第62話【布地面積80%オフ】

姫乃が緋彩さんへの挑戦権を獲得してから三日後。

部活を終えた俺は、更衣室で着替えることなく一人プールに浮かんでいた。


「あああぁぁ、疲れた……」


全身運動を無呼吸で行う水泳後の疲労感たるや、家帰って飯食って寝る意外のことが考えられない。


それなのに何故ちんたら浮かんでいるかというと、それは姫乃宮本コンビの試食テロを避けるためにほかならない。あの二人、昨日も一昨日も部活が終わった俺を呼び出して試作したお好み焼きを振る舞ってくれたのだが……これがまあ酷いというか凄いというか。


異次元路線なら勝機アリというアドバイスを真に受け過ぎたのか、昨日のお好み焼きに至っては大量のマシュマロがトッピングされて甘味の極地。部活後の空腹に襲われていた俺はホイホイ誘いに引っ掛かり、無事強烈な胸焼けと夜を共にすることになった。


「4日連続は無理だよなぁ」


誘いがあるかも謎だけど、メッセージを見たら無視する訳にもいかない。かと言って今アレを食べたら明日は部活どころじゃなくなる。

そんな訳で、俺は部活の先輩後輩がプールを後にしてからも、こうして一人少年漂流記を続けているのだった。


「…………」


全身の力を抜いて浮力に身を任せる。

目を瞑って静まり返った水中の音に耳を傾けていると、誰もいない空間で自分の存在をより強く感じることができた。たまにはのんびり水と戯れるのも悪くない。


そのまま、どれだけそうしていただろうか。


「……~い……くん」

「…………」

「……お~い、柏くんってば」

「……ん? うおぁ!?」


遠くから呼ばれた気がして目を開けると────


「やっと気づいた。寝てたの?」


すぐ側のプールサイドに、緋彩さんがちょこんと座っていた。


「えっ、なっ……!」

「ん? どしたの?」


足を着いて立ち上がってみたものの、続く言葉が出てこない。

金魚のように口を開閉させる俺を見て、緋彩さんはクスクス笑いを溢した。


「なにをそんなに慌ててるのさ?」

「な、なんでここにいるんですか? てか、それよりその格好……」


ここにいる理由より、どうしてもソレが気になってしまう。


緋彩さんが纏っているのは水着。制服や私服でいられても困るし、それはいい。問題はその種類。

学校のプールにはまったく適してないというか、ビキニというか、圧倒的に布地が足りてないというか、ビキニというか……ビキニだ。


「あ~これ? 前のがキツくなったから、夏前に買ったのさ。おニューだよ?」

「入手した経緯とか時期を聞いてるんじゃなくて……」

「買ったはいいけど着る機会がなくてね~。ほら、私って受験生じゃん?」

「違う、そうでもなくて……」

「せっかくだから柏くんに見せてあげようと思ってさ~。どう? 似合うかな?」


俺が聞きたかったことをサラっと答え、緋彩さんは立ち上がって両腕を腰に当てた。

強めの青を基調とした水着は、上下ともアクセントの白いフリルが揺れている。

というか、サイドにまとめられた髪も揺れてるし、勢いよく立ち上がったせいで水着の中身も揺れまくってる。


「似合ってますけど……なんつー格好してんですか」


いかにプールと言えども、ここは学校。ビキニが生息していい場所じゃない。


「いいじゃん、誰もいないんだし」

「俺がいるでしょうが!」

「ま~ま~、そう堅いこと言いなさんなって。ほれほれ、眼福でしょ?」


あきらかに面白がった声色でそう言う緋彩さん。


「甘く見ないで下さいよ。眼福もなにも直視できません」

「ありゃつれない……。っていうか、そのガタイで純情ぶってもキモいだけだよ?」

「うるさいな余計なお世話ですよ!」


毎日毎日泳いじゃいるが、目に入るのなんてゴリゴリのマッチョばかり。

たまに女子水泳部と時間が被っても当然お互い競泳用水着だし、変な目で見ようもんなら追放ものだから極力目に入れないようにしている。ビキニの先輩耐性なんてゼロもいいとこだ。


「そもそも、なんで俺がここにいるの分かったんですか?」

「ん~? まあ、柏くんの考えてることなんて緋彩さんはお見通しってことだよ」

「一応言っときますけど、全然答えになってませんからね。それ」

「え~そうかな?」


顎に手を当て、少し目を細めて俺を見据える緋彩さん。


「大方、唯と姫野の料理から逃げてるんじゃないの? 違う?」

「……違わないですよ。あの二人が学校で練習してること知ってたんですか?」

「知ってたっていうか、あの子たちは分かりやすいからね~。そんなことだろうと思ったよ」


なんでもないことのようにそう言うと、緋彩さんはちょいちょいと手招きした。


「柏くん、いつまでもそんなとこいないでこっちおいでよ。目線の高さが違い過ぎて変な感じするし」

「え? いや、緋彩さんが入ったらいいじゃないですか」


ここはプールなんだから、水の中にいる俺の方がむしろ普通……ってのは方便で、実際は自分から近づきたくないだけだ。地上で布地面積80%オフの緋彩さんを前にして、万が一、億が一でも勃起したら洒落にならない。


「え~でも髪濡れるの嫌だしな~」

「じゃあなんでプールに来たんですか……」

「う~ん、まあ柏くんが下から見るおっぱいが好きならこのままでもいいよ」

「は?」


……お、おっぱい?


「さっきからずっと見てない? そんなに下からがいいなんて、変わってるね」

「違う! 顔見てるだけだから! 角度的に仕方ないだけだからっ!!」


未来の勃起を防いでも、現在進行形で変態レッテルが貼られちゃ意味がない。

俺は水着の下のポジションを直しつつ、プールサイドに向かって水を掻いた。

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