23.寝取られ勇者は魔王と駆け落ちする

 二人の手から指輪が抜けおち、何処かへと飛んでいってから二人が動けるようになるまでそう長い時間はかからなかった。先に動けるようになったのは魔王の方であり、ゆっくりと身体を起こして勇者の上から地面へと降りると、両手を上にあげてうんと伸びをする。

 勇者の方は辛うじて腕と足が動ける程度であり、魔王の様に立ち上がるのは難しそうだった。ただ、上半身は起こすことが出来そうだったので、地面に座り込んだまま上半身だけを起こし、荷物の中をごそごそと漁りだす。


 荷物から取り出したのは、嫌な思い出の詰まった通信用の水晶だ。全て終わったので嫌なことは終わらせてしまおうと通信をするつもりだった。まだ昼頃ではあるが、向こうは水晶を部屋に置いてあるはずなので居なければ夜に仕切り直すとしようと考え、通信を開始する。


 幸い、通信した先には王女様が一人で居たので、全て終わったことを伝えてすぐに通信を切ろうと思ったのだが………何を思ったか王女様は騎士団長を呼んでくるとだけ言い、部屋から居なくなってしまった。

 別に会う必要性も無かったのだが、本当にこれで最後なので、最後に顔を見るのも良いかと大人しく待つことにした。その間に、勇者は魔王に大人しくしているようにだけ伝えておくことにした。


「魔王、俺はこれから王女様と騎士団長に全部終わったことを報告するから、大人しくしててくれよ」


「え………その二人って……勇者さんを裏切った人達ですよね?」


 軽く体を捻ったり動かしたりしていた魔王は、勇者に対して信じられない物を見るように半眼で見ていた。勇者は最後に終わったことを伝えて関係はすべて終了であり、これ以降は報告する気は無い事だけを伝えて水晶へと向き直る。

 魔王はどこか納得いかない様に顔を顰めているのだが、とりあえずは勇者に言われたように水晶に映らない位置まで移動してそこに座り込む。ただし、声が聞こえるようにすぐ近くには待機していた。


 ほどなくして、王女様の部屋にはあの日の二人が揃った。今回は王女様は簡易なドレス姿、騎士団長は仕事中だったのか騎士団の制服姿だった。今日は鎧は着ていないようだった。

 勇者の目には騎士団長が少し窶れて目の下に隈ができているように見えた。王女様も化粧で分かりづらいが少し顔色が悪いようだった。勇者はその事には触れずに、簡潔に結論だけを先に告げた。


「二人とも、全部終わりました。言った通り、これが最後の通信です。俺はこれから旅に出ますんで、後は頼みます。あ、俺の事はくれぐれも黙っていてくださいね」


 二人はその言葉に、どこか安堵と不安が同居したような複雑な表情を見せる。王女様は口を噤み下を向いてしまったが、騎士団長は躊躇いがちにだが勇者に向けて口を開いた。


「……勇者、どこか当てはあるのかい?」


「当ては無いですけど、どこか適当な小さな村にでも定住しますよ。仕事は……それから探す感じですかね。のんびりとね。気ままな一人旅です」


「そうか……。勇者……その……」


「あぁ、そうだ、一つ伝え忘れてましたけど。今回の魔王を倒した後に残った魔族達は降伏してますんで、彼等に対して非道な真似がされない様に注意してください。彼等も被害者なので。」


 騎士団長が何かを言う前に、勇者は伝えたいことだけを一方的に伝える。魔王もその辺は心配だろうから、最低限これだけは伝えておかないとと思っていた内容だった。あくまで魔王を倒して残った人たちと言う体ではあるが……。

 この二人の発言権がどれだけあるかわからないが、騎士団長と王女様だ、それなりにはあるだろう。これで自分が伝えたいことは伝え終わったし、もう話すことは無いと通信を切ろうとしたところで……二人の目が点になっていた。


 それは、何かに驚いているような表情であり、いったい何に驚いているのかと疑問に思っていると、その疑問の答えはすぐに出てきた。

 唐突に勇者の首に後ろから手が回された。ちょうど抱き着くように回された腕は、見覚えのある腕だった。そして、勇者の顔の横に……魔王の顔が現れて、二人は並ぶ形で水晶の前に座っていた。


