51.二人の初めての夜

 意外な話でも何でもなく、ディアノは女性と二人きりで同じ部屋に泊まるという経験が無い。今までの旅の道中では基本全員で同じ部屋か、資金に余裕がある時は一人部屋だった。

 道中の誘惑が無いわけでも無かったがそれを何とか跳ねのけて、女性と部屋に二人きりになるという事を意識的に避けていた。

 王女様と通信水晶で話していた時はある意味で二人っきりではあったが、それはまた別の話である。


 例の馬鹿三人組の屋敷に入った時はルナの発言から同室にはなっていたのだが、それは作戦の一環だったし、結局は彼等と戦ったり、女性達を保護したりしてバタバタと忙しくなり、二人っきりで同室で寝るという事は発生していなかった。


 屋敷を出た後の、馬車の旅の最中も同様である。その時は女性達を怖がらせないようにとディアノは一人離れた所で眠るか、夜は寝ずの番をして、昼の移動中に御者台のルナの隣で昼寝するような状況となっていた。


 二人だけで移動はしてきたが、二人っきりの部屋でゆっくりと一緒に過ごす……と言うことが無かったため、ディアノはその事実を認識したときに内心で相当焦っていた。

 表には出さないようにしていたが、緊張し、汗が額から吹き出し、やけに喉が渇く事態となっていた。


 別に即座に何かが起こるわけでもなく、ディアノ自身も何かを起こすつもりも無かったのだが、それでも緊張する者は緊張する。

 そして今……ディアノとルナは用意された部屋の中で二人っきりとなっていた。なっていたのだが……。


「……ルーさん?」


「ははははははははははい!? なんでしょうかディさん?!」


 ディアノは、自身からかなり距離を取って座っているルナへと視線を向けると、彼女は膝に両手を起き、肩をそびやかしてソファに座っていた。目が泳いでおり、顔のみならず耳まで赤くなっている。

 明らかに、緊張しているというのが容易に見て取れる姿だった。それも過剰に緊張している。


 最初に部屋に入った時は、ディアノの方が緊張していた。とは言っても表面上はそれを悟らせないように振る舞い、先ほどルナに演技が下手と言われたことからもことさらに自然になる様に気を付けていた。

 ルナは部屋に入った際には全く緊張していなかった。部屋の広さと豪華さ、ベッドやソファに寝っ転がってははしゃいでいたので、その姿を見たディアノは緊張しているのが馬鹿らしくなったほどだった。


 そして、安心したディアノはそこで喉の渇きを思い出す。部屋の中を見回しても、自分でお茶を淹れられる設備は無さそうだったので、ルナに一声かけてから部屋から一度退室した。

 するとすぐにパイトンと鉢合わせる。ちょうどパイトンがこちらの部屋に向かっている所だったらしく、事情を説明すると謝られながら小さなベルを手渡された。それは通信魔道具の簡易版のようなもので、これを鳴らせば城内の詰め所に音が響くので、手の空いている誰かしらが部屋に向かうという事だった。


 残念ながら要件を伝えることはできないので手間で申し訳ないと言われたが、これも十分に貴重な道具のようなので、ディアノはそのベルをありがたく借り受ける。

 お茶の要件については、パイトンが直接メイドに伝えてくれるという事だった。ディアノは……公主が自分から、そんなにせわしなく動いて良いのだろうかと疑問に思うが、パイトンは豪快に笑いながら気にするなと言ってくれていたので、申し訳なく思いながらも頼むことにした。


 そしてディアノがベルを持って部屋に入ると……そこには先ほどまでのはしゃぎっぷりが嘘のように大人しく座っているルナの姿があった……というわけだった。


 おそらく、最初のうちは二人で一緒に部屋に入ったため特に意識はしていなかったのだろうが、改めてディアノが部屋を出たことでその事を冷静に考えてしまったのだろう。そして、ディアノが部屋に戻ってきたことでそれを強く意識してしまったと……ディアノは推察した。


 メイドさんが持ってきてくれたお茶を飲むときも、気もそぞろにディアノの方をチラチラと見ながらお茶を飲んでいたし、こちらから話しかけてもしどろもどろに受け答えする。その様子にディアノの方が逆に冷静になるくらいだった。

 ディアノはため息を一つつくと、そのため息に反応してビクリと身体を震わせたルナへと告げる。


「ルー……嫌だったら、部屋を別にしてもらうか?」


「……い……嫌なわけじゃ無いんです……わけじゃ無いんですけど……その……緊張しちゃって」


 錆びたブリキに人形のようなぎこちない動きを見せながらも、ルナはディアノへと自分の状態を素直に吐露する。ディアノの一挙手一投足にも敏感に反応するほどになってしまっている。

