第四章「元勇者と元魔王と現聖女」

43.僧侶改め聖女はナンパされる

 ガタゴトと揺れる乗合馬車の中に、酷く不釣り合いな女性が一人……どこか物憂げな表情をその顔に浮かべて乗車していた。

 普通の平民とは異なるようなその美貌と、男の情欲を刺激するような肉付きの良い身体は、ゆったりとした服を着ていても隠し切れていない。むしろ、ゆったりとした服を着ているからこそ、時折伸びなどをして身体を動かす際に見せる、服が体に張り付いてその身体を強調する。その光景に、男達だけではなく女性陣も釘付けとなっていた。

 当の本人は周囲からそのように見られているとは気がついていない。むしろ、自身は目立っていないなどと誤解している始末だった。


(僧侶としての服ではなく格好も普通の町娘風にしましたし、髪も地味になる様にアップにしています。髪を纏める装飾品も華美なものではありませんし……。これなら、目立たずにディアノ様の元まで行けますわね)


 僧侶……改め聖女となったマアリムは、自身の容姿が服装や髪形などとは関係なく、とにかく目立つという事を知らない。それは知らないというよりは、無頓着であるという方が正確な表現だった。

 元々が聖職者と言う事もあり、見た目よりもむしろ内面を磨くことに重きを置いた生活をしていたという事もあるのだが……旅に出てからは、そもそもディアノ以外の男性にどう見られようとも、どうでもいいと考えるようになっていた。


 もちろん当時は、魔王を倒す旅の最中なので露骨にアピールする事はしなかったのだが、ほんの少しだけ化粧をしたり、髪型を変えてみたりと、小さな変化をしてディアノの前に立つようになっていた。

 実際には先に気がつくのが、ガサツなようで意外と周囲を見ているクイロンであったという事は気にいらないのだが、彼のおかげで勇者が必ずと言っていいほど褒めてくれていたので、そこは素直に彼に対して感謝していた。

 だいたいが「似合っているね」とか「そう言うのも良いね」とかそう言うやんわりとした誉め言葉で、ついぞ「可愛い」と言ってもらえなかったのがマアリムの唯一の不満点ではあるのだが……。


 それは、可愛いと言ってしまうのが、当時の婚約者であった王女様に対して不義理になるのではないかとディアノが考えていたためであり、マアリムの事を可愛いと思っていなかったわけでは決してなかった。

 無かったのだが……結局、彼はマアリムの事を可愛いということなく彼女の前から姿を消した。


 そんな彼が「可愛い」と明確に口にしたのは、魔王の姿に対して言及した時が初めてだった。


(……違和感はもっと前からあったのに……私は何もできませんでしたね……一回くらい、可愛いって言ってほしかったな……)


 当時を思い出してため息をつくマアリムに、周囲の人間も感嘆の声を漏らす。その姿から、きっとどこかのお忍び貴族か何かが気まぐれに旅行しているのだろうと、周囲は特に彼女には声をかけることは無かった。

 どこに監視の目があるか分かったものでも無いし、下手にトラブルを起こすくらいならば乗合馬車の旅の最中での良い目の保養だと、周囲の誰もが彼女の事を静かに見守っていた。


 ……そのはずだったのだが、どんな場面でも場の空気を読まない、遠慮をしない人間と言うのは存在する。それはこの乗合馬車の中でも例外では無い様で、ため息をついていたマアリムの隣へと腰を掛ける男の姿があった。


「やぁ、美しいお嬢さん。どうしたんですか、ため息など吐かれて? 貴方のような美しい方にそのような表情は似合いませんよ? 宜しければ、この僕に話を聞かせていただけませんか?」


 わざわざ一度高く、大きく上げてから足を組み、キザったらしい台詞と共に片目を瞑りウィンクをしながらその男はマアリムに話しかける。歯をキラリと光らせていかにも女性慣れしたようなその対応に、周囲が余計な事をと顔を顰めるのだが、しかし、マアリムから帰ってきたのは沈黙だった。

 完全に無視された形の男の笑顔は引きつったものとなり、周囲からは失笑が漏れる。それでも、男はめげずに再度マアリムに話しかける。


「魅力的な美しいお嬢さん、照れていらっしゃるのですかな? 照れることはありませんよ、僕は貴方のような美しい女性が悲しい顔をしているのが放っておけないだけなのです。危険な男ではありませんよ?」