「勇者……その女性はいったい……?」


 横を見て驚く勇者を他所に、魔王はニコニコと上機嫌な笑みを浮かべて勇者を後ろから抱き着く体勢となっている。勇者は魔王を睨みつけるが、当の魔王はどこ吹く風で勇者に対して悪戯する前の子供のような笑みを向けていた。

 そして、疑問を浮かべる騎士団長に対して抱き着いたまま掌をヒラヒラと振ると、軽い調子で挨拶を始める。


「どーもー。勇者様に見逃してもらった魔王でーす」


 隠すことなく魔王であることを水晶の向こうにいる二人に告げる。いきなり爆弾を投下する魔王を勇者は引きはがそうとするが、力が十分に戻っていない勇者では引きはがすことは叶わなかった。

 ただ、引きはがしたところでもう遅く、向こうの二人にはしっかりと伝わってしまっていた。


「ま……魔王?!」


「え……魔王は男性じゃ……? 勇者様……?」


 騎士団長は驚きに顔を歪め、王女様は訝し気な顔で勇者と魔王を交互に見ている。さっさと通信を切ろうと思っていたのに、余計な事をしてくれた魔王を恨めしく思いながら、ここまで来たら説明しなければいけないかと口を開こうとしたところで……その口を魔王に手で塞がれた。


「私が魔王ですよー。そして私は女です。いやー、聞けば貴方達のおかげで私は命拾いしたんですねー。命の恩人の顔を見ておこうと思いましてねー。」


 普段と口調まで変えて、間延びしたような声で喋っていることに違和感を感じているが、口を塞がれているため勇者は喋ることができないので、事の成り行きを見守るしかなかった。魔王は笑っている……そう、楽しそうに笑っているのだが……勇者から見てその目の奥が笑っていない様にも見えた。


「命の恩人……とは……?」


「私達が……どういう……?」


 命の恩人と言う言葉に困惑する二人を、あざ笑うかのような笑い声を上げながら魔王は言葉を続ける。どうでもいい事だが、耳元で笑われると耳が痛くなってしまうので勇者としては止めてもらいたかった。


「だってそうでしょー? 貴方達が勇者様を裏切ってくれたから……私は勇者様に見逃してもらえて、一緒に逃避行できるんですから。ロマンがあると思いません? 敵と味方が手に手を取って逃避行って」


 口元に手をやりながら妖艶な微笑を二人に向ける。城で見た時も思ったけど、この子なんでこんなに演技が上手いのだろうかと勇者は考えるが、そもそも王女様も昼間は騎士団長とそう言う関係になって居るなんておくびにも出していなかったので、女性とはそう言うものなのだろうかと勇者は思うことにした。


「勇者……君……魔王を見逃したのか? いや、どうも情報と違うようだし、それも問題は無いのか……? いや、しかし……」


「え……でも……全部終わったって……それに魔王はひどい男性って」


 唐突に現れた情報に水晶の向こうの二人は困惑したようだ。確かに、情報では魔王は男性であり、かなりの外道であるという情報しかなかったのが、こんな可愛い女の子が実は魔王だって言われたら混乱するのも無理ないだろう。勇者自身も当初は混乱していたのだから。

 二人からの非難を含んだような声にも魔王は一切動じず、それどころかますます笑みを深くする。


「あらら、勇者様を裏切った貴方達に勇者様を非難する権利は無いですよー? 私は勇者様が可哀そうで……癒してあげたくて、一緒に行くことにしたんですから。これから二人、愛の逃避行です」


 そこまで言うと、魔王は勇者の口を塞いでいた手を離して、まるで二人に見せつけるように勇者を強く抱きしめて、頬を摺り寄せる。あまりに露骨な挑発のような行動に勇者も困惑して魔王を見ると、耳の先だけが真っ赤になっていた。……どうやら、内心では相当に恥ずかしいようだ。じゃあ、やらなきゃいいのにと勇者は少しだけ呆れてしまう。


 魔王からの指摘に向こうの二人が黙ってしまった。魔王が何をしたいのかいまいちよくわからなかったのだが、この辺りでもう通信を切ろうと勇者が水晶へと手を伸ばすと、魔王はその手を押しとどめた。まだ何かあるのかと勇者は魔王の方を見ると、魔王はその顔に非常に邪悪な笑みを浮かべていた。


