10.魔王は覚悟を決める
私を巻き込むのをやめませんかと言う侍女長の言葉に、兄さんは苦渋に満ちた顔をしています。侍女長は遠目には解りづらいですが目に涙を浮かべているようです。
兄さんは無言で首を横に振ります。そして、目を見開いてショックを受けた侍女長を更に強く抱きしめてその頭を優しく撫で始めました。ああやって抱きしめて撫でられるのは母以外にしてもらったことは無いので、少し羨ましいです。
よくよく思い返してみれば、父は私を抱きしめてくれたことは無かったですね……。もう父って呼ばないで、糞親父でも十分ですかねあの人は。
「……それはできない。私は何としても、魔王にならなければならないんだ。父との約束を果たすために……母の無念を晴らすために」
その返答に、侍女長は小さく「そうですか……」と呟くと兄さんを強く抱きしめ返します。そのまま、しばらく熱い抱擁が続きます。……恋人同士と言うのはなんでもイチャイチャする材料に変えてしまうのだからまったく……と思うのは僻みでしょうかね。
それは置いといて……兄さんは、幼少期に母を奪われた恨みから父への復讐を果たしました。本来であれば、それで復讐はすべて終わるはずで……父を殺した兄さんが魔王を継いで、何れやってくる勇者に全面的に降伏して、人間と和解するように橋渡しをしてもらい、疲弊した魔王国を立て直す……と言うのが兄さんのシナリオだったわけです
勇者の存在も父を殺せた重要な要素になりました。父に密告するようなクズな輩は父に気にいられようと、おこぼれを預かろうとほとんどが勇者との戦いに赴いて不在でしたから。
おかげさまで城内で父の味方はほとんどいなく、その状況を作ってくれた勇者に皆が感謝していました。
父は最低な下衆ではありましたが、強さは本物だったので、死んだと聞けば侵略してくる国もきっと出てきます。だから、魔王が代替わりしたことは表に出ないよう機密にすることにして……勇者が来るのをじっと耐えるつもりだったようです。
勇者の人柄も伝わってきていたので、降伏しても今よりは絶対にマシだと皆は考えてます。生前の父はそんな勇者の性格を露骨に毛嫌いしていたようですが……。
だけど、そのシナリオを全て台無しにしたのは、私でした。私は自分の指に光る魔王の装具の一つである指輪に目を向けます。父さんの魂が出てきた指輪です。
魔王になるためにはこれらの魔王の装具に選ばれる必要があるのですが……装具が次の魔王を選ぶのはその時の魔王が死んだときと言われており、父も先々代の魔王を殺して魔王を継いだのです。だから兄さんは、父をありとあらゆる罠にはめて謀殺しました。自分自身が魔王を継ぐために……。
しかし、魔王の装具が次の魔王に選んだのは私でした。兄さんも困惑したでしょうね、父を殺して装具を身に着けたのに何の反応もなかったときは。父を殺すのに協力した他の誰もが装具を身に着けても反応は無く……結局、装具が選んだのは私だったのです。
……あの時も本当にビックリしました。部屋でベッドに寝転んで寛いでいたらいきなり壁をぶち破って指輪とネックレスとピアスが部屋の中に入ってきたんですから……。何事かと……。
その後、装具を追ってきた皆が私の部屋に入ってきて、父が病で死んだことと装具に私が選ばれたことを聞いたんでしたっけ。
それは結局、父が自分の次の肉体が魔王に選ばれるように仕組んでいたことだったんですが……あの時の周囲の驚き様と言ったらなかったです。私も驚きましたが周囲の驚きは私以上で……兄さんなんかは顔色が蒼白になるほどに驚いていました。
たぶん、自分が魔王になるためには私を殺さなければならないと……そう考えたのでしょう。取り乱すことはありませんでしたが、動揺は見て取れました。
それでも、兄さんは私を支えてくれていました。私が魔王に選ばれてしまったので、参謀として、婚約者として付きっきりで面倒を見てくれたのです。そこからは私を殺そうという考えを持っているなどは微塵も感じられませんでした。
実際、最初のうちは私を殺す気は無かったようです。だけど……。
「私も最初は……あいつを支えて行こうと思ったよ。私は魔王になれなかったけど、父さんと母さんの仇は討てたし、誤算はあったけどこれでいいと思ったんだ……でも……状況が変わった……」
