第55話【命の危機とポニーテールと】
姫乃のイタコクッキングで血中の塩分濃度を爆上げした翌日、俺は昨日と同じようにひたすらソファーでグダグダしていた。
明日からはまた部活が始まるし、可能な限り穏やかに過ごしたい……。
とまあそんなことを思っていた訳だけど、いきなりというか若干予想通りというか、もうすぐ15時になろうかというタイミングでスマホがブーブー振動した。
横になったままスマホを確認すると──
『柏君、家にいるよね?』
宮本からメッセージが届いていた。
うん、なんか分からんけどそんな気はしてた。
「いるけど、どうした?」
『今柏くんちの近くまで来てるんだよ』
『ちょっとお邪魔してもいい?』
「いいよ。鍵開けとくから勝手に入って来て」
『はーい』
手早くやり取りを済ませ、適当なハーパンを穿いて玄関のカギをアロホモーラ。
リビングに戻って二人分の麦茶を用意していると、軽快な足音とともに宮本が姿を現した。
「お邪魔しまーす。あ、柏くんヤッホー」
「おう」
「今日もあっついねえ。部活休みで良かったよ。こんなん外で走っていい気温じゃないって」
「ホントそれな。麦茶用意してあるから適当に飲んでくれ」
テーブルの上のグラスを指差すと、宮本は喉を鳴らして麦茶を一息で飲み干した。
「ぷはーっ! 生き返るぅ!」
「花金のおっさんか。おかわり必要なら言ってくれ」
「ありがと。ていうか、やたら用意いいね」
グラスをテーブルに置き、宮本は小さく首を傾げた。
「素直に家に上げてくれたのも意外だし。なんか拍子抜けって感じ」
「あー……まあ色々あったんだよ」
「色々?」
「なんつーか、この前緋彩さんと姫乃が来てさ。そこらへんの押し問答はそのとき済ませてある」
昨日姫乃が来た時点で、遅かれ早かれ宮本も訪ねて来るような気はしていた。
宮本だけ家に入れないってのも変な話だし、突撃姉妹に比べたら宮本は準備させてくれた方だ。今のところ冬馬たちにバレる気配もないし、まあ問題ないだろう。
とりあえず、クラスのアホたちに命を狙われていることは簡単に説明しておく。
「なるほどねー。そりゃ大変だ」
「他人事みたいに言うなよ。ってか、同じクラスなんだから止めてくれって」
「止めたところで止まらないでしょ、細坂くんたちは」
「まあ……それはそうだけど」
やつらは自分が不幸せになってでも人の幸せを吹き飛ばしにくるタイプだ。嫉妬深くて粘着質なのに行動力SSとかマジ厄介。
「っていうか、やっぱり緋彩さんたちも来たんだ」
ポツリとそう言って、宮本はソファーに腰を下ろす。
改めてその姿を見て、俺はちょっとした違和感の正体に気が付いた。
「なんか、アレだな」
「ん?」
「私服の宮本って新鮮だわ」
「え……えっ!?」
きょとんとした顔を一瞬で赤く染める宮本。
「な、なんかおかしい!?」
「あー、ゴメン。別に変な意味じゃなくて」
宮本は制服よりもジャージや体操着のイメージの方が強い。陸上部ってのもあるし、なにより本人が元気印だし。
ただ、今日の宮本は腰高のロングスカートにノースリーブのTシャツを合わせていて、普段とは違った落ち着いた印象を受ける。
「上手く言えないけど、大学生みたいだわ」
「どうせ汗かくし、私は適当な格好で出ようとしたんだよ! でもママがしっかりした服着てけってうるさくって……」
言及されて照れているのか、宮本は頭を振りながら早口で謎の言い訳を続けている。
それに合わせて、制服でもジャージでもロングスカートでも変わらないポニーテールが後頭部でピョコピョコ踊っていた。
「あーもう、なんか超恥ずい! 柏くんもスーツとかに着替えてよ」
「なんでだよ。ヤダよあちーし」
「えーズルじゃん────あ、そうだ」
唇を小さく尖らせた宮本は、赤い顔を隠すように手元の鞄をゴソゴソ漁り始めた。
「はい、これ。忘れる前に渡しちゃうね」
「ん?」
宮本から手渡されたのはピンク色の包装紙が巻かれた2つの箱。
たまに出張帰りの親父が買ってくる東海地方の銘菓・赤福だった。
「え、貰っていいの?」
「うん。パパが出張先で買ってきたんだけど、ママが持って行きなさいって」
「親父さんが食うんじゃないのか?」
「ママが良いって言うなら良いんじゃない? 友達の家で料理しようと思うって言ったら、『あんた料理なんてしたことないんだから止めなさい』って無理やり持たされちゃった」
そう言うと、宮本は小さく肩を竦めてやれやれと首を振った。
「私も舐められたもんだよ。料理ぐらい一流シェフの霊が下りてくればどうにかなるのに」
「お前も憑依待ちだったのか……」
止められなかったら、また俺の血中塩分濃度が急上昇してた可能性があったらしい。ありがとう、まだ見ぬ宮本ママ。
「くれるってならありがたく貰うよ。サンキューな」
「私は運んだだけだから気にしないで!」
「あ、そうだ。せっかくだから今少し食べようぜ。最近甘いもん食ってなくてさ、正直我慢できない」
「いいねいいね! 食べよう!」
パンッと手を叩くと、宮本は跳ねるようにソファーから立ち上った。
赤福の箱を宮本に託し、俺は空になったグラスに麦茶を入れるべくキッチンへ。
「ふー……」
なんとなく宮本が来て、なんとなく大変なことになる気がしていたけど、どうやら杞憂だったらしい。
冷静に考えたら、出入りの瞬間だけケアすれば家に上げたなんてバレようがないし、ビビり過ぎだったのかもな。
クラスの男子連中でそれなりに家が近いのは冬馬ぐらいだし、その冬馬にしたって普段は部活三昧のはずだ。そもそも、まず会うことがない。
と、油断したのが潮目だったのか。
────ピンポーン。
グラスをテーブルに置いたタイミングで、聞きたくない音が鳴り響いた。
瞬間悪寒に襲われるも、反射的にモニターに目を向ける。
『おーい虹輝、いるんだろ?』
モニターに映っていたのは、今一番見たくない男────細坂冬馬。
『やっぱ1人で釣りしててもつまらなくってさ……へへ、来ちゃった』
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