待っていたパイトンさんの向かいに座ります。私はディさんの隣に……ストゥリさんは、パイトンさんの横ではなく、対角の位置に座っていました。朝のような口論もしておらず、パイトンさんはむすりとした表情を浮かべて腕を組んでいました。

 私達が入ってきたことに気がついたパイトンさんは、表情を少し引きつっていますが笑顔に変化させます。


「ディ殿、ルー殿、風呂はいかがだったかな? 疲れが取れたのなら良いのじゃが……」


「とても良かったです、着替えもお借りしてすいません……」


「えぇ、気持ち良かったです。お風呂久しぶりでしたから……」


「お気に召されたのなら良かったわい。それなら、昨晩も勧めればよかったのう。儂はあまり風呂が好きではないので、気がつかなかったわい……」


 雑談から入っていますが、パイトンさんの視線は、自身の対角にいるすっかりと変わり果てた友人をチラチラと見ています。早く説明してほしくて仕方ないというような感じです。


「……それで……何があったのかを説明していただけんかの?」


「もちろんです……ストゥリさん、説明は私の口からさせていただいても宜しいですか?」


「ふん……構わんよ。ルーさん、お願いする」


 ストゥリさんからの了承を得たために、私は何があったかを二人に説明し始めます。ディさんも、パイトンさんも……私の次の言葉を固唾を飲んで見ています。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 移動魔法を使って私とストゥリさん、アグキスさんを含めた七名の女性達は無事に屋敷へと移動しました。屋敷についた際に迎えに出てくれたのは、残って女性達のお世話を引き受けてくれた、トナカイの獣人のヘレディアさんです。

 彼女は比較的に症状や男性に対する忌避感も軽く、ストゥリさんを見ても取り乱したりする様子はありませんでした。立派な角と立派なお胸を持つ、どこかふわふわとしたお姉さんのような方で、私達を見ると笑顔で屋敷に招いてくれました。


 ヘレディアさんは私達を一番大きな部屋に通してくれると、アグキスさんから状況について説明を受け……その優しげな眼から涙を流していました。涙を流す彼女を、移動してきた女性達は揃って抱きしめて慰めています。

 ひとしきり泣いた後にヘレディアさんは落ち着きを取り戻すと、私達の前に柔らかい微笑を浮かべます。きっと、私達が出発してからの数日……不安だったでしょう。それが全てではないにせよ、解消されたというのは良かったと素直に思えます。


 それから、私達は症状の重い方々について確認すると……食事は何とかとれているのですが、やはり薬物の影響なのか反応が薄い方、取り乱して暴れる方、身体を掻き毟る方等……色々と症状が出始めているとの事でした。

 反応が鈍い方ならそのまま安静に寝かせてあげれば良いのですが、暴れる方についてはその度にヘレディアさんが慰めたり宥めたりしていたようです。よく見れば身体に細かい傷がついていましたので、私の回復魔法で治療をします。


 けっこうギリギリでしたね……おそらく反応が鈍い方は私が催眠魔法をかけて鎮静化させてた方々なのでしょうけど、症状の重い方は催眠でも抑えきれないほどに身体に反応が出てきてしまっているようです。

 催眠魔法は、掛け続けなければ効果も持続しませんからね……永続的に催眠を持続させることはできませんし……。


 私はその事をヘレディアさんに謝罪しつつ、ストゥリさんはお医者様なので彼女達の治療に来ていただいたことを説明しました。ただ、ストゥリさんとヘレディアさんは顔見知りだったようなので、特に紹介の必要は無かったみたいです。だから男性を見ても取り乱さなかったんですかね。


 それから私達は症状の重い七名の女性が休んでいる部屋に行こうとしましたが……そのタイミングでストゥリさんからストップがかかります。


「ふん、儂がいきなり行ってしまっては女性陣はパニックになるじゃろう……ヘレ……その女性陣で起き上がれる人の中で、お主から見て一番症状が軽いと思われる女性を一人……連れてきてくれんか?」


「はぁ……分かりました……」


 確かにいきなり男性が行っては大変なことになりますね……治療をすることに固執して私の配慮が足りませんでした。私はストゥリさんに言われてその事に気付きました。

 それから、ヘレディアさんは一人の女性を連れてきました。羊の角を生やした女性で、その片方が痛々しく削られています。奴らに材料にされたのでしょうか……ふつふつと怒りがこみ上げますが、それは隠すように私は笑顔を浮かべます。


 ストゥリさんも、彼女に対して恐怖心を与えないためか、その顔に優し気な笑みを浮かべていました。ヘレディアさんは反応の薄い女性に「お医者様が来て診てもらえるから、もう大丈夫よ」等、女性に色々と説明しながら部屋に入ってもらい……そして……彼女の目がストゥリさんを捉えた瞬間でした。


