44.聖女はまるで聖女のようだと崇められる

「美しいお嬢さん、私が狼の群れを華麗に蹴散らす様を見ていただければ、きっと私に心変わりをしていただけるでしょう。さぁ、危ないですから顔を出さずに馬車の中に隠れていてください。」


 馬車の外からマアリムに話しかけた自信満々の男は、細い剣を鞘から抜くと胸の前に格好を付けて構える。

 そもそも、隠れていてどうやって蹴散らす様をマアリムに見せつける気なのか疑問だが、その辺は深く考えていないのかもしれない。

 他にも、その男性以外の二名程の男が馬車から下りていく。彼等は乗合馬車に雇われた護衛の人物のようで、それぞれが得物を腕に魔狼に対峙していく。


 そもそも、魔狼は魔物の類ではない。大柄な灰色の狼で、集団での狩りを得意とする動物だ。人間の間で知られている動物と魔物の違いは、魔法を使用できるかどうかの違いでしかない。魔狼は魔法を使っていないため動物として分類されている。

 ではなぜ、普通の動物が魔狼と呼ばれているのかと言うと、彼等が非常に高い戦闘力を有しており、魔物も狩りの対象とすることからだ。

 過去にとある商人が、集団で魔法を避けつつ魔物を狩る狼を発見したことから、彼等をその名で呼ぶそうになったと言われている。


(……彼等でそんな魔狼の群れを退けられるのでしょうか?)


 三人とも自信満々にしているのだが、魔狼の群れと戦えるほどの実力者とは思えない……。そもそも魔狼の群れに三人では少なすぎる。

 そんな群れが出る場所ならば、もっと護衛の数を増やしているはずだと、不思議に思いマアリムが物陰から現れた魔狼を視認すると、魔狼の数はわずか三頭しかいなかった。


 そう言えば、先ほど御者は「魔狼の群れが出た」とは言わず「魔狼」が出たとしか言わなかった。それなのに男が「魔狼の群れ」と呼称したのは……良いところを見せるために話を盛ったのだろう。

 なるほど、確かに隠れていれば群れかどうかわからないし、戦闘が終わってから「魔狼を退けたのでいなくなった」とでも言えば魔狼の数が少なくても不思議ではない。

 仮にバレても三頭でも群れは群れだとでも言い張ることもできる……。何ともセコイ話だと呆れたところで、マアリムは魔狼の様子がおかしい事に気がつく。


 狼は、三頭すべてが手負いだった。二頭はかなりの大柄で、それぞれがオスとメスのように見える。二匹は、その後ろにいる小さな魔狼を庇う様にして馬車の前に立っている。

 身体は傷ついており、ところどころに血の跡が見える。戦闘の後……というよりもこの傷つき方は敗走の後の様にマアリムには見えた。


(……手負いの三匹の狼……これはマズいかもしれませんね)


 護衛達は自信はそれなりにあるのだろう。おそらく、平常時であれば問題なく退けられるか倒せる相手なのかもしれない。

 しかし、あの三頭はおそらく親子だ。子供を庇う親と言うのは時には実力以上の力を発揮する……しかも手負いの獣だ、必死さはかなりのものだろう。

 その必死さに比べて、護衛の三人は魔狼が三頭だけという事で油断しきっている。これでは最悪負けてしまうか、良くても苦戦することは必至だろう。


(仕方ありませんね……)


 一刻も早くディアノの元に追いつきたいマアリムは、ここで時間を取られるのは本意ではない。もしも彼等が負傷して近くの町によって治療をする、護衛が居なくなったので一度出発した町に戻るなどされた場合……非常に困ることになる。

 流石に敗北することは無いと思うが、なるべく時間は掛けたくないマアリムは、一人馬車から外へとゆっくりと降りていく。


「おい待て!! 危ないぞ!!」


 御者の静止する声も聞かずに、柔らかく微笑みながらマアリムは突き進む。護衛役の三人は御者の叫び声に気付くも目の前の魔狼からは目は離さない。

 きっと、我慢できなかった誰かが馬車から逃げ出したのだろうと考え、安心させるためにも早く場を収めようとそれぞれが武器を構える。


 しかし、武器を構えた三人の間をその背後から美しい女性が通り過ぎていく。一瞬何が起こったかわからない三人は、その女性を止める間もなく呆けた顔で見送ってしまう。


「……えっ?! 待ちたまえお嬢さん!! 何を考えているんだ!! 戻るんだ!!」


 いち早く硬直から解けたのは、最初にマアリムに声をかけてきた男だった。しかし、マアリムは首をほんの少しだけ動かして、男に柔らかく微笑みかけながら口を開く。


「大丈夫ですよ……この狼さん達は怪我をしています……きっと私達に害を働く気はありませんよ。そこで見ていてください」


 男達は余裕を見せてさっさと排除を開始しなかった自分達の愚かさを呪った。きっとこの女性はその見た目に相応しく心優しいのだろうが、その行動は今はあまりにも愚かだと三人は考える。