 新鮮な反応ではあるが、ディアノとしては普通に反応してくれた方が良いので、ルナの負担になりそうなら最悪部屋を変えてもらおうと考えつつ、その緊張を解そうとする。


 わざとらしく頬杖を突きながら、遠くに座っているルナに対してニヤニヤと笑みを浮かべて揶揄う様に言葉を発する。いつもされていることのお返しと言わんばかりに、これでルナがいつもの調子を取り戻せばいいと考えての事だった。


「……普段あれだけ俺にくっついたり色々言ってくるくせに、こういう時は緊張するのかよ」


「仕方ないじゃないですか、こういう風に男の人と二人っきりになるのって二度目なんですから」


 その一言に、頬杖をついていたディアノが固まる。二度目……二度目と言う一言がディアノの頭の中に反響し響き渡る。自身は初めてだというのに、向こうが初めてでは無いという事実がディアノの心の中に言いようのない何かを騒めかせていた。


「……な……なんだよ、初めてじゃないのか、こういう風に二人っきりになることって……ちなみに……どんな状態だったの?」


 動揺を悟られないように平静を装って発言したつもりだったのだが、最初の一言に躓き、どもる様にして言葉を発してしまった。その事に内心で舌打ちをしたが、こちらの動揺を悟られなければ問題ないとルナの顔を見た瞬間……自身の失態に気付く。

 ルナの顔は先ほどの緊張した面持ちとはうって変わり、その顔にはニヤリとした笑みを浮かべていた。


「なんですか、ディさん? 私が誰と二人っきりになっていたか気になりますか?」


「……別に気にしてないけど」


 ディアノは強がりのような発言をするが、実際にはほんの少しだけ気にしていた。その雰囲気を感じ取ったのか、ルナは最初はニヤニヤと笑っていたのだが……すぐにその笑みを優しいものに変える。

 そして、何があったのかをディアノに対して説明する。


「まぁ……別に大したことじゃ無いんですよ。私の兄さん覚えてます? あの人が私の兄さんだって知らない時に部屋で二人っきりになって、割と良い雰囲気になって……私からちょっと迫ってみたんですけど……」


 そこでほんの少しだけルナは間を溜めて、半分だけ目を開いてどこか遠い目をする。口元は片方だけを吊り上げて、引きつったような笑みを浮かべていた。それからしばらく間を溜めたかと思うと……重たい口を開くように、ゆっくりと話の続きをディアノへと告げる。


「兄さん、私が迫ったら盛大に戻しまして……いやぁ……あの時はショックだわ自信無くすだわで……仕方なかったんですけどね」


「うわぁ……」


 あまりの発言にディアノも顔を引きつらせてしまう。女性に迫られて戻すって……よっぽど大変な理由があったのかと考えて……そこでディアノは参謀の男の身の上話を聞いていたことを思い出した。

 あんな形で母を奪われた彼はそれがトラウマになって……女性に対して恐怖感とも忌避感ともつかない感情が中に生まれてしまい……ルナに対してそのような反応をしてしまったのだろう。

 それでなくても妹なのだから躱して終わりだったかもしれないが、それでもトラウマさえなければもう少し対応は違ったものになっていたと考える。


「あー……なんか緊張してたのが馬鹿みたいですね……いつも通りで行きましょうか。」


「うん、まぁ、ルーの緊張は解けたのなら良かったよ」


 とりあえず、普通になったルナを見てディアノは安心するのだが、同時に別の不安が自身の中に生まれていた。自分は果たして……女性とそう言う事になった場合にトラウマが表に出てこないのかという事だ。

 ディアノは騎士団長と王女の一件もあり、女性に対していまいち踏み込めなくなっている自分に気がついている。また好意を寄せて、裏切られないかと無意識に疑心暗鬼になってしまっている。


 そんな自分が、彼等が女性を取り戻すため、気持ちの整理を付けることに協力して良いのだろうかと……そんなことを考えてしまう。


 ディアノが彼等を見て感じたのは、精神的にとても強いという事だ。自身の恋人、妻を奪われてもそれを奪還しようとし、アグキスを前にして彼女に許すと断言していた。自分が逆の立場なら許すと言えるのだろうかと、ほんの少しだけ彼等の姿に自分のあったかもしれない可能性を考えてしまった。

