26.二人は呼び名を考える

 戦士達が王国に戻り魔王を倒したと報告するよりも前……勇者と魔王が二人旅を開始してから二時間ほど経過した頃、勇者は相変わらず魔王を背におぶった状態で歩き続けていた。

 少し小高い丘の上で、周囲には大自然が広がっている。そんなのどかな風景を見ながら歩いているという状況に、最初のうちはこんなのんびりした旅も悪くないと思っていた勇者だったが、行けども行けども変わらない風景に若干うんざりしつつあった。


「……全然、町も村も見えないなぁ。適当に真っ直ぐ進んでりゃどっかに出るかと思ったんだけど、ちょっと甘かったかな」


 背中におぶっている魔王の重量はそこまで重いものではないのだが、流石にずっと同じ体勢で歩き続けるというのはいくら鍛えていても聊か辛いものがあった。かと言って、自身の背で気持ちよさそうに眠っている魔王を起こすのも、先ほどの騒動の直後という事もありなんだか気が咎めていた。

 仕方がないので町か村……もしくは誰かしら人と遭遇するまでは、特訓の一環だと思いおぶったままで移動することににした。そう決意したタイミングで、勇者の腹の虫が唐突に鳴り出した。


「……腹減ったなぁ……考えてみたら戦ってから何も食ってないんだよな……体力はある程度回復したけど、こればっかりは魔法でも何ともならないし……」


 今まで意識していなかったからか平気だったのだが、腹の虫の音を聞いてしまったことで余計に腹が減ってきたような気がしていた。携帯食料を荷物に入れていたかどうか定かではないが、探すには魔王を一度下ろさなければならないのでどうしたものかと考えていると、今まで寝息が聞こえてきていたはずの背中から声が聞こえてきた。


「勇者さん、意外と可愛いお腹の音をされるんですね。父は地獄の底から響くような轟音だったので、男性は皆そうなんだと思ってましたが……」


 いつの間にか覚醒していた魔王が、少しだけ身体を前のめりにして勇者の顔のすぐ横に自分の顔を置き、勇者の腹を興味深そうに覗き込んでいた。


「……お前、まさか狸寝入りしてたのか?」


「そんなことないですよ。勇者さんのお腹の音で目が覚めたんですよ」


 嘘だった。勇者は真横の魔王の顔を半眼で睨むと、嘘がバレたかと魔王はちょっとだけバツが悪そうに舌をだした。顔の真横で舌を出されると、頬に触れてしまいそうなので勇者は止めて欲しいと少しだけ赤面する。どうやら、狸寝入りをしてずっと勇者におぶさっていたようだ。


「起きてたんなら自分で歩いてくれよ。別に重いってわけじゃないけど、いい加減に腕が痺れてきたんだけど……」


 とりあえず、嘘をついた点についてはそれ以上は咎めずに、起きたのならと魔王を地面へと下ろそうと試みるが、魔王はそれに抵抗するように更に勇者へと身体を密着させる。

 二つの大きなふくらみが背中に押し付けられるのを感じながらも、勇者は平静を装って魔王に降りるように促す。


「……しがみつかれても困るんだけど」


「駄目ですか?私っておんぶされた記憶がほとんどないんで、せっかくなんでもうちょっと堪能したいんですけど」


「……腹減ってきたし、疲れてきたんだけどなぁ」


 今度の言葉は嘘じゃ無かった。しかも、非常に断りづらい理由を話されてしまったのだが……ここは心を鬼にして下ろしてしまおうかと考える。別にこれが平時ならば、もっと長時間おぶっていたところで平気だし、この程度の重さならば走ってもそうそう疲れることは無いだろう。

 しかし、流石に戦いを終えて体力も魔力も消耗し、その上腹も減ってきたとあってはそろそろ限界が来るであろうことは予想できていた。


 だからこそ、体力の限界が来て動けなくなる前に降りてもらって、自力で歩いてもらいのだ。もしも動けなくなって、魔王が「じゃあ今度は私がおんぶしますね」とか言い出しておんぶされたら、男のプライド的に情けないし、絵面もよろしくないので勘弁してもらいたいと考えていた。


「私……重いですか?」


「いや、いくら軽くてもずっとは辛いって話。重さは軽いくらいだから、もっとご飯食べなさい」


不安げに呟いた魔王を安心させるように、勇者は重いという部分を否定する。女性に重いという話は厳禁と言う事は流石に勇者もわかっていたので、その辺りはフォローをして安心させるが、どう下ろしたものかと考えていると、魔王が顔の横に何かを差し出してきた。


「お腹空いてるなら、これ食べます? おやつです。食べさせてあげますから、もうちょっとだけおぶっててもらえません?」


 勇者の顔の横に来たのは少し暗めの茶色をした焼き菓子だった。見慣れない色の菓子だが、甘く香ばしい香りが鼻腔を満たし、その香りにつられてか、空腹状態の腹がますます音を強くする。その音に、背中の魔王はクスリと笑みを浮かべていた。


「はい、あーんしてください」


 今すぐにでもその菓子を口に運びたい勇者ではあったが、魔王をおぶっているために両手が使えずにまごまごしていると魔王からのこの提案である。手につまんだ菓子をこちらにぐいと押し付けるように差し出してきており、口を開くまではその手を引っ込める気は無いようだった。

 まるで雛鳥に餌をやる親鳥の様だなと、勇者は躊躇いがちに口を開くと、口を閉じさせてはなるものかと、魔王はその少しの隙間に無理矢理に菓子をねじ込んできた。

 途端に甘さと香ばしさ、そしてほんの少しのほろ苦さが広がり口中を満たす。咀嚼すると香りは一層強くなり、嚥下するとほんの少しだけ空腹が満たされていくのを実感する。


「うん……美味いけど。どこに持ってたのコレ? 焼き菓子?」


「ポケットに入れてました。あ、毒は入っていないので安心してください。まぁ、毒があっても解毒してあげますので大丈夫ですけど」


「どこの世界に解毒できるからと毒入りの菓子を食うやつがいるんだ」


「私、たまに食べてましたよ。基本的に毒は効きませんけど」


 嘘のないその言葉にいったいどんな食生活を送っていたのだと、少し魔王が不憫になってしまう。解毒できるから毒入りの物を食べるとは……遭難してそれ以外に食べ物が無いとかじゃない限り、勇者はごめんこうむりたかった。なんだか悲しい話になりそうなので、勇者は話題を転換することにした。


「……とりあえず、食べさせてもらったからあと少しはおんぶしてやるけど、あと少しだけだからな」


「えぇ、町か村が見えるか、誰か人に会うか、何かしらの屋敷が発見されるまででいいです」


 実質的にそれは次の街まで継続しろと言う要求なのではないかと考えたが、とりあえずその辺は無視して、限界になったら無理矢理にでも下ろしてやろうと勇者は決意し、歩みを続けることにした。


 もう眠る気は無いのか、魔王は背中で周囲の風景を見回している。いい気なものだと勇者はため息をつくが、このまま無言で歩くのもなんだか気まずいというか、なんだか間が持たないので何か話をしようと話題を考える。

 体力を温存する意味では黙った方が良いのかもしれないが、長い付き合いになるのだから色々とお互いの事を知っておいた方がいいだろうという考えもあった……あったのだが、あんまり話題が思い浮かばない。

 仕方ないので、適当に話をしてそこから話題を探すとするかと、勇者は背中の魔王へと話しかける。


「なぁ、魔王さー……」


「勇者さん、私達って基本的には逃亡しているような状況じゃないですか?」


 自身の発言に唐突に被せる様に口を開いた魔王に、勇者は眉を顰めながらも、向こうに話題があるのであればそれに越したことは無いと特に反論や意義を言う事はせず、そのまま魔王の話に乗ることにした。


