義理チョコを配る女 ──微笑むのは女神か鬼女か?

燈夜(燈耶)

チョコレート

 今日の教室は騒々しい。

 いや、獲物を待つ狩人が何人もいる。

 そう、ハンターたちが。


 遠くで女子が、なにかを男子に配っていた。

 いや、あれは断じて"なにか"ではない。

 あれは男子垂涎の的、チョコレートだッ!

 しかも配っている女子、あの黄色いリボンの髪留めで留めているツインテールは牧野、牧野泉まきのいずみ

 その後ろで冷たい視線を牧野に投げかけ、その牧野から笑顔を振られては無理に笑っている女子、そいつは鈴木すずき

 牧野は女神。鈴木は鬼。

 このクラスのカーストは変わらない。

 クラス一、いや、学年一位の牧野の人気。

 クラス一、いや、学年一位の鈴木の腕力。


 可愛いは正義を体現しているのが牧野。

 バレンタインなんて恵まれない男子にとっては地獄の日。

 そんな日に義理とは言えチョコを配って歩いている牧野は女神。しかも彼氏無し。

 まあ、俺のところまでは回って来なさそうだが──と、半ば諦めモードで机に突っ伏していると、突然天上から女神の声が響いた。


御影みかげ君!」


 俺はその鈴を転がすような声に跳ね起きた。

 女神がいた。

 大きな目、細い眉、高い鼻、形の良い唇。そして何より、笑顔があった。


「はい、御影君! これからもよろしくね!」

「う、うん」


 と、俺に微笑みかけたかと思うと突き出される十円チョコ。

 俺の前にそっとそれを置くと、牧野は風のように去ってゆく。

 嬉しい。

 本当に嬉しかった。

 だけど、彼女の後ろ。

 その後に、鈴木の冷たい目が俺を見下ろしていた。しまも、じろりと舐めまわすような鈴木の視線。意味深だが、寒々……。


 どうやら俺に対する女神の加護は、一瞬で消し飛んだらしい。


 ◇


 そして昼休み、俺の予感は的中する。


「あのさ、御影君」


 そう声を掛けて来たのは鈴木だ。

 学年一の怪力女。牧野のボディーガード。

 下手なことは言えない。

 何故なら、鈴木は噂好き。鈴木に話したことは、あっという間に学校中に広がるだろう。

 だから余計なことは言えない。

 特に、あの牧野に関するような話題を振ろうものなら、速攻殺されてしまうだろうから。


「なに?」


 なるだけ無関心を装って声に出してみたつもりだ。

 だけど、手が震え、声が震え、少し声が上ずっていたのはバレなかっただろうか。


「そう緊張しないでよ」


 ──バレていた。

 だけど、それはもう仕方がない。

 俺は自分を押し殺す。


「あのさ、頼みがあるんだけど」

「なに?」


 嫌な予感しかしない。俺の声が震える。


「頼まれて欲しいことがあるんだ。お願い聞いてくれるよね?」

「え?」


 ちょっとでも興味を持ってしまった。

 俺はその時の悔しさを忘れない。


「私ちょっと先生から頼まれてたことがあるんだけど、その時間用事が出来たんだよね。代わりにやってくれない?」


 頼まれごととは何だろうか。

 俺は、この好奇心を後悔することになるかもしれない。


 ◇


「ごめんね御影君。先生の仕事の手伝いさせちゃって」


 いおり先生、御年58歳。現国教諭。ベテラン中のベテランだ。

 でも、学校ではガミガミ庵で通っている。


 俺は言われたとおり、紙を補給してはコピー機を回し続ける。

 昼間、鈴木から押し付けられた雑用だ。


 コピーしては熱い紙の束を揃え、横に置く。

 コピーしては、熱い紙の束を揃え、横に置く。

 繰り返しの作業も、やっと終わる。


「終わりました、庵先生」

「ん、ありがとう」


 ガミガミ庵が皺くちゃの笑顔を見せる。


「はい御影君。がんばったお礼に先生から」

「え?」


 俺の手には板チョコが。

 ガミガミ庵が、唇に縦に人差し指を立てて俺の言葉を封じる。


「他の生徒には秘密よ? 先生からのお礼の義理チョコ。先生から貰ったとは言わないでね」


 と、渡された。

 俺は狐につままれたような気分で、職員室をあとにする。


「チョコ貰った……」


 俺の手には板チョコ。痛チョコ。

 俺はガミガミ庵の笑顔を思い出す。


 ──ありえない。


 急いで俺はそれを鞄に仕舞う。


 ◇


 俺は薄暗くなった下駄箱に向かい、靴を取り出そうと──何か紙が靴の上に乗っていた。

 なんだろうと思いつつ、慎重に取り出す。

 ピンクのチェック柄の封筒に、宛名が書いてある。