 もしもあの時、二人を許して……その上で逃げることはせずに王女を自身のものとするべく動いていた場合、自分がどうなっていたのだろうか。もしかしたら、それはそれで幸せな未来があったのだろうかと考えてしまう。


(……まぁ、俺の場合は状況が違うから一概には言えないか。彼女達は操られて、王女は自分の意思でだもんな。俺が動いたところで意味は無かったろう)


 胸中でそんな風に結論付け、余計な考えを振り払う。ふと、そんな自分をルナが覗き込むようにしてみていることに気がついた。その視線は心配そうにディアノを捉えている。


「ディさん……大丈夫ですか? 無理してませんか? 私が言うのもなんですけど……嫌だったら隠さずに言ってくださいね?」


「ん? 何がだ? 別に何の問題も無いぞ。やることは明確になったしな」


「そうですか……なんだか思いつめたような顔をしていましたから……」


「あぁ、ちょっと前の事を思い出しちゃってね……それだけだよ」


 ディアノのどこか拒絶するようなその言葉に、ルナはそうですかと小さく呟いて納得することしかできなかった。それから二人が一緒になんてことの無い雑談をしていると、パイトンとアグキスが部屋に二人を呼びに来た。

 大々的にはまだできないが、女性達を助けてくれた礼として簡単な食事会を開くとのお誘いだったのでそれに参加し、その日は助け出された女性達とアグキス達母娘と食事を一緒に取る。


 その際に、女性達には状況を説明され……皆は複雑な表情をしていたのだが、それで男性達の気持ちが救われるならと納得してくれた。せっかく戻ってきたのに、恋人と半月会えないという事については非常に申し訳なく思ったが、その間は例の屋敷に移動して医者やルナの手伝いをしてくれるという事になった。

 本来であれば自分達は男性達の元に戻る資格は無いという人もいたが、男性達は誰一人として諦めていないことを伝えると皆が一様に涙を流していた。


 そして、食事会も終わり部屋に戻ると、ほんの少しだけお酒の入ったルナがソファにダイブする。足をパタパタとさせて、はしたない姿を晒しているので、ディアナは意識的にそちらの方を見ないようにする。

 水差しとコップを貰ってきていたので、二つのコップに水を灌ぐとその片方をルナへと渡すと、ルナは起き上がりながらそれを受け取り一気に飲み下す。

 ふぅと一息ついたところで、ルナは少し眠たげな視線をディアノへと送った。


「明日から別行動ですねー……ディさん、寂しいですか?」


「寂しいかどうかはともかく……確かに一人で行動ってほとんどしてないな。旅の間もだいたいみんな一緒だったし」


 ルナに指摘され、旅の間はほとんどが仲間達と一緒だったのを思い返す。別行動することもあったが、その時も最低は二人での行動だったので、本当に単独行動したのは数えるくらいしかなかった。

 どちらかと言うと寂しいのはルナの方ではないかと思ったのだが、なんだかやたらとニコニコしているのでそこは特に指摘せずに、曖昧なままにした。


「うーん……なんか常に連絡できる方法があればいいんですけど……そう言えば、前の王女様と使ってた通信水晶ってまだあります?」


「あぁ、荷物に入れっぱなしだけど……なんでだ?」


 ディアノは嫌な気分になるが最後の通信を思い出す。あの時は通信が終わってから、万が一にも再通信しない様に水晶の機能をぶっ壊したのだが……捨てるに捨てられずに荷物に入れたままここに来ていたことを思い出す。

 粉々にしても良かったのだが、貴重品だと聞いていたので、庶民として貴重品を完全に粉砕するのに抵抗感があったというのが正直なところだった。


「あれ、私にくれませんかね? ちょっと研究して通信用の道具を作ってみようかなと。できるかどうかは分かりませんが」


「あぁ、いいよ。別に俺が持っていてもしょうがないしな。でも、もう使えない様に壊しちゃってるけど良いのか?」


「逆に壊れている方が気楽にできるので、ダメもとでやってみます」


「あぁ……わかったよ」


 ディアノの了承の言葉を聞いて嬉しそうに微笑んだルナは、そのまま大きな欠伸をしながら両腕を真っ直ぐ伸ばしながら身体を伸ばす。どうやら、そろそろ眠くなってきたようだ。つられてディアノも大きく欠伸をする。


「そろそろ寝ましょうか……いやー……それにしてもベッドでゆっくり寝るってなんだか久しぶりですよね。あの屋敷では結局そこまで休まりませんでしたから、こういうのは良いですね」