「ヒッ……?! イヤ……止めて……酷いことしないで……ごめんなさいごめんなさい……もう止めてください……お願いします……角は角は切らないで……削らないでください……あの人が綺麗だって褒めてくれたの……だから……お願いしますお願いします……」


 彼女は部屋の入り口で蹲ってしまい、その場で角を庇うようにして身体を丸めて震えてしまいます。その姿が痛ましく、他の女性達は皆彼女を慰めに近づいて、急いで部屋から退出させていきました。

 部屋の中には、私とストゥリさんのみが残りました。反応が薄かった女性もあのような状況になってしまうとは……これからどう治療していけばいいのでしょうか。ストゥリさんも笑みを消して考え込んでしまっています。


 ……父の魔法の中の解毒魔法はありますが、あれは特定の毒に対して有効な物でしたから……この薬物に効くかは分かりません……。ダメもとでかけてみることも可能ですがそれで、余計に悪化しても嫌ですし……。やるなら、事前にあの三人に同じ薬を飲ませて解毒魔法をかけてみますかね……。

 私が悩んでいると、考え込んでいたストゥリさんが口を開きました。


「ふん……薬物の治療だと考えていたがこれは違うな……それよりも前の段階だ……一番症状の軽い女性で儂を見ただけであの取り乱しよう……このままだとまともな治療はできんな……」


「女性達に使われていたのは、かなり強力な性的興奮剤に該当する物だと思うんです……魔法の薬よりも麻薬に近いものだと思いますけど……ストゥリさんに診察していただき私が処置できればと思っていましたが……」


「ふん……あの様子では無理じゃな……そもそも半月で完治は不可能だ。立って歩ける程度には回復可能だろうが……。薬物が依存の段階まで進んでしまっていたら、永続的な治療が必要になってくる。薬物の種類にもよるが、それぐらい薬の治療は厄介なんじゃが……」


 そこまでを口にして、ストゥリさんは一度言葉を途切れさせると……大きく深いため息をつかれました。そしてまるで決意するかのように、ぽつりと呟きます。


「ふん……やはり……これしかないか」


 ストゥリさんは私の方へと向くと、決意を込めた瞳を私に向けてきました。治療方針を決めたのかと考えたのですが……ストゥリさんから来た言葉は意外な物でした。


「ルーさん、あんたは男性を女性にする魔法を使えるのじゃったな。それを儂に使ってくれ」


 一瞬、言っている意味がわからずに目が点になってしまいます。確かに私は男性を女性にする魔法を使えることはお伝えしましたが……てっきり解毒魔法の方の開発をと言われると思っていたので、これは予想外でした。

 私はストゥリさんに、私の使う男性を女性にする魔法は不可逆であり、女性を男性にすることはできないことを告げます。そうなった場合に、ストゥリさんは男性に戻ることはできません。しかし、それでもストゥリさんの決意は固いようでした。


「ふん、言ったじゃろ。儂は医者じゃ。患者を治すためには何でもする。儂が女になった程度で治療が可能となるなら喜んでなるわい、やっとくれ」


「そんな……確かに私は専門じゃありませんが……教えていただければ代わりに……」


「ふん……治療と言うのは一刻を争う……それに、お主らはこの町に永住せんじゃろ……。それなら、やはり儂がやるしかないんじゃよ。アルオムには男の医者しかいないからの……儂が女になれば彼女達の治療は永続的に可能となる」


 その後も、いくつかの押し問答が続きますが、ストゥリさんの意思を覆せるほどの言葉は私にはなく……私は、ストゥリさんへと女性に変化させる魔法をかけたのです。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「とまぁ……そう言うわけでストゥリさんを女性にしたわけです……」


「お前は……何でそう仕事の事となると思い切りが良いんじゃ……いや、良すぎるんじゃ」


 私が説明した経緯に、パイトンさんが頭を抱えています。どうやらこの口ぶりから過去にも色々とやってしまっているみたいです。パイトンさんにも、私がそう言う魔法を使えるって言っておけばよかったかもしれません……そしたら、ストゥリさんには伝えなかったかもしれないのに……。

 でもその場合……彼女達の治療が遅れたのも事実です。眠らせての触診は限界があるのとのことで……私の想定が甘かったと言わざるを得ません。


「ふん……これでこの町にも女の医者ができたのじゃ、公主として感謝してもらいたいな」


「中身は男じゃろうが。だいたい、お主が性別を変えんでも、女性達に催眠をかけて、お主を女に見えるようにするとかできたじゃろうが」


 パイトンさんの言う事も尤もで、私もその提案をしたのですが……ストゥリさんの考えは全く違う答えでした。それでは意味がないし、危険だと。


「ふん……催眠で連れ去られた女性達に更に催眠をかけると? ルーさんに聞いたが、催眠は永続的にかけなければ効果が薄れる。そこまでルーさんを引き留めることはできんし……何かの拍子に催眠が解けてしまった場合、また自分たちは操られていたという事実から、早まった真似をしないとも限らん……だからこれしかないと判断したまでじゃ」


