22.二人の初めての共同作業
「……俺は……そうだ……魔王は……?」
勇者が気絶から目が覚めると、周囲には誰もいなかった。勇者が最後に覚えているのは自分自身に負けたという事を呟いた魔王の事と、柔らかな身体の感触だったのだが、今は固い地面の上に寝転がっているようだった。
上半身を起こすと、衣擦れの音と柔らかな布の感触が身体を包んでいることに気がついた。真黒い布がかけられており、それは魔王が着ていたローブのような服だった。寝転がっている自分に魔王がかけてくれたのだろうかと思いつつも、今ここに何故魔王が居ないのかを不審に思う。
先ほどの記憶が確かならば、魔王は自分に対して負けを認めてくれたはずだ。早まった真似はしないはずなのだが……万が一のことを考えて、かけてくれたであろうローブを脇に置き、魔王を探すために立ち上がろうとする。
しかしその心配は無用だったようで、起き上がったタイミングで魔王が閉じられていた扉から入ってきた。
「あ、勇者さん……気づかれましたか。お身体の調子はいかがですか?」
扉から入ってきた魔王は小走りで勇者の元へと駆け寄ってきた。ローブを脱いでいるからだろうか、先ほどまでの真黒い装いとは異なり、どこにでもあるような淡い青のワンピースを着用していた。普通の女の子のような恰好をしていて、誰が見ても彼女が魔王だとは思わないだろう。
黒いローブの下にこれを着ていたのだろうかと疑問に思うが、ローブが翻った際にちらりと見えたその下も真黒い服だったと朧気ながら記憶があるので、わざわざ着替えてきたのだろうと結論付けた。わざわざ着替えなくともと思ったが、余計な事はあえて口にはしなかった。
そこでふと、身体の調子と言われて先ほどまでの傷がほとんどなくなっているのに気づいた。体力も最低限動ける程度には回復しており、魔力も全快とはいかないまでもある程度は回復していた。肩を回して軽く動きを確認するが、特に痛みや違和感などは感じなかった。
ここまで体調が回復していることに対して、一瞬、そんなに長い間を気絶していたのかと焦るのだが、部屋の崩れた壁から見える日の光からそこまで時間は経過してなさそうだと安堵する。
「勝手ですが、回復魔法をかけさせてもらいましたよ。それと……色々と……魔力とかが回復するかと思って試したこともあります。気分が悪いとか、そう言うのは無いですよね?」
「あぁ、なんともないよ。魔力が回復するってあまり聞いたことないけど……本当なら凄いな。」
言い淀む魔王の言葉に、一瞬、恐ろしい事を言いかけているのではないかと考えたが、特に気分が悪い事も無いので気にしないことにした。魔力が回復するとは何を試したのか……それについては後ほど詳しく聞くことに勇者は決め、まずは今後のことを話すことにした。
「魔王……改めて確認しておくけど、俺と一緒に逃げるってことで良いんだよな?」
座ったままで格好は付かないが、勇者は見上げるように魔王を見つめて改めて先ほどの自分の記憶が間違いでは無い事を確認する。
魔王は勇者と目線を合わせるためか、服が汚れるのも構わずにその場に座り込むと、真正面から勇者の目を見返して首肯した。
「えぇ、貴方のしつこさには根負けしました。私は貴方と一緒に行きますよ」
魔王が微笑みながら答えたことで、勇者も肩の力が抜けて安心して人心地付いた気分となる。そのままごろんとその場に寝転ぶと、安心したかのように声を上げる。
「あー……良かったー……」
「まだ安心はできないですよ。ここから……どうやって逃げますか?」
安堵した表情を浮かべ寝転がる勇者の顔を、覗き込むようにして魔王は半眼で勇者を睨みつけている。その近さに若干狼狽しかけるが、内心で平静を保ちながら勇者は現状を確認することにした。
「……俺、どれくらい気絶してた?」
「そんなに長い間は気絶してないですよ。流石は勇者と言いますか……数刻もたっていないと思います」
差し込む日の光からそこまで長い時間たってないとは思っていたが、数刻も経過していないのであればまだほんの少しだけ時間はありそうだと考えた勇者は、覗き込んだ魔王が離れたことを確認してから上半身を起こす。
「さて……じゃあどうやってここから逃げるか考えようか」
「案の定、特に計画があるわけじゃあ無かったんですね」