「そうだな、誰も知らない場所に行こうとしているから、逃亡している最中だと言えるな」


「だったら、お互いの呼び方を考えた方がいいと思うんですよ。勇者と魔王なんて呼び方したらバレるか……最悪、痛い人扱いされちゃいますよ」


「……確かにそうかもな」


 言われてみれば、普通に魔王と呼んでいたのでそこまで気にしていなかったが、今後もそのような形でお互いを呼んでいくのは確かに無理がある話だった。ただ、それではどうやってお互いを呼べばいいのか……次の街か村に着く前に決めておかなければならない問題だろう。

 魔王を倒すための旅の最中は基本的に仲間達とはお互いを名前で呼び合わず、戦士や勇者などの役割で呼ぶことにしており、本名を呼ぶことを意識的に避けていた。


 この世界には相手を呪う系統の魔法が存在する。魔王が騎士団長と王女に使った呪詛魔法がその類に属しているのだが、使用できる人間が非常に稀だと言うこの魔法は、発動すれば非常に強力な魔法である。

 しかしその反面、数多くの制限も存在すると言われている。そのうちの有名な制限の1つが、術者は対象の顔と名前を知らなければならないと言うものだった。だから勇者は、顔しか分かっていない状態で、遠隔地にいる相手に呪詛を成功させた魔王の力量に感心していた。


(あれが世間に知られたら、軽くパニックだろうな……)


 その時のことを思い出して、勇者は苦笑を浮かべる。呪詛は相手が目の前にいて、顔と名前を知っていて初めてかけられるものだとされている。他にも制限があるかもしれないが、その辺りは世間に広まっていない。使用できる術者の数が少ないのもそうだし、そんな魔法が普及しないよう制限がかかっているからだ。


 そもそも、強力だが制限もあり自身の身も危険に晒す可能性がある呪詛魔法より、普通の魔法を習得した方が効率も良いし扱いも容易なので、よっぽどの目的が無い限りは習得しようとすら思わないだろう。

 そもそも、一般人はその存在すら知らない魔法だ。勇者も一般庶民で兵士だった頃には、そんな魔法があるなんて全く知らなかった話だった。そして、貴族とか王族が表向きは隠し名を名乗っていて、実は本名じゃなかったと知った時は相当に驚いたものだと、勇者は当時を思い出す。


(今度、魔王に呪詛魔法について教えてもらうか……考えたら魔王に教わるって凄い贅沢だな……贅沢って言うのか……? 他の魔法についても教えてもらえれば、俺はまだ強くなれるかな……)


「勇者さん? 聞いてます?」


 考え事をして黙ってしまった勇者に対して、魔王は少しだけ不機嫌そうに口を尖らせる。勇者は思考を戻して背中の魔王へと謝罪をする。魔法について倣う云々も、今のこの状況では無理なので、落ち着いてから提案しようと気持ちを切り替えた。


「あぁ、ごめん。聞いてなかった。なんだっけ? 呼び方だっけ?」


「えぇ、呼び方ですよ。勇者さん達ってなんてお互いを呼んでたんですか?」


「あぁ……俺達は戦士とか魔法使いとか、表立って本名では呼ばない様にしてたよ。念のためにね」


「なるほど……」


 勇者のかつての呼ばれ方を聞いて魔王は勇者の背中でぶつぶつと何かを呟きだした。どういう呼び方を考えているのかと気になった勇者は、背中の魔王の呟きに耳を傾けた。すると……。


「ゆーちゃん……ゆーくん……ゆーたん……。ちゃんの方が可愛くていいかな? 私は……まーちゃん? まーたん? こっちは勇者さんにたん付けで呼んでもらうと可愛いかな……?」


 なんだかあまりよろしくない呼び方が勇者の耳に聞こえてきた。どうやら「勇者」と「魔王」の頭文字を取って呼び方を決めているようだったのだが、可愛いか可愛くないかで呼び方を決めており、そのような呼び方をするのもされるのも勇者は勘弁願いたかった。