 その優しさは魔狼に対してそれは命とりである。魔狼は気性が非常に荒く、怪我をしているのであればその危険性は通常よりもはるかに高くなり、領域に入った者を容赦なく攻撃してくる。華奢な女性などひとたまりもない。


 その一瞬の思考のうちに、マアリムは魔狼達の攻撃圏内に入ってしまっていた。出遅れたと後悔するのは後だと言わんばかりに、三人はすぐさまマアリムを庇おうとするのだが……三人は同時に信じられない物を見る。


 攻撃圏内に入っているというのに、魔狼が一切の動きを見せていなかったのだ。三匹とも全く動きを見せずに、黙ってマアリムの方を凝視している。

 いったい何が起きているのか理解できない三人は、マアリムの前に出ることも忘れてその行動を呆然と見守る。


 ゆっくりとした足取りでマアリムが魔狼の元へと辿り着くと、その三匹に対して静かに右手を翳す。すると、三匹の魔狼がその場にゆっくりと座る。

 そのうちの大きな二匹は座るだけでは飽き足らずに、仰向けになり自身の腹を見せだした。マアリムがその腹に手を置くと、魔狼達の身体がびくりと震えた。


「……何が……起きてるんだ?」


 それを呟いたのは三人のうちだれなのかはわからないが、全員がその単語を頭に思い浮かべていたのは確かだった。

 魔狼が自らの腹を見せて、ただ待つなどと言うのは今まで見たことが無い事であり、誰も自分の知識や経験にない事態に混乱するばかりだった。


「もう大丈夫ですよ……怪我を治して差し上げますね?」


 魔狼の腹を撫でつつ、その撫でる手に柔らかく温かい回復魔法の光を灯すと、その光が魔狼の三匹を包み込む。気持ちが良いのか、魔狼達は目を細めると、まるで普通の犬の様な鳴き声を上げていた。

 魔狼達を包み込んだ光が消えると、魔狼達はゆっくりと立ち上がり、マアリムを攻撃することなくその手に頬ずりをしたり、一回り小さい魔狼はマアリムの周囲を嬉しそうにくるくると回っていた。


 あの姿を見て、三匹が凶悪な魔物も餌とできる魔狼だと誰も思わないだろう。その光景は、美女に普通の犬が戯れているようにしか見えなかった。


「……これは……奇跡なのか?」


 武器を構えていた護衛の三人は、弛緩したようにだらりと手を下げてその光景を眺めていた。馬車の御者も、何が起きているのかと馬車から顔を出した乗客たちも、凶悪な魔狼と困ったような笑顔で戯れる一人の女性を呆然と見ていた。

 そして、タイミングよく日の光がマアリム達を照らし出し、そこだけがまるで絵画のような光景になっていたのだが、その光もまるで天が女性を祝福しているように見えていた。


 実は……実際にマアリムがやったのは、奇跡でも何でもないただの力技である。まずは、とんでもない量の殺気を魔狼達だけにピンポイントで飛ばして、魔狼達を威嚇をする。

 その後は、笑顔を浮かべながらも魔狼達に視線で「動いたら殺す」と語り掛け、一切の身動きを取れなくした。魔狼がマアリムの方を凝視していたのは怯えからであり、見る人が見れば魔狼が小刻みに震えていることに気がついただろう。


 そして、マアリムに近づかれた魔狼は降伏の証として仰向けになり自身の腹を見せる。せめて子供は助けて欲しいと、マアリムにすがるような視線を送るのだが、お腹に手を乗せられてもう駄目だと身体を大きく身震いさせる。

 誇り高い魔狼である自分達の最後がこんなに情けないとはと……魔狼達が考えた瞬間、自分達の身体が暖かな光で包まれる。気がつくと、魔狼達の身体からは痛みがすっかり消えていた。

