第63話【ドスケベと嘘つき】

「さ~て、水着はお披露目しちゃったし……なにしよっか?」


両手を組んで伸びをして、緋彩さんは小さく首を傾けた。

この人、マジでこのためだけに来たのか。


「どうでもいいですけど、恥ずかしくないんですか?」


俺目線だと、ビキニ緋彩さんIN学校のプールは浮きに浮きまくっている。それは緋彩さん目線でも同じなわけで。

水着を見せに来たという異性に言うことじゃないのは分かってるけど、あまりに堂々としてるから思わず口に出してしまった。


「恥ずかしくないよ? ていうか、柏くんこそ上半身丸出しで恥ずかしくないの?」

「俺が隠してたら怖いでしょ……。それにまあ、恥ずかしくはないですよ。鍛えてるんで」

「たしかに……ふへへ、キミって脱ぐと凄いんだね」


口元をわざとらしく歪め、危ないオッサンのようなことを言う緋彩さん。


「でも、私だって脱ぐと凄いんだよ。どう?」

「どうと言われましても……」


一歩詰め寄ってくる緋彩さんから、同時に一歩距離を取る。

緋彩さんのスタイルが良いのは普段から重々分かっちゃいたけど、こうしてその成長度合いを見せ付けられると直視なんてできたもんじゃない。


前に姫乃に泳ぎ方を教えたときとは、緊張感の種類が違う。


「フフフ、好きなだけ盗み見てくれて構わないよ。私も自信あるからね」

「は、はあ……」

「柏くんの交渉次第じゃ少しぐらい触らせてあげないこともないけど?」

「帰ります」

「えっ!? 待った待った!」


身体を反転させてその場を後にしようとすると、緋彩さんは即座に俺の腕を掴んで元の向きに戻した。


「まったく……冗談はやめてよ」

「そっくりそのままお返ししますよ。冗談は程々にしてください」


盗み見どころか触っていいなんて、冗談でも3回言われたらお縄覚悟で突撃する自信がある。

緋彩さんは「ゴメンゴメン」と小さく舌を出すと、足が止まった俺の手を解放した。


「髪が濡れるから泳ぐのは嫌なんだけど、このまま帰るのもな~」

「早く帰りましょうよ。誰か来たらどうするんですか」


経験上、この時間に誰か現れることはないとは思う。ただ、万一冬馬たちに見つかろうもんなら戦争は避けられない。


そんな俺の心配など歯牙にも掻けない緋彩さんは、周りをきょろきょろ見渡すとある一点で目を留めた。


「アレ、使っていいのかな?」


目線の先には、プールサイドの一角に設置された水泳部の用具置き場。

緋彩さんはその中のビート板の山を指差していた。


「別に大丈夫じゃないですか? 壊したりしなければ」

「そっか。じゃあアレで遊ぼう」

「え?」

「ちょとと待ってて~」


言うが早いか、緋彩さんは軽い足取りで用具置き場に向かうと、両手にありったけのビート板を抱えて戻って来た。


「私、昔からコレで水面に立ってみたかったんだよね」

「あー、遊ぶってそういう……。でも、結構難しいと思いますよ?」


ビート板を足の下に沈めてその上に乗るってのは、俺も小学生の頃に散々やった。ただ3枚程度じゃ浮かないし、5枚を超えるとバランスを取るのも難しくなる。


「10枚ぐらいあれば浮くんじゃないの?」

「浮くかもしれませんけど、そんなのバランス取れないし危ないですって」

「う~ん、まあそこは柏くんが上手いことアシストしてよ」

「え?」

「手で押さえててくれれば大丈夫だから。ってことで、さっそく準備してくれるかな?」


そう言ってプールを指差す緋彩さん。

どうやら落ちないように水中から支えろっていうことらしい。まあいいか、そんぐらいなら。


俺が足からプールに飛び込むと、緋彩さんは手に抱えたビート板を水面に積み重ねていった。