「そうだな……今日は久しぶりにゆっくり眠れそうだ」


 そして二人同時にベッドに視線を移すと……視線の先には大きなダブルベッドが置かれている。ベッドが二つではない、ダブルベッドが置かれている。枕は二つ置かれており、二人一緒に寝ることが想定されているベッドである。


「ディさん、ディさんは明日から訓練があるんですからベッドを使ってください。私はソファと毛布があれば十分なので」


「いや、ルーこそ魔力を使って疲れているだろ。俺がソファで良いよ」


 その一言を皮切りに、お互いが相手にベッドを譲り合うための口論が始まった。ディアノが女性にソファを使わせられないという事を言えば、ルナはディアノが今日パイトンと戦ったことを理由にベッドを譲ろうとする。

 そのまましばらく細かい事から言いがかりに近い事までと上げ連ねて、何とかお互いが相手をベッドに寝かせようと奮闘するのだが、議論は平行線を辿るばかりで着地点は一向に見いだせることは無かった。


 あまりにも平行線を辿るため……しびれを切らしたルナが爆弾を投下する。


「……ベッドは結構広いですから……一緒に寝ても問題ないと思うんですよ……二人でベッドに寝ません? ソファだと疲れ取れませんし、今後もこういうの増えるなら、今のうちから慣れておきましょうよ」


 少し俯きがちに言い出したルナの一言にディアノは固まる。確かに議論は平行線で決着が着きそうもない。無理矢理ソファに自分が寝ることも可能だが、それだとルナが納得しないだろうし、結局二人とも意地を張ってソファに寝るのも意味がない。

 ディアノはベッドに視線を移す。かなりの大きさのベッドなので、一緒に寝ると言ってもぴったりくっつかなくても……多少離れても問題なく二人は眠れるスペースが十分にあった。


「……ルーは良いのか? 俺と一緒って……」


「私は全然かまいませんよ? ディさん、私に何かする気は無いでしょう? だったら安全ですよ。私はディさんに何かする気は無いですし、お互い安全です」


 確かにこの状況でルナに手を出す気はディアノには毛頭なかった。そもそも、ルナに限らず今の段階で女性に手を出す気は無くなっているのだ。確かめてはいないが、精神的なショックから今の自分は役に立たない状態になっているのではないかと、その点をディアノは不安に思っていた。だから、今のディアノはかなり安全な部類の男性とも言える。

 だけどディアノはそれとは別に、ため息を付きながらルナの言葉にある嘘を指摘する。


「ルー……今……俺に何かする気がないってところが嘘だったんだけど……。 なんかされるの俺? 何かする気なの? だったらやっぱり俺はソファで……」


 ほんのちょっとだけ引きながら、ディアノはベッドから毛布やらの寝具を取りソファへと移動しようとする。よりによって何かする気は無いという点が嘘なのだから、いったい何をする気なのか……。

 ルナは慌ててディアノを止めると、両手の指を合わせながら言いづらそうにしながらも、上目遣いで観念したように本当の事を白状した。


「……背中にちょっとくっつくかもしれませんけど、それ以外は何もしません。安全です」


「嘘は無くなったけど……」


 そこについては口を噤むルナにため息を付きながら、ディアノは一緒にベッドに入ることを了承する。ルナは小さくガッツポーズを作って喜んでいるのだが、何がそんなに嬉しいのかディアノは理解ができなかった。もしかしたら、故郷を離れて人肌恋しいのかもしれないので、よっぽどの事じゃない限りは何かしてきても寛大に許してやるかとディアノは考えた。


 二人で寝ることを了承した後は、ルナとディアノはお互い別々な場所で寝間着に着替える。それから先にルナがのそのそとベッドへと這いずる様に移動すると、自身が寝る場所を確保する。

 ディアノはそこから少しだけ離れた場所に寝ようとしたのだが……ルナは自身の横をポンポンと軽く叩く。


「……どうぞ、ディさん」


「いや、近くない?」


 その一言だけを言って、自身の横をポンポンと何度も叩いていた。このままだと離れた所で近づいてくるのだろうと、観念したディアノはルナのすぐ横に移動すると、そのまま彼女に背を向けた体勢で寝っ転がる。ルナは満足気に微笑むと、自身もディアノに対して背を向けて横になる。


「変なことしないでくださいね」


「それはこっちの台詞だ……」


 お互いに背を向けた状態で同じベッドに入った二人は、そのまま部屋の明かりを消すと静かに目を閉じる。


「おやすみなさい、ディさん」


「おやすみ、ルー」


 それは、二人が初めて交わした就寝の挨拶だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る