第70話【密着して、見つかって】
「少し離れててください。追っ払ってきます」
50メートルぐらい先の街路灯に金髪甚平が照らされたのを見て、俺は緋彩さんにそう告げた。
このまま逃げ続けることはできるだろうけど、よくよく見たら緋彩さんの足元はサンダル。擦れた足が少し赤くなってしまっている。
金髪甚平のしつこさに苛立ちもあった俺が1歩踏み出すと、後ろから肩を掴まれる。
「ダメだって」
「えー」
「えーじゃない。あの人たち酔ってるみたいだったし、何されるか分からないからね」
首を振りながら、指で小さく×を作る緋彩さん。
「でも、じゃあどうする──」
「いいからこっち!」
「っ!?」
体重を乗せるように俺の腕を引っ張り、緋彩さんはベンチの後ろにある腰ほどの高さの生け垣を軽やかに飛び越えた。
「うおっ!?」
つんのめるような出足になった俺は、衝突を避けるため無理やりジャンプ。どうにか生け垣は越えたものの、不格好に尻もちをついた。
「いってぇ────むぐっ!?」
堅い土との衝突でケツに痛みが走ったと思ったら、息をする間もなく画面がとんでもない柔らかさに包まれた。息ができねぇ……!
「おっと、ゴメンゴメン」
「ぷはっ!」
頭上から緋彩さんの謝罪が届くと同時に、柔らかすぎる窒息感から解放される。
あわや俺を絞め落としそうになった物体の正体はおおよそ検討がつくというか、目の前で重力の影響でドエロ────ドエラいことになってて目の毒というか、まぁとにかく今は深く考えまい。
「な、なにしてんすか……!?」
「しーっ、静かにして!」
「いや静かにって──」
「あーもう、黙れっ!」
俺の口を自分の手で塞ぎ、押し倒すように体を密着させる緋色さん。
後頭部まで地面について完全に仰向けになった俺は、もう目を見開くことしかできない。
「見つかっちゃうから静かにして。いい?」
「…………コクン」
「すぐ近くまで来てるから騒がないでね」
俺が頷いたのを見ると、緋彩さんは耳元でそう囁いて手を離した。
『おね~さ~ん!』
『どこ行ったの~? 早く遊ぼうよ~!』
さっきより確実に近い距離から、金髪甚平たちの間の抜けた声が聞こえる。足音も聞こえるから相当近いはずだけど、生け垣に遮られてこちらからもその姿は見えない。
「柏くん動かないで……! 見つかっちゃう」
「それは分かってますけど……」
背中は少し湿った土でじんわり冷たく、前面は密着した緋彩さんの身体の熱が伝わってきて寒暖差がヤバイ。あと色々柔らかくて思考力とか語彙力とかもろもろ色々ヤバイ。
「あっ、こらダメだってば」
「す、すみません……」
極力音を立てず緋彩さんとの接触面が減るように身体を捩るが、どうにもならない。
「もしかして、柏くん……」
「?」
「声出せないのをいいことに、色々触ろうとしてない?」
「んなわけないでしょ!?」
『そこかぁっ!?』
あらぬ嫌疑をかけられた俺が思わず普通にツッコむと、それを凌ぐボリュームの声が頭上から響いた。
「やっべっ!」
緋彩さんの顔越しに、生け垣を覗き込む人影が目に入った。どぎまぎしながら寝そべってる場合じゃない。
「すみません」
「きゃっ!?」
緋彩さんの両肩を掴み、上体を起こす。聞いたことないような声が緋彩さんから漏れた気もするけど、そんな場合でもない。
俺は素早く立ち上がり、緋彩さんと生け垣の間に身体を滑らせる。
『やっと見つけた……』
「しつこいんだよ、お前ら────って、は?」
生け垣を挟んで対峙する相手を見て、一瞬思考が止まる。街路灯に照らされるそいつは、金髪でも甚平でも2人組でもなく、なんならよく知った顔だった。
「お前、なにしてんの?」
「なにしてるだぁ……?」
思わず普通にそう聞くと、Tシャツ姿の冬馬は肩をワナワナ震わせた。
「テメェが橘先輩と祭りを満喫してるって宮本に聞いたんでな。嫉妬に駆られてぶっ潰しにきたんだよ!」
「清々しいクズっぷりだな……」
そういや、冬馬たちに会ったから気を付けろって宮本に言われてたっけ。持ち場の屋台に戻っても現れないから頭から抜けてた。
