11.魔王はお茶会をする

「ふぅ……」


 次の日……早朝からの会議を終えた私は自室に戻ると、全体重を預ける様にして椅子へと身体を投げ出します。軽く椅子が軋み、私のため息はその音にかき消されてしまいました。

 身体に異常に重い倦怠感と、寝不足から来る頭痛が私の表情を曇らせます。


 結局、昨晩はほぼ眠ることはできませんでした。浅い睡眠と覚醒を繰り返し、かえって疲れが貯まってしまったのか、気分も悪い……。こんなことならいっそ、開き直って起きてしまっていればよかったかもしれません。


 そんな状態で朝から会議に出席したものですから、眠らないようにするのに必死でした。特に今回は、城周辺の住民の避難の進捗確認という議題だったので眠るわけにもいきません。

 ひっきりなしに喋ったり、会議の最中に飲み物を飲んだりと、色々やって眠気を誤魔化しながら必死に会議を終えて、やっと自室に戻ってきたわけです。


「魔王様、会議お疲れ様でした。お顔の色が優れないようで……昨晩はあまり寝付けなかったとのことですが……。大丈夫ですか?」


 私を心配した侍女長の優しい声が耳に届きます。貴方は兄さんとぐっすり眠れてたようで何よりですが……と私は心の中だけで思い、その事はおくびにも出さずに笑顔を返します。……まぁ、それを告げたらどんなリアクションをするのか見てみたい気もしますが、碌なことにならないのは明らかなので止めておきます。

 実の兄と私の侍女長が恋人同士……と言うのは一見すると健全なのですが、表向きには私と兄さんは婚約者になっているというのがもどかしいです。もっと昼間から二人でイチャイチャして、私にその様を見せて欲しいのですが。


「大丈夫ですよ。万が一のための住民の避難もほぼ完了しましたし、勇者様をお迎えする準備はこれで万端と言っていいでしょう」


「そうですね……」


 私や兄さんたちの住んでいる魔王城の周りには、住人は少ないですが城下町があります。外からは魔王城とひとまとめに言われていますが、城下町に住んでいるのは非戦闘員の女性や子供がほとんどでした。

 戦闘のできるような男たちはほとんど別の街に住んでおり、彼らの家族や恋人をこの城下町に住まわせるという形です。……それは人質も兼ねての父専用の色町と言う有様でした。

 まさかそんなことをしているとは私はずっと知らなかったのですが……本当に申し訳ないです。当然ですが、彼女達も父が死んで喜んでいる人たちです。


 彼女達もやっと家族や恋人たちの元に帰れることになりました。そのため、城下町は空っぽになりましたが勇者を迎える場所としては非常に都合が良いと言えます。彼女達の心や身体のケアも今後の課題ですが……それは兄さんたちに任せます。


 城下町の避難も完了し、後は城に住んでいる人たちの中で非戦闘員の方たちが避難するだけとなりました。そうすれば城に残るのは勇者を迎える人達だけとなります。私達は勇者に対しては戦闘行為は行わず、私の前まで招いて降伏することを宣言するという事になっています。

 非戦闘員の方々を避難させているのは、万が一、勇者と戦闘になった時を考えてのことです。

 実際は、参謀達がまず勇者と接触して事情を説明し、私を討伐してもらう……。城に残る戦闘要員については、私の中の父が万が一復活した際のため……ということです。


 まぁ、もう父は魂から綺麗さっぱりといないので、彼らの出番は無いんですが。彼らが私と積極的に戦おうとしないでくれてほっとしました。流石に顔見知りの皆に殺されそうになるのは……憂鬱すぎます。


「ふぅ……」


「やっぱりお疲れのようですね。少し休憩にしませんか? 私、お菓子作ってきたんですよ。お嬢さま、焼き菓子お好きでしょう?」


 少し憂鬱な気分になり、またついてしまった溜め息を疲れから来ている物と勘違いした侍女長が、ごそごそと何かを取り出してきました。どこに置いていたのか、侍女長の手には沢山の焼き菓子が入ったバスケットがありました。甘い匂いが私の鼻腔を擽ります。

