第三章「魔王の遺産と元魔王の決意」

31.二人は将来の夢を語る

 二人がお互いの呼び名を考えてから一時間ほどが経過した。相も変わらずディアノはルナをおぶって歩いており、彼女は一切自分で歩こうとはしていなかった。

 背中の柔らかな感触を楽しみつつも、もうこいつはおんぶ魔王と言う新たな魔王の種類なんじゃないかとか益体も無い事を考えていると、背後から声が聞こえてきた。


「ねぇねぇ、ディさんディさん」


「なんだ、ルー……というか別にさん付けじゃなくって、ディって呼び捨てで良いんだけど」


「まぁまぁ、良いじゃないですか」


 呼び捨てでいいと言われてもルナの方には呼び捨てにする気は毛頭なかった。敬称付けであるさん付けに慣れさせていけば、何れ「ちゃん」付け程度であれば呼ぶ事を了承してもらえるのではないかと考え、ディアノの事をさん付けで呼び続けることを決心していた。

 そんなルナの考えは筒抜けであり、ディアノの方もどういう呼ばれ方をしようと「ちゃん」付けで呼ぶ事は了承しないと決心していた。


 この意味があるのかわからない攻防がどうなるのかは誰にもわからないが、きっとどこまでいっても平行線でお互いに先に折れる気は毛頭ないのだろう。

 ディアノは呼び方に突っ込んだためにそこで会話がいったん途切れたことに気付き、ルナに先を話すように促す。ルナはディアノの背中に預けるようにして横顔をくっ付けて続きを話す。


「名前を呼んでみただけーとか、そういういかにも浮かれた話ではなくてですね。いえね、私達ってこれからどうしましょうかね? 旅の目的とか決めても良いと思うんですよ」


「旅の目的かぁ……まぁ……勢いで来ちゃったようなものだからなぁ……」


「私なんて死ぬつもりでしたからねぇ。ノープランですよねぇ、お互いに。はっはっはー」


 笑えないことを朗らかに笑いながら話すルナに、ディアノは引きつった笑みを浮かべる。今はもう死ぬつもりがないために言える言葉だと思うので、そこは素直に良かったと考えていた。


「目的……目的ねぇ」


 改めて言われると、特にその辺りは何も考えていなかった自分に気付かされた。確かに今の自分には目的らしい目的がない……今まで魔王を倒すという目的を持って旅をしてきたのだから、それが無くなって唐突にさぁ次はと言われても何も思い浮かばないのだ。

 それに、旅が終わった時の目的は王女様との結婚だったし、こういう風に全てを放って逃げること自体が目的だと思っていたが、これは手段であって目的ではなかった。

 ……そうなると、特に目的なんかなくても良いんじゃないかと思い始めてくる。前は目的があったからこそ、今回はあえて無目的に旅を続けるというのも良いんじゃないかと。


「別に目的なんかなくても良いんじゃないか? ダラダラ旅をしていけば」


「えー?」


 ディアノのその回答がお気に召さなかったのか、露骨に不満気な声をルナは漏らす。どうやら、何か気の利いた答えを期待していたようなのだが、ディアノは自分にそんなことを期待しないで欲しいと内心で毒づいた。そんな反応をするディアノに対し、口を尖らせたルナは不満げに漏らす。


「やっぱり目的……というか将来の夢みたいなのは必要だと思うんですよ。私なんてほら、箱入りお嬢様とか箱入り魔王とかやってましたから、そう言うの憧れてるんですよね。」


「じゃあ、ルーは何か目的はあるのか?」


 おんぶ魔王の次は箱入り魔王という新たな種類の魔王が出てきたがそこはスルーする。この分だと腹ペコ魔王とか惰眠魔王とかグータラ魔王とか、色々と他の魔王も出現しそうだ。

 ディアノの一言に、ルナは指先を口元に持ってきてほんの少しだけ考え込む。

 すぐに答えが出てこないことに、ディアノはその口元を歪ませて、ニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべる。


