20.二人の初めての喧嘩

 それは奇妙な勝負だった。


 勝者は自身の我を通せるという意味では奇妙ではないのだが、お互い望んでいるのは自身の死、又は擬装された死であるという事を見れば奇妙な勝負と言えるだろう。


 また、この勝負ではお互いに相手を殺して決着すると言うことができない。勇者は言わずもがな、魔王の方も勇者を殺してしまっては自身を殺してくれる人間が居なくなるため殺すことはできない。

 そのため、必然的にこの勝負はいかに相手に致命傷を負わせずに、その上で相手に負けを認めさせることができるかという事が重要になってくる。


 勇者の方は右半身を前面に出しつつ、聖剣を両手で中段に構えていた。目線は魔王を真っ直ぐに見据え、魔王がどのような行動を取っても対処できるように、重心を足先で支えるようにして立っていた。これによりどっしりとした構えでは無くなっているが、いつでも動き出せるような態勢を取っていた。


 対して魔王は自然体のまま……両手をだらりと胴体の横に降ろし、特に構えらしい構えは取っていない。身体も半身にはならずに、真正面から勇者を見据えている。単に今まで箱入りで育てられ、戦闘と言うのは父からの知識で知っているというだけの素人ゆえの態勢だったのだが、その無防備な姿が勇者には逆に不気味に映っていた。


 勇者は先ほどまでの行動から、魔王は魔法使いタイプの戦闘スタイルであると予測を付けていた。多人数に対しての、無詠唱による強制移動魔法の連続発動から見るに、その魔法の発動速度は感嘆に値するものであり、過去に類を見ないほどに魔王の魔力量がずば抜けて多いであろう事は明白だった。

 だからこそ、勇者は闇雲に攻める真似はせずに魔王が魔法を発動するまでは見に回ることにした。闇雲に攻撃して、もしもあの魔法の発動速度から手数で迎撃されてしまった場合……最悪、何もできずに終わるという可能性があるためだった。


 勇者は、動くのは魔王が魔法を発動してからだと決める。それは、先ほどの強制移動魔法の発動は見事だったのだが、施行した結果、衣服や装備品の一部がその場に残ったことから、魔王は魔法の制御に多少の難があるのではないかと予想したからだ。それでも、制御についても自分よりもはるかに高いレベルではあるのだが……それでも闇雲に攻めるよりは待ちに徹し、制御のミスに付け入るというのが最も勝機が高い戦法であると判断した。


 しかし、そんな勇者の考えをあざ笑うかのように……魔王は魔法を発動しない。ただだらりと手を下げているだけで、魔法を発動する様子が一切なかった。そして、勇者はこの後すぐに自身の失策に気付くこととなる。


 二人が対峙してから勇者は油断は微塵もしていなかった。ただ、一度だけ瞬きをした際にそれは起こった。


 勇者が瞬きをした際に、魔王の背後に二つの白く光る球体が発生していた。大きさは握り拳ほどの大きさであり、最初は勇者は何かの見間違いかと思ったのだが……その球体は瞬く間に数を増やしていった。

 二つが四つ、四つが八つ、八つが十六……その球体は倍々で数を増やしていき、気が付けば数えきれないほどの球体が魔王の背後に浮遊していた。


 その球体の出現は完全に勇者の予想外だった。この世界では攻撃魔法であれば、発動さえすれば後は攻撃対象に向かっていく、回復魔法やそのほかの魔法も発動すれば目的の効果を必ず発揮しようと、何らかの動作が生まれてくる。しかし、その球体は何をするでもなくその場で停滞している……。そんな魔法は今まで見たことも聞いたことも無く、勇者の身体を言い知れない緊張感が支配していった。


 その球体は、厳密に言うと魔法では無かった。


 勇者が魔王との戦いをどのようにするかを考えていたように、魔王も当然ながら勇者と戦うにあたってどのように立ち回るかを考えていた。

 魔王は当初、自身の魔法を矢継ぎ早に打ち込むという事を考えていたのだが、それを実行に移すには自身の魔法の制御力に対して一抹の不安を持っていた。

 魔力の制御は母から手ほどきを受けていたが、魔法は父から無理矢理奪った知識で発動しており、ある程度は使えているが、百戦錬磨とも言える勇者相手に付け焼刃で戦うのは危険ではないかと考えた。