魔王はため息をつきながら、勇者を半眼で呆れるような視線を送っている。半眼で見つめ続けられることに勇者は若干の居心地の悪さを感じるが、そもそも魔王と相打ちに見せかけるという計画しか考えていなかったのだから仕方ない。まさか魔王と協力して逃げる方法を考えることになるとは、勇者は夢にも思っていなかった。それは魔王も同様のことだった。
ただ、魔王にはその提案を受けてから考える時間が勇者に比べてあったためか、勇者に対して自身の考えを提案しだした。
「えーと……勇者さんが気絶している間にどうするか、ちょっと考えたんで、聞いてもらっていいですか?」
少しだけ言いにくそうにしながらも、魔王はおずおずと右手を上げて意思表示を示す。この状況で考えがあるのは勇者にしてみればありがたかった。状況にもよるが、ゼロから考えるよりは多数の意見があった方が話は進めやすい。しかも今回はお互いの目的は一致しているのだから、方向性が間違っているという事もないだろう。
「基本は勇者さんの仰ってた、魔王と相打ちってので良いと思うんですよ。で、その肝心の相打ちに見せかける擬装方法なんですけど……」
そこまで言うと魔王は間を溜めて、ほんの少しだけもったいぶる様に上げた右手の形を人差し指だけを立てた形にし、自分の口元に持ってきた。悪戯をする子供の様に悪い笑顔を浮かべながら、衝撃的な一言を言い放つ。
「全部、吹っ飛ばしちゃいましょう」
「は?」
全部吹っ飛ばすという言葉に、勇者は意味がわからず目が点になる。魔王はそんな勇者の反応が予想通り尾で面白かったのか、爆発を表現しているのか両手を頭上で合わせた扇のように動かす。
ちょっと物騒な表現を楽しそうにやるので勇者は引き気味になるが、どうやら本気のようであることは伝わっていた。いったいどうやってやるのだろうかと首を傾げる勇者に、魔王は言葉を続ける。
「もちろん、私一人じゃ無理なんで、勇者さんの協力が必要になります。聖剣、ちょっとお借りしてもいいです?」
ここにきて聖剣を何に使うのだろうかと疑問に思いながら、勇者は自身の横に黒い布のようなもので包まれ置かれていた聖剣に視線を送る。どうやら、勇者と一緒に並べてくれていたようで、怪我をしない様に何かの布でくるんでいるようだ。
その布を丁寧に取ると、勇者は聖剣の柄部分を魔王へと向けて手渡す。聖剣を手にした魔王は勇者にお礼を言うと、手に取った聖剣に対して魔力を流し込む。すると、聖剣から先ほど勇者に向けられたような光の刃が伸びていく。
「……なんで魔王が聖剣使えるのさ……。そもそも、そんなこと聖剣でできるって知らなかったんだけど、俺……」
「私もこんなことできるって予想外でしたよ。握った時になんか、魔王の装具に感覚が似ているなって思ってやってみたら……でもこれ、制御できてないんですよ。だから、攻撃防いでくれて助かりました」
いまいち納得がいかない表情を浮かべる勇者へ、魔王は困ったような笑顔を向けると魔力を流すことを終了する。魔王が聖剣に魔力を流すことを止めると、光の刃はすぐに収まった。
そして、魔王は今度は勇者に対して聖剣の柄部分を向けてくる。どうやら握れと言う事なので、勇者はその柄を握る。
「勇者さん、そのまま聖剣に魔力を流してみてくれます?」
促されるままに聖剣に魔力を流そうとするが、どうにも上手くいかずに四苦八苦する。魔力の操作は得意ではないのだが、あっさりとできた魔王を目の当たりにしただけに、少しだけ悲しくなる。
「んー……上手くできないな」
「物に魔力を流すのって独特のコツがいるんですよ……私は装具を研究していたこともあったので、同じ要領でできましたけど……ちょっと失礼しますね」
すると、魔王が勇者の握っている柄の上から自分の指を重ね、勇者と魔王は向かい合わせで一緒に聖剣を握るような形となる。勇者は少しだけ頬が赤くなるのを自覚するが、それは魔王も同じようで、ほんの少しだけ頬が紅潮していた。
「合わせますんで、一緒に魔力を流してくださいね」
そう言うと魔王は勇者の魔力を促すように自身の魔力を操作する。その暖かな流れに勇者は身を委ねるようにして魔力を操作していく。そして、勇者は聖剣に対して何かが繋がった感覚を掴む。
聖剣が自身の身体の一部になったような一体感を勇者は覚え、その繋がった部分に対して一気に自身の持つ魔力を流し込む。
すると、先ほど魔王が発したよりも大きく長い光の刃が聖剣から勢いよく伸びていき……そのまま天井を轟音と共にぶち抜いた。頭上から落ちてくる埃と細かな瓦礫に目を顰めながらも、勇者は自身が起こした現象を信じられない気持ちで見ていた。
