36.勇者は激怒する
俺達が入った地下室は、想像していたよりも悍ましい空間だった。まるでどこかの高級宿のような整えられた空間になっているのだが、そこには大量の檻があり、その中には女性達が捉えられている。
女性たちは一人も薄汚れておらず、清潔な衣服に身を包んではいるのだが、その首には痛々しい首輪が取り付けられている。
「……悪趣味ですね……清潔にしている所が逆に不快さを倍増させます」
「あぁ……そうだな」
俺はルーの言葉に静かに頷く。周囲を見回してもリルとトゥールの姿は見えない。彼女達は俺達が入ってきても騒ぐ様子はなく、ただじっとこちらを見てきているだけだった。助けを求めることもしてこない。
……何をどうすれば人がこんな風になってしまうんだろうか? 当たって欲しくない想像が酷い方向で的中してしまった。まず彼女達を助けるにも、あいつらを押さえておかないと……。
そして、あいつらを探そうとこの部屋の奥に移動しようとしたところで、俺達は不意に檻の中から声をかけられた。その声はか細く、今にも消え入りそうな声だった。
「……貴方達……今すぐ逃げなさい……なぜここにいるのか知らないけど……あいつらが戻って来ないうちに……」
そこにいたのは、ヒラヒラとしたドレスのような衣装を着せられている獣人の女性だった。彼女は他の捉えられている女性よりほんの少しだけ目に光があるのだが、それでも憔悴しきった様子は隠しきれていない。檻の中で立ち上がることは無く、座り込んだ状態で顔だけを俺達に向けてきている。
そんな状態で助けを求めるのではなく、俺達に逃げろと言って来た。この状況で他者を気遣えるこの人を、俺は強く助けたいと思った。
「……君たちも一緒に逃げないか?」
「私達ならきっと、みなさんを助けられますよ」
憔悴している様子の女性に、気休めでも少しは希望になればとそんな言葉を口にする。ここに来たのは偶然で、特に彼女達を助けに来たわけでは無いのだが、それでもこんな姿を見せられて助けないという選択肢は俺には無い。それはルーの方も同じようで、ルーは笑顔で檻の中を励ますように微笑む。
しかし女性は頭を振りつつ、絶望的な声色で今にも泣くのを堪えるように改めて俺達に忠告してきた。その身体は小刻みに震えており、自分自身の身体を抱くように腕を回す。
「無理よ……あいつらには勝てないわ……これ以上犠牲者が増える前に貴方達だけでも逃げて……」
……獣人と言えば身体能力は人間よりも上のはずだ。あの三人の強さは分からないが、獣人がここまで怯えるとは、結構強いのか?……まぁ、魔王より強いとは思えないけど……それでも油断は禁物だな。
戦いは何が起こるかわからない。俺は改めて気を引き締める。ルーの方は何かを考え込むように腕を組んで口元に手を当てていた。
震えている女性を見て俺は、思わず格子の間から彼女に対して手を伸ばそうとしてしまった。それが何を起こすのかわからず、正直に言って失態だった。
彼女は俺の手を見た瞬間、その顔が恐怖に染まり、座り込んだままで檻の中で俺の手から逃れるように後ろに勢いよく下がっていく。
「……ごめん、怖がらせちゃったか」
手を引っ込めた俺は少しだけ悲しい気分になるが、確かに助けに来たと言っても信用はできないよな。俺も人間だし、あいつらと同じだと思われても仕方がない。そんな風に自責の念に駆られていたところで、ディは俺へと声をかけてくる。
「ディさん、たぶんディさんがと言うよりも、男性全体が怖い状態になってるんだと思います。……あいつら……本当に許せませんね……父みたいです」
ルーは口調こそ静かだが、相当に怒っているようだ。俺もその言葉を聞いてショックを受ける。……こんな状態になるまで、いったい何をしたって言うんだあいつらは?