 だから、自身の得意な魔力操作のみで戦うことを選択した。


 魔王がその身体から放出したのは、自身で操作した純粋な魔力の塊だった。体外に放出すること自体は初めてのことだったのだが、魔力操作に長けている魔王にはその程度は造作も無い事だった。

 そうして自身の操作する限界数だけ魔力の塊を作り出した魔王は、これであれば戦えると確信する。魔法を扱う時のような不安感も、発動する際の覚束ない感覚も無い、自在に扱える力がそこには存在していた。


 勇者は表面上は動揺した様子はないが、内心では焦っているに違いないと魔王は考える。だからこそ、戦闘が開始されてから初めて言葉を発する。勝ちを確信しているわけでは無いが、この光景を目の当たりにした勇者の心を揺さぶるために。


「……今ならまだ、降参してくれれば……これで貴方を攻撃することはありませんよ」


 勇者は焦りと言えるほどの焦燥感は無かったが、現状を打開するためにどうすれば良いのか、見当もついていないのが正直なところだった。その為、ここで魔王が自身に向けて言葉を発してきたことは僥倖だった。

 普通であれば戦闘中に話しかけてくることはありえないし、仮に勇者が逆の立場であれば、降参を促すのは今浮いている魔力球で相手を攻撃し、動けなくなるほどにダメージを与え、自身の勝ちが動かなくなるところまでやってから実行する。


 だから勇者は、自身の失策の挽回のために、通常ではありえないがこれに応対することにした。これは魔王が実戦慣れしていないという点もあるが、おそらくは、なるべく相手を傷つけたくないという思いから来ているのだろうと勇者は予想する。その優しさに付け入るようで若干の罪悪感はあるが、これは負けられない戦いのため、その罪悪感を意識的に無視する。


「戦闘中に話しかけてくるとは……随分と余裕じゃないか」


「全然、余裕じゃ無いですよ……。正直、この数の魔力の塊……魔力球とでも名付けましょうか。これを全部使っても貴方に勝てるのか不安なんです」


「……魔力の塊?」


「えぇ、もうバレてると思いますけど……私の魔法は操作にちょっと難がありまして。でも、魔力の操作ならだれにも負けない自信があります。それを直接、攻撃に使ってみました」


 思いがけない情報を得られたことで、内心で勇者はほくそ笑むが、同時に魔王の無防備さと、発想の規格外さに呆れてしまう。無防備さは言わずもがな、ペラペラと敵に情報を与えるなど普通はありえない……。もしかしたら、勇者を怖気づかせたかったのだろうが、命がかかっている戦い……自分ではなく相手の命だが、ともあれ命がけの戦いを覚悟していて今更怖気づくとかはあり得なかった。


 そして……素人ゆえなのかとんでもない発想をしていた。普通は魔力を直接的に攻撃に使おうとは思わない。魔法を使わなければ、自身の望む結果を得られないからだ。

 勇者は時間稼ぎのためと、情報を引き出すために会話を続けることにした。


「魔力の塊か……そんなやり方、考えたことも無かったよ。てっきり、覚えている魔法は全て無詠唱で使えるんだと思っていたよ」


 「残念ながら、補助系の魔法とか移動系の魔法は無詠唱でできるようにこっそりと練習できましたけど……攻撃魔法は練習する暇なんて無かったんで……無詠唱では使えないんですよ」


 またもや自身の情報を漏らす魔王に、勇者が自分がやっていることとはいえ心配になってきた。攻撃魔法は詠唱するしかないという事から、もしも魔王がそれを使おうとしても口を物理的に塞ぐか、どうにかして喋れなくしてしまえば防ぐことは容易そうだった。

 この世界では魔法を戦闘時に使うときは無詠唱が基本中の基本だ。魔法を使う時の精神状態を詠唱無しでできるようになる……それができて初めて魔法を使って戦うことを許可される。詠唱魔法しか使えない場合、極端な話、口を塞がれるだけで魔法を発動することができなくなるからだ。


