六、出航
祇園精舎はインドの寺院を指し、沙羅双樹は仏教の開祖である
知盛亡き後、
されど、諸公の権力争いに明け暮れる世を生きる者たちは、次の一節を聞けば少なからず共感を覚えただろう。
ただ春の夜の夢のごとし
ひとえに風の前の
***
殿下とアリーを連れて戻ると、船の上はにわかに盛り上がった。
「まさかアブスブルゴの王子殿下がこの船に乗られるとは……」
「こりゃ大仕事だ! 我らウーバー・デム・メーア商会一同、地獄の底にまでついて行きやすぜ!」
アントーニョ殿下は誇らしげに胸を張り、「そうであろう、余のために大儀であるぞ」と
「しっかし、綺麗な金の
「食ってるもんが違うんですかねぇ」
「こ、これ、断りもなく触るでない! 不敬であるぞ!」
柔らかそうな髪をしているせいか、野郎どもはこぞって頭を撫でようとしている。
「ズィルバー! 僕の髪がぐちゃぐちゃにされてしまいます! 助けなさい!!」
泣き言が聞こえてきたので、とりあえず引き剥がしておいた。 助けた途端また腰に引っ付いてきたのは、仕方ないのでそのままにしておく。
「さて……今回の仕事は、ここにいるアントーニョ殿下を守り抜き、オーストリアまで送り届けることだ」
俺が話し始めると、船員はみな口をつぐみ、真剣な面持ちになる。
「母方の家がしくじったとはいえ、殿下はアブスブルゴ……つまり、スペイン・ハプスブルクの血を引いている。大臣一族の再興のカギにもなりゃ、阻止するために命を狙う輩もごろごろいる。重々承知だろうが、かなりの大仕事だ」
誰かしらの息を飲んだ音が、船上に響く。アリーが俯いているのも、視界の端に見えた。
殿下が生きていると知れれば、失脚した公爵一派の重要な切り札として命を狙われ……
「……ハプスブルク家は魔術革命に乗り遅れはしたものの、未だ皇帝として世を統治する名門だ。オーストリアにまでたどり着けば、スペインの敵対諸侯は手出ししにくくなる」
「名門が相手となりゃ、報酬もたんまり期待できるってことだ! 野郎ども、命懸けでやり抜くぜ!」
ジャックが言葉を引き継ぎ、船内の士気は
船乗りは香辛料だの新天地だのを求めた輩が大半とはいえ、長い海の旅ってだけで充分命に関わる。
ここにいるのは、元より死を恐れぬ連中だけだ。
もちろん、俺だってそうだ。死への恐れなど、遠い昔に捨て去った。
「そんじゃ、殿下を案内してくるぜ」
「ああ……くれぐれも、丁重に扱えよ」
「分かってるっつの」
ジャックに連れられ、船室に向かう寸前……幼い貴人は、ちらとこちらを振り返った。
琥珀の瞳は、不安げに揺れている。
「……疲れたでしょう。ゆっくり休んでください」
その言葉はご機嫌取りでもあるが、本心でもあった。
ああ、そうだ。……今度こそ、守り抜いてみせる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます