デッド・オア・ハーレム

第54話【憑依待ち】

「ってなわけで先輩、パパッと作っちゃうんで少々お待ちください」

そう言うと、姫乃はしっかりした足取りでキッチンの方に向かっていった。

どうやら、炎天下で負ったダメージは回復したらしい。

「え、飯作ってくれるの？」

「助けに来たって何回も言ってるじゃないですか。まともなもの食べてないんですよね？」

「そりゃまあ、そうなんだけど」

生徒会室で食費壊滅の話をしたときは、まさかこんなことになるなんて思わなかった。リアルに命の危険があることを度外視すれば有難い限りだ。

「てか、姫乃も料理できるんだな」

「私『も』ってことは、やっぱり姉さんの料理も食べたんですね。大丈夫ですか？ 胃袋とか改造されてません？」

「姉をなんだと思ってるんだよ」

ダイジョーブ博士じゃあるまいし、そんなバカスカ改造されてたまるか。

「ちなみに、姉さんは何を作ったんですか？」

「緋彩さん？ えーっと……あれだ、親子丼とツナのトマト煮込み」

納豆納豆、雨、納豆暮らしの中にあって、あの日の夕飯は偏差値７５ぐらいあった。

「ふむ……姉さんにしては簡単に済ませましたね」

「そうなのか？ まあ、材料が缶詰めぐらいしかなかったからな」

食費が限られている以上、肉や野菜を買って失敗するのが一番怖い。

まさか人が作ってくれるとは思わなかったし。

「あ、そうだ。買いに行かないと今日もまともな材料はないぞ」

「外出するのは断固拒否です」

「だよな」

二人で買い出ししてるところを見られたら即アウトだし、やっと回復した姫乃を一人で行かせるわけにもいかない。無論、俺も出たくない。

「私も有り合わせで頑張ってみます」

「大丈夫なのか？」

「任せてください。姉さんとの違いを見せてあげます」

そう言って、冷蔵庫や棚の食材を確認する姫乃。

ま、本人が大丈夫って言うなら大丈夫なんだろう。

自炊能力ゼロの俺がいても邪魔なだけだし、米だけセットして大人しく待ってることにする。

「先輩、なにかオーダーはありますか？」

「そうだな……。ま、米が進めばなんでもいいよ」

「塩っ気重視ってことですね。了解です」

時折聞こえてくる包丁やフライパンの音に耳を傾けながら、椅子に座って待つことしばし。姫乃が箸とコップを持って食卓に戻って来た。

「お待たせしました」

「お、もうできたん？」

「はい。運んでくるので少し待っててください」

「サンキュー」

言われた通り座って待っていると、目の前に白米のドンブリが置かれた。続いて現れたのは小皿に盛られた納豆。

…………ん、納豆？

「……おい、姫乃」

「ちょっと待っててくださいね」

そう言った姫乃は、最後に溶いた生卵の皿をテーブルに置くと小さな手の平を俺に向けた。

「どうぞ、召し上がれ」

「召し上がれるか！」

俺が勢い任せに立ち上がると、姫乃は目をパチパチ瞬かせた。

「え、どうしたんですか？」

「どうしたもこうしたも、まだ納豆と卵しか来てないぞ……」

食卓に並んでいるのは米と納豆と卵。この夏休みで死ぬほど見てきたアンハッピーセットだ。

「先輩、何を言ってるんですか」

「え？」

「いつもの納豆卵丼と一緒にしないでください」

立ち上がった俺の目を見て、姫乃は盛大にため息を吐く。

「今日の納豆と卵は──お皿に入ってるじゃないですか」

「盛り方の問題じゃねえよ！」

皿に盛ろうがパックのままだろうが米に乗せようが、納豆は納豆だ。

味は変わらないし、なんなら洗い物が増えるだけ損な気がする。

「え……おかしいですね」

「何が？」

「ＪＫの中では“バエ”っていうのが流行ってるって聞いたんですけど──先輩って流行とか気にしない系男子なんですか？」

「男子って言ってるじゃねえか！ そうだよ、俺はＤＫなんだよ！」

「ドンキーコング？」

「はっ倒すぞ」

両肩を掴んで揺すると、姫乃はされるがまま首をカクンカクンさせた。

「てか、お前包丁とかフライパン使ってたじゃねえか！ あのトントンジュージューはどこいっちまったんだよ！？」

「そ、それは……」

追及を逃れるように、気まずそうに目を逸らす姫乃。

「缶詰めや保存食で何か作ろうと思って」

「おう」

「色々混ぜたり炒めたりしてたら」

「おう」

「その…………お亡くなりに」

「Ｏｈ……」

……な、なるほど。

早い話が、失敗してしまったということか。

「そういうことか。取り乱して悪かった」

「いえ、こちらこそ済みませんでした」

俺が肩から手を離すと、姫乃はペコリと小さく頭を下げた。

「いや、いいんだ。俺だって料理なんてまったくできないし」

料理ができない俺を見かねてわざわざ家まで来てくれたのだ。

たまたま失敗したからって、それを責めるのはお門違いにも程がある。

俺が極力優しい声音でそう言うと、姫乃はどこか儚げに笑った。

「やっぱり、普段一切作らないのに適当にやるもんじゃないですね」

「料理できるんじゃないのかよ！？」

「え……？ いや、言ったじゃないですか。姉さんとの違いを見せるって」

「そういう意味かよ……。ならなんで適当にやっちまったんだ……」

得意でなくとも、レシピとか見てやれば作れたんじゃなかろうか。

「レシピとか良く分かりませんし。塩少々とか言われても」

「まあ、それは俺もそうだけど」

「初心者ならではの奇跡の調合というか、ビギナーズラックが起きるかもって思ったんですけどね」

「奇跡を待ってたのか」

「それか、天才料理人の霊が下りてくるとか」

「まさかの憑依待ち……」

起こる気力も無くなった俺が肩を落とすと、姫乃はポンと自分の手を俺の肩に乗せた。

「ってなわけで色々ありましたが、正真正銘私の手作りです。どうぞ、召し上がれ」

「ほぼ１００％工場で生まれたままの姿じゃねえか……」

「黒い塊もフライパンに控えてるんで、一応持って来ちゃいますね。死ぬほどしょっぱいんでご飯は進むかもしれません」

小走りでキッチンに逃げ帰る姫乃を見届け、俺は崩れ落ちるように椅子に腰を下ろした。