転出

 庄太は母親の仕事の都合で、長野にある祖父母の家で暮らすこととなった。祖父母の家は如何にも昔風な作りで、塀に囲まれた敷地内には建物がいくつもあった。アパート暮らしが長かった庄太にとっては、いささか新鮮な光景と言える。

「庄太ちゃんいらっしゃい。久しぶりに孫の顔が見られて嬉しいわぁ」

「いやぁ、いつ以来かな。まぁ、ゆっくりしていってくれや」

 祖父母は庄太のことを快く歓迎してくれた。庄太の部屋として与えられた部屋も、それまで暮らしていたアパートのそれよりずっと広々としており、開放感のあまり、庄太は寝そべって大の字になり、大きく息を吸い込んだ。


 そうして、夏休みが始まった。

 庄太は元より人懐っこい方で、地元の友達とはすぐに打ち解けることができた。地元の少年たちも思いのほかフレンドリーで、庄太に対して珍しいものを見る目をしつつも、川釣りを教えてくれたり、クワガタの採集に連れて行ってくれたりした。

 八月の初週の、とある日のことである。

「肝試ししようぜ!」

 地元の少年の一人が、突然言い出した。その鶴の一声に、抗おう空気はなかった。その場に居合わせた庄太は内心、あまり乗り気ではなかったのだが、余所者の自分が流れに竿を差すのは、流石に憚られることである。

 そうしてその晩、近所の緑道に少年少女数人が集った。

 言い出しっぺの少年が、集まった皆にルールを説明した。この緑道の奥にある祠の前に置いてある木箱から、ビー玉を取って帰ってくるという、単純なものであった。

「よし、じゃあ順番をくじで決めよう」

 その少年は割った状態の割りばしを取り出して、その下の方を握った。

「げぇっ……」

 そう言わずにはいられない番号が、庄太の取った割りばしくじに書かれていた。

「一番は沢井かぁ……もう一人は?」

「あ、これ……」

 もう一人、一番のくじを引いたのは、白いワンピース姿の少女であった。名を袖嶋そでじま結衣ゆいと言って、庄太と同じ中一である。

 女子と一緒というのは、何となく気恥ずかしい気もしたが、同時に心中では密かに歓喜した。というのも、以前一目見てから、庄太は彼女のことが気になっていたのだ。

 粘つくような蒸し暑さの中、懐中電灯を持った二人は緑道に踏み入った。

 庄太が一歩先行し、その少し後ろを結衣がついていくという形で二人は緑道を歩いていたが、その間に、会話は一つもなかった。庄太は気恥ずかしさと、夜闇に対する恐怖で、とても口を開こうとは思えないでいる。辺りには虫の音と、夜鳥の声、それと砂利を踏みしめる自分たちの足音が響いていた。

 不意に、びゅう、と、生暖かく湿気た風が吹き寄せた。途端に、虫や夜鳥の鳴き声が、ぱたりと止んでしまった。

 急に空気が変わってしまったことで、庄太は背を震わせた。何か、何かがおかしい。取り敢えず、人の顔を見て落ち着きたかった。そう思って、後ろを振り返った。

 そこに、結衣の姿はなかった。

 もう、居ても立っても居られない。すっかり恐ろしくなった庄太は、きびすを返し、来た道を走って戻った。走って、走って、ひたすら走った。けれども、ひとしきり走った後になって、おかしなことに気がついた。緑道を出るどころか、左右に広がる景色が、少しも変わっていないのである。ようやく、庄太は異常な事態に見舞われたことに気がついたのであった。

「どうしよう……」

 庄太の体からは、滝のように汗が流れていたが、それは決して、暑さから来るものではなかった。疲労から走るのを止めてしまった庄太は、辺りを見渡してみた。懐中電灯を左右に振ってみても、そこには木々があるばかりであった。

 ふと、左方に、光が見えた気がした。庄太はすぐさまそちらを向いて凝視すると、何かぼうっと光るものがある。もしかしたら、人がいるのかも知れない。助けを求めよう。そう思って、庄太はその方向へ走っていった。

 そこには、一つの墓石と、その前に佇む一人の子どもの後ろ姿があった。その子の背格好は、丁度自分と同じぐらいである。

 庄太が助けを求めようと声を発するその前に、その子どもが庄太の方を向いた。

「ひっ……!」

 庄太は、思いがけず腰を抜かしてしまった。立ち上がろうにも、足が震えてしまって再び立つことができない。

 そこにいた子どもは、あの磯山良その人であった。

 何処か中性的なその容貌は、月もじらおう程に美しい。けれども、今の良からは、美しさよりも、寧ろ得体の知れぬ悍ましさを感じさせる。

 何故、ここに良が……そのようなことを思考する余裕は、今の庄太に全くなかった。熱帯夜だというのに、汗はすっかり冷えて、その身に寒さすら覚えさせている。

「みつけた」

 口角を釣り上げる良の姿を見た庄太の意識は、忽ちに遠のいていった——

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