「あー、失敗しちゃいましたねー。勇者様と魔王が一緒に逃げるって知られちゃいましたねー。これは口外されない様に口止めをしないといけませんねー」


 口元に手を当てながらわざとらしい棒読みでひときわ大きく声を出すと、魔王が水晶に手を伸ばし、その指を三本だけ水晶にそっと触れさせる。密着しているからわかるのだが、魔王は今体内にある魔力を操作して何かをしようとしているようだった。


 そして、変化はこちら側ではなく、向こうの二人の方に現れた。水晶から何か黒紫色の靄のようなものが出てきたかと思うと、そのまま二人へとその靄は纏わりついていく。

 二人は言葉も発することができず、騎士団長が王女を庇う様な行動をしても、その靄から逃れようとしても靄がまとわりつくことは止められず、纏わりついた靄は一瞬だけ二人の首に奇妙な形の模様を刻むと、すぐにその模様は消えていった。


「魔王……お前何を……?!」


「勇者様はお優しいけど甘すぎますねー。勇者様はこの二人を信用しているようですけれども、私は信用できませんので……今のは私達の事を口外できなくするための呪詛魔法です。通信を介して送らせていただきました。あの模様がある限り、私達の事は口外できません。それでも無理に口外しようとすると……。」


 水晶の向こうで青い顔をしている二人は、自分自身の首に手をやるが、そこには模様も何もない綺麗な肌だけがある。はた目にはそこに呪詛が刻まれているなどとは夢にも思わないだろう。

 勇者は魔王の行った二つのことに驚愕していた。一つは、水晶を通して向こう側に魔法を送れたこと……もう一つは、二人の名前を知らないのに呪詛を成功させたことだった。こんな状態だというのに、その魔法の使い方については感心するばかりだった。


 勇者の感心には気づかず、魔王はたっぷりと言葉を溜めた後、無理に口外しようとした場合の効果を口にする。


「相手に激痛が走りますよー。騎士団長が口外しようとすればお姫様が、お姫様が口外しようとすれば騎士団長が苦しみますからねー? お互い、相手が大切なら絶対に口外しないでくださいね? それじゃあ、お二人ともさようならー。」


 言いたいことを一方的に言い終わると、魔王はそのまま水晶の通信を切ってしまう。通信を切る直前、勇者の目には騎士団長の受け入れたような、諦めたような表情が映ったような気がしていた。

 後ろから勇者にもたれかかっていた魔王の唐突な行動に文句を言おうとして振り向こうとすると、それまで感じていた魔王の体温と重量が不意に無くなったことに気がついた。同時に、どさりという音が勇者の耳に聞こえてくる。


 振り向いた先では、魔王が地面に大の字で仰向けに倒れていた。


「……色々と言いたいことはあるんだけど……何やってんだよお前……」


「なけなしの……魔力を……使い切っちゃいました……せっかく回復したのに空っぽです……動けないです……。」


 少しだけ青くなった顔で、ぜえぜえと荒い息をしながらも魔王の顔には満足気な、満面の笑顔が浮かんでいた。その笑顔を見て、勇者は色々と魔王がやりたかったことを察してしまった。察してしまった以上は、魔王がしたことに対して文句を言う気も失せてしまった。だから、せめて確認だけは取ることにした。


「……もしかして……俺のために怒ってくれたのか?」


 勇者の言葉に、魔王は投げ出した腕を震えながらも無理矢理動かしてピースサインの形にする。どうやら、勇者が察した通り、魔王は勇者の事に対して怒っていたようだった。


「だって……許せなかったんです……それに……信用できないのも……本当ですよ……もしかしたら……勇者さんの事を……言っちゃうかも……知れないじゃないですか……だから……」


「あーもーわかったよ。ありがとうな、怒ってくれて」


 息も絶え絶えに言葉を続ける魔王が見てられなくて、勇者は少しだけぶっきらぼうに礼の言葉を告げて、これ以上魔王が無理に喋らない様にする。勇者の礼の言葉に、魔王は嬉しそうに首だけを動かして頷いた。

