50.勇者は演技を披露する
当然のことながらノアと言う獣人はこの世に存在しない……これは俺……ディアノがルーの変身魔法とやらで姿を一時的に変えてもらったものになる。
どうしてこうなったんだろうか……なんだか最近、こういう事を言うことが増えた気がする。……ルーのアイディアを承諾したのは俺だけど、やっぱりなんでこうなったんだろうかと思わざるを得ない。
ノアと偽名を名乗った俺は、犬耳を生やして獣人に身体を変化させ……先ほどまで挑発と罵倒をしていた彼等に対して、友好的な笑顔を浮かべて握手を求めるように手を差し出していた。
先ほどは彼等の握手を拒否したというのに……酷い罪悪感だ。
改めて……どうしてこうなったかの経緯を思い返す。
ルーが考えたのは、彼等の気持ちをどうやって消化させるかという点に重きを置かれていた。その為、考え付いたのは「連れ去った三人ではなく、その三人を倒した人物を乗り越えさせる」と言うものだ。
非常にシンプルで分かりやすい作戦ではあるのだが、確かにあの三人を使うことができない以上はそう言う形で乗り越えるための壁を用意してやった方がいいだろう。
しかし、この場合……その乗り越える壁とは……俺になる。
俺が彼女達を手中に収めた悪役として登場し、彼等を可能な限り挑発する。そして、アグキスが女性達は彼等の元へと帰りたがっている気持ちを伝え、彼等の奮起を促す……。
全ては上手くいかないかもしれないが、ああして女性達の奪還を諦めていない彼等であればきっと俺に対して怒りを向けてくるだろう。そうなれば、この作戦はほぼ上手くいったと言って良い。
『……ディさん、私から案を出しといてなんですけど、嫌だったら断ってくれていいですから』
ルーは心配そう言ってくれた。確かに悩んだ。悩みに悩んだんだが……結局俺はその案を受け入れることにした。他に良いアイディアは俺には思いつかなかったし、確かに気は進まないのだが、それで彼等が前に進むことができるのであれば、それはやる価値があると判断したからだ。
でもせめて、顔を隠せるようなものは無いかと荷物を漁ったところで……一枚の仮面が出てきた。確かこれ、竜の里の土産物の仮面だっけか。竜を模した仮面で……別に特別な力も何もないただの工芸品。デザインが面白いから買ったけど……特別な素材は使われてない……はず。
これなら顔を隠せるかと試しに被ってみると……やっぱりそれは能力も何もない、ただのお面だった。むしろ視界が狭まってしまい、これはかなり動きが制限されてしまう。足元なんかまるで見えないし、周囲の光景も全くわからない……。夜に被ったら何も見えないだろうなこれ。
真正面くらいしかまともに見えないので、特別な力が無いというよりはむしろ……付けると弱体化する仮面だなこれは。
『あぁ、良いものありましたねディさん……何ですその仮面? まぁいいです。その仮面を付けて皆の前に行きましょうか。声も変えておきましょうかね……後は悪そうに喋ってください』
仮面を被った俺にルーが声を変える魔法をかけてくる。初めて会った時に使っていたあの魔法か。試しに声を出してみると全く自分とは違う声が出てきて気持ち悪かった。それから、適当なマントをパイトンさんに用意してもらいそれで全身を包み込んだ。これでどこから見ても怪しい男の完成だ。
……別に顔を見られてもここに永住する気は無いので問題は無いのだが、顔を隠すのには別の理由がある。それは、これから俺が彼等を鍛えていくからだ。
……倒すべき敵と彼等を鍛える存在が全て俺……これはとんでもない自作自演だな。
これは、俺が仕事を紹介してほしいと言ったことがきっかけだ。パイトンさんが、それならば彼等を鍛えてやって欲しいと俺に頼んできた。少なくとも、三人を倒した俺なら安心して任せられるという事だった。
彼等にも訓練はさせているが、それはあくまでも兵士としての全体の訓練でしかなく、個人個人に合わせた訓練と言うものはどうしてもできていないらしい。彼等は普段は普通の仕事もしているので戦闘を専門としていないというのも大きい。
……今までは俺って教わる側にしかなったことが無いから教える側ってやったことないんだよな。俺に務まるのだろうか……ちょっと不安だ。
少し不安だがやると言った以上はその仕事を全うするだけだと、やる気になった俺にルーが笑顔を浮かべながら仮面を被った俺を覗き込むようにして顔を近づけてきた。
『これも寝取り展開の破壊です。つまり、寝取りブレイカーズとしての初仕事ですね!!』
ノリノリのルーは可愛く片手を上げて飛び跳ねる。いや、名前変わってない? 前はバスターズとかスレイヤーズとかだったよね? いや、そう言う問題じゃ無い。俺を巻き込むなと言っただろうが。それに……名前を変えたとしても、ダサいのは変わってないよ?
