第47話【面白い話】

「じゃあ、今後はそんな流れで────って、柏くん聞いてる?」

「…………」

「おーい?」

「…………」

「おーいってば!」

「ふがっ!?」


突然呼吸が乱れて目を開けると、しかめっつらで俺の鼻を摘まむ緋彩さんと目が合った。


「あー……おはようございます」

「おはよ。じゃ、とりあえず謝ってみようか」

「ずびばせんでした」

「うんうん、素直で良し。今回は許そう」


フガフガとした謝罪を聞き入れ、自分の席に腰掛ける緋彩さん。

……やっべ、いつの間に落ちてたんだ。


午前中の部活を終え、今日は夏休みに入って初めて生徒会室に足を踏み入れた。簡単な打ち合わせということだったのだが、どうやら意識がフライアウェイしていたらしい。


「こんな暑いのによく眠れるね~」

「部活の疲れがあるにせよ、逆に凄いと思います。普通眠気すら湧きませんよ」


机を挟んだ向かいでは、ハーパン&Tシャツというラフな服装の宮本がうちわをパタパタさせている。隣りの姫乃も珍しく机にグデっと突っ伏し、宮本がうちわで風を送ると気持ちよさそうに目を細めていた。


「で、なんの話でしたっけ? 商店街の出店を手伝うんですか?」


気を取り直して質問すると、緋彩さんは「うん」と首を縦に振った。


「8月の最後の週末に港祭りがあるのは知ってるでしょ?」

「あー、ありますね。そういえば」


ここ数年行っていないので頭になかったけど、たしかにそんなのがあったはずだ。

小学生の頃は友達とプールに行って、そのままかき氷を食べながら花火や出店を見て回ったような覚えがある。


「港祭りって、すぐそこの商店街でも出店を出すんだよ。それを、生徒会で少し手伝うって話さ」


そう言って、手元の資料をポンと叩く緋彩さん。

自分に配られたものをペラペラとめくると、祭り当日のスケジュールや出店の配置図なんかが羅列されていた。各出店の代表連絡先なんかも載っているし、運営用の資料なのだろう。


「緋彩さ~ん。さっきも思ったんですけど、なんで私たちが手伝うんですか?」


うちわで胸元に風を送りながら、宮本が小さく手を挙げて質問する。

緋彩さんは引き出しの中から自分のうちわを取り出すと、同じように胸元をパタパタさせ始めた。


「なんか毎年やってるみたいなんだよね~」

「あ、そうなんですか?」

「ほら、今の商店街ってもうお爺ちゃんお婆ちゃんだけでやってるところも多いじゃない? そいうところの設営とか運営を少し手伝ってほしいみたいなのよね」

「あ~なるほど」

「たしかに、この気温はご高齢の方が作業するには危険過ぎますね。私だって下手しなくても倒れる自信があります」


見るからにヘバっている姫乃は、恨めしそうに窓の外に目を向けた。

どうやら、宮本たちのようにうちわを煽ぐ体力もないらしい。


「もちろん、別に強制するわけじゃないんだけどね~。ただ、毎年文化祭で協賛金を出してもらってるし、今年も10月になったら貰いに行くから、良い関係を築いておきたいのさ」


会長はそう言うと、俺の方を向いてニコっと笑った。


「ちなみに、パワー担当の柏くんは強制参加だからね」

「あ、俺は断れないんですね」


宮本と姫乃には与えられていた選ぶ権利が、どうやら俺には認められなかったらしい。


「まあ、別にいいですよ。人手が足りないって話なら」


こんな暑い中の作業は避けたい気持ちは当然あるが、別に予定があるわけでもないし、わざわざ断るほどのことでもない。

俺がそう返答すると、緋彩さんは満足げに頷いてうちわで俺を煽いでくれた。


「さっすが柏くん。ちなみに、働いた対価はしっかり貰えるから安心してね」

「対価……?」

「お金だよ、お金。お給料が出るのさ」

「金が貰えるんですか!?」

「ふえ?」


思わず立ち上がった俺を見て、不思議そうに目を丸くする緋彩さん。


「え、どうしたん柏くん?」

「先輩?」


宮本と姫乃も急な反応に驚いたようで、そろって首をかしげている。

……いかんいかん、がっつきすぎた。


「あーいや、すみません。ていうか、出店を手伝ったら給料が出るんですか?」

「そんな大金じゃないけど、当然働いた分のお給料は出るよ。学校側も知ってるから、その点も問題ないし」

「なるほど……」


そうか、手伝ったらその分お金が貰えるのか……。

元々手伝うつもりではいたが、それはだいぶ話が変わって来るぞ。


「なに、柏くんは金欠ボーイなのかい? さっそく遊びすぎたん?」

「いや、そんなんじゃないんですけどね」

「そんなんじゃないなら、どんなんなん?」

「別に大した話じゃないですよ」

「それならお姉さんに話してごらんよ。ほら」

「えーっとですねえ……」


俺の反応でなにかに勘付いたのか、緋彩さんがずいっと顔を近づけてくる。

うちわで煽がれていた開いた胸元が目に入り、誤魔化そうにも言葉が出てこない。

……あー、別にいいか。隠すことでもないし。


「それがですね──」


不意打ちを食らって思考がまとまらなくなり、俺は諦めて自分が置かれた状況を簡単に説明することにした。夏休みが始まってから両親が出張でいないこと、支給された生活費が何故か10日でほとんで無くなったこと、仕方なしに自炊を始めたこと。


それらの説明を、緋彩さんたち3人は特にリアクションするでもなく聞き続けた。


「──ってな訳で、給料が出るってのは魅力的な話なんですよ」

「…………」

「緋彩さん?」

「えっ、あ、ああそうだね!」


声を掛けると、緋彩さんは我に返ったようにパッと顔を上げた。


「柏くんってば、そんな面白いことになってるなんて知らなかったよ。ね、唯?」

「えっ? あ、ああそうですね!教えてくれたら良かったのに。ね、姫乃ちゃん?」

「金欠カロリー不足で命の危機ですか……。アホですね」


俺の置かれた状況を聞き、何故か会話のパス回しを始める3人。

アホだと一蹴されても返す言葉が無いのが我ながら情けない。


「ま、そういうことなんで。人手が必要なら俺はいくらでも働きますよ」


両親から帰宅の一報が無い以上、この生活がいつまで続くかは分からない。節制するにしても限度があるし、元手を増やせるならそれに越したことはないはずだ。


「ま、どこを手伝うとか、いつ行くとか、そういう細かいことは私が向こうの担当者と話してからだね~」

「なるほど。とにかく、俺は部活さえ無ければいつでも協力できます」

「了解。若い労働力があるって言ったら喜ぶと思うよ」


俺の申し出を受けた会長は、そう言うと机の上の資料をまとめ始めた。

どうやら今日はこれでお開きらしい。


「う~ん! 面白い話聞いちゃったな~」

「人の不幸で楽しまないでくださいよ。大変なんですから」

「いやいや、これは楽しまずにはいられないでしょ」


俺の生活難なんて話の種にもならないことを聞いて、緋彩さんの目は何故か怪しく光っていた。

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