第37話 恋文
佐川悦司は、設楽しおりに、手紙を書いた。
拝啓 設楽しおりさん
僕は、あなたのファンです。
あなたのバレエ姿を初めてみたのは、一年半前です。
あなたは、生き生きと踊っていた。
そのあなたに、僕は、恋をしました。
あなたを見ていたくて、毎日バレエ教室の近くに行きました。
あなたを見ていたくて、あなたを追って家まで見送っていきました。
僕の名前は、佐川悦司です。
皆川さんというあなたの近所の家の名前を、嘘ついてごめんなさい。
あなたと近づきたい一心でした。
浅はかな恋心を抱いて、あなたの傍にいたくて、嘘を続けて今に至ります。
僕は、あなたのバレエ姿が好きでした。
だから、あなたが踊れないと泣くと、苦しい。
また、チャンスは来ると、信じています。
また、あの生き生きとしたあなたのバレエを見せてください。
よかったら、返事をください。
許せなくても、僕の気持ちがあなたの傷を癒すことを、祈っています。
佐川悦司
昼休みに手紙を書きあげると、エアメールを出した悦司だった。
凪子さん…。
会社の前に、凪子の黒いセダンが停まっていた。
あの娘には、「コッペリア」は無理だったようね。
凪子は、歩道橋の上で、言った。
あの役はね、特殊だから。
わたしも、意地悪しちゃったかしら。
あの娘、見事に失敗して、少し、気が咎めたわ。後日。
何を知っているんですか?
何も。
凪子は言い放った。
何も知らないわ。
知らないことが、いいことが多くてね。
ただ、コッペリアになれないあの娘を手離すことにしたの。
あなた、あの娘が好き?
悦司は、ためらいがちに、だがきっぱりと、「好きです」と答えた。
私は?
悦司は、何と答えていいのか、わからなかった。
凪子は笑った。
わたし、結婚するの。あの高坂と。
この間会って、今度は、結婚の契約をしたの。
わたしのあなたへの課題は、これでおしまいにするわ。
「新世代」の方も頑張ってね。
また、会えるかどうか、わからないけど。
凪子は、それだけ言うと、すたすたと歩道橋を降りていった。
凪子の黒いセダンが、凪子を載せてゆっくりと、議事堂方面へ滑り出した。
選挙戦へ向かって。
夏の統一選挙が公示された日のことだった。
―完―
長編小説「烈愛(レツアイ)」 棗りかこ @natumerikako
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