 自分で自分を危険ではないという男ほど胡散臭いものは無いのだが……しかし、再度帰ってきたのは沈黙である。

 声をかけた男性は顔を赤くして震えており、周囲はそんな男性の様子を見て笑いをこらえて顔を赤くしていた。マアリムに対して声をかけた不躾な男を止めに入ろうとした人も、その完全な無視に浮かした腰を中途半端な状態で止めていた。

 それでも男はめげずに三度声をかける。あくまでも声を荒げず、態度は紳士的なままであるため、ここまで来ると周囲の人間もこの男のガッツを褒めてやりたい気分になってくる。


「髪をアップにされた非常に魅力的な美しいお嬢さん……そこまで照れずとも良いのですよ。僕は、全ての女性には幸せな顔をしていただきたいのですよ。なぜそのような悲し気な顔をされているのか、良ければ聞かせていただけませんか?」


 三回目で、マアリムの態度に変化が現れた。ただし、マアリムは男の声には即座に反応せず、周囲を見回すと自身の隣に来た男に視線を送り、小首を傾げながら疑問を口にした。


「……もしかして、私に話しかけておりましたか?」


 完全に男の事を眼中に入れてなかった発言であったため、周囲の一部からは堪えきれずに吹き出す者も現れるのだが、当の男は反応してくれたのが嬉しいのか満面の笑みをマアリムへと向けた。


「えぇ、そうです。貴女の事です、美しいお嬢さん。なぜそんなに悲しい顔をされていたのか、教えていただけますでしょうか? 願わくば、僕にその悲しみを吹き飛ばす役割を担わせていただければ……」


 大仰な仕草を交えながら歯の浮くような台詞を男は口にする。しかし、その台詞を言われた当のマアリムはピンと来ていないような表情を男に返している。何故なら、マアリムは自身は地味な服装をした町娘としてこの乗合馬車に乗っており、美しいと声をかけられることなど想定していなかったからだ。

 だから、最初に二回ほど声をかけられた時も自身ではなく別な誰かに声をかけているのだろうと考えていたので、特に反応を示していなかった。三回目で反応を示したのは、髪をアップにした女性が自分しかいなかったからだ。


(……何か目立つ行動をしてしまったのでしょうか。これからはもっと注意しなけれなりませんわね)


 別にマアリムが何かをしてしまったわけでは無く、この男はマアリムがため息をついたことをきっかけに話しかけただけで、普通に彼女をナンパしているだけなのだが、今の自分がナンパされているとは露ほども思っていないマアリムはその可能性を頭から完全に排除していた。

 マアリムはディアノ以外の男には基本的に興味はないが、別に男が嫌いというわけでも無い。ここで邪険にするのも悪目立ちしそうだと考えた彼女は、話しかけられ反応してしまったのならばと、仕方なしにこの男と少し話をすることにした。


「私、そんなに悲しそうな顔をしておりましたか?」


「えぇ、憂いを帯びた表情と瞳も非常に美しいものでしたが……やはり女性には笑顔が一番だと思うのです……僕にそのお手伝いをさせていただきたいのですが、宜しいですか?」


 美しいと言われても、マアリムの心は些かも動くことは無かった。勇者以外に言われてもただの言葉だという程度にしか思わず、完全にマアリムの心象風景は凪だった。

 やはりそう言う言葉はディアノに言われたいなと考えながら、そこでマアリムは、ディアノが誰かに「美しい」と言った場面を見たことが無いのを思い出す。可愛いは聞いたことがあるが、美しいは無いのだ。

 その事に気付かせてくれた目の前の男性に感謝を送りつつ、マアリムは当たり障りのない答えを返していく。


「特に悲しい事は無いのですが……陰気に見えてしまったら申し訳ございません。むしろ私、恋人に会いに行く途中なので、この上なく今は楽しみな旅の途中なのですが……」


 恋人と言う言葉に周囲の男性からは一斉にため息が漏れる。やはりこのような美人には恋人がいるのかと、別に自身にチャンスがあるわけでも無いのに無駄に落ち込んでしまう。

 実際には、恋人に会いに行くというのは真っ赤な嘘であり、むしろ見ようによっては一度フラれた男を追いかけて旅しているという状況なのだが、そこまで詳しく言うつもりは無くマアリムは笑顔を男性に向ける。


 しかし、恋人に会うという事を言ったにもかかわらず男はめげずにマアリムに話しかけてくる。周囲からはそろそろやめておけと言う視線が男に送られるのだが、男はその視線に気づいていないのか、気づいていて構っていないのか、べらべらと喋り続けている。


