48.二人は様々な事情を知る

「なるほどなあ……まさか洗脳の魔法なんてものがあるとは……儂ら獣人は基本的に魔法には疎いから、想像すらしとらんかったわ……てっきり怪しげな薬でも盛られたかと思っとったわい……。ちょっと行ってぶっ殺してくる」


「父上……落ち着いてください……」


 ディアノとルナ、そして途中からやってきたアグキスのおおよその説明を聞いたパイトンは、深くソファに腰かけると、その顔に青筋を立てた渋面を浮かべていた。

 腕を置いた肘掛けの部分がミシミシと音を立てており、ビキリと言う破壊音が部屋の中へと響いていく。


 かなり怒り心頭の様子で、二人は続きを話すのが怖くなるが……ここで話さないというわけにはいかず、恐る恐る、様子を伺うようにして説明を続ける。

 もちろん、自分たちが元勇者、元魔王という所や、その他の隠すべきところは隠してだが、二人の素性云々に対する疑問は三人への怒りの前にかき消えているようだった。

 ここで暴れ出したり、牢に移動させられた三人を殺しに行かないだけの理性が残っているのは、ディアノとルナがいることに加え、実の娘のアグキスの存在も大きいだろう。


 捕まっていた間に屋敷で具体的に何をされたかと言う話は、アグキスから行われた。それはディアノとルナの二人が知り得ないことでもあるので、自分から説明すると自ら申し出たのだった。

 しかし、その提案にパイトンは難色を示す。わざわざ辛い記憶を話すことはない、無理に思い出さなくていいと言う父親の強い制止に対し、アグキスは静かに首を振る。


 せめてと、男の自分はこの話を聞かない方がいいんじゃないかと考えて、ディアノは防音魔法をルナに頼んで自身にかけてもらう。それだけでは万が一があるのか、さらにルナがディアノの耳を塞いできた。

 その際に、ルナも聞かない方がいいんじゃないかと思ったのだが、治療する為に必要な情報があるかもしれないからとアグキスからルナにも聞いて欲しいと言われたので、ディアノはそれを了承した。


 ディアノだけが無音となる中、その光景は音がなくても悲痛なものだった。

 徐々に目に涙を溢れさせ、その涙を拭うことなく話を続けるアグキス。

 アグキスの話に怒りに顔を赤くしながら、血が出るほどに歯を食いしばり、涙を堪えるパイトン。

 そして……背後からディアノの耳を塞ぎながら、静かに涙するルナ。


 ルナの涙がディアノの背中に落ちると、その冷たさに、ディアノはやりきれない想いが胸の内から湧き上がってくるのが分かった。言葉は聞こえていないが、ディアノの目にも自然と涙が浮かんできた。

 ルナがディアノの耳を塞いできたのは、どこかに触れていないと耐えられなかったのかもしれないと、ディアノは耳に置かれたルナの手に自分の手を重ねた。

 ルナは微笑むことも、ディアノに視線を移すこともなく、ただアグキスを見ていた。


 やがて話が終わる頃に、パイトンは自分の娘を優しく、力強く抱きしめると、その頭を子供をあやすようにゆっくりと撫でる。そのままアグキスが落ち着くまで抱きしめると、アグキスの方からもう大丈夫だと言われ、抱擁から解放する。


「腹わたが煮え繰り返るとはこの事か……ニユースの連中め……自身の息子らを追放した事を黙っておったな……」


 怒りの矛先は遠いニユースの町にも向けられた。貴族的な面子からなのか、それとも単に醜聞を隠したかっただけなのか……公主の息子が追放となった事は隠されていたようだ。その事に強い怒りを覚えたパイトンは、この報いは絶対に受けさせると強く決意していた。

 そこの部分ではディアノは力になれそうにもないのでパイトンに任せるとして、ディアノとルナは自身が力になれそうな部分について言及する。


「……被害者の女性についてですが、色々な薬も使われていたようですので治療が必要だと思います。私は専門ではないので分かりませんが……」


 ディアノは怒りに燃えるパイトンにさらに追撃するようで心苦しかったが、話を続ける。薬の話は自身にはよくわからない為、そこからの説明をルナに交代してもらおうと視線を送ると、ルナは首肯した後に、何冊かの本を取り出した。


