第69話【マグネット戦争】

喧騒とした商店街を抜けた俺たちは、そのまま明確な目的地もなく走り続けた。祭りの会場からはかなり離れて、周囲は暗く静かないつもの夜を取り戻している。


「ふぅぅ…………ちょっと休憩」


まぁ、いつものと言うには少し状況が特殊過ぎるか。けっこうなペースで飛ばしたのもあって、流石の緋色さんも息が上がっている。


「ちょっと休憩しよ?」

「ですね」


急に走り出したもんだから、俺も普通に横っ腹が痛い。


「とりあえず、あそこ座りましょう」


空いた片手で腹を押さえながら、ちょうど目に入ったベンチへ緋彩さんを誘導する。ここなら周りもよく見えるし、もし金髪甚平たちが追ってきていてもすぐ気付けるはずだ。


「つっかれた~」


背中から押し潰すようにベンチに腰かけた緋彩さんは、スマホ取り出すと片手でなにやらメッセージを打ち始めた。


「これでよしっと」

「なにがです?」

「屋台に売上のお金置いてきちゃったからね。唯に連絡して取りに行くようにお願いしたのさ」

「あー、なるほど……って、危なくないですかね?」


今日の売上を放置はできないけど、金髪甚平たちがまだ屋台の周りにいないとも限らない。似たような連中もそれなりに多いだろうし。


「大丈夫大丈夫、近くのお巡りさんと一緒に行くように伝えたから」


ぬかりはないよ~としたり顔で親指を立てる緋彩さん。

どうせお巡りさんに頼るならいっそここまで連れてきてくれれば万事解決だけど、俺自身ここがどこなのかイマイチ分かっていない。追っ手を撒こうと夜道を適当に走りすぎた。


「…………」

「じっ……」

「…………」

「じいぃぃぃぃ」

「………………どうしました?」


これからどうしたもんかと考えていると、真横からやたらと緋彩さんの視線を感じた。

耐えきれずに顔を合わせると、緋彩さんは小さく笑って視線を下に向ける。


「いや、いつまで握ってるのかな~って」

「え…………うぉわ!?」


誘導されるように下を見ると、緋彩さんの白く細い手を、日焼けしたゴリゴリの俺の手が包んでいた。

反射的に離そうとすると、何故か緋彩さんはもう片方の手で上からそれをロック。


「な、なにしてるんです?」

「いやいや、離せって言ってるんじゃないのよ。いつまで握ってるんだろって思っただけで」

「そんなん言われたら離すに決まってるでしょ────って、全然離れねえ!?」


急に恥ずかしくなって引き剥がそうと力を入れるが、緋彩さんはそれを上回る力で両手サンドを続ける。


「いやいや、離さなくていいんだよ」

「いやいや、離しますって」

「怖くて震えてる女子を放り出す気かい?」

「力入れすぎてプルプルしてるだけじゃないですか!」


なんだこの人、なにがしたいんだ……?


狂った磁石のようにお互いの手を引き付けたり剥がそうとしたり格闘することしばし、そうしてることすら恥ずかしくなった俺が折れることでマグネット決戦は終局を迎えた。


「はぁ……はぁ……分かればいいんだよ」

「なに一つ分かってませんって。さっきより息上がってるじゃないですか」

「柏くんが無駄に抵抗するから疲れちゃったよ」


責任を俺になすり付け、ぐで~っとだらしなくベンチに身を任せる緋彩さん。

仕方なしに、俺も同じように力を抜いて藍色に染まった空を見上げる。


「夏ももう終わりだね~」

「まだ当面はバカみたいに暑いはずですよ」

「そりゃ気温はそうかもしれないけどさ~。8月が過ぎれば夏は終わりだよ」


澄んだ瞳に星を映して、緋彩さんは落ち着いた声色でそう言った。

汗が引いて風が冷たく感じるなか、繋いだ手だけが温かいのが気恥ずかしくて仕方ない。


「柏くんはこの夏なにしてたの?」

「俺ですか? 部活で泳いで……あとは餓死しないように納豆食ってましたね」


親が出張に行ってからというもの、我ながら酷い食生活だった。最初に緋彩さんが突撃してこなければ、その時点で餓死していた可能性がリアルにある。


「俺、今までの夏休みも部活してるか寝てるだけだったんで、なにしてたとかあんま覚えてないんですよね」

「そりゃ寂しいね。ま、それは私もだけどさ~」

「そうなんですか?」


顔を少し傾けてそう尋ねると、緋彩さんはコクンと小さく頷いた。


「勉強して妹で遊んで、テレビ見て勉強して妹で遊んで、たまに友達と出掛けて帰ってきたら妹で遊んで──ずっとこんな感じだったと思うよ」

「妹で遊びすぎでしょ。せめて妹と遊んでくださいよ」


姫乃は積極的に外出するタイプじゃないだろうし、緋彩さんに遊ばれてるのはイメージしやすい。なんだかんだ仲良いからなぁ。


「ま、それでもさ~。今年は良い思い出ができたよ」

「そうなんですか?」

「そうだよ。柏くんちでご飯作って、耳掻きして、プールで遊んだりもできたからね」

「今度は俺ばっかじゃないですか」

「ふふ、そうだね~。今はこうして一緒によく分からない状況に巻き込まれてるし──」


緋彩さんはそこで言葉を止めると、ゆっくり俺の方を向いて無邪気に笑った。


「──だから、今年は大満足だよ」


自分を引き合いに出されてる手前、至近距離で笑いかけられるとなんか身体が暑くなる。


「……ま、それなら良かったです」

「90点はつけれるかな~」

「満点じゃないんですね」

「そりゃそうだよ。私、100%満ち足りてるなんて思うほど謙虚な女じゃないし」


俺の手の中で自分の手を動かしながら、緋彩さんは大きく澄んだ目をズイっと近づけてくる。


「…………ど、どうしました?」

「ん~どうしたってなにが?」


しどろもどろになる俺を見て、緋彩さんの目に怪しい光が灯る。


……なんか妙な雰囲気になっちまった。


「ねぇ、なんで黙ってるの?」

「…………えーっと」

「ねぇってば────────あ」


動くに動けない俺が反応できずにいると、緋彩さんの目が一瞬俺から逸れた。


「ざ~んねん。邪魔が入っちゃった」

「邪魔?」

「さ、柏くん立った立った!」


小さく息を吐き、軽やかに立ち上がる緋彩さん。


『おいおい! どこ行った!?』

『早く遊ぼうぜぇ!!』


やたらデカい声が静寂を裂くのと同時に、視界の端に金髪甚平の姿を捉える。ようやっと状況が理解できた俺は、少しほっとしながら緋彩さんに続くようにベンチから腰を上げた。

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