ただ、ノリノリのルーにその指摘はできなかった。声が変わっているからというのもあったが……その辺の指摘はまた別のタイミングでたっぷりとさせてもらう。
そう言うわけで……俺は彼等の前に謎の仮面の男として現れて、彼等を可能な限り挑発した。上手く挑発できていたのだろうかと不安だったのだが……彼等の怒りは俺にしっかりと向かっていた。あの彼等の表情を見る限り、我ながらうまく演技ができていたのではないかと自負している。
なんかルーに変な目で見られてたけど、きっと俺の演技力の高さに関心してたんだろうな。
それからは訓練場から去った俺は仮面とマントを外して、ルーに対象を変身させる魔法をかけてもらい犬の獣人に変化して彼等の前に姿を現した。
あいつの父親の魔法って性関連に特化したものが多いけど……この変身魔法もその一つらしい……使い方は酷すぎるらしいから教えてくれなかったけど、碌でも無い事は間違いない。
名前もノアと言う名前で偽名を名乗っている。本名をもじった分かりやすい名前の方が、呼ばれた時に反応しやすいからとはルーの談で、ノアと言う名前もルーの発案だ。こっちは仮面を付けていた時とは違い、喋り方などについては演技しなくていいのが助かる。
「あ……あぁ、よろしく……私はセイ……そこの公主様の義理の息子に当たる……ノア殿……と言うのか? 我々を鍛えてくれるという話だが……失礼ながら……貴殿はこの町の人間ではないのでは?」
回想している間に俺の手を握り返してきた眼鏡の男性はセイと名乗った。この人がアグキスさんの旦那さんか。彼は唐突に現れた俺に対してどこか疑念に満ちた目を向けてきている。それでも、握手をし返してきてくれているのはパイトンさんからの紹介だからだろう。
「ノアで良い。確かに俺はこの町の人間ではない。流れ者でな、本来は例の三人のために雇われていたんだが……」
「そう、ノア殿は三人を確実に始末するために、奴らを逃がさないように儂が個人的に雇ったんじゃ。出会ったのはたまたまじゃったが……相当強いぞ」
パイトンさんの強いという言葉に周囲の男達はざわついた。中には自分達は戦力外として外されたのに、俺のような部外者が参加していたと聞いて歯を軋らせながら俺を睨みつけるものまでいる。
それは目の前のセイも同様であり、握手をしながらも俺を憎々し気に睨みつけてきている。……パイトンさんのその一言は逆効果じゃないかな。たぶん、俺が鍛えることに説得力を持たせてくれたんだろうけど、彼等は俺に対しても怒りの表情を向けてしまっているよ。
握手から手を離したセイは、納得いかないという表情を浮かべている。そして、俺とパイトンさんに向けて躊躇いがちに口を開いてきた。
「公主様……申し訳ありませんが私達は彼の強さを知りません。差し支えなければ彼の強さを見せていただけませんか?」
「……ほう、儂の目を疑うと言うのか」
ニヤリと口角を片方だけ吊り上げた笑みを浮かべたパイトンさんは、セイに対してどこか楽しそうな表情を向けていた。その表情にセイは怯むことなく、パイトンさんへと挑戦的な視線をぶつけている。
「いえ、我々が戦力たり得ないと言われたことは納得しております。しかし、彼がどの程度で戦力として判断されたのかを見たいと思った次第です……」
「……ノア殿、こやつらはお主の実力を疑っているそうじゃ。ここはやはり、お主が師足り得る実力を持っていると、実際に実力を見せなければなるまい」
面倒くさい事を言い出したパイトンさんだが、想定内ではある。聖剣はルーに預けているので、剣を使った例の技は見せることはできないが、ここで俺が適当に動きを見せて実力を見せつけるというのが当初の話だったのだが……。パイトンさんの笑みが嫌な予感を感じさせる。
「そう言う事なら、ここはやはり儂と手合わせするのが一番じゃろう!! こやつらは儂の実力を知っているから実に分かりやすいぞ!!」
……嬉しそうな笑顔を浮かべて、当初の予定にはない発言をしたパイトンさんは両手を拳の形に握ると、俺に対してその拳をすぐ横で構えてくる。
予想はしていたけど、本当に言うとは思っていなかったし、ここで俺が「いや、やめときます」と臆した発言をした場合、尻尾を撒いて逃げた男がどの面下げて鍛えるとか言っているんだという事になってしまう。
その為、この申し出は受けるしかないのだが……パイトンさん嬉しそうだなぁ……。この人もあれか、戦いが好きな系統の人か。俺は別に戦うの好きなわけじゃ無いんだけどな……。
「わかりました、お受けしましょう」