「……なんだコレ」
「……勇者さんの方が強く出るとは思ってましたけど、私もこれは予想以上ですね。あ、そのまま収めれます?」
既に魔王は勇者の上に重ねた手を離していた。今度は一人で納めなければならないようだが、今度は繋がった時に流した感覚と逆の事を考え、聖剣から魔力を勇者側に戻すように魔力を制御する。
伸びた時とは違い、光の刃は徐々に徐々に短くなっていき、最後に完全に光が収まる。
「こんなことできたのか聖剣……これを知ってたらもうちょっと楽に戦える場面も多かったろうな……」
「私も空飛んだ時点であっさり迎撃されてましたね……。でもこれで、ある程度わかりました。たぶん、上手くいきます」
聖剣をまじまじと見つめながら、勇者は知らなかった事実に過去の苦戦した戦いを思い浮かべて苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。こんな重要な事を知らされていなかったという現状に思うところはあるが、そもそも、知っている人はあの国にいたんだろうかと言う疑問も沸き上がってきていた。もしかしたら、歴史の中で失伝していた情報なのかもしれないと思うことにした。
そんな風に考えている勇者に構わずに、魔王はいそいそと自身の指にはめられた指輪と、耳についているイヤリングを一つずつ外し、それを掌に載せて勇者に差し出してきた。
「勇者さん、これを付けてください」
その手に乗せられた指輪とイヤリングは今まで魔王が付けていた物だった。受け取ると、ほんの少しだけ魔王の体温が残っているようで、気恥ずかしさを勇者は覚えるのだが、魔王は勇者が身に着けることを期待した眼差して見てきている。
ほんの少し躊躇ったのだが、期待した眼差しを向けられては拒否もできずに、そのイヤリングと指輪を装着する。すると……勇者の身体の感覚に、本人にしかわからない変化が現れる。
「……あれ?」
「なんか、変な感覚はあります?」
「なんか……少し魔力の調子が良くなったような……。魔力が……増えた?」
「それなら良かったです。大丈夫そうですね」
魔王のその反応に対して、勇者の頭には疑問符が並ぶ。そんな勇者の姿は予想通りなのか、魔王は得意気な顔で、かけてもいないのに眼鏡を手で上げる仕草を交えつつ、自身の考えを説明する。
「説明が欲しい顔してますね。詳しくは今後調査しないとわからないですけど……たぶん、勇者さんの聖剣と、私の魔王の装具って、出自がきっと同じものなんじゃないんですかね? だから……片方に選ばれたら片方がある程度使えるんだと思います」
「……そんな話、聞いたことないぞ」
困惑する勇者を他所に、魔王も苦笑しながら、確信は持てていないので憶測の話になるとは前置きしつつも言葉を続ける。
「でも、そうじゃないと私が使えた理由が説明付かないんですよ……。きっと魔王の装具も聖剣も元々の製作者が同じなのか、それとも設計思想が同じなのか……だから細部は違っていても機能はある程度、似ているんだと思います」
「機能が似ている……」
似ていると言われて真っ先に思い浮かんだのは、聖剣は勇者を選ぶ、装具は魔王を選ぶという点だった。似ているというか、その点に関しては共通している事柄だ。それは偶然の一致だとばかり思っていたのだが、魔王の言う通り聖剣や魔王の装具を作った人物が一緒なのであれば……意図的にその部分は一致させたという事なのだろうか。
今まで聖剣を、斬れない物はない伝説の武器としてしか考えていなかった勇者の中に疑念が生まれるが、魔王の方はうきうきと楽しそうに聖剣と装具に視線を送っている。
「その辺はおいおい調べましょうか。聖剣と装具って言う研究材料も幸い手元に残りますし……フフフフフフ……楽しみですねぇ……色々と調べ倒すのが……。装具の調査も楽しかったですけど、聖剣も調査できるなんて……」
魔王の目が怪しく光り、その視線は聖剣を捉えて離さなかった。勇者は聖剣を庇うように抱えると、魔王の視線から逃れさせるように隠す。
勇者は魔王の視線に驚きつつも、もしも魔法使いと会っていたらいい友達になっていたかもしれないなとそんなことを夢想して、少しだけ寂しくなった。
その勇者の視線を感じたのか、魔王は怪しい微笑を消して普通の笑顔に戻ると、勇者に対して宣言する。
「勇者さん、貴方が私の未来に希望を持たせたんですよ。私にも楽しみが増えたんですから、責任は取ってくださいね」
