9.魔王は覗き見をする

 えー……魔王です。だいたい三月程前に魔王になったばかりの新米魔王です。


 まぁ、なりたくてなったわけじゃあないんですが……辞められるなら、今すぐにでも辞めたいですが、そうもいかない事情がありまして……。

 とりあえず、私が魔王になった理由とか経緯は置いといて……今現在、私が何をしているかと言いますと、私はとある部屋を魔法を使用してこっそりと覗き見しています。


 そのとある部屋では……私の後見人兼婚約者として色々と助けてくれている魔王国における参謀役の男性と、私の侍女兼秘書役として働いてくれている女性の濃厚なキスシーンの真っ最中です。

 すっごい熱烈なキスで、思わず目が釘付けとなっています。頬もちょっと熱くなっています。覗いているのがバレやしないかと言う背徳感が私の心臓の鼓動を早くしています。


 まぁ……バレてもかまいませんし、仮に覗いているという事自体がバレたとしても私だとは思わないでしょう。誰か違う人が覗いていると思うはずです。……何故なら私は公的には魔法が使えないことになっていますから。魔法の使えない魔王なんて洒落にもなりませんが。


 私は魔王と言いましても、先ほども言った通り三月ほど前に唐突に魔王になったばかりの新米です。

 ……先代の魔王は私の実の父親でして、これがまた最低な父親で。いや、最低だったという事は父親が死んでから知ったのですけれども。その父が死んでしまった結果、私が次の魔王に選ばれたというわけなのです。父の死因は公的には病死と言う事になっていますね。私も最初はそう聞いていました。


 まぁ、病死が公的なのはお約束と言うか……表向きの話でして……本当は父は殺されました。所謂、暗殺と言うやつですね。その父の暗殺を主導し、魔王を暗殺するという偉業を成し遂げた首謀者が、覗き見している部屋で侍女とキスしている参謀と言うわけです。


 何故に私がそんなことを知っているかと言うと、その殺されたはずの……死んだ父から直接聞いたからなんですよね。


 いやぁ、あの時はびっくりしました。


 それは父が死んで数日後……私が次の魔王に選ばれてしまい、父の葬儀も終わり、不安と悲しみとで一人泣きじゃくっている夜のことでした。


 昼間は他の皆が支えてくれているけれども、夜はどうしても一人にならざるを得ないため、私はもう一度だけ父に会いたいと呟いたのです。呟いてしまったのです。今から思えば言うべきではありませんでした。

 私が呟いた瞬間、私が身に着けている装飾品が暗い輝きを放ち始めました。


 身に着けている装飾品は、魔王の装具と呼ばれる魔王の継承者のみが付けることができる装飾品です。魔王の装具は父から引き継いだ遺産であり、私を魔王に選んだ元凶と言うことになります。


 装具は指輪が左右に一つずつ、ネックレスが一つ、両耳にイヤリングが一つ……最初はピアスだったのですが、私が耳に穴をあけるのを怖がっているとイヤリングに変化してくれました。そういう気遣いはできるのならば、私を選んでほしくは無かったのですが……。

 ともあれ、装飾品のうちの一つ、指輪が暗く光ったかと思うと、そこから父の姿が現れました。生前の姿のままの父がそこには居たのです。ただしそれは肉体を持たない魔力の塊としての父……。平たく言うと、父の幽霊ですね。


 私は最初は父との再会に喜びましたし、何があったのかを全て父からその場で聞きました。殺されたこと、そして殺しの首謀者が参謀で、実行犯は城の中の全員であると言う事……。まさかの全員からの裏切りと言う事態に私の目は点になっていました。誰一人として味方がいないとは嫌われすぎでしょう。まぁ、全てを知った今では、それも仕方ないと思っています。


 殺されたという話を聞いたとき、私はショックと怒りで頭がどうにかなるかと思いました。そして、父に叫んでいたのです。「父様の仇は私が討つ!!」って。

 父はそんな私の様子を見て笑いました。その笑顔はいつも私に優しかった父の笑顔そのままだったので、私は安心しました。幽霊になっても心優しい父のままだと。そしてその笑顔を見て、愚かにも父を殺した人たちへの憎しみを倍増させていていました。