 自分以外の二匹も同じように怪我が治っており、子供はすっかりと元気になっていることが分かった。


 思わず魔狼はマアリムを見ると、そこには先ほどまでの殺気が嘘の様に慈愛に満ちた笑顔が浮かべられている。自分達はこの女性に救われたのだと、魔狼達は理解すると、立ち上がりその女性の手に頭を垂れて、服従するように自身の頭を擦り付ける。

 何故自分達が助けられたのかは魔狼達は分からない。しかし、確実に殺されると思ったのが一転、暖かい魔法で救われたことから、魔狼達が自身よりもはるか格上のマアリムを己の主人として認めた。それゆえに、彼女の手に頭を擦り付けていた。


 その時に太陽の光がちょうどよくマアリムを照らしたのは完全に偶然で、たまたま雲の切れ間がそこにあったというだけなのだが……幸か不幸かそれは非常に神秘的にも見える光景を作り出していた。


 もちろん周囲はそんな偶然や、実は物騒なやり取りがされているなど夢にも思わず、ただ「心優しい女性の気持ちが凶悪な魔狼に届き、魔狼がまるで犬の様に大人しくなった」と言う光景にしか見えていなかった。その、奇跡のような光景に涙を流す人たちもいる。


 マアリムの行動は別に完全に善意からの行動ではなく、魔狼を治したのは治療すればここからいなくなり、魔狼と護衛の戦い自体が無くなり、さっさと先に進めるだろうと個人的な理由から起こしたものだったのだが……その内心は周囲の人間どころか、当の魔狼すら気づくことは無かった。


 ただ、その光景を見た乗客の一人が小さく呟いた。「まるでお伽噺の聖女様のようだ」と……。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「申し訳ございません!! 貴女のようなお方に軽率に声をかけてしまい、あまつさえ馴れ馴れしく自分に乗り換えろなど分不相応な事を……この失礼は百回お詫びしてもしたりません!!」


 出発する前の乗合馬車のすぐそばで、男性が一人土下座していた。

 土下座をしている相手はマアリムであり、土下座をしている男性は先ほどまでマアリムをナンパしてきていた男性であり、キザったらしい態度とはうって変わって自身の服が汚れることも厭わずに土下座で謝罪してきていた。


「……顔を上げてください。私は特に気にしておりませんから。」


 マアリムとしてはさっさと出発してしまいたいので、そんな謝罪をさっさと切り上げて馬車に乗りたいのだが、男性は頭を上げることなく謝罪し続けている。

 溜息をつくマアリムの周囲には、すっかり懐いたように見える、実際にはマアリムに絶対服従を誓った魔狼達が、男に対して低い唸り声を上げていた。

 マアリムはそんな魔狼達を優しく制すると、魔狼達は素直に唸り声を止めて一歩後ろに下がった。


「いいえ……許していただけるまで顔を上げるわけにはいきません……僕は自分が恥ずかしい……過去の志を忘れ、ただただ女性を追いかける日々を今は恥じているのです……僕はかつての理想を貴方の聖女のような姿を見て思い出したのです」


 聖女と言う言葉が出てきて、マアリムは身体がびくりと震えるのを必死に堪えた。別にばれたわけでは無く、あくまでも比喩表現なのだろうが、そう言われるのは少しだけ焦ってしまう。その焦りが魔狼に届いたのか、再び魔狼はマアリムの前に進み出て、彼女を守る様に立ちふさがる。