 その瞬間、私のお腹から小さな音が鳴り響きます。焼き菓子を見たせいなのか、甘い良い匂いを嗅いだせいなのか……。朝食はある程度食べたのですが、甘いものは別腹と言う事でしょうか。


 私のお腹の音を聞いた侍女長がクスリと小さく微笑みます。私は気恥ずかしさから少しだけ頬が熱くなるのを感じました。たぶん、赤くなっているでしょう。仕方ないじゃないですか、美味しそうですし。


「そ……そうですね。それじゃ、お茶にしましょうか」


 私は誤魔化すように椅子から立ち上がります。その瞬間、私の部屋の扉が勢いよく開かれます。ノックもされずに唐突に開かれた扉から私の部屋に入ってきたのは参謀……兄さんです。

 昨晩の侍女長と二人だけの時に見せていた沈痛な面持ちからは一転して、その顔には満面の笑みを浮かべています。


「やぁやぁ、魔王様。ご機嫌いかがでしょうか?先ほどの会議ではどこか元気が無さそうでしたので、心配で心配で来てしまいましたよ」


「参謀様……扉は必ずノックしてくださいと言ったはずですが……」


「あぁ、申し訳ない。居てもたってもいられなくてね。次は必ずノックするよ」


「そう言ってもう何回目かわかりませんが、お願いいたします」


 朗らかな笑顔を浮かべながら、我が物顔でずかずかと部屋に侵入してくる兄さんに、侍女長は睨みつけながら抗議の声を上げます。兄さんはその抗議の声に対して気にした風もなく、顔に笑みを浮かべたままです。

 その後も二人は他愛の無い言い争いを続けます。傍から見ると二人の仲は良くない様にも見えます。私も覗いていなければこの二人が恋人同士とは誰も思わないでしょう。いや、逆にこれはイチャイチャしていると見えるのかな?


 事前に打ち合わせていたとはいえ、ここまでお互いの関係を表に出さずに演じられるというのは凄いものです。二人とも役者とかで食べていけるのではないでしょうか?平和な世界ではそれもありだったかもしれませんね。


「全く、侍女長は怒りっぽいね。こんなにも美味しそうなお菓子を作れるのに……うん、本当に美味しいねこのお菓子は。疲れもぶっ飛びそうな甘さだよ」


「勝手に食べないでください。お行儀悪いですよ」


 兄さんは、バスケットの中から焼き菓子を一つ摘まむとそれを自分の口へと運び、大げさなほどに大きく口を開けるとそれを一口で食べきります。侍女長の抗議の声も無視して次に手を伸ばそうとしますが、その手を侍女長にぴしゃりと叩かれて、流石にバツが悪そうにひっこめました。


 ……よくやるものです。そのお菓子には父を殺すときにも使った毒が入っているというのに。毒が入っていることなど露程も感じさせずに、自ら食べるなんて。


 正確に言うとその毒は、殺す毒ではなく体内の魔力を弱らせるものです。食物に入れれば体内に蓄積されていき、徐々に徐々に魔力の生成を阻害します。そんな風に父も食事や飲み物に毒を混ぜられ……時には父が抱く女性が自ら摂取して、自身の身体を経由して父に摂取させ……。最終的に魔力を極限まで弱らせた状態で謀反を起こされた父は、殺されました。


 流石に父も、城にいる全員から罠にハメられれば勝つことはできませんでした。父はどう考えても自業自得です。……今回の彼らは私を弱らせるまでは一緒ですが、殺すのはあくまでも勇者にやらせるのでしょう。

 一緒に毒入りのお菓子を食べるのは、毒を持っているというのを私に気付かれないためと言うのもあるでしょうが、きっと彼等の罪悪感を薄めるためでもあるでしょう。


 問題は……私にはもう既にその毒は効かないという点でしょうか。父は殺された後に自分が毒を盛られたことを知り……私の身体を乗っ取ろうとした際に、真っ先に毒に対しての耐性を私の身体に作りました。次の身体では毒に負けない様にするために……。結局、父は消滅したので、私の身体には毒の耐性だけが残ったわけですが。