「両足にそれぞれ5枚もあれば浮くよね、私?」

「浮くとは思いますけど、マジで気を付けてくださいよ」


積み上げられたビート板はケバケバしいミルフィーユのようで、5枚でもそれなりの厚みがあった。

左右のビート板タワーが飛び散らないよう、両側から手で押さえつける。


「乗っていい?」

「ゆっくりですよ? あと、立つのはプールサイドから離れてからにしてください」

「は~い。頭打ったら嫌だもんね」


間延びした返事をして、身を屈めた緋彩さんは片足をビート板に乗せた。


「コレ……めっちゃ怖いね。超グラグラする」

「そりゃ人乗せる道具じゃないですからね。一人でやったら既に転覆してますって」

「そうだね────っと!」

「うわっ!?」


怖いなんて言ってた割に思いきりよくビート板に上陸した緋彩さんは、正面から支える俺の頭を両手でガッシリ掴んできた。


「へへ~、これで少しぐらい揺れても大丈夫」

「掴むのはいいですけど、沈めないでくださいよ。死にますから」

「そんなことしないって。それより、柏くんも上見ないでよ? 今こっち見たら明日から柏くんのことドスケベ・ザ・スタンハンセンって呼ぶから」

「見ませんって。だから絶対呼ばないでください」


正直言うと、緋彩さんが頭を掴もうとしたときに少し目に入ってしまった。ただ……まあ、うん。実際この角度は刺激が強すぎる。


ちょうど目線の高さに緋彩さんが屈んでいるもんだから、真正面には生脚、少し目線を上げたら肌色大増量中の上半身。正気でいられる光景じゃない。


っていうか、見ろって言ったり見るなって言ったり、なんなんだこの人は。


モジモジとバランスを微調整していた緋彩さんは、ようやくポジションが固まったのか、合図するように俺の頭を軽く叩いた。


「よ~し、それいけドスケベ!」

「呼ばないで! んで略さないで!」


後半を略されたら、そりゃもうただのドスケベだ。それいけなんてアンパンマン的なテンションで呼んでいい存在じゃない。


「ったく……ひっくり返らないでくださいよ」


緋彩さんの合図を受けて、慎重に一歩ずつ後退していく。

両腕でガッチリビート板をホールドし、プールサイドから十分距離を取ったところで足を止める。


「ここなら最悪落ちてもケガはしないと思いますけど……立てそうですか?」

「ふ~……やってみるよ」


頭上から、集中した緋彩さんが深い息を吐く気配が伝わってくる。

俺が支えているとはいえ、少しバランスを崩しただけでビート板ごと吹き飛ぶのは間違いない。


「あ、そうそう柏くん」

「?」

「私、カナヅチだから。落ちたら救助よろしくね」

「は……えっ?」


思わず上を見上げると、俺の頭をロックしたままの緋彩さんと目が合った。

真っ直ぐ俺を見たまま、緋彩さんは不敵な笑みを顔全体に広げる。


「あ、コラ。な~んで上を見るんだい?」

「スミマセンつい……じゃなくて、泳げないって嘘ですよね?」

「ホントだよ? 私アネアネの実を食べた全身お姉ちゃん人間だから、お風呂入るだけで全身から力が抜けちゃうんだよね~」

「それはリラックスしてるだけじゃ……」


てか、なんだ全身お姉ちゃん人間って。

アネアネの鞭とかただの近親SMだし、アネアネのロケットに至っては現在進行形で破壊力がヤバい。どこのこととは言わないけど。


「ってな訳だから、もし溺れたら責任とってね」

「んな無茶な」

「柏くんなら大丈夫だって。姫乃も助けてくれたんでしょ?」

「……それはまあ、そうですけど」

「同じようにしてくれればいいから。頼むよ~」

「えぇ……」


夏前の一件がフラッシュバックし、耳が急速に熱くなるのを感じる。

同じようにって、この人意味分かって言ってるのか?