少しでも嫌な素振りを見せたらそこから不信感を植え付けてしまうかもしれないので、俺は表面上は快諾すると、同じように両拳をパイトンさんへと向けようとする。剣を持っていないが、ある程度は徒手もいけないわけでは無いし……足運びについては基本的には同じだ。
そう考えていたところ、パイトンさんは俺が「お受けしましょう」と言った瞬間に仕掛けてきた。開始の合図も何もあったもんじゃなく、俺のすぐ横にいたパイトンさんの拳が俺の顔面に目掛けて飛んでくる。大柄なパイトンさんの拳は、ちょうど俺に対して打ち下ろされるような形で繰り出された。
あくまでもデモンストレーションであると考えていた俺だったが、構えかけていた拳を掌の形にすると、その突進してきた拳をほんの少しだけ逸らすようにして捌く。
バランスを崩したパイトンさんの拳は、目標である俺を逸れて地面へと吸い込まれていく。……普通はここで拳が地面に当たらない様に手を引いて態勢を立て直そうとするのだが、パイトンさんは逆に思い切り勢いを付けて地面をぶん殴る。
普通なら拳を傷めて拳が使い物にならなくなる行為だが、パイトンさんの拳は地面に大きなヒビを入れ、損傷は全く見られなかった。
唐突に始まった戦いにセイを含む男性達は目を見開いて驚き、その場から動けなくなってしまう。しかし、パイトンさんはそんな男性達にかまうことなく、彼等の目の前で俺に攻撃を続けてくる。
蹴り、正拳、頭突き、裏拳……矢継ぎ早に攻撃が繰り出されるが、俺はその攻撃を全て捌く。
そして俺の腹へと大ぶりの拳を突き出してきた時、俺はその拳を身体を捻って避け、パイトンさんの懐へと滑る様に侵入する。
体格に差があるため、大柄なパイトンさんの懐に入った俺はそのままパイトンさんの顎へ目掛けて突き上げる様に掌底を撃つ。突き上げた掌底はパイトンさんの顎にまともに入るのだが、パイトンさんはそのまま背中から半回転すると、お返しと言わんばかりに回転した勢いを付けた右足を俺の顎に目掛けて繰り出してくる。
巨体に見合わない身軽さに驚きながらも、俺はその蹴りを両手で受け止める。回転の勢いはあったが体重は乗っていない蹴りだったので何とか受け止めることができたが、それでも対格差があるためか十分に重い蹴りだった。
俺は吹き飛ばない様にパイトンさんの足にしがみつき、そのままパイトンさんの足の関節を逆向きにして固めてしまう。折るつもりは無く、あくまでも動けなくするための行動だ。
しかし、パイトンさんは固められた足など無いかのように足にしがみついた俺の後頭部目掛けて、組んだ両拳をまるでハンマーの様に叩きつけようとしてくる。後頭部に食らったら死ぬよそんなの?!
あまりの勢いに俺はパイトンさんの足を離して後ろに飛んで距離を取る。距離を取った俺に、パイトンさんは両手を広げて、まるで獲物を飲み込む蛇の様に俺に突進してくる。広げた両手がまるで、俺を飲み込む蛇の顎の様に見えた。
俺はその突進を真正面から受け止めることはせず横に躱すと、パイトンさんの脇腹に目掛けて全ての力を込めて拳を突き出した。空中ではパイトンさんも躱すことはできず、俺の拳はパイトンさんの脇腹へと綺麗に吸い込まれる。
飛び掛かってきた時の推進力と、俺の拳の威力が相まって、パイトンさんの身体は地面を蛇行するように跳ねながら吹き飛んでいった。吹き飛んだ先は……セイを含めた男性達がいる方向だった。
「あっ……」
俺が気づいたときにはもう遅く、自身に勢いよく迫ってくるパイトンさんを彼等はどうすることもできずに、吹き飛ばされたパイトンさんの身体は彼等の身体をブレーキにして止まることとなった。
「いやぁ、やはり強いなノア殿は。ここまで吹き飛ばされたのは初めてじゃわい、どれ、もう少し手合わせを……」
「こ……公主様……も……もう結構……です……ノア殿の実力は……よく……わかりました」
攻撃を受けたパイトンさんは、観客と化していた男性達を気にした様子もなくすぐに立ち上がると、子供のような笑顔を浮かべて俺に向かって来ようとしたのだが……。
パイトンさんに吹き飛ばされ、クッションとブレーキ代わりになってしまった男性達から中止の申し出が出てきた。ただ見てただけなのに、みんなもうズタボロになっている。
……いやー、避けると思ったんだけどダメだったか。まぁ、あの勢いでパイトンさんの巨体が来たら難しいか。
「なんじゃい、楽しくなってきたというのに」
セイの言葉にパイトンさんは不満気に口を尖らせるが、俺としてはここらで打ち止めにしておきたかったので申し出はありがたかった。だって見てるだけなのに男性陣たちはもうボロボロになってしまっているし。獣人は何とか動ける数人が立ち上がるが、セイは立ち上がれないのかうつ伏せで倒れたままだった。
