【白い間】

「――と、これが君の生前の話か。うん、なかなかいい終わり方だったじゃないか」


 愛する者の腕の中で息絶えた筈のアイザックは、見知らぬ場で目を覚ました。いや、それ自体は毎度のことだったため『またか』と考えただけである。ただ今回は今までと違い異様だったのは、目を覚ました場所が一面白に染まった場所だったことである。

 天も白、地も白、目に見える全てが不気味な程の白だった。

 次に気づいたのは、自身の服装である。死する前に身につけていたのは、適当なシャツとズボンといったような簡素な服装だ。だが今は、黒一色の重厚な服装に重ねるように布を被った風変わりな服装。生前、こんな服を着た覚えはなく、ただ驚くしかなかった。

 動揺するアイザックの前に現れたのは、白い布を体に巻き付け、太い鎖に繋がれた首輪を嵌めた妙な子供だった。片方の目を淡い青の前髪で隠し、もう片方の翡翠の如き瞳でアイザックを見つめた幼子は、アイザックの前に舞い降りて落ち着いた笑みを浮かべる。


「君の物語、楽しませてもらったよ」


 呆然とするアイザックの前で、その幼子は、子供らしく愛らしい声を響かせて、巻物状の書物を小さな手でそれを広げていた。笑みを湛えたまま、幼子は続ける。


「五百年に及ぶ君の苦悩と、50年余りの幸福……うん、なかなか、思った以上に面白い人生だったよ」

「誰だお前は」


 目を細める幼子の言葉を無視するように呟いたその言葉に、幼子の表情は一瞬不愉快げに歪む。しかしゆっくりと目を瞬いて静かに言葉を吐く。


「ちょっと言い方がなってないけど、まぁ仕方ない。名前と、ボクがなんなのかくらいは教えてあげないとね」


 そこで短く区切って、幼子は口にした。


「ボクの名前は、エテル。今はこの名前だから、そうやって呼んで。何者かと言われたら……神様や創造主みたいなものかな」

「……神様? 創造主?」

「うん、そう。君たち人間が祈りを捧げる神様とは違うと思うけど、ボクも似たようなものだからね。そう思っておいていいよ」


 幼子――エテルが言った内容に、アイザックは少し気持ちが冷めるような感覚を覚えた。神様だとかなんだとか、そんなことを言われても目の前にいる相手は奇妙な格好の幼子でしかない。そんな幼子が神様だとか言ったところで……である。これは信じた方がいいのか、話を合わせた方がいいのか。額に冷や汗を浮かべながら考えていると、エテルが不満げに頬を膨らます。


「あ、その反応は信じてないな? まぁ仕方ないよね、いきなりこんなところ連れてこられて、神様自称する子供がいたら混乱するよね」

――そうわかっているなら最初から全部説明してくれ。

 内心そうぼやくと、エテルはそれを察したように微笑し、アイザックの前に腰を下ろす。といえども、白い地べたではなく、その地面から生やしたともいえる台座に座る。


「そりゃ、君としては最初から全部説明しろ、ってなるよね。だから可能な限り説明はするけど、まず、何から聞きたい?」

「……ここは、どこなんだ?」


 数秒間を置いて口にした言葉に、エテルは言う。


「ここは現実世界とは切り離された異空間とでも言おうかな。ここに来るための明確な方法はないし、ここにこれといった名前もない。ただ、ボクが選んだひとしか入ってこれなくて、だから、君はボクが選んでここに連れてきた」


 理解の及ばない話だと単純に考える。ここがおかしな場所であり、目の前の相手が言うことは事実として受け入れた方がいいのかもしれないと思う。だが、分からないことはある。何故、そのおかしなことに巻き込まれたのが自分なのか。

 確かに自分は死ねない人間であったが、それ以外は大して秀でたところもない凡人だ。レベッカがあんなにも惚れ込んでくれたことが不思議な程には。

 だから、少し躊躇いながらもアイザックは問う。

「何故、俺を連れてきたのか」――と。

 恐る恐る口にした言葉に、エテルは少し悩む素振りを見せて、軽く言う。


「……君が、とても面白い人だったからね」

「面白い? どこがだ」


 僅かに眉間に皺を寄せた男に、エテルは巻物を広げて例を幾つか選出する。

 例えば、『死ねない』という自らの運命を悟ったにも関わらず、なんとしても死のうとしていたこと。どう生きるかではなく、どう死ぬかに行動の全ての力を注いでいたアイザックの人生は、滑稽であったという。


