第四幕(本編・おはぎ(3)に該当)

ナレ「親友の正澄まさずみを斬り捨てた後、朝倉は必死に城まで駆けた。正澄が撤退をする際に騎乗するつもりでいたと思われる早馬で駆ける。一秒でも早く城に駆けつけ、そして亜矢を助けるため……朝倉は息をするのも忘れ、ただひたすらに駆けた」


アサクラ「ハッ……ハッ……クソッ……亜矢……ッ」


ナレ「朝倉の眼前に広がる小田の居城は、すでに瓦解寸前だった。度重なる砲撃によって、もはや天守閣はその体を成さないまでに崩れ落ちている。誰かが火を放ったのだろう。崩れた城のいたるところから、黒い煙が上がっている。その様は朝倉にとって、形として見える「小田おだ家の最期」そのものであった」


ナレ「城にたどり着いた朝倉は亜矢を探しながら城内をさまよい、もはや崩れ落ちそうな天守閣に足を踏み入れた。」


アサクラ「亜矢!」


亜矢「……?」


アサクラ「大事ないか亜矢!? 亜矢ッ!!?」


亜矢「……ッ!!!」


ナレ「傷だらけで両目からも血を流す亜矢の顔が、憤怒ふんぬに歪んだ」


亜矢「この、下郎がッ……まだ来るかッ!」


アサクラ「!?」


亜矢「おのれ下郎ッ!!!」


アサクラ「ま、待て!」


亜矢「黙れッ!!!」


アサクラ「私の顔を忘れたのか!!?」


亜矢「戯言を!! 私の目が見えぬのもお前たちの仕業であろうがッ!!!」


アサクラ「もしやお前……目が見えておらんのか……?」


亜矢「フーッ……フーッ……!!」


アサクラ「あ、亜矢……」


亜矢「寄るな下郎ッ!! 私は、身も心も朝倉兵庫の女じゃ!!!」


アサクラ「!?」


亜矢「故に他の者が私に触れることは絶対に許さぬ!!! 性懲りもなく再び私の体に触れでもしてみよ! この脇差わきざしで、お主の喉を掻き切ってくれる!! それとも先程のように、肉を噛み千切られたいか!!!」


アサクラ「亜矢……ッ」


亜矢「あさくらが戻るまで私は生きねばならぬ……戻ったあさくらを出迎えてやるために……下郎ごときに、汚されるわけには行かぬ……ッ!!」


アサクラ「亜矢!! 私だ!!! 朝倉だ!! 朝倉兵庫だ!!!」


亜矢「あさ……くら……?」


アサクラ「そうだ私だ! 朝倉だ! 戻ったのだ!! もう気を張らずともよいのだ亜矢!!」


ナレ「亜矢の右手から、脇差がボトリと落ちた。まるで憑き物でも落ちたかのように気が抜け、膝からぐしゃりと崩れ落ちる。朝倉はサッと亜矢のそばにかけより、倒れる亜矢の肩を抱きかかえた」


亜矢「あさくら、あさくら……」


アサクラ「亜矢……ッ」


亜矢「あさくら……ハハ……あさくらじゃ……この鼻、このほっぺ……あさくらじゃ……私の、あさくらじゃ……おかえり……私のあさくら……」


アサクラ「亜矢……左手はどうした……力が入っておらぬぞ?」


亜矢「下郎どもに斬られた……もう、脇差も持てぬ……動かせぬ……」


アサクラ「目は……?」


亜矢「潰された……お前の顔はおろか何も見えぬ……真っ赤じゃ……」


アサクラ「こんなに、なるまで……」


亜矢「ハハッ……私はあさくらの女ぞ。他の者には、絶対に許さぬ」


アサクラ「初耳だぞ。いつの間に我らは結ばれた……?」


亜矢「ずっと昔じゃ……幼少の頃、私が初めてあさくらにおはぎを作ってやったあの日……あさくらは、覚えておらぬか?」


アサクラ「覚えている。『もし、私のおはぎを食べたいのなら、ずっと私のそばにおれ』お前は、そう言ってくれた。あの日から折りに触れ、お前は私におはぎを作ってくれたな」


