第1話

あの頃私は何も考えていなかった。

今になれば幸せだったなぁと思う事もある。


サトシとの出会いは就職後の研修を終えて、

間もなく。

短大を卒業し、1年間就職浪人した私は

当時まだ21歳、

サトシは配属された部署の別な班に私よりも

1年前に配属になった先輩だった。

彼は27歳、社会人になったばかりの私には

物憂げで無口な彼はとても大人に見えたし、

どんな業務でも余裕でソツなくこなすくせに

いつもさり気なく見守ってくれていて、

そっと手を差し伸べてくれる彼に憧れを

抱くまでに時間はかからなかった。


サトシの参加するプロジェクトに

腕試しで私を含めた新入社員3人も入るよう

部長から指示が下る。

それを聞いていたサトシが私に、

「上村、お前オレとペアなんだってよ。

新人ペアだから結果出せなかったとか

言われたくないから、足引っ張るなよ?」と言う。

「あっ、はい!!一生懸命頑張ります!!」と

私が返事すると、耳元で

「…俺、負けず嫌いだから。」と彼が囁いた。


新人育成を兼ねた3ヶ月のプロジェクトが始まった。

どんな業務も余裕でこなすタイプだと思っていた

私とペアを組んでいる先輩が人に見えないところで

物凄く努力をしているタイプだと気付くまでに時間はそう掛からなかった。

そして、一緒の時間を過ごす事でお互いを

知っていった。

「彼が物憂げだった理由」を私が知ったのは、

残業終わりで食事に誘われた時の事だった。

別な件で残業していた部長に「腹減っただろ?

一緒に夕飯でもどうだ?!花金だし。」

と声をかけられ、残業を切り上げて職場近くにあるおばんざい屋さんに3人で向かった。

「あら、荒川部長さん。いらっしゃい!カウンターでいいかしら?飲み物は?」と優しそうな女将が部長に話しかける。

部長とサトシは瓶ビール、私はグレープフルーツサワーを注文して、サトシを挟む形で席に着いた。


「上村、2週間経ったな。

職場の雰囲気には慣れたか?」と部長に聞かれ、

「はい、皆さん親切に指導して下さるので。

早く戦力になりたいと思います!!」と答えると、

「100万年早えーよ。でも、コイツ悪くない感じっす、部長。」とサトシが間髪入れずに反応する。

「伊東、お前が悪くないと褒めるのは珍しいな。

良かったな、上村。伊東が期待してるってさ。

ところで、伊東、身辺は落ち着いたのか?」と

部長が言った。

「引越しも終わって、だいぶ落ち着きました。ご心配お掛けしました。」とサトシが真剣な表情で返す。

「養育費とか色々あるだろうけどさ、

まだ27なんだし、人生これからだろう。

俺はお前みたいな後輩がウチに来てくれて嬉しいよ。期待してるからな!!」と高らかに笑った。

「ありがとうございます。」と言い、サトシは席を立った。

「伊東、気を悪くしたか?!すまん。」と部長が言うと「いや、トイレっすよ。」と言って笑うサトシの様子はいつもとは少し違った。


サトシが席を離れている間、部長が教えてくれた。彼は離婚したばかりだったのだ。

まだ21歳だった当時の私には養育費とか離婚とか

なんてドラマの中の話だと思うぐらいだったけど、

サトシの物憂げな表情の理由がその時何となくは

わかった。


「若い有望株達と飲めて楽しかったよ、

大きな飲み会より内輪の飲み会の方がいいわ。

俺がカミさんに怒られない程度にまた飲もうな。

伊東、上村の事ちゃんと送っていくんだぞ!

また、明日な。」

と言って、郊外の住宅街に住む部長は札幌駅に

向かって歩いて行った。

「お前ん家、何処だっけ?南北線なら途中まで一緒だけど…。」

「澄川です。先輩はどこの駅ですか?!」

「俺、中の島だから途中まで一緒だな。行こっか。」

なんだかんだで金曜の22時台の地下鉄は混む。

次の駅が中の島だと知らせる

車掌からの車内アナウンスが流れる。

サトシが降りた駅から3駅先の駅で

地下鉄を降り家路に着いた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

拗らせ女の恋愛遍歴(仮) @kojirase39

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る