「ほらみろ、お前だって無いんじゃないか」


「お前じゃなくてルーですー。夢も希望も目的もないディさんと一緒にしないでくれます? 私はありすぎて絞り込めないだけです」


 揶揄するように口にした言葉は、倍近くのカウンターとなって返ってきた。

 目的が無いだけで夢や希望はあるよと反論しようとしたのだが、現在ではその夢も希望も思いつかない自分に少しだけ気分が凹む。

 勇者ではなくなった自分は、こんなに何も無い人間だったのかと改めて痛感させられた。


「いや……冗談ですからね? そんなに凹まれると私も困るんですけど……」


 よっぽど顔に出ていたのか、慌てたルナは慰めるように指先をディアノの頬にくっつけてツンツンと突っつく。


「……参考までに、ルーの夢や希望や目的を聞かせてくれよ」


 気を使わせてしまったことを申し訳なく思いながら、ディアノはルナのありすぎる目的とやらを参考にさせてもらうことにした。

 迷った時は先達に聞く。それが歳下だろうと自分より優れているところは積極的に聞く。勇者時代からのディアノの基本姿勢であった。


(……そういえば、ルーって何歳なんだろ。歳下だと勝手に思ってたけど……)


 ふと生じた疑問だが、今はそれは置いておくことにした。そんなディアノの疑問はつゆ知らず、ルナは自身の夢や希望や目的を得意顔で語り始めた。


「そうですねー……やっぱりあちこちと色んな街や国を見て回りたいですね。箱入りでしたから、魔王城だけが世界の全てだったんですよ。本を読んで空想するしかなかった世界を見て回りたいのが目的の一つですね」


 非常に若者らしい夢に溢れた目的が来たことに、ディアノは驚くと同時に羨ましさを感じていた。王国の兵士として従属していた自分はそんな時間も金もなかったからだ。

 本を読むような教養も無かったので、たまの休みは友人達と酒を飲んで、管を巻くくらいしかしてこなかった。


 当時はそれで十分楽しかったが、今はそんな目的を語れるルナを見ると、もう少し何かやっててもよかったかなと後悔してしまう。


「それに私、甘い物とか好きなんですよ。甘い物は良いです。自分でお菓子も作りますし。そういうレシピを集めたり、食べ歩いたりもしたいですね。まだ見ぬ甘味がきっと私を待っている気がします」