「私は治療については専門では無いのですが……使われた薬の成分が書かれた書物を持って来ています。ですので、お医者様にそれらを教えることは可能です。いらっしゃいますよね、お医者様?」


 流石に町に医者が居ないというのはあり得ないとは思うのだが、念のためにルナは確認を行う。その確認に、パイトンは困ったように頭に手を添えて首を横に振る。

 まさか医者がいないのか? と、ルナがほんの少しだけ気持ちを焦らせるが……そう言う話では無かった。


「医者か……いるにはいるんじゃが……男の医者しかおらんのじゃよ。ここにこられなかった女性達に、治療をするのが男の医者で……恐怖心を刺激してしまわんかが心配じゃな……」


「なるほど……難しい問題ですね……。女性の助手さんとかは、いらっしゃらないのですか?」


「生憎、この国で専門で携わっているのは男だけじゃな。看護だけを考えれば女性もいるが……それだけでは厳しいじゃろう」


 ルナはその言葉に腕を組んで少しだけ前かがみになる。実際に症状を見たりするのには医者の協力が必要不可欠なのだが、屋敷に残してきた人たちの症状はどの程度の物なのかは未知数だ。もしも、これで男の医者を完全に拒絶してしまった場合、治療は困難を極めてしまう。

 腕を組んだままのルナは、横にいるディアノに少しだけ首を傾けながら、自らの考えを口にする。


「ディさん、ちょっと提案なんですけど……私、この町にしばらく滞在しても良いですか?」


「別に構わないけど……。ルーが治療を手伝うのか?」


 ルナの提案について、会話の内容からディアノは理由を察していた。自身の考えを理解してくれていたディアノの返答に、ルナは嬉しくなり破顔する。


「えぇ、私はそう言うの専門では無いですけど……男性しかお医者様が居ないなら、私がお手伝いして少しでも負担を軽くしたいなあと思いまして。私なら、いざという時の対処もできますし。それに、薬の成分とか効果とかも、この本を丸々渡すわけにもいきませんから」


「なるほどね、確かに……下手に置いていくわけにはいかない本ばかりだからな」


 ルナの手に握られた複数冊の本を見て、ディアノも納得する。公主であるパイトンが紹介してくれる医者ならば信用しても良いかもしれないが、それでも丸々渡すというのは危険度が高すぎる。万が一情報が漏れてしまい、力づくで奪うような輩が出た場合……悲劇が繰り返されるだけだった。

 それなら、しばらくこの町に滞在して落ち着くまでは協力するのはディアノとしても吝かでは無かった。そもそも急ぐ旅をしているわけでも無いのだから、しばらくはこの街を拠点に活動するのもいいかもしれないとディアノは考える。

 もちろんそれは、公主であるパイトンが許可してくれるという前提の話ではある。


「でも、その辺りはパイトンさんの許可も取らないとダメだろ」


「それもそうでした。パイトンさん、私、この町にしばらく滞在させて頂いても宜しいですか?」


「いや……儂としては願ったり叶ったりなんじゃが……お主達は良いのか? 旅の途中なんじゃろ?」


 ルナの提案に、二人のやり取りを聞いていたパイトンも、横にいるアグキスも目を点にしていた。話を聞く限りでは、むしろこちらからお願いしたいくらいのなのだが、自分達から滞在しても良いかと許可を求められるとは思っても見なかった。


「急ぐ旅ではないので問題ないですよ。住むところと……滞在費を稼ぎたいので治療のお手伝いをそれの代わりにしていただけると助かります」


「そうだな、住む所と……なんでもいいんで、何か仕事を紹介してもらいたいな。手持ちの物を売れば滞在費を稼げるかもしれんけど、何かしてないと落ち着かないし」


 二人とも、パイトンの言葉に笑いながら答えるのだが、ディアノの言葉にルナが意外そうな視線を向けてきたのが分かった。何を疑問に思っているのだろうかとディアノが考えていると、その疑問の内容をルナは口にした。