そう言われては何も言えない勇者は、降参とばかりに剣を持ったまま両手を上げて「お手柔らかに頼むよ」とだけ呟いた。その反応に満足したのか、魔王は黙って笑顔を勇者に返した。
そこまでで準備は終わったと言わんばかりに、両手を叩いて場を仕切り直した。そして、笑顔のままで作戦の内容を勇者へと告げる。
「さて、それじゃあ作戦なんですが……私の魔力と勇者さんの魔力を限界まで魔王の装具を通して増幅して、父の魔法の中で最大の破壊魔法を、勇者さんの持つ聖剣を通して上空から城に目掛けてぶち込みます。これで城は跡形もなく消滅するはずなので、私と勇者さんはそれに巻き込まれて消滅したという事にできます」
可愛らしい笑顔でとんでもない事を言う魔王に、引きつった笑顔を浮かべる勇者だったが、そんなことができるのであればこの上ないほどの偽装工作だった。全て消滅したと見せられるのだから、後腐れもないだろう。
敵にしていたらと思うとゾッとするが、今は味方であることをこの上なく頼もしく感じていた。
「お前……とんでもない事を考えつくな……」
「まぁ、普通だったらできませんよ。勇者さんがいて、私がいて、初めてできる芸当です」
魔王はニコニコと笑顔のままだった。さっきから異様に上機嫌なのが勇者には少しだけ奇妙に映るのだが、死ぬかもしれなかった女の子が、生き延びて未来を見れることができるのだから、これぐらい上機嫌になるのは当然なのかもなと、一人で納得していた。
「それじゃあ勇者さん、さっそくやりましょうか。準備は良いです?」
「あぁ……ちょっと待ってくれ」
魔王はそのまま立ち上がると、勇者に対して作戦の実行を促すが、勇者はいったんそれを静止する。そして、部屋の中をあちこち歩きまわりながら何かを探して魔王の元へと戻ってきた。その手には、入り口付近に置かれていた勇者自身の荷物の他に、斧と腕輪と首飾りが確保されていた。
「……それは?」
「戦士と僧侶と魔法使いのものだな。魔王が転送し損ねたやつだ。せめてこれは持っていこうかなと。魔王は大丈夫なのか?」
いそいそとその三つを自身の荷物の中にしまい込みながら、魔王にも心残りが無いかを勇者は訪ねる。魔王は少しだけ考えるそぶりを見せながらも、首を横に振った。
「この城には避難して誰もいませんし……大切なものはもうみんな避難させるでしょうから。私は大丈夫ですよ」
「そっか……じゃあやろうか」
「はい」
勇者はそのまま魔王に促され、聖剣を正眼に構える。まだ魔力は込めなくていいと言われ、魔王はどうするのかと思うと、正眼に構えた勇者の腕の隙間に、その身をすっぽりと収まらせ、勇者の手に、自身の手を添わせてから同時に聖剣の柄を握る。握る位置は先ほどと同じ勇者の手の上からだった。
「これ、すっごい恥ずかしいですね」
「じゃあ他のやり方を考えといてくれよ」
一瞬だけ魔王は頬を染めるが、すぐにその表情は真剣なものへと置き換わる。そして、魔力の操作をしながら口の中で呪文の詠唱を開始し始める。呪文の詠唱の途中で魔王は勇者の方へと視線を送ると、その視線の意図を察した勇者は、先ほど聖剣に魔力を込めた時の様に、まず魔王の装具へと魔力を込めていく。魔力は装具へと驚くほどあっさりと通り、自身の魔力が増幅されていくのを感じた。
そのまま、体内で魔力を循環させながら聖剣にも魔力を込めていく。先ほどよりも強く、大きな光の刃が正眼に構えた聖剣から勢いよく伸びていき、部屋の壁を突き破る。
そのまま、一分近くもかかる長い詠唱を終えた魔王は勇者の手を経由して魔力を聖剣に流し込む。痛みともつかない違和感が勇者を襲うが、勇者はそれを耐えて魔王の方を見る。
魔王は勇者と視線を合わせると黙って首を縦に振り、そのまま、二人は魔王の移動魔法で城の上空へと移動した。
そのまま二人は、全身の力を全て開放するかのように、大声で叫びながら一緒に聖剣を城に向けて振るった。
「ダアアアアァァァァァァァァァァァッ!!」
「ヤアアアアァァァァァァァァァァァッ!!」
放たれた魔法は上空から城へ目掛けて一直線に進み、堅牢であったであろう建物を根こそぎ粉砕していく。速度はそこまで早くないが、確実に城の全てを消滅させながら魔法は地面へと突き進む。
それを上空から二人で見ながら、感慨深そうに魔王が呟いた。
「これが、二人の初めての共同作業ですね」
「その通りだけどさ……共同作業が城の破壊って……物騒すぎるだろ……」
