第41話【誰より先に】

俺が鞄を肩に立ち上がると、それと同時に生徒会室のドアが開かれた。


「宮本……?」

 

意外なことに、そこに立っていたのは俺が探していた人物。俺の顔を見た宮本は、すぐさま視線を自分のつま先に向けると、手だけをこちらに差し出した。


「返して……」

「は?」

「ノート、あれがないと勉強できないから。返して?」

 

小さな声でそう呟く宮本は、みるみる首筋や耳を赤く染めていく。

まだ昨日のことを恥ずかしがってるのか?


「ノートって、これか?」

 

俺は自分のバッグから、昨日宮本が置いていったノートを取り出した。


「そう、それ」

「そりゃ返すけどさ、お前1人で勉強するつもりか?」

「ま、まあね……ダメ?」

「ダメと言うか、流石に無茶だろ」

 

数日間で進歩したとはいえ、それは会長や俺が側で見ていたからだ。

暗記系の科目ならともかく、数学はどれだけ考えてもドツボにハマる可能性が高い。試験を明日に控えた今、それは避けるべきだ。


「わざわざ1人でやらなくても、また図書館で見てやるって」

「えーっと……昨日騒いじゃったから図書館は行きにくいかな」

 

手を差し出したまま難色を示す宮本。


「それなら、ここでやるか?」

「ここって……生徒会室で?」

「ここなら少し騒いだぐらいじゃ迷惑にはならないし、気楽に勉強できるだろ?」

 

より集中できるという当初話した理由とは違ってしまうが、仕方ない。

俺の提案を受けた宮本は、つま先に向けていた視線を俺に、そしてゆっくりと隣に座る橘へと移した。


「で、でも……ここだとやっぱり邪魔になっちゃうような──」

「いいですよ、別に」

「……姫乃ちゃん?」

 

読みかけの本に栞を挟んだ橘は、座ったまま身体を宮本の方へ向けた。


「私もそろそろ帰りますし、今日は業者の立ち入りもありません。それに、唯先輩がなにを気にしてるのか知りませんけど、私と先輩はなんでもありませんよ」

 

橘がつらつらとそう言うと、ずっと俯いていた宮本が顔を上げた。


「えっ? ホント……?」

「はい、本当です。そうですよね、先輩?」

「あ、ああ……」

 

久しぶりに近い距離で顔を合わせ、俺は思わず頷いてしまった。

橘と宮本は少しの間無言のままお互いを見つめていたが、やがて宮本の方が根を切らしたかのようにふっと微笑んだ。


「なーんだ、そうなんだ。それなら、今日も柏くんにお願いしようかなー」

「はい、それがいいと思います。唯先輩、勉強はからっきしなんですから。1人で挑んだら悲惨なことになります」

「よ、容赦ないね……姫乃ちゃん」

 

口元を引きつらせた宮本は、軽い足取りでターンすると肩越しにこちらを見た。


「じゃ、私部室から鞄取ってくるから」

 

それだけ言い残し、小走りで去っていく宮本。

その足音が完全に聞こえなくなったのを確認して、俺は橘の方に振り返った。


「橘、お前──」

「お礼なら結構です。先輩が隠していることは、昨日姉から聞きましたから」

「は?」

 

頭を殴られたような感覚に陥る俺を見て、橘は大きく肩を上下させ溜め息をついた。


「昨日……先輩が帰られた後、姉を問い詰めたんです」

「緋彩さんを?」

 

俺がその名前を口にすると、何故か橘はむっと唇を尖らせた。


「先輩が姉に勉強を教わるために家まで来るなんて、どう考えてもおかしいですから」

「まあ、それは確かに」

「それで、その緋彩さんから聞き出しました。先輩が生徒会に選ばれた理由、そのせいでおかしなことに巻き込まれていること、唯先輩とのこと。全部」

 

静かにそう言った橘は、俺に向ける目をすっと細めた。


「私は、怒ってるんです。久しぶりに会ったのに私の体調のことに全く頭がいかない唯先輩にも、さっき簡単に頷いた先輩にも……私は怒ってるんです」

「ごめん、それは──おぼっ!?」

 

状況についていかない頭を下げようとすると、頬を平手でビンタされた。

振り抜いた右手を自分の胸に当てた橘は、もう片方の手を俺の胸に当てると、詰め寄るように自分の顔を俺に近づけた。


「謝らなくていいです。でもその代わり、全部終わったら私に時間をください」

「橘……?」

「私の話を聞いてほしいし、先輩の話を聞かせてほしいんです」


俺の胸元を握りしめ、橘は大きな瞳を不安げに揺らした。


「それぐらい、もちろん」

「姉や唯先輩は抜きででですよ?」

「分かった」

「姉や唯先輩より先にですよ?」

「おう」


念を押すように言葉を並べる橘に、俺は肯定の返事を返し続ける。


「約束するよ。全部終わったら、誰より先に全部を橘に話す。んで、橘の話を聞くよ」

 

胸元で小さく震える橘の手を握りながらそう言うと、橘の華奢な肩がぴくんと跳ねた。


「本当……ですか?」

「ああ、約束だ────っておおう!?」

 

橘の頬に流れる涙を、俺は自分の指先でそっとすくった。


「なにいきなり泣いてんだよ」

「す、すみません。ちょっとビックリして……えへへ」

 

相好を崩した橘は、半歩だけ俺から離れると指を1本立てた。


「先輩、約束ついでに1つ忠告があります」

「忠告?」

 

俺の手をそっと振り解いた橘は、笑顔のまま自分の左手を俺の身体に這わせた。


「次私を橘って呼んだら、先輩の睾丸を握り潰しますから」

「笑顔でなんんてこと言ってだよ!?」

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