三
「そう。この人」
「いまだに夢だったのか、現実だったのか、わかんねえことがあってさ。俺、魚とか水の生き物が好きで、ちっちぇころからちょくちょく水族館に行ってた。その日も、免許取ったばっかの次郎の新車に乗せてもらって、ドライブがてらに水族館に行ったんだ。したら、次郎の知り合いっつう人に会って、話し始めるから、俺は一人で水槽を眺めてた。そのとなりには女の子がいて──」
それは女の子じゃないよって言おうとしたけど、とりあえずお兄ちゃんの話を最後まで聞こうと、開きかけた口を閉じた。
「その子と一緒に回り始めたんだけど、いつの間にかいなくなってたんだよな。そいつ結局迷子んなってて、それ捜してたら、イルカショーの時間が過ぎちまった。楽しみにしてたのにさ」
「違うよ!」
最後は苦々しく言う姿に我慢ならなくなって、ぼくは叫んでいた。お兄ちゃんの前に立つ。
「あ?」
「ぼくが迷子になったんじゃなくて、お兄ちゃんが勝手に動き回るから、わけわかんなくなったの。ぼくだって、イルカ楽しみにしてたのに」
「ちげーよ。おめえが俺のそば離れたからだろうが」
ものすごい剣幕。ベッドから立ち上がると威圧感も半端なくて、ぼくは視線を下げるしかなかった。
というか、いまのこの状況って、感動の発覚! ぼくらはあの日にすでに出会っていた! って感じじゃないのかな。
たしかに、ぼくにとってもいい思い出じゃないし、だからって、そんな怒鳴るほど根に持ってなくてもいいと思う。
お兄ちゃんはぼくから写真をかっさらうと、それを素早く引き出しにしまった。その背中が、早く出て行けと言っている。
ぼくはすごく悔しくて、なにか反撃でもしないと気がすまなくて、なにげに思ったことを口にした。
「もしかしてお兄ちゃん。ぼくを女の子と勘違いしたりして、まさかそれが初恋だったとかじゃないよね?」
なに寝ぼけてたこと言ってんだ、とか、んなことあるわけねえだろ、とか言って、お兄ちゃんは笑い飛ばすと思ったのに、ぴたっと動きを止めて、黙ってしまった。
「え? なんでそこで静かになるの」
「っせえ!」
鋭い一声を上げたお兄ちゃんは、力任せにぼくの腕を掴んだ。部屋から放り出し、ばたんとドアを閉める。
「いった……」
指の跡がついたんじゃないかと思うくらい痛む腕をさすり、固く閉じられたドアを睨んでやった。
すると、不意にドアが開いた。顔を出したお兄ちゃんは眉間にしわを寄せたまま視線を外す。
「悪かったよ。……それと、掃除ありがとな」
また勢いよくドアを閉めた。
ぼくは自分の部屋へ戻って、もう一度アルバムを出した。あの写真を見つめてもっと記憶を探る。
そうしたら、帰り際に、小さなお兄ちゃんがイルカのキーホルダーをぼくにくれたことを思い出した。
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