 だからまずは詠唱魔法を覚え、そこからその精神状態を身体に覚え込ませる。そして無詠唱で魔法を発動できるようになって初めて一人前……というのが世間一般での認識だ。

 移動や補助系は無詠唱で使えるのに、攻撃魔法は使えないとは、なんともチグハグな印象だ。普通は逆なんだが、戦闘から無縁の箱入り娘だったというのは本当なのだろう。


「……しかし、凄い魔力の量だな。普通はそんな使い方しないけど、魔力量だけはとんでもなくありそうだなお前」


 「えぇ、魔力量と魔力操作に関しては魔族で一番だと自負があります。……知ってる人が少ないから狭い世界になりますけど、きっと一番です」


 会話を続けながらも勇者は構えを解くことは無い。降参する気はさらさらないのだが、それ以上にこの構えをし続けることに意味があった。自身がしていることを魔王に気付かれない様に、勇者は会話を続ける。


「……どうです、降参する気に……?」


 直後に、魔王は違和感を覚える。勇者は先ほどから構えを解かずにその場から動いていない。動いていないと思っていたのだが……先ほどよりも視覚に入ってくる勇者の姿が大きくなっており、勇者と自身の距離が先ほどよりもほんの僅かだが近くなっている気がしていた。

 勇者が魔法を発動した様子はない。ただ構えているだけなのだからそれはあり得ないと思うのだが、魔王はその違和感を無視できずにいた。


「どうした? 魔王?」


「いえ……なんだか……?」


 少し困惑している魔王のその反応に、勇者は自身の狙いが気付かれつつあることを察知する。その反応は想定よりも少し早かったが、それでも十分な成果を得られたことに勇者は満足する。今度は勇者が、魔王を動揺させるために、言葉を発する番だった。


「俺とお前の距離が縮まっていることが不思議か?」


「えっ……?」


 勇者のその言葉に魔王は虚を突かれた形になる。魔王が呆けたのはほんの一瞬だけだったのだが、勇者にはその一瞬で十分だった。先ほどまで気のせいと思っていた勇者と魔王の距離が、その一瞬であっという間に無くなった。勇者の剣が魔王に届く間合いまで。


「何がッ……?!」


 短距離を移動できる魔法を使えるのであれば、その発動は魔王には察知することができるが、勇者に魔法を使った様子は一切なかったのは確かだった。しかし実際には、勇者は剣を構えたままの姿勢を崩すことなく、一瞬で距離を詰めてきた。

 その奇妙な光景に慌てた魔王は、魔力球を操作して勇者にぶつけようとする。上空に浮かんだ魔力球の三分の一程が勇者に向かっていくのだが、虚を突かれ慌てた精神状態の魔王では操作が思ったよりも精密にはいかず、大量にある魔力球はひどく散漫な動きで勇者に迫る。その散漫な動きは、勇者からしてみれば苦し紛れの隙の多い攻撃でしかなかった。


 勇者は迫ってくる魔力球に慌てることなく、できている一番大きな隙間に身体をねじ込むようにして自ら突入し、攻撃を避けていく。それでも一部の魔力球は少しだけ身体の表面を掠り血が滲むが、完全に血が流れ出る前に治癒魔法で傷口を塞ぎ、魔王の身体の中心部……鳩尾部分に狙いを定める。

 構えていた聖剣を逆手に持ち替え、聖剣の柄部分を魔王の鳩尾部分を打突しようとする。あくまでも手加減した打撃であり、魔王を動けなくすることが目的の攻撃だ。


 勇者も魔王も、今回の戦いの勝利は相手を動けなくするか、心を折るかのどちらかしかないと考えていた。殺してしまうのはむしろ相手の勝利条件となってしまう。覚悟を決めた二人に心を折ることは難しい、残るは降参せざるを得ない様に動けなくすることだけ。


 だから、勇者にしてみれば刀身部分で斬り付けるのは万が一のことを考えて避けたかった。聖剣は両刃であるため峰打ちも不可能で、それゆえの柄部分で攻撃するしかなかった。

 だからこそ、一撃で行動不能にできるように虚を突いた攻撃を狙っていたのだが……。


「くっ、させないです!!」


 魔王は自身に攻撃が当たる直前、待機させていた魔力球の残りの半分を一斉に地面へと叩きつける。制御も何もなくただ落下させるだけで、自身の身の安全も何も考えていない単純な攻撃だ。