「お前ら、あらぬ方向に消えたって聞いたけどな」
「はっ! 俺を他のアホどもと一緒にすんなよ」
「ほう」
「やつらは宮本が指さした方に一直線に走ってったが、俺は宮本の指先が若干曲がってることに気づいてた」
「漏れなく全員アホじゃねぇか」
なんだ指先って。
「はは、あいつらもバカだよな。その方角に行ったって虹輝は殺せないってのに」
「動機がバイオレンス過ぎんだろ」
さっきから冗談めいたように言葉を続ける冬馬だが、目は全然笑ってない。
生け垣越しに向かい合い、冬馬は笑顔のままふっとい指をバキバキ鳴らした。
「さて虹輝、死のうか」
「イヤだよ。短絡的か」
「短絡的だぁ……? じっくりしっかり考えて、あっさりさっぱり殺すって決めたんだっての」
「なお悪いわ」
なんだあっさりさっぱりって。ポン酢か俺は。
「てか、こんなことしてる場合じゃないんだっての」
「あぁ?」
「いいから、お前も隠れるか消えるかしてくれ──」
『あ~~っ!』
『お姉さんみーっけww』
冬馬のアホを追い払うか生け垣に引きずり込むかで悩んでいると、見たくなかったポン酢のような色の頭があっさりさっぱり目に入った。
「あーくそ……」
「なんだこいつら?」
冬馬が首を捻ると、金髪甚平は揃って眉を吊り上げた。
『こいつらだぁ?』
『舐めんなよガキ、俺ら19だぞ』
『そうそう、もう立派な大人で~す』
最初から持っていたのか、途中で調達したのか、金髪甚平はそれぞれ片手に缶ビールを手にしている。つーか……
「未成年じゃねぇか」
『はあ? 大学生は大人なんだよバーカ!』
『あとこれはお酒じゃありませ~ん! ビールでえぇぇす!』
肩を組んで騒ぐ金髪甚平を見て、冬馬は目を丸くする。
「おい虹輝、なんだこいつら。頭おかしいぞ」
「俺が聞きてぇよ」
「きったねえ髪しやがって。虹輝の前に消すか」
『あぁんっ!?』
『ふざけてんのかテメェ!?』
目を血走らせた冬馬に煽られ、金髪甚平たちの顔が一瞬で赤く染まる。
……あー、なんかこれはもう、アレだな。
「緋彩さん」
「ん? なんだい?」
今にも殴りかかってきそうな2人を視界の端で捉えながら、背後に立つ緋彩さんに目配せをする。
「冬馬のバカが止まりそうにないんで、俺もいきます。不可抗力ってやつです」
「不可抗力ねぇ……。それにしては、柏くんも嬉しそうだけど?」
「え……? いや、そんなバカな」
緩みそうな口元に力を入れると、緋彩さんは呆れたように息を吐いた。
「はぁぁ……。ま、仕方ないか」
「いいんですか?」
「言い訳は私が考えてあげる。だからやり過ぎないでね。あと、ケガもしないこと」
「了解です。すぐ終わらせるんで、少し離れててください」
緋彩さんのお許しを得て、俺は今度はバランスを崩すことなく生け垣を飛び越える。
「なんだ、虹輝もやるのか? 」
「俺も割とムカついてんだよ」
「あっそ。ま、あの酔っぱらい片付けたら次はお前だけどな」
横に立った俺を見て、冬馬は口角を小さく上げて笑う。
「虹輝、お前はそっちの金髪をやれ。俺はこっちの甚平をやる」
「どっちだよ」
「あ? お前から見て右だよ」
「だからどっちだよ。そういうのは向き合ってやんだよバカ」
同じ方を向いてるんだから、俺と冬馬の右は当然同じ金髪甚平だ。
「誰がバカだ!」
「バカはお前しかいねぇよ!」
「つーか、てめえ羨ましいんだよ! 俺にも会長か赤福さんのアドレス教えろや!」
『なに遊んでんだガキ!』
『来ねぇならやっちまうぞコラ!』
共闘する前から息が合わない俺と冬馬のやり取りを見かねてか、見た目からタイミングまで息ピッタリのまま突っ込んでくる金髪甚平2人。
「あーもううるせええぇ!!」
「いい加減紛らわしいんだよお前ら!!」
冬馬のアホにも金髪にも甚平にも腹が立ち、俺は軽く握った拳を鋭く振り抜いた。
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