「あー……いいね、甘い物。食べたくなってきた。と言うか腹減ってるの思い出した……」


 甘い物は良いと言う考えに静かに頷いてディアノは同意する。確か、どこかの名物のレシピを写した紙があったはずなので、落ち着いたら渡して作ってもらおうと決意する。


 その後も、ルナ自身の夢と希望と目的は多岐に渡った。


「落ち着いたら色々な魔法の研究もしてみたいですね。独学だから誰かに師事するのもいいかも……せっかくいい研究資料が手元にあるんだから、色々やらないと」


 ディアノの腰にある聖剣を獲物を狙うような目で見るルナから、少し腰を捻って視線を外そうとする。

 魔法使いのポープルも、聖剣を研究したがっていたことを思い出して懐かしくなる。


「海も見てみたいですね。魔王城は内陸にありましたから。水着で海水浴してみたいです」


 ディアノの背中で水をかくような動きをするルナだが、暴れたことで少しバランスが崩れて地面に落としそうになる。

 海といえば、クイロンがナンパに行って惨敗してたっけ。それをポープルが慰めて、マアリムが蔑んだ目で見て……一緒に行かなくて良かったと思ったものだ。


「お友達も欲しいですね、同い年くらいの。基本的に友達と言える人は全然いませんでしたから」


 友達と聞いて、王国にいる自身の友達をディアノは思い出す。一緒バカばっかりやってたなと、ほんの少し頬が緩む。

 その他にも色んなことを喋るのだが、どれもこれも仲間達との思い出を連想し、ディアノの心の中に申し訳なさと寂しさが去来した。


 そして、ルナは一度言葉を止めると、少し深呼吸してから改めて口を開いた。


「後は……可愛いお嫁さんになりたいですね」


 ポツリと呟いた一言に、少しだけ胸が痛んだ。もしも…全部がうまくいってたら王女様が俺の嫁さんだったんだよなと…ほんの少しディアノは悲しくなった。


「やりたいこと沢山だなあ、ルーは」


 最後の言葉の意味は深く考えず、背中の少女に悲しんでいることを悟られたくなかったため、明るい声を出しながら呆れたようにため息を漏らす。

 そんな反応を気にしないルナは、改めてディアノに釘を刺すように告げる。


「私を生かして連れてきたのはディさんなんだから、ちゃんと責任は取ってくださいね」


「はいはい、わかりましたよ。ちゃんと最後までお付き合いしますから」


 言われなくても最後まで……少なくともルナが自分を必要としなくなるまでは一緒にいると決めている。無責任に手を離すつもりはディアノには毛頭無かった。

 ただ、それを言うとこの少女は調子にのりそうなのと、無駄なプライドからあえて仕方なく付き合うと言う体を取る。


「ディさん、私ばっかり言わせてないで、何かないんですか? なんか参考になりました?」


「うーん……」


「何でもいいじゃないですか、子供の頃の夢とか無いんですか?」


 自身にはない夢や希望や目的を聞かされて、参考になるどころか自分は本当につまらない人間だなと実感してしまった。

 目標を達成したわけでもなく、宙ぶらりんの状態でここまできてしまったことからか、なかなか次が考えられないことに、ディアノは焦りと虚しさを感じてしまう。


 何も言わないのもこの少女に失礼かと思い、何かないかとウンウン頭を捻っていると、先程の海に行きたいと言うルナの言葉が頭に浮かぶ。

 その言葉から引っ張り出されたのは、幼い時の記憶だった。


「……漁師」


 思い浮かんだその単語を皮切りに、幼い頃の思い出がディアノの脳裏に蘇る。ルナは漁師と聞いて首を傾げている。なぜ唐突に漁師が出てきたのかが疑問なのだろう。


「子供の頃、漁師になりたいなって思ったことはあったかな。親父が、漁師だったからさ」


「お父さん、漁師さんだったんですか?」


「あぁ、多分今も現役かな……喧嘩別れしてから家に帰ってなかったからさ……元気にしてるかな」


 思い出すのは父の背中。逞しい筋肉に覆われた、日焼けした大きな背中だ。子供の頃は父親が世界一強くて格好良いと信じていた。そんな父親に憧れて自分も漁師になるんだと思っていたことを思い出す。


「喧嘩って……何があったんです?」


「よくある話だよ。将来の話で揉めて家を飛び出してってな……漁師になんてなりたくないって……そして俺は王国の兵士に志願したんだっけ」


 ため息をついてディアノは当時を思い出す。おそらくは父親に対する劣等感からの反発だったのだと思う。だから家を飛び出して、父親とは全く異なる仕事を選んだ。


「子供の頃は漁師の親父をかっこいいと思ってたんだ」


 ディアノの独白を、ルナは黙って聞いている。相槌もいれず、ただ静かにディアノの横顔を見ながら聞いていた。


「真夜中の暗いうちから出かけて、日が高くなってから笑顔で帰ってきて……採れたての魚とか持って帰ってきたりしてな。子供の頃はそんな親父に憧れてたんだけど……歳を取ると嫌な部分も見るようになっちまってな。お袋がいればまた違ったんだろうけど、俺が子供の頃に死んじまって、親父は俺を男手一つで育ててくれたのに……」


 感謝をしていたのに反発して家を飛び出してそれっきりで、家に帰りづらくなってしまった。何かきっかけがあれば良かったのだが、そんなきっかけもなくズルズルと帰宅する機会を逃してしまった。


「今にして思えば、父さんが居なくて寂しかったことで、漁師ってのが嫌になったのかもな……ほんと、子供だったんだなって今なら思うよ。少し頭が冷えて、会ってみようか、帰ってみようかって思った頃には勇者に選ばれて旅に出ることになるし……」


 そこでディアノは、ルナが自分を至極真面目な顔で見ていることに気がついた。気づけば自分の事を喋り続けてしまい、退屈させてしまったかと申し訳ない気持ちになってしまった。

 