 唐突な上空からの魔力球の雨は勇者にもいくつか当たるのだが、勇者はその攻撃に怯むことなく体勢を維持するように努める。しかし、魔王の方はそうはいかなかった。魔力球が上空から当たることで、魔王の体勢は崩れて、地面へと身体が叩きつけられる。


 その結果、勇者の攻撃は空ぶりに終わる。


 自身の攻撃が失敗に終わったが、魔王は自身の攻撃により地面へと倒れた。これを好機と見て勇者は魔王が倒れた箇所に視線を向けるが、そこには魔王の姿は既に無かった。

 慌てて周囲に視線を向けるのだが、地面に叩きつけられた魔力球の影響で土煙が周囲に舞っており、魔王の姿を隠すのに絶好の煙幕となっていた。


「ちっ……」


 勇者は思わず舌打ちするが、魔王の姿を見つけることが先決だとその場に止まらず、まずは土煙から脱出することを優先する。上空を見ると魔力球はまだ残っており、背後からの攻撃だけは避ける様に警戒しながら土煙から脱出する。


 脱出した瞬間に、魔王の声が上空から聞こえてきた。


「あー……勇者さん、見つけましたよ。出てきてくれて良かったです」


 声のする方へと視線を向けると、魔王は魔力球の影に隠れるように空中で浮遊していた。自身には使えない飛行魔法を魔王がいとも簡単に使っていることに驚愕しながら、勇者は空中にいる魔王を見て歯噛みする。

 千載一遇のチャンスを逃したこともそうだが、見つけたという先ほどの魔王の発言は、魔王からも勇者を見つけられていなかったという事だった。加えて上空にいる人間への攻撃手段は限られている。

 状況ゆえに仕方ないのだが、セオリーが全く通じない状態で、一転してのピンチに、どうすれば良いのか勇者は思考を巡らせる。


「なんなんですかアレ。体勢を変えずに移動って、魔法ですか? でも魔法を使った様子は無いですし……ビックリしちゃいましたよ」


「内緒。自身の手の内を明かす奴はいないよ」


「ズルいですよ。私のことは聞いといて……自分のことは話さないなんて」


 その状態でも魔王が選択したのは会話だった。単に気になったことは確認しなければ気が済まない性分なのかもしれないが、それが今の勇者にはありがたかった。使った技術の説明を拒む勇者に口を尖らせるが、勇者が使ったものは魔法でも何でもない。ただの技術だ。

 あり得ない話ではあるが、下手に説明して魔王にも使われる可能性を排除するためにも拒否は当然だった。


 勇者が使ったのは体勢を維持したままで移動することを可能とする歩法……魔法でも特殊な能力でもなんでもない。練習すれば程度の差はあれど誰にでも使える技術だった。

 相手の瞬きや一瞬の隙に合わせて、すり足と体重移動を駆使して体勢を維持したままで移動する。それだけのものだった。これを使えば相手と自身の距離感を偽ったり、相手がわからない程度に間合いを詰めたりすることが可能となる。

 達人ともなれば構えずに普段の姿勢からでもそれを実行することができるらしいのだが、勇者は構えた体勢からしかその歩法を使うことはできなかった。


 勇者はもともとが一介の兵士だったためか、特別な才能は何も持っていなかった。力、魔力、魔法の技術等、自分より上は掃いて捨てる程にいた。

 ただ、勇者はそれについて悲観することは無かった。自身に特別な才能が無い事はわかりきっていることだったから、逆に周囲を良師として積極的に教えを乞うことにした。

 力の使い方は戦士に学び、魔力の使い方や攻撃魔法は魔法使いに学び、回復魔法や魔法の技術を僧侶から学んだ。それ以外にも、立ち寄る街で強いとされる達人と目される人物たちにも弟子入りしたりして色々な技術を習得していった。


 勇者は所謂、器用貧乏と呼ばれるタイプの人間だった。それゆえに、周囲からの教えはそこそこの練度で習得することができた。結局、師と仰いだ人を超える技術は習得できず、せいぜいが百点満点で六十点だと評されたのだが、逆に言うと教えてもらった技術はほとんどが六十点の技術として勇者の中で消化されていった。それはそれで驚異的なのだが、勇者はそれでも貪欲に技術を習得し続けていた。