 内心で慌てた勇者は、呼び方を自ら提案することにした。少なくとも、今魔王が考えている呼び方よりはマシなはずだった。


「あのさぁ、名前教えるからそれで呼ばないか?」


「え、名前を教えてくれるんですか? 私、呪詛使えますけどいいんですか?」


 背中から少し身を乗り出しながら、魔王は意外そうに小首を傾げながら勇者を横から覗き込む。少し不安そうで、でもどこか期待するようなその顔に勇者は勇者は苦笑しつつ、安心させるべく言葉を続ける。


「これから長い付き合いになるんだし、本名は知っといた方がいいだろ。それに、魔王は俺に呪詛かけたりしないだろ?」


「……それもそうですね。じゃあ、私も名前をお教えしますね」


「あれ、良いのか?」


「別に問題ないですよ。まぁ、人前では名前をもじった呼び方にしておきましょうか、念のため」


 どこか嬉しそうに魔王は声を弾ませ、勇者の背中で少しだけ揺れ動く。唐突に動いた魔王を落とさない様に勇者は慌ててバランスを整える。

 それから名前を口にしようとするのだが、久しぶりに他人に名前を教えることからか、ほんの少しだけ恥ずかしいような気持ちになり、名前を口に出すのが躊躇われてしまう。それは魔王も同じなのか、先ほどまで嬉しそうにしていたのに、ほんの少しだけもじもじとしていた。


 流石にここは自分から言わないとダメだろうなと、勇者は意を決して自身の名を口にする。


「俺の名前な、ディアノって言うんだ。改めて、よろしくな」


 勇者の言葉を聞いて、もじもじと動いていた背中の魔王の動きがぴたりと止まる。そして、魔王は嬉しそうな笑みを浮かべて、改めて勇者の首に自身の手を回して力を込めて抱き着いた。

 少しだけ前かがみになったその体勢で、勇者へと自身の名を告げる。


「私の名前は、ルナ・アウランティウムです。こちらこそよろしくお願いしますね、ディアノさん」


 勇者が横目で見ると、魔王は満面の笑みをその顔に浮かべていた。勇者はその言葉に対して自身も笑顔を返す。すると……魔王はまたもやぶつぶつと呟きだした。


「……ディーちゃん、ディーたん…? やっぱりちゃん付けでしょうか。ディーくんも良いですよね。私は……ルーちゃんとかルーたんとか……他に可愛い呼び方ありますかね……」


 どうやら可愛い呼び方を諦めてはいなかったようで、ぶつぶつと勇者の背中で可愛い呼び方を色々と考えだした。今はちゃん付け呼びが優勢なようだった。このままだとお互いちゃん付けで呼ぼうとか言い出しかねない状況になっていた。

 

「俺はルーって呼ぶから! 俺の事はディーって呼んでくれ。ちゃん付けもくん付けもたん付けも止めてくれ!流石に恥ずかしい!!」


 慌てた勇者が声を荒げて呼び方を決定すると、背中の魔王から抗議の声を上げる。抗議の声のみならず、身体を前後にゆさゆさと揺らして、行動でも抗議の意を示す。

 勇者の提案はお気に召さないようで、先ほどよりも口を尖らせながら勇者へと抗議の声を続ける。


「えー? それも可愛いですけど、ちゃん付け良いじゃないですかー。」


「俺はそう言うの嫌なの!! 捻んなくていいんだよこういうのは」


「じゃあ、ディ・チャンとか、ルゥ・チャンとか同じ姓ってことにしましょうよ。それなら恥ずかしくないですよね?」


「恥ずかしいわ!! それにこちとら平民だから姓とか持ってないんだよもともと!!」


 元勇者の人間の男と、その背中に背負われた元魔王の魔族の女は、お互いの呼び名についての侃侃諤諤と意見を交わしながら歩き続けた。時には声を荒げながらも、勇者の顔も魔王の顔もどこか楽しそうに笑っていた。


 最終的にその議論は勇者が勝利を収め、勇者を「ディ」、魔王を「ルー」と呼ぶ事で決着となった。

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