「じゃあ……皆で一緒にお茶にしましょう。私がお茶を淹れてきますから、二人は準備していてください」


 言い争う二人を尻目に、私はお茶の準備を始めることにしました。

 侍女長が「魔王様がそんなことをする必要は……」と戸惑いつつ自分が用意すると言っていますが、私は手をヒラヒラと動かして問題ない事をアピールします。もうお茶くらいは何回か淹れているので問題なく淹れられますし、これは二人のために必要なことでもあります。


 私に毒入りの食べ物を食べさせるという試みは、実はもう既に何回も行われており、そのたびに二人は私と同じものを食べています。しかし、私の身体には既に毒への耐性ができているので、結局二人だけが毒を蓄積させていっているという結果になっています……。二人とも、私が全てを知っているとは想像もしていないでしょう……。

 私が死んだあと、二人が毒の効果で不幸になってしまっては私が死ぬ意味がありません。だから私は、二人に特製のお茶をふるまいます。毒の効果を打ち消す毒消しの魔法をかけた特製のお茶を……。こうすることで二人も毒の効果を相殺できます。


 それにしても……二人とも身体を張りすぎです。これからの人生があるんですから、そこは何とかして私にだけ食べさせるとか方法を考えても良いと思うんですが、毎回毎回、律儀に自分達も一緒に毒を摂取しています。毒を喰らわば皿までと言うところなんでしょうか。

 今の私なら、どんなに怪しい文句でもあっさりと信じ込むふりをして乗ってあげるというのに。


 そんな風に考え事をしながらお茶を淹れたせいか、だいぶ濃い目になってしまいました。カップには普段よりも色の濃いお茶が入っています。香りはいいのですが、ちょっと苦そうです……。

 まぁ、侍女長の持ってきたお菓子が甘いので問題なしと言うことで。これなら味でも、効果でも問題なく相殺されるでしょう。

 私は淹れたお茶の入ったカップとティーポットをトレイに乗せて、二人の元へと運びます。


「お待たせしました。お茶淹れてきましたよ」


「魔王様、申し訳ございません……」


「やぁ、毎度のこととはいえ魔王様自ら入れてくださるとは光栄ですなぁ。ありがとうございます」


 仲良くテーブルをセッティングしていた二人が、姿勢を正して私の方へと向きます。侍女長は済まなそうに、兄さんは恭しく私に向けて頭を下げてきます。

 テーブルの上には侍女長の作った焼き菓子だけではなく、サンドイッチ等の軽食が置かれていました。侍女長が用意したのでしょうか、私が首を傾げると参謀が微笑んで答えを教えてくれます。


「あぁ、サンドイッチは私が持ってきたんだよ。これでも一人暮らしが長くて料理は得意でね、私のお手製だよ。ちょっと早いけどお昼も兼ねてお茶にしようと思ってね」


 いつもであれば侍女長の作ったお菓子だけなのですが、今日は兄さんも料理を作ってきたようです。

 パンに色とりどりの具材が挟まれたサンドイッチです。……これも毒入りの料理なのでしょうきっと。勇者が後数日で到着するので、念を入れてきたということなのでしょうか。

 兄さんの手料理……はじめて食べます。見た目は非常に美味しそうですが……こういう状況でなければ素直に喜べたのでしょうね。まぁ、喜んでおきますか。


 そして……毒のお菓子と、毒の料理と、毒消しのお茶を使った、世にも奇妙なお茶会が開かれました。


 まぁ、全てをわかっているのは私だけなのですけど。


 先ほどの会議の反省点や残っている課題、私と兄さんの将来の話や他愛の無い話題まで……非常に楽しいひと時でした。このお茶会自体が茶番ではありますが、大好きな二人と過ごせるというのは非常に大切なことです。……後数日で居なくなる私は特に、楽しい思い出を作っておきたいです。

 侍女長の作るお菓子は非常に甘くて私の好みにぴったりで、初めて食べた兄さんの作ったサンドイッチも色々な具材が挟まれ工夫がされており美味しかったです。……私の淹れたお茶は少し渋すぎましたが、それでも二人は喜んで飲んでくれました。