侍女長を抱きしめたまま、兄さんは震わせながら声を絞り出します。
「あいつの中には……あの男の……あのクソ野郎の魂が乗り移っているんだ。突然、不自然に増大した魔力……それ自体は装具の力だと思ったのだが、その魔力の中にあのクソ野郎の魔力があったんだ。歪で禍々しくて暗い魔力……日に日に大きくなっている。他の皆は気づいていなかったが、私には理解できてしまった。どうやったのかはわからないが、あいつは実の娘の身体に乗り移って復活しようとしているんだ」
兄さん鋭いですね。流石は裸一貫で上り詰めただけはあります。私が台無しにしたとは言え、だいたいの内容は合っています。
侍女長は黙って兄さんを抱きしめている手に力を込めます。それは兄さんを慰めているようでもあり、抗議しているようにも見えます。そう、兄さんは最初は私を殺す気はありませんでした。
兄さんが私を殺す決心を固めたのは、私が父の幽霊と出会った数日後……父の魔力やら何やらを吸収して、父の魂を跡形もなく消滅させた後のことでした。
私が父の魔力を吸収してしまったことで、兄さんは私の中に父の魂があると誤解してしまいました。実際は私は父の力だけ吸収して、その他は全部消滅させたのですが……こんなことなら一部吸収とか中途半端なことをしないで全部消してしまえばよかったと後悔しました……。
本当に、あの糞親父は生きていても死んでいても迷惑ばっかりかける人です……私の自業自得な面もありますが、全部あの男のせいにしときます。
「……だから……勇者にお嬢さまを殺してもらうのですか……。それしかないんですか……?」
「…………そうだ。それしかない。それしかできない」
何日間か部屋を覗いていますが、兄さんと侍女長のこのやり取りももう何回目なのか……。泣き出す侍女長を兄さんが慰めるというまでが定番のやり取りと化しています。
侍女長が私を殺すのを中止するよう進言し、その度に兄さんがそれを否定する。もうやめましょうよそう言うの、時間がもったいないんだから存分にイチャイチャだけしておいてください。
兄さんは直接私を殺すことはせず、勇者に殺してもらうことを選択しました。たぶんですが……母そっくりの私を自分で殺すことを躊躇っているのでしょう。他の人もきっと同様です。母は人気があったみたいですから……。
……でも、仕方がないとはいえ、自分で私を殺せないというところに兄さんの詰めの甘さを感じてしまいます。殺される私としては決めたのなら迷わないで欲しいところです。たとえ私が母さんに瓜二つでも。
二人は抱き合ったままの姿勢で、そのままベッドへ倒れこみます。たぶんこれから、兄さんと侍女長のリハビリが始まります。私はいよいよかと、興味津々に二人を見守ります。
二人のリハビリ……それはお互いに女性、あるいは男性に対してのトラウマを克服しようとするものです。
兄さんは何と言いますかその……母を目の前で奪われ……色々と酷い事をされてしまったトラウマからか、男性機能の調子が悪いと言うか、不能気味と言うか……女性を抱くということに対して無意識レベルで忌避感を感じています。たぶん、私が迫った時に嘔吐したのもその影響です。
侍女長も、父にさんざん弄ばれた結果……ほとんどの男性に対して恐怖感を強く持ってしまっています。慣れた人ならある程度会話はできますが、初対面の男性なら子供もご老人も一切駄目です。
二人はそれを克服するべく、こうして夜な夜な特訓をしていたようなのです。私が覗き始めた時はお互いに抱擁まではできるようになっていましたが、キスまではできていませんでした。
それが徐々に徐々に頬に触れ、唇に触れ……先日とうとうキスができるまでにこぎつけたわけです。
お互いがお互いを信頼しながら徐々に距離を縮めていく様は見ていてハラハラしましたし、キスをした瞬間なんかは私は叫んで良かったねぇと泣いてしまいました。
今日はベッドに押し倒すまでできましたが、いったいどこまで行けるのか……。実際に事が起こりそうなら流石に覗き見は中止しますが……。私の心臓が持ちませんし。果たしてどうなるか……。
しばらく二人はその姿勢のままで全く動きません。小さな二人の息遣いしか音らしい音は聞こえてきませんでした。