 先ほど、身体に傷がついた瞬間に魔法で治療を施したのもその技術の一端だった。彼にその技術を教えた武術家はこんなことを彼に言った。

 『人間の身体は傷がついてから血が流れるまでに、ほんの少しの間がある。その間に治癒を施せば、失う血は最小限で戦いが継続できる。血を失しすぎると戦いが続けられないからな。治癒魔法が何故あると思う?それは、戦いを限りなく永続させるためだ。』

 そんなとんでもない理屈をその武術家は弟子入りした勇者に叩きこんだ。おかげで血が流れる前の治癒は不可能だが、最小限の流血で治癒を施せられるようにはなっていた。


 そんな過去の教えの中から、勇者は空中にいる相手との戦い方は無かったかと思いを巡らせる。しかし、思い出せたのは空中にいる相手に飛んで攻撃しようとするなと言う忠告だけだった。自在に空中を移動する手段を持たない勇者が半端に飛んでも、良い的になるだけだからだ。

 どうにかして魔王を地面に下ろせないか思案していると、魔王は空中に居ながら口を開く。


「勇者さん私はね、戦いとかよくわからないんですけど、どこか油断していた部分があったと思います。だから、貴方に降参なんかを促した。でも、間違いでした。貴方は私に全力で挑んでいます。私を相手にしてるんだから少しは油断してほしいと思いますけど……」


 勇者にしてみれば誰を相手にしていようと油断をする意味が無かった。達人でも油断や慢心で素人に負ける、相手が素人だと油断してたら素人に見せかけた達人だった等、油断としても碌なことが無いのだ。今回も、油断していたら自分はあっさり負けていたし、そうでなくてもこの状況なのだ……油断などとんでもない事だった。


「だからこれが最後のお話です。私も勇者さんと見習って黙って自分のできることを全力でやります」


 その言葉を言い終えると魔王の顔つきが変わった。そして次の瞬間には姿も空中から消え失せる。空中にいた彼女は先ほどの意趣返しとばかりに、勇者の目の前に移動していた。

 勇者は目の前に魔王が来たことに驚きはしたが、慌てずにほんの少しだけ後退して剣を振る間合いを作り、そのまま致命傷を与えない様に肩口を狙い斬り付ける。先ほどは油断させていたからこそ打突で終わらせるという選択が可能だったが、ここにきてそんな余裕は無くなっていた。


 しかし、その刀身は魔王の身体に届くことは無かった。


 単純に、聖剣のその刀身は魔王によって掴まれていた。刀身を掴む手は魔力で覆われており、手を保護しているのだろう。そして、刀身を掴む手の力強さが女性の細腕のものでは無かった、魔法によって腕力を強化しているのは明らかだった。


(身体強化の魔法と魔力球の併用?! 魔法は使えないんじゃ……。いや、違う!!)


 勇者は先ほどの魔王の台詞を思い出す。魔王は攻撃魔法は無詠唱でできないが、補助魔法や移動魔法は使えると言っていた。身体強化も補助魔法だ、それが使えてもおかしくはない。勇者は油断は無いと思っておきながら、その可能性を排除してしまい不用意に斬り付けた自分を恥じる。

 一端距離を置こうと剣を引くが、魔王に掴まれた剣はビクともしない。それならばと、勇者は下手に引かずにその剣を押し込むことを選択する。自身も魔王には及ばないが身体強化魔法をかけ、そのまま全力を両腕に込めて剣を押していく。


 勇者は全力で剣を押し込もうとするのだが、それでも剣はわずかに動くのみで魔王の身体に届くことは無かった。自身は両手で押し込んでいるというのに、魔王は片手で剣を抑えている。単純な腕力なら勇者に分があるだろうが、身体強化魔法の強さは魔王の方が圧倒的に上だった。

 このまま拮抗状態が続くかと思っていたが、魔王は片手が空いている……そして、その空いている片手で拳を作ると、そのまま勇者を殴りつけた。狙う場所は鳩尾よりも若干下の下腹部であり、勇者は剣を握っていた手を離して防御の姿勢を取りつつ、腹部にも身体強化魔法をかけるが、魔王の拳は勇者の防御をものともせずに腹部を殴りつけた。