 たとえ、それが演技でも私は嬉しかったです。


 そして、毒入り料理の全てがみんなのお腹に収まり、お菓子も軽食もほとんど無くなった頃に兄さんは先ほどまでとはうって変わった神妙な顔で口を開きました。


 「……早ければ明後日にも勇者がここに到着します。……魔王様も避難されるのであれば、他の皆と一緒に……」


 兄さんは私を真っ直ぐに見つめてきます。本当は私に避難されると困るでしょうに、表面上は私を心配しているようにしています。

 ここで、じゃあ私も避難しますと言えばどんな顔をするのでしょうか。少し見てみたい気もしますがそれは流石にできません。きっとこれは、私が逃げないようにするための、最後の確認なのでしょう。


「私は避難しませんよ。まがりなりにも魔王になってしまった私が逃げても意味はありませんから。それに、戦うわけじゃなく降伏するためなら危険も少ないでしょうし」


「しかし、万が一と言う事も……魔王様は魔法も碌に使えないじゃないですか……」


「大丈夫です。簡単な魔法はいくつか覚えましたので、自分の身くらいは護れますよ」


 まぁ、本当は父さんの使えた魔法はほとんどが使えるようになっているのですが、それは秘密です。下手なことを言って不安を与えたり、面倒なことになっても嫌ですし。兄さん達は、私が魔法を使えないと言う事を前提にしているのですから。

 兄さんはどこかホッとしたような、困ったような、どこか沈んだ笑顔を浮かべています。私に対して罪悪感を覚えているのかもしれません。

 私は少しだけ小首を傾げて、頬に指を添えて微笑みます。


「それに、勇者がもしも戦いを選択したら……みんなで何とかしてくれるんでしょう? それなら、私は安心です。守ってくれるんですよね?」


「そうですね……そうです。貴方は私は護りますよ。我らが魔王様で、私の愛する婚約者でもあるあなたを私が守りましょう。私は貴方の参謀ですからね」


 私は満面の笑顔を参謀に向けると、参謀は先ほどまでの沈んだ笑顔から一転し、いつもの笑顔を浮かべます。大げさに一度だけ柏手を打つと、そのままの勢いで手を広げます。

 よくもまぁここまでいつも通りの顔で嘘を付けるものだと感心してしまいます。私もそれを受け入れる覚悟はあるので、黙ってそれを笑顔で見つめるだけです。参謀のオーバーアクションを侍女長が諫め、私はそれを眺めます。


 勇者が来るのは明後日……。私が生きられるのもいよいよ明日までとなったわけですか……。


「さて魔王様、それでは午後は何をして過ごしましょうか。住民の避難も完了しましたし、少し街を散策でもしませんか?それとも、どこかに遊びに行くのも良いですね」


「参謀様、仕事してください。先代が亡くなってやることが多いんですから。それに、降伏後にする交渉についてもどのように進めるか……」


「固い事を言わないでくれ侍女長。勇者との事が片付いたらちゃんと仕事をするさ。魔王様が不安にならない様に、少し遊ぶくらいいいだろう」


 いつの間にか私の近くまで移動してきた兄さんが私に手を差し出してきましたが、その手は侍女長により叩かれてしまいます。それでも兄さんはめげずに手を差し出してきます。差し出してきた手は少しだけ赤くなっていました。私が笑いながらその手を取ると、侍女長の顔が曇りました。


「貴方も一緒に行きましょうか」


 私は兄さんと繋げている方とは逆の手を侍女長に差し出します。侍女長は少しだけ目を見開いて驚いたようでしたが、すぐに仕方ないとばかりに苦笑して私の手を取ってくれました。そうして私達は、三人で手を繋いだ状態で部屋を出ます。私が真ん中で、左右に参謀と侍女長と言う構図です。


「なんか、仲の良い親子みたいですね私達」


 私の呟きに、参謀は笑いながら同意してくれます。侍女長も不満気ながらどこか嬉しそうでした。


 これが茶番でも、今この時の私は幸せです。

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