俺はそのまま女性に謝罪のために頭を下げると、そのまま奥に進んだ。女性は怯えながらも俺達に心配そうな視線を送ってくれている。……絶対に助けたいな。
地下室はかなり広く、捕まっている女性は十数名程だった。獣人族や人族の女性ばかりが捕まっていた。その目には一様に光が無いのだが、皆……俺達に恐れと心配が混在した視線を送ってきている。
その中に……魔族の女性は見受けられなかった。だからあいつら、ルーに目をつけたのか?こんなに女性だけ集めて何をしようとしているのか……。
そのまま俺達は物陰に隠れるように移動をしつつ、一番奥の空間へと移動したのだが……物陰から見えるそこでは、地獄のような光景が広がっていた。
トゥールが猫の獣人を笑いながら凌辱している。トゥールは上半身の衣服だけを脱ぎ、その手にはこの屋敷に着いたときにルーに見せてもらったと同じ、呪いの道具が握られていた。
猫の獣人は泣き叫びながら許しを請うのだが、その悲鳴を聞くたびにトゥールはますます笑い声を大きくする。
リルは何の獣人かは不明だが、立派な角を生やした獣人の女性と戦っている。……いや、あれは戦いになっていない。ただ、一方的にリルが獣人をいたぶっているだけだ。
薄ら笑いを浮かべながら、剣を持った相手を拳だけで殴り倒している。負けを認めてもリルは許さず、何か耳元でぼそぼそと言ったかと思うと、獣人は悔し気に立ち上がり再びリルに挑んでいた。
俺はその光景を見た瞬間に、一気に頭に血が上る感覚を覚えた。気づけば、ルーの止める声も聞かずに物陰から飛び出して、二人に向けて声を張り上げていた。
「お前等ぁ!! 何を……何をしているんだッ?!」
二人は驚いたように手を止めて、目を丸くして俺を凝視してくる。俺は怒りを込めた目で二人を見るが、二人は驚いた後にニヤニヤとしたいやらしい笑みをその顔に浮かべた。
少し遅れて、ルーが仕方ないとばかりに俺の後から物陰から出てきた。俺に近づいてきて「気持ちはわかりますけど……」と小声でささやいてくる。……色々と申し訳ない。
「なんだよ、なんでディがここにいるんだ? 俺に会いに来てくれたのかい?」
「あれー? なんでルーちゃんがここにいるのさ? 地下室に入っちゃダメって、僕言ったよね?」
先ほどまでの凶行が嘘の様に、二人は俺達の前で見せていた姿で笑顔を浮かべていた。それは、一緒に食事をしていた時と同じ笑顔だ。なんでこんな状況でそんな顔ができるんだこいつらは?
「……リル……お前……」
「……気安くルーちゃんとか呼ばないでくれませんか? このクズ野郎」
俺もルーも不快感を隠そうともせずに二人に侮蔑の視線を送る。特にルーの怒りは顕著で、最後の言葉は今まで聞いたこともないほどに怒りに満ちていた。
しかし、トゥールは不思議そうな表情を浮かべ、まるでおちょくる様に顔だけでなく腰まで曲げて疑問を口にする。
「あれ? 怒ってるの? 僕、嫌われるようなことしたかなぁ? あぁ、この地下室の事かい? この娘達は僕らのペットだよ。ちょっと良い事があって興奮しちゃってさ、眠れなさそうだからペットで遊んでたんだ。でも安心して、ルーちゃんは僕のお嫁さんにするから、ペットみたいな扱いはしないよ」
「トゥール、お前バカかよ。この光景見て怒んない女とかいないわけないだろ。そう言う怒ったやつらを倒すのが楽しいんじゃねえか」
げらげらと下品に笑いながらリルはトゥールを揶揄する。トゥールは馬鹿と言われたのが面白くないのか、頬を膨らませて憮然とした表情を浮かべている。
凌辱されていた獣人、戦わされていた獣人はそれぞれ気絶してしまったのか動かなくなっていた。その姿を見て、俺はさらに怒りが心の底から込み上げてくるのがわかった。
「お前等、何が目的でこんなことやってるんだ?」
「目的? 目的は……ニエトのやつから聞いてくれよ。俺等は基本的に説明が下手糞だからな、天才タイプってそんなもんだろ。まぁでも……俺等は世のため人のためじゃなく、俺等のためにやってるんだけどな。自分のための行動ってのは、誰しもやることだろ?」