どれだけそうしていたのか……そんなに長くない時間でしたが、やがて、兄さんが申し訳なさそうに口を開きます。
「……ごめん、今日は……ここまでみたいだ……」
「……そうですか、私はもう少し平気そうなんですけど……無理はよくないですし……このまま少しだけ寝ちゃいましょうか?」
よくよく見ると、兄さんの身体は細かく震えてしまっています。
声色が沈み込み、気分が悪そうにしている兄さんに対して、侍女長は優しく返します。お互いに抱き合って寝そべった状態で、先ほど自分が撫でてもらったお返しとばかりに兄さんの頭を優しく撫でています。
兄さんが限界のようなので、今回はここまでのようですね……。私は覗き見に使用していた魔法を解除しました。あの様子なら、今日は別々の部屋で寝るというところでしょうか。
「ふぅ……今日はこんなところですか……。私が居なくなる前に最後まで行くのは難しそうですね……」
静かになった部屋の中で、私は独り言を呟きます。二人の仲の良い様を見てなんだか寂しくなってしまいました……あちらは二人で寝て、私は一人で寝て……。本来は私が婚約者である彼と一緒に寝るべきなんでしょうけど……流石に兄だと知ってしまったので今はそれについての抵抗がありますし……。
……まぁ、少し寂しくもありますが仕方がないと私は割り切ります。
二人には幸せになってもらいたいものです。
父……あの糞親父のせいで普通の幸せを壊された二人なのですから、私は強くそれを望みます。いえ、二人だけじゃなく……ほとんどの人が父の被害者です、同族の中で父の被害者じゃない人の方が少ないくらいです。
ある人は自分の妻を。
ある人は自分の娘を。
ある人は自分の孫を。
ほとんどの女性は父の毒牙にかかっています。私が知ってる限りでは、直接的な被害者では無かったのは私と、まだ幼い子供くらいでしょうか……。
……肉親は年老いた祖母しかいないと安心しきっていた人を絶望に落とすためだけに、人を若返らせる魔法を開発したほどに下半身に対しては異常な執念を持った人だったので、あのまま生き続けてたらどうなっていたか……考えるだけで恐ろしいです。
だから、私は彼等の望みを叶えることを決めました。親の因果が子に報い……と言うわけではありませんが、父はあまりにも恨まれすぎています。死んだ後でもみんなが恐怖を拭えないほどに。
私が死ぬことで彼らが安心できるのであれば、そうしようと決めました。
それに、私の中には父の魂はいないと言葉で説明しても、きっとみんなは信じられないでしょう。私が父の魂を消滅させたなんて言うのはもっと信じないでしょう。何せ私は公には魔法を一切使えないことになっているんですから。それどころか、私が魔法を使ったという事実だけを見られてしまい、既に私の身体を父が乗っ取っているのではないかと疑惑をより深めるかもしれません。
そもそも、父が私の身体で復活しようとしていたのはその通りなので……それを否定するための証拠を私は用意することができません。疑心暗鬼になっている彼等の根拠を覆すだけのものが私には無いのです。つくづく、父の魂を消滅させたことが悔やまれます。こんなことなら魂だけ残して、皆の前で消してしまえばよかったです。ちょっと怖い絵面ですが。
いや、そもそも私が父の魔力とかを私の中に残そうなんて思わなければ……きっと彼等は私を支えてくれたことでしょう。もしかしたら私が自分の妹であると明かしてきたかもしれません。今更後悔しても遅いですが……。
「はぁ……」
ため息を一つつき、私はもそもそとベッドの中へと潜り込みます。布団をかぶり、憂鬱な気分を少しでも感じない様に早く眠りにつけるように祈ります。
しかし、ベッドの中で寝ようとすればするほど嫌な考えが頭の中を巡ってしまい、中々寝付けず……どころか目がどんどんと冴えていくような感覚さえ覚えます。
……決意はしたけれど、死ぬのはやっぱり、ちょっと怖いです。
「……せめて皆が幸せになってくれますように」
寝返りを打ちながら、私は唯一残った希望を口に出します。
せめて勇者は、私を苦しまない様に殺してくれればいいんですけれど。
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