「じゃあ、立つよ」


そう言うと、緋彩さんは俺の頭から手を離してゆっくり膝を伸ばし始めた。

グラグラ揺れるビート板が分裂しないよう、俺も両腕に力を込める。


「────────よっと」

「マジか」


すんなり立ち上がった緋彩さんを見て、思わず声が漏れる。


「あれ? 普通に立てちゃったよ?」

「普通無理だと思うんですけどね」


両腕を広げてバランスを取ってはいるけど、特に危なげもなく安定期に入ったように見える。


「遊びも一流なんて、さすが私」

「なんかあっさり決まっちゃいましたね」


正直立つこともなく落ちると思ってたのに、この人の前ではそんな心の準備は無用だったらしい。まあ、らしいっちゃらしいか。


「ね、ちょっと拍子抜けだよ~。もっとこう、バシャってなってギュルンってなってバシッってなるかと思ってたのに」

「最後、俺殴られてるじゃないですか……。何したんですか?」

「え、聞きたい?」

「……いや、いいです。それより、このまま運ぶと危ないんで満足したらまた座ってください」


緋彩さんなら立ったままプールサイドに運んでも問題ない気はするけど、まあ安全にいくに越したことはない。


「あ、そ~だ忘れてた。柏くん、ちょっとこっち向いて」

「え?」


ビート板を押さえつけるのも疲れてきたしボチボチ頃合いかなーなんて思っていたら、不意に緋彩さんから声が掛かった。

上を向くと、相変わらず器用にバランスを取る緋彩さんの手には何故かスマホ。


「せっかくだし写真撮ろうよ~」

「っていうかちょっと待ってください。どこから出したんですかソレ?」

「え、これ? 挟んでただけだよ?」

「どこに!?」


腕の疲労とかバランスとか、もうそれどころじゃない。

挟むってなんだ。どこにだ。


「あははっ、ドスケベってば必死過ぎ。ホントに柏くんって呼んじゃうよ?」

「あ……すみません取り乱しました。ていうか逆です。めっちゃ逆」


ナチュラルにすげ替えられる俺の名前。

競泳の大会で電光掲示板に『DOSUKEBE』とか、ネットに晒されて人生詰むレベルでヤバイ。


「あれ、リアルに間違えちゃった」

「勘弁してくださいよ」

「ゴメンゴメン。じゃあ写真撮るからこっち向いて~」


気を取り直して、頭上にスマホを構えてポーズを取る緋彩さん。

手が離せないので、俺も目線だけカメラに向ける。


「ちょっと柏くん、笑って笑って」

「あ、はい」

「そうそう、良い感じ。インスタに上げるからもっとはっちゃけちゃって~」

「ちょっと待ってください。ネットに上げるんですか!?」


写真撮るのはいいけど、それを電脳世界に流すのはマズい。

冬馬たちに見つかったら言い訳できずに問答無用で殺される。


「安心して。加工アプリでちょちょっとイジるから」

「あ、そうなんですね」


俺だってバレなきゃ、まあいいか──


「目おっきくして、耳とかつけてあげる」

「意味ない! それはまったく意味がない!」

「はい、チーズ」

「ちょっ、せめて目! 目を隠させて────うおっ!?」

「うわっ!?」


とっさに顔を隠すために片腕を上げると、その拍子に押さえつけていたビート板が盛大にハジけ飛んだ。と同時に、足場を失った緋彩さんが頭上から落下してくるのが目に入る。


「クソッ!」


自分のミスを責める前に、緋彩さんを受け止めることに全神経を集中させる。

後ろ向きで水面に落ちる直前の身体に両腕を伸ばすと、重みを感じた瞬間には俺は水の中に沈んでいた。


「ゴホッ……ゴホッ……だ、大丈夫ですか!?」


全力で床を蹴って浮上し、腕の中の緋彩さんに声を掛ける。

抱きかかえられた状態のまま、緋彩さんは見たことないぐらいのスピードで目をパチパチさせていた。


「すみません、俺のせいです。ケガとかしてないですか?」

「…………あ、うん。大丈夫」

「良かった。心臓止まるかと思いました」


スローモーションで緋彩さんが落ちて来るのが見えたときは、完全に事故を覚悟した。とりあえず、ケガがないなら一安心だ。


「……………………」

「ん?」


ほっと一息吐いた俺とは逆に、緋彩さんは身じろぎどころか呼吸すらしていない。

…………あれ?


「緋彩さん……?」

「……………………はっ!?」


至近距離で顔を覗き込むと、緋彩さんの長いまつ毛に乗った水がパッと弾けた。

借りてきた猫のように大人しくなった緋彩さんは、胸の前で手を組むと、それこそ猫のような俊敏さで俺から離れた。


「わ、私……」

「?」

「急用思い出しから帰るね! それじゃ!」


そう言って、もの凄い勢いで泳ぎ去る緋彩さん。

プールから上がって全力で走るその背中は、瞬く間にシャワー室へと消えて行った。


「…………え?」


取り残された俺の周りには、散乱したビート板が緋彩さんの起こした波に乗って漂っている。


「やっぱ嘘だったんじゃねえか」


水泳部顔負けのスピードで泳ぎ去った緋彩さんの姿を思い出しながら、俺はビート板と同じように全身を水に預けた。

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