 自分を守るようにしてくれた魔狼へと微笑みかけたマアリムは、その背を優しく撫でると、その魔狼に短く礼を言う。それこら男に対しても微笑みながら口を開く。


「……気にしていませんから、当然貴方の事も許しますよ。私は聖女などではありませんが、私の行動が貴方の心の助けになったのなら、これほど喜ばしい事はありません」


 その言葉を受けて、男はガバリと勢い良く顔を上げると、その瞳からは涙が溢れていた。


「ありがとうございます……ありがとうございます。僕は今日から……生まれ変わります」


 そのまま、男性は馬車の中へと何度も頭を下げて戻って行こうとした。その前に、マアリムは少し気になったことを聞くことにした。


「あの……なんで私を聖女だと思ったんですか?」


 その言葉に、涙を流していた男は涙を拭きながら、思い出すような仕草をしつつ笑顔で答える。


「僕の故郷の口伝では、聖女様は動物や魔物とも心を交わし、全ての種族を平和へと導いたとの伝説があるんです。まぁ、地方の伝承なのであまり一般的ではありませんが」


 そう言うと、また頭を下げながら馬車に入りその姿は見えなくなる。初耳の伝承に、自身の腕輪と魔狼を交互に見るが、今回は特に意思を疎通できたという感覚は無かった。

 いつか自分もそのようなことができるのだろうかと、魔狼の方を見ると、三匹はそれぞれが一回だけ力強く吠えた。

 まぁ、問題は無いかと自分も馬車へと乗ろうとしたところで……魔狼達がマアリムの後ろを付いてきているのに気がつく。


「……貴方達……私に構わず行っても良いのよ? あ、身を護る以外では人は襲わないようにしてくれると……」


 魔狼達にそのように告げると、三匹は悲しそうに頭を下げて、まるで見捨てられた子犬のような鳴き声を三匹そろえて上げてくる。その姿には、先ほどまで震えあがっていた他の乗客たちもどこか罪悪感を持ってしまう。それくらい、悲痛な鳴き声だった。

 困ったように一度マアリムは馬車から下りると、三匹を優しく撫でまわす。そして子供に言い聞かせるように優しく語り掛ける。


「貴方達は群れで生きる狼でしょう? 私と一緒に来たら、もう群れでは生きられませんよ? それに乗客の方達だって……」


 撫でるマアリムの頬に顔を擦り付け、三匹はなおも悲し気な鳴き声を上げる。早く先に進みたいのだが、流石にここで魔狼達を無理矢理引き離すこともできずマアリムが困っていると、助け舟は馬車の方から聞こえてきた。


「良いじゃないですか、お客さん。まだ馬車にも空きがあるし、そいつらはあんたに懐いているみたいだ。それに、馬車に乗っている間は魔狼も護衛に加わってくれるなら心強いですよ」


 御者がそんなことを言い出した。その言葉に続いて、馬車の中の人達も次々にマアリムが良いなら一緒に連れてってあげればと口々に言ってくる。先ほどまで怖がっていたというのに、酷い掌返しだとマアリムは内心でため息を吐く。

 ちらりと魔狼達を見ると、見捨てられることを恐れるかのようなつぶらな瞳でこちらを見てきている。確かにこの姿だけを見れば普通の犬とそう変わりない。


(……まぁ、一緒に居れば変な男避けになりますかね?)


 先ほどのナンパを思い出し、この三匹と一緒に居れば変な男であれば近づいては来ないだろう。灰色の大きな狼など魔狼以外にあり得ない。

 町にどうやって入るかという問題は残るが……たまに子供の頃から魔物を育てて使役する人もいると聞いたことがあるので、そういう方向で話を作ることにした。


「貴方達……一緒に来ますか? 絶対に、普通の人に襲い掛かっちゃダメですよ?」


 わかっているのかいないのか、三匹の魔狼は嬉しそうに力強く鳴いて返事をする。それから尻尾を全力で振りながら、小さな子供がマアリムと一緒に馬車に入り、大きな二匹は馬を守る様に馬車の両サイドに陣取る。

 頭が良い事は分かっていたが、自分達の役割がよくわかっていると笑いながら小さな魔狼を膝の上に乗せて撫でると、魔狼はのんきに気持ちよさそうにしていた。


 馬車に乗っている人達も、魔狼のその可愛らしい姿を見て食べ物を上げたり、マアリムをまるで聖女のようだったと、先ほどとはうって変わって色々と話しかけてきた。

 逆に、ナンパしてきた男はそれ以降はマアリムに近づくことはせずに、ただ馬車の皆を静かに見守っていた。

 マアリムは最初はその対応に困惑したが、皆が悪意なく接してくれているのが分かったので、邪険にもできずに当たり障りなく応対する。


「しかし……魔狼は帝国領と魔王領の間の森を主な生息地としているはずなのに……こいつらはいったいどうしたんでしょうな?」


 馬車の乗客の一人が何の気なしに呟いたその言葉は、マアリムの耳にやけに残ることとなる。


「魔狼さん……貴方達、どうしてそんな遠いところからここにきたのかしら?」


 膝の上の魔狼を撫でながら、マアリムは尋ねるが返答はあるはずもなく。ただ魔狼は気持ち良さそうに眠っている。

 別に特別な一言では無いのだが、この魔狼達が来たという森が、マアリムは何故だか妙に気になるのだった。

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