「……あれ? ディさんも一緒に滞在していただけるんですか?」


「当たり前だろ。お前……まさか一人で居るつもりだったのかよ……?」


「だってほら、ディさんは漁師さんになりたいんでしょ? ここは海無いですし……」


「それは選択肢の一つってだけで、急いでなりたいわけじゃ無い。今更俺だけ先に行ってどうするんだよ……お前を一人置いていく方が心配だし……変な所で遠慮するなお前……」


 ルナの言葉に心外だと言わんばかりにディアノは大げさに手を広げて見せる。そんな事を言われたディアノにしてみれば、自分はそこまで薄情な男と思われていたのかと少しだけ悲しくなってしまう。

 それはきっとルナなりの気遣いなのだろう。あくまでも残って治療をしてあげたいのは自分なので、ディアノをそれに付き合わせるわけにはいかないと考えた。ディアノにしてみれば、それは余計な気遣いでしかなかったが、気持ちはありがたいと感じていたようでその顔に苦笑を浮かべる。


「お前じゃなくてルーですが……そうですかそうですか、だったらディさんは私が養ってあげますから、おうちでダラダラ寝っ転がりながら私の帰りを待っていてください‼︎」


 途端に笑顔になり胸の前で両拳を握ったルナは、とんでもない事を口にする。唐突なその発言にディアノは焦り、パイトンとアグキスはディアノへと「まさか」と言う疑いの視線を一瞬送る。

 その視線に晒されたディアノは不名誉な称号を付けられる前に慌てて弁明を開始する。


「やめろ! 仕事紹介してって言ってるだろ、俺を最低な人間にしようとするな!! なんでルーはそう突拍子もない事を言い出すんだ!?」


 ディアノの叫びに、パイトンもアグキスも我に返った。そして、ディアノとルナの言葉に二人とも慌てて身を乗り出しながら強い口調で捲し立てる。彼等にしてみれば二人は恩人なのだから、そんなことはさせられないという気持ちが強かった。


「いやいやいや、恩人にそんなことさせられんぞ。治療の手伝いを滞在費とかむしろこちらが貰いすぎじゃ、滞在費などいらんからいくらでも居てくれればいいし、その分の礼も支払うぞ!」


「そうですよ! 私が言うのも烏滸がましいですが……そんなことは気にしないで下さい……。」


 滞在費などいらないという二人の申し出は非常にありがたいのだが、ディアノとルナの二人は、あくまでも自分達はたまたま助けただけで、これからの事を考えると自分達が負担になるのは非常に心苦しく……むしろ自分達に使うお金があるなら女性達の治療に当ててもらいたい気持ちだった。

 だが、それを言うとパイトンもアグキスも余計に礼として滞在費を拒むであろうから、あくまでもディアノは自分のために働きたいという点を強調する。


「そう言うわけにもいかないですよ。それに……ルーが働くのに俺だけ働かないのは精神的に良くないですし、何言われるかわかったもんじゃないですから……」


「前に本で読んだ、働かない男の人を養う女の子ってのをやってみたかったんですけど……誠実なディさん相手だと無理そうですね……」


 ディアノは横目でルナを見ながら働きたい理由を口にし、ルナは頬に手を当てながら先ほどの発言に至った考えを口にしていた。パイトンもアグキスも、実はこの魔族の女の子って相当にヤバい子なんじゃないかと感じ始めていたが、あくまでもそのヤバさは隣のディアノにのみ発揮されているようなので、それ以上の事は突っ込まずにそっとしておくことに決めた。