「……なんかごめんな、面白くない話しちゃって」


「いいえ、私は父と喧嘩なんかしたことないですから……そう言うの、ちょっと羨ましいです。」


「……ごめん、お前の両親って……」


「お前じゃなくてルーですよ。いいじゃないですかそう言うの。私達、お互いのことって何も知らないんだから、そうやって色々話していきましょうよ」


 ディアノは明るく笑いながら言うルナに少し救われた気持ちになった。そして、お互いの事を何も知らないという事に納得した。今は自分の事を話したが、ルナの事をよく知らない自分にそこで気づいた。

 だからディアノもその顔に明るく笑顔を浮かべてルナに向ける。


「……そうだな。色々と話して理解していけたらいいな」


「ディさん。沢山喧嘩もしましょうね。それと同じだけど仲直りもしましょうね。お互い、時間はたっぷりあるんですから」


「あぁ……でも、喧嘩の時はお手柔らかに頼むよ」


 返答は無かったが、その笑顔を返答と考えることにした。ルナはそれから、ディアノの父の話を聞きたいのか、詳しい話を聞こうとする。


「それにしてもお父さん、男手一つで育てるとか大変ですね。再婚とかされなかったんですか?」


「親父は滅茶苦茶モテたんだけど、お袋一筋だったからなあ。全然、そう言う話は無かったよ」


「はあ、ディさんと違ってモテたんですね」


「一言余計ですよルーさんや」


 事実だから言い返せないと憮然とした表情をディアノは浮かべる。あの当時は父目当ての女性達にやたらとチヤホヤされていたので勘違いしかけたが、父さんが再婚する気がないとわかるとそれもパッタリ無くなった。俺は母さん似だったので父とは顔の系統が違うのだ。

 ……そこでディアノは思い出す。当時の父に近づいていたのは自分の好みにピッタリの女性ばかりだった。年上でお姉さんで胸も……。


 自分の女性の好みのルーツがそこにあったのかと理解しかけたところでディアノの思考が止まる。まさか自分が父に反発したのはその辺りの僻み根性もあったのではないかと……。

 先ほどまで散々言っといたことが実はただの僻みだった……? 戦慄しかけたディアノは、これ以上は精神衛生上よろしくなさそうなのでそこで思考を止める。


「そうだ、熱り冷めたら変装でもなんでもして、お父さんにお嫁さんやらお孫さんやらを見せに行きましょうよ」


「それはかなり気が早く無いか?」


 父親に会えるなら会いたいものだとディアノは考えるが、それは当分先だろうなと考えた。それに結婚と言われても……正直、まだディアノは女性を心から信じられるのかが不安だった。

 こうやって話す分には問題ないのだが、いざ恋人になるとかそう言う事になると当時の記憶が蘇る不安になってしまいそうな自分がいることに気付いていた。それも、癒える日が来るのだろうかと、内心で独り言ちる。


「でもこれで、ディさんも夢ができましたね。ディさんは漁師になる。私はディさんが取ってきた魚介を料理する小料理屋でもやりましょうか。美人魔族女将魔王の誕生です」 


 そんなディアノの内心の不安を吹き飛ばすように、ルナが未来に思いを馳せる。また変な魔王が誕生しているが、それはいささか盛りすぎではないだろうかと思いつつも、ツッコミは入れずにスルーしておく。

 その話はスルーしたまま、ディアノは周囲を見ながら大きなため息をついた。


「しっかし、いつまでたっても何もないよなぁ……いつになったら人里に付けるやら……せめて誰かいて欲しいけど人っ子一人いないし」


 うんざりしたようにまらため息をつくディアノに、びくりと身体を震わせて、申し訳なさそうな声色でルナがおずおずと口を開いた。その頬には冷や汗が見て取れる。


「それなんですけどねディさん……私、一つ気づいちゃったんですよ……えぇ、申し訳ないんですけど……今気づいちゃいました……怒んないでくださいね?」


「なんだよ、もったいぶって」


「たぶん……このまま何時間歩いても、しばらくは町も村も無いんじゃないですかね。それこそ、数日は歩かないと……」


「……へ?」


間の抜けた勇者の呟きは、周囲の木々が風で揺れる音に溶けて消えていった。

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