第32話 五月二十五日(4)
アリーナ席に戻って、佐川悦司は、三沢えりこと落ち合った。
三沢えりこは、自分のデザインした服を着て現れた。
「へえ、見違えたなあ。」
悦司は、驚いた。
「わたしの初めてのフォーマルよ。」
暗い緑色の、ロングドレスだった。
この際だから、異分野に挑戦してみようと思って。
えりこは、出来に胸を張った。
「どう?結構、フォーマルも、イケるでしょう。」
何かから脱皮したような、えりこの笑顔だった。
軽口を交わしているうちに、開演時刻になった。
アナウンスに続いて、開演ブザーが鳴った。
緞帳が、厳かに上がった。
人形師によってつくられた美少女人形コッペリアをめぐる恋模様を描いた作品、「コッペリア」の開幕だった。
悦司は、主演のしおりを、見た。
だが、その日のしおりは、どこか精彩に欠けるところがあった。
そう見えたのは、昔のしおりを見ていたからかも知れない。
舞台は、難なく進んでいった。
だが、何か、調子の悪さを感じて、悦司は、はらはらと、舞台上のしおりを見た。
そして、ラスト。
終幕まで、気を抜けない悦司だった。
だが、幕が下りた時、拍手が起こった。
それに釣られるように、拍手が広がった。
悦司は、とっさに、二階席を見た。
凪子が、拍手をしていた。
それが、ちぐはぐな印象の抜けない悦司だった。
何か違う…。
悦司は、いつもこの夜のことを、思い出すと居た堪れない気になった。
恋する人に、何かが降りかかっていた、この夜のことを。
―つづく―
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