亜矢「あの日、私はお前のものになると決めた……お前が喜んでくれるのなら、お前の隣で、お前のために、おはぎを作り続けてやろうと思うたのじゃ」


アサクラ「……」


亜矢「でも……許しておくれあさくら……すまぬ……あさくらぁ……」


アサクラ「……なにがだ」


亜矢「この腕では……この目では……すまぬ……そなたにおはぎをつくってやることは……もう、叶わぬ……」


アサクラ「……」


亜矢「くやしいよぉ……あさくらぁ……あさくらが好きじゃと言うてくれるのに……うまいと言うてくれるのに……もう、作れぬ。作ってやれぬ。くやしいよぉ……あさくらぁ……」


アサクラ「……ッ」


亜矢「また……あさくらにうまいと言って欲しいよぉ……なぁあさくら……また、笑ってるあさくらが見たいよぉ……あさくら……あさくらぁ……!」


アサクラ「何を言うか亜矢……ッ!」


亜矢「……?」


アサクラ「お前と私の仲ではないか! 左手が無ければ、私がお前の左手になる! 私がお前の手になって、お前のおはぎを作ってやるわ!」


亜矢「……本当か? あさくらが、私の手になってくれるのか?」


アサクラ「もちろんだ……ッ!」


亜矢「でも、私の目はもう、あさくらの顔を見ることは出来ぬぞ……?」


アサクラ「目が見えぬというのなら、私がお前の目になる! お前の代わりに美しい景色を見て、それをお前に伝える!! 笑顔が見たいというなら、隣で大声で笑うてやる!!」


亜矢「そうか……ぷっ……まるで、夫婦めおとのようじゃ……」


アサクラ「今更何を言う。お前が私の女だったのなら、私はずっとお前の男だったはずだ。違うか?」


亜矢「そっか……そう言ってくれるか……お前は、ずっと私の男だったのか……」


アサクラ「我らはずっと、夫婦めおとだったのだ亜矢」


亜矢「そっか……私とあさくらは、ずっと……夫婦めおとだったのか……なら……」


ナレ「亜矢が、その潰された目を静かに、ゆっくりと開いた。少しだけ開かれた瞼のその向こう側は、血と涙で様子がわからない。ただ、朝倉の目には、亜矢の美しい茶色の瞳が、しっかりと映っていた」


亜矢「私の方から、三行半みくだりはん……じゃ」


アサクラ「亜矢……?」


亜矢「あさくらには、もう……会いとう、ないっ。離縁りえんじゃ。私に、付いて来なくて済むよう……離縁りえん、してやる。私から、出ていけ……」


アサクラ「意味が……わからんぞ……?」


亜矢「わからん……か……?」


ナレ「朝倉の目からいつの間にか流れていた涙を、亜矢の右手が優しく拭った。力のないその右手と亜矢の顔からは、普段の彼女から感じられる温かさは、もう失せている」


ナレ「亜矢は目を閉じ、そしてにっこりと微笑んだ」


亜矢「さらばじゃ朝倉兵庫。大義で、あった」


アサクラ「あ、や……?」


亜矢「次に会うとき、我らは元の主従しゅじゅうぞ。その時は、お主の自慢の妻の話を……聞かせて、おくれ……」


アサクラ「ん……っく……」


アサクラ「っく……亜矢……私はまだ、お前のおはぎに、飽きておらんぞ……」


アサクラ「なぁ……返事をしろ……腹が減った。あのおはぎを……いつものあの、ぶっさいくでうまいおはぎを、作ってくれ……亜矢……」


アサクラ「答えろォォオオオ!!! 亜矢ぁぁああああ!!!」


アサクラ「答えないかァァァアアア!!!」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る