 腕を組んで身体を仰け反らせるようにストゥリさんは自身の判断に間違いはないと強調しました。その姿を見て、パイトンさんは額に手を当てて首を横にゆっくりと振ります。


 ストゥリさんとパイトンさんのお二人はその後も口論を始めます。しかし、朝のような激しいものではなく、どちらかと言うとストゥリさんがパイトンさんを納得させるためのようなものになっていました。

 それは、自身の行動にパイトンさんが責任を感じる必要はないと暗に言っているようにも見えます。確かに、なんだかんだでこのお二人は仲が良いのでしょう。


「それで、ストゥリさんが女性になった後はどうしたんだ?」


「その後は……ストゥリさんが女性になったことをアグキスさん達にだけにお伝えして……皆さん、ものすごく驚いてましたけど。そこからやっと、診察が始められたんです。」


 ストゥリさんが女性になったことで、残っていた七名については診察については問題なく対応できたのですが……それでも、診察をしている最中にその時の記憶が蘇ってしまったのか取り乱す方も少なくなくありませんでした。


 私は、どうしてもと言うとき以外は、極力魔法を使わないようにストゥリさんから言い含められていましたので、他の方と一緒に取り乱す方などを宥めていました。

 なんでも、私が居なくなった後でも対応可能となる様に、自身の力で対応可能な所はなるべく自身の手で治療をしたいという事だったので、私はそれを尊重しました。


 今日は診察と必要な治療の方針を決めることに終始していたので、大きな進展はありませんでしたが……診察と薬の成分を調査した結果、幸いなことに投与された薬は実験中の代物だったからか、依存性はそこまで高く無い様で、完成した薬を投与されていたらマズかったとストゥリさんは渋い顔をされていました。


 なんでも、父の残したノートに書かれていた薬は過去に禁止されていた獣人の身体を使った薬物の再現らしく……どうやらまだ父も研究中の物だったらしいのです。

 ……ノートに書かれた薬成分を聞いた時のストゥリさんは顔を歪めながらも安堵していました。何故なら……本来の薬の調合では獣人の内臓も使われていたはずだと……。それが禁止された理由なのだとか……。医療関係者の間では禁忌とされ、研究しようとしただけで爪はじきにされてしまうとか。


 あまりの悍ましさに私が顔を青ざめていると、ストゥリさんは今回の治療が完了したらノートはすべて焼却した方が良いと仰いました……。当然ですね……私もそれに一も二も無く同意しました。


「なるほど……そっちも大変だったんだな」


「いえいえ、私の場合は……そもそも労働に慣れていないからって言うのもあるんで。ディさんに比べれば大変じゃありませんでしたよ」


 私は、ストゥリさんに言われて彼女達の鎮静のためにかけていた魔法を全て解いたので、これからはヘレディアさん一人では厳しいだろうと、アグキスさん達は今日から屋敷に残って女性達と過ごすそうです。

 ストゥリさんもいったん戻ってきましたが、必要なものを家から取ったら、念のために今日から屋敷に常駐するとか……本当に……頭が下がる思いです。

 私も常駐することを提案したのですが、ストゥリさんから男性達の状況を確認したいのでディさんと情報交換をしてくれと言われてしまいましたので、私は通いとなります。


「……ルー……ちょっと待って……ストゥリさん、いったん家に帰るんだよね?」


「そうですね、必要な物はご自宅に保管されているというので……」


「女性になったストゥリさんが……家に戻るの?」


「……あ」


 私もディさんも、パイトンさんと話を続けているストゥリさんに視線を送ります。そうでした……今女性なんですよね……ご家族と鉢合わせた時……どうなるんでしょうか……。改めて私は顔を青ざめさせます。

 パイトンさんとストゥリさんも、ちょうどその辺りを話しているようでした。


「……儂はお主の嫁と子供に何と詫びれば良いんじゃ……家を出た父親が帰ってきたら女になってるとか……」


「ふん、問題ないわ……息子は成人しとるし、嫁は儂が女になったところで気にせんよ。医者として正しい事をしたと、儂の行動に納得してくれるわ」


 頭を抱えるパイトンさんと対照的に、ストゥリさんは何の不安も抱いていないように見えます。私は……その姿を見て逆に不安が募ります。そんな私達の不安を他所に、パイトンさんは立ち上がると私たち二人に口を開きます。


「二人とも、儂は今から一緒に行って、こいつの家族に事情を説明に行ってくる。お二人は休んで……」


「それ、私も一緒に行かせてください。やっちゃった当人としては私も説明しないと」


「俺も行きます……申し訳ないので……」


 いたたまれなくなった私とディさんは、パイトンさんの言葉を途中で遮って、二人そろってストゥリさんのご家族への説明に同行することにしました。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る