 本当に……何も知らないというのは恐ろしいです。私は父を優しく立派な人だと思い込んでいたんですから。


「大丈夫だ、娘よ……私の仇をお前が討つ必要は無いんだよ……。お前がわざわざそんなことをする必要は無いんだ」


 優しく微笑む父は、幽霊の姿のままで私の頭を撫でました。幽霊なのでその行為に特に感触と言うものはありませんが、父の魔力は感じることができたので、私の心はほっと落ち着きました。そして、父は私に復讐など望んでいないのだと、きっと最後に会いに来てくれただけなんだと、そんな風に考えたのですが……それは間違いでした。


「父様……」


「私の仇は……私自身の手で討つのだ!!」


 先ほどまで浮かべていた笑みから一転し、恐ろしい形相を浮かべた父は、私の頭に置いていた手を無遠慮にそのまま頭の中へと入れてきました。魔力の塊が私の頭の中に入ってきたことにより、頭痛を感じた私は、ほっとした心から一転しひどく心が動揺するのを感じました。そうこうしている間にも、痛みと不快な感触が頭部を支配していきます。


「だから! お前の身体を私にくれ!!」


 その声に対して私が叫び声を上げる間もなく、頭の中へと入れた手から父は幽霊の身体全てを私の中に侵入させようとしました。目の前の父の体が見る見る間に減少していき、その減少に合わせる様に私の中に父の魔力がどんどんと入ってくるのが感覚でわかりました。痛みやかゆみを伴いながら、なんとも言えない不快な感覚が頭部だけでなく私の全身を駆け巡ります。


「計画ではお前を絶望させて具合を確かめながら乗っ取る予定だったがこうなっては仕方ない!! 乗っ取った後に女の身体で楽しむというのも悪くないだろう!!」


 下種なことを言いながら父はどんどんと私の中に入ってきます。父が私の中に侵入していくにつれて、私の中に父の記憶や感情など様々な物が流れ込んできました。正直、見たくもない程に悍ましく、反吐の出るような記憶ばかりです。


「本当に良かったぞ!! スペアを作っておいて本当に良かった!!」


 スペア


 最初は意味がわかりませんでしたが、父の記憶が流れてくるにつれてその意味が理解できてきました。父が私を母に産ませたのは、自分が万が一の時に乗り移ることができる、自分の血を引く血縁者の身体が欲しかったから。私を城から出さずに育てさせ、私の前では優しい父を演じていたのは天国から地獄への落差で身体を乗っ取りやすくするため。


 そして父が私の頭を撫でたのは、体を接触させて侵入しやすくするためでした。優しい笑みを浮かべたのは私を油断させるためと、その後の言葉で私に精神的動揺を与えて身体を乗っ取りやすくするためだったのです。


 記憶を見るたびに、私の中からは父への愛情とか優しかった思い出とかが急激に冷めていくのを感じました。あれほど会いたかった父に、何も感じなくなるほどに。


 本来の計画では私を犯して絶望を与えてから乗っ取るつもりだったらしいのですが、殺されたことでそれは中止を余儀なくされたようです。その失敗を差し引いても、父が私をスペアとする試みはその時点ではほぼ成功していました。私はあっけなく父の侵入を許してしまい、そのまま私の精神が殺されてしまえば……晴れて最悪の魔王が私の身体で復活していたのですから。


 でも、そうはなりませんでした。そうなっていたら、私はここでのんびりと覗きなんてしていませんから。


 父の誤算は二つ。


 一つは父は既に死んでいて、魂だけの状態になっていたこと。


 そしてもう一つは……私が生前に母さんから魔力を操ることに関してだけはみっちりと叩きこまれていたということです。


 私はいつまでたっても魔法については勉強させてもらえませんでした……父に言っても一向にお前には魔法の力なんて必要ないと拒否され諭されてきたのですが、それは父が私に力を付けさせないためだったのだと今ならわかりますが、当時はそれを父に大切にされているのかと誤解していました。


 ですが、母は私に父の目を盗んでこっそりと魔力操作について教えてくれました。

 正直、その時は魔法も使えないのに操作だけ覚えて何になるのだろうと不満だったのですが、初めて教えてもらえる魔力操作の勉強は非常に楽しくて、私は魔力操作について必死に覚えた事を覚えています。


 そして、魂と言うのは魔力の塊です。どうやったかは知りませんが、父は魔王の装具に自身の魔力と魂を封印したのでしょう、私が父に会いたいと言った際に魂が解放されるように。