 通信の間に体力がある程度まで回復した勇者は、その場で立ち上がりながら水晶を荷物にしまう。どうやら、向こうからこちらへ繋げるつもりはなさそうだ。この水晶の処分も考えなければならないと思いつつ、倒れている魔王へと視線を送る。

 自分は立ち上がれるようになったが、魔王は倒れてしまっているためどうしたものかと考えていると、魔王からの提案が上がる。


「勇者さん……そろそろ移動しましょうか……私は動けないんで……おんぶしてくれません?」


 唐突なその提案に勇者は顔を顰めるのだが、先ほど怒ってくれた手前、それは非常に断りづらい提案だった。少しだけ逡巡するが、魔王から期待した眼差しを向けられて、勇者は渋々ながらその提案を受け入れることにした。動けない魔王をまず肩を貸す形で起こし、それから背中に魔王を背負い、荷物を腕にぶら下げながら魔王の両足を固定する。

 魔王は勇者に背負われ、嬉しそうに首に腕を回して、体重を勇者に預けた。思ったよりも軽い魔王の体重に、少し驚きながらも勇者はそのまま前進する。


「軽いなぁお前は。もっと飯食えよ。しかし、こんなに軽くてあんなに強いって……反則だろ……」


「いえいえ……勇者さんも強かったですよ……私はほら……父の力を奪ってるので……実質魔王二人分と言いますか……父相手なら十分勝てたと思いますよ……」


 そんな事を慰めるように言われても、少しだけ勇者は不満げだった。そして心中で秘かに、単独でも今の魔王に勝てるように……魔王を守れるようにもっと強くなろうと決意する。この少女をこれ以上戦わせたくないというのが偽らざる勇者の本音だった。

 勇者の気持ちが伝わっているのか、魔王は勇者の背中で目を細めている。そして、母には抱きしめられたことはあったが、こうやって誰かにおぶさるというのは初めての経験だというのをその時に思い至り、その背中の心地よさに眠りそうになる。少しだけ眠ってしまおうかと思ったところで、その意識が覚醒する言葉を勇者が告げる。


「あー、そうだ。魔王。これだけは言っておくんだけどさ」


「なんですか……勇者さん」


「……好きな男ができたら言えよ。勇者の力やら今までの経験やら、総動員して何をしてもくっ付けてやるからな」


 その一言に、何を言っているんだろうかこの男はと魔王は目を丸くする。そして、勇者の背中に預けていた体重を少しだけ自分に戻し、勇者の首に廻していた腕のうち、片方をゆっくりと引き抜くと、勇者の頬を今の自分が出せる力で思い切り抓る。まだ全然力が出せないからか、頬を赤くさせることすら無かった。 

 勇者の身体が一度だけ驚きに震えたのを見ると、魔王は抓っていたその手を勇者の頬から外して、改めて首に手を回して耳元で告げる。


「勇者さんこそ……好きな女性ができたら言ってくださいね。魔王の全力を持ってくっ付けてあげますから、覚悟してくださいね」


 そう告げると、魔王は再び勇者の背中に体重を預ける。勇者は少しだけ寂しそうに笑いながら、歩みを進めている。


「頼もしいなぁ、魔王は」


「勇者さんは……なんかあんまり頼もしくないですね……」


「馬鹿野郎!! 俺は仲間の戦士と魔法使いをくっ付けた実績があるぞ!!」


「そうなんですか? その辺り、今度聞かせてくださいね……。私ちょっと眠いんで……眠らせてもらいます……」


「人の背中で気楽な……まぁいいや……ゆっくり休め。俺も限界だし、さっさと次の街か村でも見つけてゆっくり休も……」


 勇者の言葉が終わる前に、背中からは魔王の小さな寝息が聞こえてきた。勇者は自分もゆっくりと休みたいが、それは次の街までお預けだなと苦笑する。


 不意に気持ちのいい風が勇者の頬を撫でる。勇者は一度立ち止まってから雲一つ無い快晴を見上げると、晴れやかな笑顔を浮かべる。そして、背中の魔王を起こさない様にしっかりと抱え直してから、ゆっくりとだが、新たな一歩を踏み出した。

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