「貴女のような美しい方の恋人とは実に羨ましい……しかし、どのような男なのですかな? 普通であればあなたのような麗しい女性を迎えに出るのが男の役目では? 僕であればそのような寂しい思いを貴方にさせませんよ……どうですか? そんな情けない男なんて忘れて僕と一緒に……」


 男が、声を発することができたのはそこまでだった。


 途端に、乗合馬車の温度が酷く下がったような錯覚を乗客の全員が覚える。それと同時に乗合馬車を引いていた馬が一時的に立ち止まり悲鳴のような鳴き声を上げていた。御者が走れと促しても走ることはせず、かと言って暴走して暴れることもせずに立往生してしまう。

 周囲に止まっていたであろう鳥が、まるでこの場から逃げ出しているかのように一斉に羽ばたき、乗客は身体に感じる寒気からか、小刻みに震えだした。


 それが、マアリムが男に対して発している殺気だと考えられるものは一人もいなかった。


(……ディアノ様を情けない……と言いましたのこの人?)


 別に男も他意があったわけでは無く、単なるナンパの常套句として相手の男を貶めるようなことを言っただけだったのだが、その一言がマアリムの逆鱗に触れる。

 マアリムの中で誰よりも勇者として相応しく、優しく強く、その優しさのために自分達の前から姿を消してしまった人の事を悪し様に言われ、彼女が怒らないわけがなかった。


「……ななななななんだか、きききき急に寒くなって来たね? お嬢さんは大丈夫ですか? 良ければ僕の上着をお貸しいたしますが?」


 そこではじめて、周囲の乗客が震えていることにマアリムは気づいた。

 無意識に殺気を発した自分の未熟を恥じるとともに、この男性も、この状態でこちらを気遣うという事はそこまで悪い人間では無いのだろうと判断して、マアリムは自身が発していた殺気を引っ込める。


 途端に、周囲の乗客の身体の震えは止まり、馬は再びゆっくりと歩きだす。御者は何故馬が止まったのか首を傾げるのだが、再び歩き出したことから大したことは無いと判断し、念のために町に着いたらマッサージでもしてやろうと考えていた。

 乗客も、唐突に収まった身体の震えを不思議がるのだが、その原因を目の前にいるマアリムとは結び付けることができずに首を傾げるばかりだった。


「どうやら、寒気は収まったみたいですね」


「あ……あぁ、そうだね。お嬢さんは大丈夫だったかな? 良ければ僕の胸で温め……」


「いいえ、結構ですわ。それに、私の恋人は事情があって遠いところに居ますので、私から会いに行っているんですよ。彼の手を煩わせないようにするのも、恋人の役目だと考えてますので。あまり悪く言われてしまうと、私怒ってしまいます」


 明確に拒否された男は顔を引きつらせる。ここまで女性から拒否された経験がそう多くないのかもしれないが、ここまで言われては流石にグイグイと行くこともできずに、諦めたように肩を竦めた。


「貴女のような美しい女性になら怒られても本望と言うものですが……僕の言葉が貴女と貴女の恋人を侮辱していたようですね、謝罪いたしましょう。申し訳ありませんでした。ですが、もしも心変わりしたなら僕はいつでも歓迎いたしますよ」


 マアリムはとっくに怒っていて、その怒った結果が先ほどの殺気だという事には気づかずに、性懲りもなく口説く台詞を置いてから彼女から離れて行った。

 心変わりすることはあり得ないのだが、社交辞令としてマアリムは「えぇ」と一言だけ言って、自分から離れていく男を見送った。


 周囲の人間は……特に男たちは、止められなかった罪悪感と、男のアプローチを躱したマアリムの姿から、自身が話しかけるのは無謀だと考えて遠くから愛でるという選択を改めて取る。

 それからしばらくは特に誰かがマアリムに話しかけることも無く、静かに馬車の旅が続いたのだが……唐突にその静寂が御者の叫び声で破られた。


「!?……なんてこった……大変だ!! 魔狼が出やがった!! 戦闘できないやつは隠れていてくれ!! お前ら、出番だぞ!」


 馬車は急停車し、乗車はその衝撃に倒れ込みそうになる。そして、御者の叫び声を聞いた馬車の乗客は、突然のトラブルに遭ってしまった恐怖から、お互いの身を寄せ合い震えていた。


 そんな馬車内で立ち上がる男が数名ほどいた。彼等が先程御者が出番だと言った者達だろう。

 彼等は突然現れた魔狼を迎え撃つため、それぞれが颯爽と馬車から飛び出し行く。その中には、先ほどマアリムに声をかけてきた男の姿もあった。

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