 その魔力の塊が私の中に入ってきています。母から魔力操作だけならもう達人級ねと言われた私の中に。


 最初はビックリしたので侵入を許してしまいましたが、冷静になればこの程度の魔力であれば造作もなく私の意思で操れます。

 きっと、母はこういう日が来ることをわかっていたうえで、私に魔力操作を叩き込んでくれたのでしょう。なので私は魔力操作だけならばかなりの自信があるのです。本当……母には感謝です。


 そんな私ですので、魔力の塊である今の父は何の脅威にもなりません。


 私の中で好き勝手に暴れまわり、私の精神を殺そうとしている父は、いつまでたっても私を殺せないことに違和感を感じ……私はその違和感を感じている父を……冷静にゆっくりと押さえつけます。

 最初のうちは抵抗する私に余裕の笑みを浮かべながら、聞くに堪えないような卑猥な事を交えた軽口をたたいてきたのですが……その声は徐々に焦りに変わっていきます。

 まるで駄々をこねる幼子のように暴れまわる父を、私は少しづつ少しづつ、まるで部屋の中の上下左右の壁を狭めるようにして包囲していきます。暴れている父は徐々に徐々に身動きが取れなくなっていきます。


「なんだ……なんだこれは?! なぜお前が……!? 何が起きているんだ?!」


 今度は、私の中で父が動揺する番でした。私の魔力で押さえつけられ、身震いすらできない状態にまで私の中で固めた父を、私は冷めた目で覗き込みます。実際に目を合わせているわけでは無くあくまでも魔力の感覚としてなのですが……。


 私は固まって何かを叫んでいるソレに対して選別を始めます。部屋の整理整頓をするときの様に、父の魂から必要なものと不要品なものを分別する作業を始めたのです。

 まるで、葉物野菜の葉を一枚一枚丁寧に剥がすときの様に……父の魂から私に要りそうなものを少しずつゆっくりと剥がしていきます。


 私の知らない魔法の知識や技術、父が持ち得ている能力、父も忘れているような些細な記憶まで、隅々まで観察し、選別し、私が必要とするもの、不必要なものに分別します。

 魂からそれらを剥がすたびに、父の絶叫が私の中に響きます。最初は私に対する罵倒でしたが、それは徐々に許しを請う声や命乞いに変わります。絶叫しながらの懇願の声を無視して、私は作業を続けます。


 その時に、やっと私は父の事を本当に意味で知ることができたのです。……知りたくもありませんでしたし、知らなかった方がきっと幸せでしたが。


 きちんと分別された父の魂を、私は自身の身体の中から追い出します。不要品は父の記憶全てと魂の核の部分、それ以外の魔力や能力、魔法の知識等の全ては必要なものとして私の中に残して。

 どこから不要品を出そうか迷ったけれど、変な所からは出したくなかったのでとりあえず右掌を上に向けて、そこに不要品を出すことにしました。はじめてやるのでうまくいくかは不安でしたが、魔力操作を操作して私は不要品を掌の上に押しだします。


「……な……なぜ……。なぜ……」


 私の中から出てきた父の魂は、小さな……手のひらサイズの果物程度の大きさしかなく、先ほどの生前の姿からは見る影もなくボロボロになっていました。まぁ、私がボロボロにしたのですが。


 まるで、幼い頃にボロボロになるまで遊んだ後のボールのようなその姿を見ても、私の心には何も浮かびません。ざまあみろと言う気持ちすら起きません。ただただ、冷めた目で私は父を見ていました。

 そのまま、私は父の魂を鷲掴みにします。そこまで力は要れず、けれども逃げられない様に指が軽く食い込む程度に。そして、先ほど父が私にしてくれたように微笑みます。昔、父が好きだと言ってくれた私の笑顔を最期に父に見せてあげました。


「ま……まて……!! 私が悪かっ……!!」


 私が何をするのか察したのか、父の焦った声が聞こえますが相変わらず私の心には何も響きません。私は、父の魂を優しく握ると掌に魔力を集中させます。


 この時、父を相手に私は生まれて初めて魔法を使いました。


 父の知識にある魔法を……父自身に使います。上手にできるか少しだけ不安でしたが、その時の私は失敗しても良い程度の気持ちで魔法を使っていました。事実、何回か失敗しました。