 剣を手放したまま後方に吹き飛ばされた勇者は、内臓に損傷等はなさそうだが、あまりの鈍痛でその場でのたうち回りながら胃の中の内容物を吐き出しそうになる。それを防ぐために、吹き飛びながらも腹部に回復魔法をかけ続けるが、すぐには回復しきれなかった。

 何回か地面に叩きつけられならも、勢いを殺して何とか踏みとどまる。吹き飛んだ先で即座に体勢を立て直そうとするがすぐに身体に力は入らず、仰向けの状態から上半身のみを起き上がらせるのがやっとだった。


 肝心の聖剣は魔王の手元に存在しており、まずは聖剣の奪取を優先しつつ、徒手空拳で魔王へと挑みかかろうとしたところで、魔王が聖剣の柄を握り、おもむろにこちらに向けて剣を横薙ぎに振るってきた。

 かなりの距離があるというのに、その刀身からは斬撃の軌跡に合わせて光る魔力の塊が勇者目掛けて飛んできた。まるで刀身が伸びたかと錯覚するほどに、魔王の手元から伸びた魔力の塊は勇者の首目掛けて飛んできている。


 聖剣でそんなことができるなんて勇者も知らない事であり、魔王も予想外だったのかその目が驚愕に見開かれ、勇者に避けてと叫んでいる。魔王が試しに振ってみた斬撃で、このままだと勇者は死ぬ。それはお互いに避けなければならない事態だったが、振った剣を途中で止めるなんて高度なことは魔王はできず、勇者に斬撃が当たるか否かというところで目を瞑ってしまっていた。


 勇者は動けない身体で事態を何とかできないかと足掻き、周囲を見渡す。吹き飛ばされた先は、ちょうど先ほど戦士達が魔王によって移動させられた場所であったのか、その手元に戦士の愛用している斧が触れていた。

 勇者はその斧を握りしめると、痛む身体を無理矢理に動かして斬撃の腹をしたから突き上げるように、力の限り弾き飛ばす。間一髪で弾かれた斬撃はそのまま勇者の頭部の上へと振りぬかれる。


 魔力の塊は魔王の手元の聖剣と繋がっており、斬撃が外れたことで魔王の身体は右に流されるようにして斬撃に引っ張られていた。その瞬間を見逃さず、まだ痛む身体で勇者は戦士の斧を手に魔王の元へと全力で駆け寄り、そのまま魔王の手に握られた聖剣を再度弾き飛ばした。

 握りが甘かったからか、それとも斬撃を空振りしたことで身体が流されていたからか、聖剣はそのまま魔王の手から離れて飛んでいく。


 聖剣はそのまま二人の横へと飛んでいくが、勇者はその聖剣を追うことはしなかった。魔王の身体はこちらに向けて真横を向いており、体勢が整っていない。対して勇者自身は身体に痛みはあるが手に武器を持っており、攻撃できる体勢は整っている。この状態を最後の好機と捉え、そのまま勇者は戦士の斧で魔王を攻撃することを選択した。


 戦士の斧であれば片刃の斧であるため峰側で撃てば致命傷にはならず、魔王を気絶させることができる。それでこの勝負は終わり、自身の勝利で終わりと、勇者は勝利を確信した。


 その瞬間、今度は勇者の手に握られた斧が弾き飛ばされた。手から斧は離さなかったが、体勢を崩された勇者は斧の方を確認するのではなく魔王の目を確認した。魔王は体勢こそ崩れているものの、その目ははっきりと勇者を捉え、その魔王の目と勇者の目が合った。


 斧が弾かれた時と同じ衝撃が、今度は勇者の身体に走る。衝撃の正体は空中に浮遊していた残りの魔力球だった。魔王は体勢を崩されながらも、魔力球の操作をし続けていて、正確に勇者へと魔力球を当てていく。


「……私の勝ちです」


 魔王が呟くと同時に、空中に残っていた全ての魔力球が勇者へと一つ残らず正確に降り注ぎ、その衝撃で勇者は再度吹き飛ばされ壁へと激突した。肉がひしゃげるような嫌な音が周囲へと響き、衝撃から土煙が舞っていた。


 背中と言わず全身を打ち付けられた勇者は、そのまま、壁に背をもたれ掛けさせながらズルズルと地面へと崩れていった。

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