自分のため……自分のためならこんな残酷なことができるのか? 俺にはとてもできない。こいつらの言っていることが少しも理解できない。まるで人間以外の別の生き物が俺の目の前にいるかのようだ。
俺の顔が面白いのか、リルはニヤニヤと笑いながら俺を挑発してくる。ただ、あからさまな挑発だと逆に冷静になれたので、俺は今すぐに飛び掛かるような真似はしなかった。
「ニエトに怒られるかもしれないけど、見られちゃったなら仕方ないよね。んじゃ僕はルーちゃんを相手にするからさ、リルはそっちの幼馴染君の相手をお願いね」
「当たり前だ、逆にディに手を出したら承知しねえぞトゥール。二対二でちょうどいいじゃねえか」
二人はそのまま俺達に向かって来ようとするのだが、その行動は直後に聞こえてきた声に制止される。
「二人とも、落ち着いてください。まずは目的を達成するのが先決です。ここは三対二で確実に行きましょう」
俺達は後ろから聞こえてきた声に振り向くと、そこにはニエトが立っていた。ルーも地下室に入った後は監視の魔法を使用していなかったので、こいつがここに来ていたことに気がつかなかった。
……失敗したな。俺は首だけを動かしてニエトの方へと視線を送る。
「バレてたか……」
「地下室の扉には仕掛けをしてましてね。特定の手順を踏まなければ私達の部屋や研究室で分かるようになっているんです。元々はペットが逃げないようにするための仕掛けなんですが……まさか侵入されるとは思っていませんでした」
にこやかに笑うニエトはその手に杖を持っており、すでに臨戦態勢を整えている。挟み撃ちの形になってしまい、俺は内心で舌打ちした。
「……ルー、ニエトの方は任せても良いか?」
「……構いませんけど、ディさんはどうするんです?」
「俺はこの二人を相手にする。最初は俺だけでやろうと思ってたんだけどな。ほんとはお前を戦わせたくないけど……流石に挟まれていたらそうも言ってられない。頼めるか?」
「……一人で戦おうとしていたことについては、後でお説教しますからね。むしろ任せてください」
「お手柔らかに頼むよ」
そうして俺達はそれぞれの敵に向かっていこうとしたところで……ルーがその直前に小声で一つだけ注文を付けてきた。
「そうそう、ディさん。ひとつお願いが……彼等は殺さないでおいてくださいね?」
先ほどまでのルーの怒りを見ると、むしろ逆に殺そうとするんじゃないかと疑問を感じたが、俺はそれに無言で首肯すると、リルとトゥールに相対する。
「おいおい、一人で俺等を相手にするって……舐めすぎじゃねえか?」
「えー、ルーちゃんを色々したかったのに……。まぁ、幼馴染君をサクッと倒してルーちゃんに行けばいいか。リルもそれでいいでしょ?」
「ちっ……まぁ、この場は仕方ねえか。それでいいぜ。不本意だけど、殺さないでペットにして、また後で改めて楽しめばいい」
「僕、男のペットって嫌だなぁ……」
ペラペラと緊張感無く喋る二人相手に、俺は剣を抜いて構える。俺の後ろではルーが、全身に魔力を巡らせていくのが分かった。
トゥールは上半身は裸のままだが、下半身の衣服は先ほどと一切変りがないため腰のナイフは帯刀したままだった。トゥールはナイフを四本引き抜くと投擲しようとしているのか振りかぶる。
リルは両拳を頬の横まで上げた状態で構えると、ステップを踏むように身体を上下に揺らしている。その拳には何も持っていないが、両腕には何か手甲のようなものを身に着けていた。
俺とルーは今日、お互いに戦ってかなり消耗した。ほんの少し休憩を取れたことと食事を取れたことからある程度は回復しているが、体力も魔力も全快とは程遠い。……それでも、俺は背中のルーに頼もしさを感じている。
今なら相手が誰であろうと、負ける気がしなかった。
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