第50話【納豆納豆、雨、納豆】

「料理?」

「そそっ、ってなわけでお邪魔しま~す」


そう言うと、緋彩さんは俺の脇をヒョイっと抜けてしまった。


「あっ、ちょっと!」

「はああぁぁぁ涼しい~! 生き返る~」


軽やかな足取りでリビングに侵入した緋彩さんは、入口で立ち尽くす俺に「ドア閉めて~」と間延びした声を掛けてくる。

隙を突かれて結局家に上げちゃったけど……まあ、今すぐ帰ってもらったところでそこを誰かに見られてたらどの道アウトだ。バレないよう頑張る方向にシフトするしかないか……。


「で、助けに来たってなんですか?」


食卓の椅子に座ってそう尋ねると、ソファーに陣取った緋彩さんは長い脚を組んでこちらに目を向けた。


「さっき生徒会室で言ってたじゃん? 食費使い込んでピンチだって」

「まあ、そうですね」

「自炊始めたなんて言ってたけど、どうせまともな食事してないんでしょ?」

「いやいや、決めつけないでくださいよ」


たしかにのっけの10日間で財産を8割失ったけど、ここ数日は最低限の買い物だけで済ませている。一文無しならどうしようもないが、1万円あればどうにでもなるってもんだ。


「ふ~ん。じゃあ、今日は何食べるつもりだったの?」

「今日ですか? そりゃ米ですよ。毎晩3合食べないといけないんで」


数あるスポーツの中でも競泳は特にカロリーの消費が激しい。どれだけ練習を積もうとも、相当量の食事を摂らなければ身体はできないしタイムが伸びることもない。


「おかずは?」

「納豆と卵です。あと、ふりかけ」

「ふ~ん……。昨日は?」

「納豆と卵です。あと、ふりかけ」


納豆は栄養あるし米も無限に進むし、マジで最強のおかず。卵も栄養あるし醤油かければ米も無限に進むし、最強のおかず。ふりかけだって米にふりかければ無限に──


「自炊始めたなんて言ってたけど、どうせまともな食事してないんでしょ?」

「……悲しくなるんで、2回言わないでください」

「一応聞いとくけど、一昨日のおかずは?」

「納豆と卵ですよ! あと、ふりかけ!」


自分で言ってて虚しくなってきた。くそ、なるべく考えないようにしてたのに……。

俺が思わず頭を抱えると、緋彩さんはケタケタ腹を抱えて笑った。


「あははっ! 絶対そんなことだろうと思ったよ」

「仕方ないでしょ、料理なんてしたことないんだから!」


安上がりで米が進むものなんて、納豆と卵ぐらいしか思いつかなかった。

出来上がりの惣菜は買うと高いし。


「ちなみに、今日は何を食べるつもりだったんだい?」

「今日ですか……? 納豆と卵に飽きたとき用の缶詰めに手出すつもりですけど」

「ふ~ん、缶詰めはあるんだ」

「ホントはギリギリまで取っておくつもりでしたけどね」


一週間ぐらいは納豆で耐えるつもりだったけど、毎日3食納豆は無茶だ。

焼き鳥でもサバでもいいから、そろそろ別のもの食べないとネバついた汗とか出てきそうで怖い。


「なるほどなるほど……。それじゃ柏くん、ちょっと台所を借りでもいいかな?」

「別にいいですけど、なんも材料ないですよ?」

「あるもので作るのが腕の見せ所ってやつだよ」


そう言うと、緋彩さんはソファーから立ち上がり台所に移動した。

どうやら本当に料理を振る舞ってくれるつもりらしい。


「冷蔵庫開けるよ?」

「それは好きにしてもらって大丈夫ですけど……緋彩さん、料理できるんですか?」

「ん~、まあ一通り? なに、もしやゲテモノが出てくると思ってるのかい?」

「いや、そんなことはないですけどね」


基本的に、緋彩さんはなんでもそつなくこなすイメージがある。

ただ、どちらかというと大雑把というか細かいことを気にしない人だ。


『塩振り過ぎたから砂糖で中和!』とか言い始めたらどうしよう……。


なんてことを考えていたのだが、そんな俺の心配はあっさりと杞憂に終わった。


「────はい、できたよ」


およそ二十分後、食卓にはここ数日の生活では考えられない品々が並んでいた。


「おぉ……」

「どうぞめしあがれ」

「い、いただきます」


少し手が震えるのを感じながら、目の前に置かれた親子丼のドンブリを手に取る。

鼻をくすぐる湯気が既に良い匂いで、口にする前から美味いことを確信させた。


「どうかな?」

「…………」

「お~い、柏くん?」

「あ、美味いです! スゲー美味い」


テーブルを挟んで正面に座った緋彩さんは、一心不乱に飯を掻き込む俺を見ると満足気に目を細めた。


「そうでしょそうでしょ。私にかかれば缶詰めしかなくてもこの通りだよ」

「このトマトのやつもバリウマです」

「ツナ缶とトマト缶があったからね~。ニンニクも入れてあるし、お米進むっしょ?」

「これなら何杯でも食えます」


とろとろの親子丼を食べ切り、炊飯器に残った白米をすべてドンブリに投入。

トマト煮とミネストローネをおかずに、休むことなく米を食べ進める。


「っぷはあぁ! ごちそうさまでした!」

「ちょっ、食べるの速すぎないかい?」


米3合とおかずを完食し手を合わせると、緋彩さんは目を丸くして小さく笑った。


ここ数日は納豆・納豆・雨・納豆──どう考えても10食以上連続で納豆が登板していた。ネバネバしていないのも、独特の臭みがない食事も久々だ。


「ま、これだけガツガツ食べてもらえたら作った甲斐があるってもんだよ。ていうか、ホントにこんな量食べるんだ。柏くんって新日とかに所属してるんだっけ?」

「レスラーじゃないです……。こんぐらい食わないと痩せちゃうんで」

「1食で3合食べるって聞いたときは何の冗談かと思ったよ。そりゃ外食なんてしてたら食費もなくなるか」


そう言うと、緋彩さんは白い指を組んで試すような目で俺を見据えた。


「んで、正直どうなんだい? ゲテモノ出てくると思った?」

「え……あー、まあ、少しだけ」

「あははは! 正直でよろしい!」


すっと目を逸らした俺を見て、満足気に笑いを溢す緋彩さん。


「ま、今回は缶詰めをちょっとアレンジしただけだからね。よっぽど味音痴じゃない限りマズくなんてならないよ」

「へー、そういうもんなんですね」


小中学校の家庭科の授業でしか包丁を持ったことのない俺には分からない感覚だ。

なんなら、そのときも食べ専に徹してた気がする。


「細かいことは分からんですけど、マジで美味かったです」


納豆と卵で機械的に米を掻き込むいつもの晩飯を考えたら、今日の満足感は段違いだ。バタバタしててあまり意識してなかったけど緋彩さんお手製だし、かき混ぜるだけの納豆とは比べるのもおこがましい。


「満足してもらえたみたいで良かったよ」

「はい、助かりました」

「うんうん。じゃ、柏くんには何をしてもらおうかな~」

「え……?」


小さく頭を下げたまま目線を上げると、ニヤっと不敵に笑う緋彩さんと目が合った。

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