「……ノア殿、実力を疑ってしまい申し訳ありません。公主様とこれだけやりあえるとは……どうか我々にご指導をよろしくお願いいたします」
セイはうつ伏せに倒れたままで俺に謝罪してきた。いや、無理はしないで良いよ……。立ち上がれないのは身体的な理由で、意識ははっきりしているようだったので心配ないとは思うが……。
……これだと、今日から訓練とかは無理そうだな。不可抗力だけど。いや、主にパイトンさんのせいだけど。
「こちらこそ、よろしく。今日はもう……皆は家でゆっくり休むと良い。アクシデントで怪我をしてしまったのだから、まずはそれを癒すのが先決だ。……公主様は、ちょっとお話があるので残っていただけますか?」
結局、セイは立ち上がることができずに他の獣人に両脇から抱えられて訓練場から去って行った。訓練は明日からとして、俺は朝から居るので来れるものは来るようにと、訓練場から去る彼等へと告げる。
「パイトンさん……今日からできるなら訓練したかったんですけど……台無しじゃないですか」
「う……すまん……ノア……いや、ディ殿……。つい楽しくなってしまっての……。」
半眼で睨む俺に対して、パイトンさんは頬をかきながら弁明してきた。俺が露骨にため息をついていると、隠れて見ていたルーとアグキスさんが再び訓練場に入ってきた。念のためルーは周囲に結界を張って、訓練場の中に誰も入って来られない様にする。
「ディさん、素手でも強いんですね。はい、剣お返ししますね」
「……強いとは思っていたが父上と互角とは……ディ殿は本当に強いのだな」
「まぁ、剣を持ってなくてもある程度はね……」
「何が互角なもんか……儂は終始あしらわれとったわ……。まぁ、儂も本気は出しとらんがな」
ルーから剣を受け取った俺は、そのまま聖剣を腰に帯びる。パイトンさんは互角と言われたことに対して憮然とした表情を浮かべていた。たぶん、負けず嫌いなんだろうな。
俺も別に余裕があったわけじゃなくて、パイトンさんの動きが大きくて分かりやすかったからできただけで……パイトンさんもかなり強かった。獣人特有の動きと言うか……あんまり見たことの無い動きだった。機会があれば教わりたいな、獣人特有の戦い方って。
「でもディさん……あんまり演技上手くないんですね……仮面付けた時の喋り方とか、結構酷かったですよ。棒読みで」
……え? 俺の演技ダメだった? ルーの一言に衝撃を受けたが、俺はその事は顔には出さずに話を変えることにした。……自分では上手くできていると思っただけに……ちょっと……いや、だいぶショックだ。
「で、ルー……俺のこの変身だけど元に戻るんだよな?」
「変身魔法はちゃんと元に戻るから大丈夫ですよ。でも……え? 元に戻りたいんですか? 犬耳の姿、可愛いですよ? ちょっとモフモフさせてください」
俺の耳にルーは手を伸ばしてこようとするが、俺はそれを手で拒否しつつ、パイトンさんとアグキスに今後の方針を確認する。俺に手で押さえられながらもルーは、必死に俺の耳に手を伸ばそうとしてくる。
「明日からは俺は彼等の訓練……ルーは女性達の治療を主に動きます。それに関するフォローとかはお任せして良いですか?」
「半月もあれば女性達をある程度まで回復させられると思いますので……そっちは任せてください。」
俺の耳を諦めたのか、ルーは腰に手を当てて胸を張りながら自信満々に言ってきた。頼もしい限りだが、俺は彼等にきちんと教えてあげられるかが今から不安だ……。
半月と言う期間は彼等の訓練がある程度形にできるだろうという予想と、女性達が全員揃える程度には回復できるだろうという期間だ。もちろん、何があるかはわからないので、長引くようならまだ俺には及ばないから期間をやるとか、適当な理由を付けて期間を延長する。
「フォローは任せとけ。医者も手配しておくわい。お二人には全てが終わるまでは不便かもしれんが、この城内に泊まっとくれ。ちょうどよく、二人部屋には空きが沢山あるでな、一番良い部屋を用意させる」
「ありがとうございます。助かります」
パイトンさんの一言にお礼を言った所で……俺は気がついてしまった。ルーは気がついているのか、ついていないのか……一番良い部屋と言う単語に喜んではしゃいでいる。
……えーっと……俺とルーって、同じ部屋に泊まるの?
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