 掌に力が集まるたびに父の苦悶の声が響きますが、私の耳にはただの雑音にしか聞こえません。別に父を苦しめるつもりは無かったのですが、魔法を使うのが慣れないので結果的に父を苦しめることになってしまったようです。そう言う事にしておきます。

 結局、その後も何回か失敗を繰り返し……失敗するたびに命乞いやら何やらを言ってきてましたがそれは無視して……たっぷりと時間をかけて私は父の魂を完全に消滅させました。万が一にも生まれ変わらない様に念入りに。


 父の最後の言葉は何だったか……よく覚えていません。そうして、私は父から知識や力を全部奪って、名実ともに魔王になったのです。


 ……当時のことを思い出して少しだけ嫌な気分になった私は、覗き見している部屋を改めて見てみます。すると、二人はまーだキスをしている真っ最中でした。一回想終えてもまだキスしてるってどれだけ長い間キスしているんでしょうかこの二人は。息継ぎとかどうしてるんですかね、魔法で何とかしてるとか?そうだとしたらずいぶん無駄な魔法の使い方ですが……。


 私は視線を参謀へと移します。目をつぶって幸せそうな、安らいだ顔をしていてキスをしています。私には見せたことの無い表情ですね。彼が父を殺したのは事実ですが、それ以外にも彼について父の記憶からわかったことがありました。


 彼は私の兄でした。


 母親が同じ……所謂、異父兄妹と言うやつです。


 魔王の参謀で、私の婚約者で、私の兄さんと……どおりで婚約者として私に接しておきながら、私に一切の手を出さなかったはずです……。何も知らなかった頃に、一回だけそういう雰囲気になって私から迫ったことがあったのですが……兄さんは青い顔をして嘔吐するという、私にトラウマを植え付けるレベルの反応をしてくれたのです。

 兄さんは緊張してしまってと言い訳してましたが、あの時は私に女性の魅力が皆無なのか、嘔吐するほど醜いのかと落ち込んだものです……立ち直るまで一月はかかりました。全てを知った今では兄さんのあの反応も仕方のないものだと納得していますが。


 兄さんは……幼少期に自分の目の前で父に母を奪われていました。当時、幸せだった兄さんたちの家庭から母を無理矢理に強奪し……兄さんの実の父親もその時に殺されてしまったのです。そりゃ、母と瓜二つで、妹である私に手を出さないわけです……。

 兄さんが殺されなかったのは、母が父に従ったから……。兄さんの生命と生活を保障する代わりに、父の物になるという要求を聞き入れたからでした。そして兄さんは、殺されこそしませんでしたが、ボロボロにされて目の前で母を奪われたわけです。


 それから、兄さんがどういう人生を生きてきたのかは私にはわかりませんが……兄さんは魔王の参謀の地位まで上り詰めました。兄さんに実力もありましたが、父が兄さんの起用に積極的だったのも大きいわけです。それは贖罪とか母との約束とかではなく……自分と母の状態を見せつけるためだったのですけれども。本当に下種です。そうやって煽っていたようです。


 しかしそのおかげで……兄さんは魔王への復讐を果たしたわけです。兄さんを起用した父は墓穴を掘った形になったわけですね。間抜けでいい気味です。


「復讐を果たしたその執念は見事ですけど……それで終わってほしかったですね……」


 私が呟いた独り言は二人には聞こえることは無いのですが、それでもそのタイミングで二人のキスは終了しました。ずいぶん長い間していたものです。

 二人は抱き合ったままで何かを喋っています。抱き合っているのでお互いの顔が耳元にあるためか、その声は不鮮明で良く聞こえては来ませんでした。


「何を喋っているのかな……?」


 私は覗き見をしている魔法を調整して聞こえてくる音を少し大きめにしました。何回か調整すると、こちらに鮮明な音声が聞こえてきました。聞こえてきたのは侍女長から兄さんへの言葉でした。

 この魔法、ほんと便利ですね。父はこの魔法を目当ての女性の弱みを握るのに使っていたようですが。


「魔王様を……お嬢さまをこれ以上に巻き込むのはもうやめにしませんか……?」


 兄さんはその言葉に対して苦渋に満ちた顔をします。


 そう、兄さんの中で復讐は残念ながらまだ終わっていないんです。

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