 パイトンは色々な意味でため息を一つつくと、降参したように両手を上げる。


「お主がそう言うなら……何か考えておこう」


「ヒモ生活を送るディさんも見てみたかったんですけど……残念です……」


「ありがとうございます、よろしくお願いしますパイトンさん」


 とんでもない事を言い出すルナを無視しながら、ディアノはパイトンに礼を言う。無視された形のルナは不満気に口を尖らしてディアノの脇腹をつついていた。

 二人のそのやり取りを見たアグキスが、唐突に吹き出すような笑い声を上げた。何事かと思い三人が驚く中で、アグキスはディアノとルナに優し気な視線を送る。


「君達は仲がいいな。奴らが言ってたが、確か種族の違う幼馴染みなんだっけ? 羨ましいよ……私も、旦那とはそんな感じだったから……」


 幼馴染みと言われたディアノもルナも、一瞬言葉に詰まった。そう言えば、幼馴染みと言う設定で三人に説明をしてすっかり訂正していなかった事をそこで思い出す。

 訂正するタイミングも既に逸しており、ここで訂正しても、じゃあどう言う関係だと聞かれた場合に答えにくいので、二人はその内容で押し通すことにした。


「すいません、アグキスさんの前で……」


 不快な思いをさせてしまったかと思い、ディアノは頭を下げるが、アグキスはそうでは無いと静かに首を横に振る。


「いや、構わないよ。男に恐怖を擦りこまれた私達に、あえて見せてくれてるんだろ? 恐怖感を少しでも和らげて、元の恋人や旦那の所に戻れるように」


「……そこまで大袈裟な事を考えてるわけじゃ無いんですけどね、ディさんの反応が楽しくてついつい……」


 ルナの言葉の前半部分が嘘であった事を感じたディアノは、単に自分が揶揄われていただけじゃ無い事をここに来て気づいた。

 なるほど、効果はあるかどうかわからないが、ルナも色々考えてるんだと感心して……後半部が本当だった事から、そんなに自分の反応が楽しいだろうかと心の中で首を傾げた。


 ルナとアグキスがお互いを見て微笑みあった後、ルナは両の掌を胸の前で軽く合わせて、ポンと言う軽い音を立てた。


「それじゃ、基本方針としては私も治療のお手伝いをさせていただくと言う事で決定ですね。私は医療は専門では無いので、男性のお医者様を紹介してください、できれば口が固い方を」


「あぁ、そこは儂がもっとも信頼しとる医者を紹介させてもらうよ。あやつなら腕も良いし、変な口外もせん」


 既に医者については心当たりがあるのか、パイトンはその顔に凶悪な笑みを浮かべた。まるで物語の悪役の様である。

 表情からは伺えないが、信頼していると言う言葉に嘘はなかったので、ディアノは大丈夫だろうと結論づけることのした。


 そこでふと、先程のアグキスの言葉を思い出す。旦那とはディアノとルナみたいだったと言っていたが……今その被害者の男性達はどう言う状態なのだろうか?

 目に見えていた女性達への対応が決まった所で、少し遅いかもしれないが、ディアノは男性達にも何か対応が必要では無いかと思い至る。


「……先程、アグキスさんは旦那さんについて言及されましたけど……被害者の男性の方達は、今どうなっていますか?」


 その一言はアグキスもルナもパイトンへと視線を送る。特にアグキスは、今まであえて考えない様にしていた事をディアノが言ったからか、非常に緊張した面持ちをしていた。

 パイトンも困った様に眉尻を下げており、ディアノは早まった発言をしたかと胸中で後悔する。


「……それなんじゃがな……悩ましいところでのう。三人とも、付いてきてくれるか?」


 頭をかいたり、腕を組んだり、せわしなく悩むそぶりを見せていたパイトンは、ため息をつきながら立ち上がり、部屋の出口へと向かい歩き出す。

 三人は首を傾げながらもパイトンについて行き、部屋から出ていく。

 しばらく歩いて到着した先は、下が更地になっている広い空間で、そこには十数名の男性が剣を振ったり、走り込んだりして、体を鍛えている姿があった。


「ここは訓練場でな……あぁ、中から見られないように注意しとくれ」


 訓練場の入り口から身を隠すようにしてパイトンは中を伺うので、他の三人もそれに倣う。中を見た瞬間にアグキスは目を見開いて驚いていた。ディアノとルナはその反応を不思議に思いながらも身を隠しながら中を伺う。

 訓練場の中では男性達が訓練をしているようだが……身体が固いというか……どう見ても中にいる人たちは正規の兵士には見えなかった。


「あれは……兵士の方達では無いようですけど……一般人の方ですか?」


 パイトンの顔を見たディアノは、そこにある苦悩に満ちた表情に気付く。そして、訓練する人たちを見つめながら呟いた。


「全員、三人に連れ合いを奪われた奴らじゃ。あの中にはアグキスの婿……つまり、儂の義理の息子もおる」

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