城を破壊した魔法が消えると、後には魔法で穿たれた、窪んだ地面だけが残っていた。それと同時に魔王は城下町にかけていた結界を解除する。結界のおかげで城下町より外には被害は行っていない様だが、城下町にもある程度被害は出ていたようで、ところどころの家が半分ほど崩れていた。
結界が消えたことで、結界の周囲に集まっていた人達が城の跡を目指して移動している姿が見える。魔王と勇者はその姿を確認すると、再び移動魔法で城の上空から移動する。
移動先は城から遠く離れた小高い丘のような場所であり、周囲には誰もおらず、遠くに小さく魔王の城の跡と城下町が見える程度の場所だった。
その場所に着地した瞬間、勇者と魔王はその場に後ろから倒れ込む。
「うわっ……なんだこれ……立ってられない……」
聖剣を辛うじて落とさないようにするが立っていられず、その場に大の字になって寝転がってしまう。魔王と戦った時よりも身体の中に力が入らず、虚脱感が全身を覆っていた。
それは魔王も同様のようで、勇者の腹の上に背中から乗っているような状態だった。
「体力も魔力も根こそぎ使い果たした感じですね……。しばらく動けないかも……」
勇者の上で寝ている魔王は、少しだけ震えていた。その表情は先ほどまでの笑顔とは違い、寂しそうで、泣いていることを堪えているように見える。先ほどまでは無理に明るく振舞っていたが、今まで住んでいた場所を自らの手で消してしまい思うところもあったのだろう。勇者はそんな魔王にあえて声は掛けず、そのまま落ち着くまで一緒にいることにした。どちらにせよ一歩も動けないのだから、動けるまではこのままでいいだろうと考える。
そんな風に動けない二人の指にはまっていた魔王の装具の指輪が、突如として光を放つ。真っ白い光で、先ほどの聖剣の光とはまた違う光だ。魔力も何も空っぽの二人は何もしておらず、動けないため視線だけを指輪に向ける。
魔王はその光を見た時に、既視感に襲われた。光の色は異なるが、指輪から父が出てきた時のことを思い出す。そして、今の動けない状態で父がもしも出てきたらどうなるか……。せめて勇者だけは逃がさなければと、内心で覚悟を決めつつ光を放つ指輪を睨みつける。
指輪の光が徐々に小さくなっていくと……二人の傍らには半透明の男女が二人立っていた。勇者は全く見たことの無い男女だが、どちらとも優しい笑顔を浮かべている。
まさか敵なのかと思い身体を起こそうとするも、ピクリとも身体は動かなかった。せめて魔王でもと魔王の方に視線を送ると、魔王の顔は驚きに満ちていた。
「……母様?」
呟いた一言に、母と呼ばれた方の人物が魔王に近づきその頭を優しく撫でる。その行為に、堰を切ったように魔王の双眸から涙があふれ、その頬を濡らしていく。身体は動かないため、そのまま勇者の上で魔王は声を上げて泣き出してしまう。
『出てこられなくてごめんね……。貴方は……幸せになってね』
優しく頭を撫でる女性に向かって、魔王は首だけで意思表示を示す。ひとしきり撫でた後で、女性は優しく微笑むと、勇者の方へと視線を送る。
『勇者様……娘を頼みますね』
女性がそう言うと勇者へと頭を下げる。そして、男性の方へと視線を送ると、男性も勇者へと頭を下げていた。二人に頭を下げられた勇者は、寝転がったままで格好は全然つかないのだが、精一杯の誠意を込めて二人に応える。
「はい、任せてください」
頭を上げた二人は満足そうに微笑むと、そのまま指輪の中へと消失していく。そして、指輪は光ったまま勇者と魔王の指から抜けると、そのまま何処かへと飛んで行ってしまった。
「……飛んでいったけど良いのか?」
「あれは母様と……兄さんのお父さんでした。きっと、兄さんの所に行ったんだと思います。……これで一つ、問題は解決したのかな?」
「そっか……。良かったな」
未だ動けない勇者はそのまま目を閉じる。魔王も目を閉じると、気持ちのいい風が吹いてきた。これで一区切りついたんだなと勇者は感慨深げに思ったのだが、同時に別の不安も感じていた。
これであの兄が魔王を継いでいたら……もしかして、勇者不在で魔王だけいる状態になるのか?と……・。
兄の人柄から即戦闘とかにはならなそうだけど、あの国……今後苦労しそうだなあと思いながらも、勇者はとりあえず今は動けるようになるまでは、何もかも忘れて寝っ転がっていようと決心した。
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