第30話 五月二十五日(2)
マンションの地階の駐車場に出向くと、黒いセダンが前を横切った。
「お出かけ?」
宇津見凪子は、謎めいた笑みを湛えて、悦司に訊ねた。
「ええ。東京オペラハウスまで。」
凪子は、セダンの扉を開けた。
「お乗りなさいな。送るわ。」
「丁度、わたしも行くところだから。」
悦司は、面喰っていた。
だが、断れない雰囲気がどこかにあった。
乗り込むと、凪子は言った。
「今日、モンペリエ・バレエ団の公演があるから。」
凪子は、笑った。
「お嬢ちゃんが、どんな踊りをするか、楽しみだわ。」
お嬢ちゃんというのは、設楽しおりのことを言っているらしいと、うっすらと感じられた。
「設楽しおり」
「今日の演目は、コッペリアよ。」
「お人形さんには、なれるかしらね、あの娘。」
しおりに辛辣な言葉を向けながら、感慨深そうに、凪子は言い募った。
「設楽しおりとは?」
悦司は、恐る恐る訊ねた。
「ふふ。ちょっとね。」
「昔の彼氏の、知り合いなのよ。」
彼氏という言葉が、凪子の口から出るとは、予測できなかった悦司は、返答できなかった。
「ちょっと、恋愛関係ってものに、興味があって。」
「それで、契約したの。」
「恋人として、一年付き合いましょうって。」
人に歴史ありってことだと、凪子は、さらりと、言い放った。
「彼も今日来るの。」
「あなたにも紹介するわ。」
「政界の次世代エリートよ。」
凪子の表情が、よく読み取れなかった。
悦司は、しおりを巡る何かの謎に、踏み込んでいく自分を感じていた。
「まだ、あの娘のこと、好き?」
「楽しみね。面白い公演になりそうだわ。」
会話しているうちに、セダンは、東京オペラハウスの玄関へと、到着した。
―つづく―
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