『御影享洋ただひろ君へ』


 差出人の名前は無い。

 ただ、女の子らしい可愛い丸文字で書いてあるところからすると、確実に女子だと思われた。

 俺は周囲に誰もいないことを確かめて、急いで封を切る。


 途端、とてもいい花の香りが立ち込めた。


 便箋に香水が振ってあったのだ。

 俺の期待は高まる。女子だ、確実に女子からだ──。


 便箋の折をめくる。

 一行。


『校門を出て直ぐ、右の木陰で待ってます。あなたを想う女子より』


 俺の鼓動が跳ねる。


 ──え?


 俺は急いだ。

 時計は七時。

 これが本当でも嘘でも、待たせ過ぎだろう。

 たとえ悪戯であろうとも、俺は急いで校門に行くことにする。


 差出人の名前は無い。

 だけどもうそれは、どうでもいいことだった。


 ◇


「御影君」


 下駄箱を出たところで俺は女子に声を掛けられた。

 俺はドキンとする。

 だが、どうして彼女がここに?

 用事があったのではなかったか?


「鈴木さん」


 俺は言葉を選んだ。

 俺よりも高い身長。

 俺よりも恵まれた体つき。

 はっきり言って、威圧されているのだ。


「あのさ、本気だから」

「え?」


 俺は手紙と鈴木を結びつける。

 ありえない。

 ありえなすぎるだろう。

 もし、そうだとしても、それならどうして朝の時点で渡さない!

 それに、俺はお前みたいな大女……。


「あのさ、断ったら許さないから」

「え?」


 俺の答えを待たずに、鈴木は踵を返す。

 走って校門の外に出てしまった。

 俺は自然と追いかける──のか?

 いや、追いかけるだろう。

 相手は勇気を振り絞って告白して来たのだ。

 俺は追いかける。例え相手があの鈴木でも。


「鈴木さん!」


 俺は腹の底から大声を出す。

 そして、ダッシュ!

 俺は駆ける。俺は駆ける、が。


 鈴木の体力を舐めていた。

 みるみる引き離される。

 そして、校門を出たところ。

 鈴木はもうはるか向こう──。


 俺は立ち尽くす。

 校門を出たところで。

 米粒のように小さくなる鈴木の姿を見つめながら。


 ◇


「御影君」


 俺はその呼びかけ声に、ハッとした。

 その声は俺の記憶が正しければ、女神の声。


「御影君、頼みがあるの」


 俺は恐る恐る背後を振り返る。

 そこには俺の予想通りの人がいた。

 黄色いリボンの髪留めが目印の、麗しきツインテール。


「牧野さん……?」


 そして、彼女が急いでカバンから取り出したその手には紙袋が握られていて。


「御影君、貰ってください、わたしの気持ち!」


 もしかしてそれは、チョコレート。

 もしかしなくても、〇〇の。


「牧野さん?」

「ずっとあなたの事を見てました! でも、なかなか言い出せなくて!」


 俺の顔から一気に血の気が引いた。

 俺は何とか言葉を絞り出す。

 牧野はずっと顔を下に向けたままで。


「あの……」

「本当のことを言います! 朝の義理チョコの事は忘れてください! ごめんなさい!」


 朝の、小さな、ほんの小さな、牧野の気持ち。

 俺はそれだけでも嬉しくて。

 俺はそれだけでも満足していて。

 俺はそれだけでも、天にも昇る気持ちでいられて。

 俺はそれだけで、幸せで──。


「本命です! 好きです、私と付き合ってください!」


 俺は、牧野の顔を見たくて。

 こんなことを言ったんだ。


「顔を、上げてくれないかな?」

「はい」


 見れば、牧野は頬を真っ赤に染めて震えていた。

 そして、その瞳は潤んでいる。


 俺は──。


「ありがとう。俺を選んでくれて嬉しい。でも、本当に俺で良いの?」

「もちろん! はい、これあげる!」


 街灯の下、咲き誇る笑顔をした牧野が、綺麗にラッピングした紙の包みを俺に渡す。


「……ありがとう」

「返品不可だからね!」


 今、俺の手には牧野の体温を残した包み紙がある。

 すると、牧野は急に駆け出した。


 止めようとする俺を他所に、牧野は走ってゆく。


「牧野さん!」


 俺は叫ぶ。


「御影君! また今度、学校でね!」


 牧野が振り返る。そして、また駆けて行った。

 残ったのは俺の手の中の包み紙。

 本命の、チョコレート。

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