「少しでも生きる楽しみを見つけようという気はなかったのかな」

「……なかったな。俺はただ、死にたかったしか、なかったからな」

「じゃあ、あの女との出会いは、君にとっては素晴らしいものだったんだね」

「あぁ、そうだ」


 静かに問うたエテルの言葉に、アイザックは即答し、黙り込む。

 レベッカはかけがえのないものだ。凡そ五百年の間にあれ程に他者を愛したこともなく、あんなにも死にたくないと考えたのはあの時期が初めてであった。

 だがそれをエテルには語らない。何もかもを見透かすような翡翠の瞳に、それを語るのは憚られた上、レベッカとの蜜の記憶は他者に易々と口にしたくなかった。

 更にいうならば、まだ謎が全て判明した訳では無いのだ。

 エテルに『面白い』と思われここに連れられてきたのはそれで良いとしても、何故、自分は死ねなかったのか? 何故記憶を引き継ぎほぼ同日に別の場所で目を覚ますなんてことが起きていたのか? それらの理由の答えにはなっていない。

 アイザックがその事を問うと、エテルは数秒唸るように細い声をあげた後、ぽつりと呟く。


「それはね、ボクの思いつきさ」

「……は?」


 思いもよらぬ相手の言葉に、アイザックは耳を疑った。思いつき。思いつきといった。それが、嘘のようで、信じたくなくて、瞠目する男に対し、エテルはなんでもないように紡ぐ。


「ほら、人間ってよく不老不死を求めるよね。でも、生きとし生けるものは全てゆっくりと老いるしいつか死ぬ。だからその性質を保有するものは生き物じゃないと思うんだ」

「…………」


 男は何も答えず口を閉ざすが、エテルにその事を気にする様子はない。エテルは更に続ける。


「だからね、似たようものを創ろうとボクは思ったんだ。ボクは言ってしまえば創造主。新しいものを創り出すなんて、やろうと思えば簡単にできる」

「……それで、おれは……?」

「そう。死ねるけど死ねないという属性を君に付与して、その場合の人間を見てみたくて。君はその時に作成したうちのひとつさ」

「……おまえ、が……」


 信じられない言葉の羅列に、アイザックは体の奥から沸き上がるものを感じた。液体が沸騰するようにボコボコと怒りが沸き立って、それを衝動的な行動への原動力と変換させる。

 細い足で立ち上がり、一歩踏み出す。白い床を蹴って、エテルの首から垂れ下がる鎖を掴みあげた。


「そのせいで! 俺が! どれだけ、どれだけ苦しんだと思ってんだ!」


 掠れた大きな声が、白い空間に響き渡った。アイザックは確かに苦しんだ死にたくても死ねなくて、数百年苦しんだ。それなのに、その原因が、こんなよく分からない存在の「思いつき」だったなんて。


「他者を! なんだと思ってんだ、お前は!」


 許せない――そんな気持ちで喉を痛めるアイザックの前で、エテルは一切動揺を見せない。それが更にアイザックの怒りを煽ったが、その感情を爆発させる前に、華奢な体は何者かに引き離される。

 慌てて後ろを振り向けば、そこに居たのは光が宿らず、まるで死んでいるような目をした長身の男だった。若葉色の髪を短髪に揃えた彼は、逞しく鍛え上げられた腕で彼を押さえる。


「やめたほうがいいよ」

「なんだ、やめろ、離せ!」

「そいつ殴っても意味ないから」

「くっ……!!」


 抵抗しても逃れることは出来ず、アイザックはずるずると足を引きずられながら数メートル距離を置く。

 その様子を見ていたエテルは、微笑して後ろの男に目を向ける。


「ありがとう、ピルーズ」

「お前のためじゃない。この人物のためだ」


 苦々しい表情で答えたピルーズという男は、短く溜息を吐いたのちアイザックを解放した。床に座り込むアイザックの上から、嫌そうな声が吐き出される。


「そもそも彼が怒って掴みかかるのは仕方ない。お前がこちらの都合や心境を考えず好き勝手にするからな」

「別にいいじゃないか。ボクが創った世界で好きにして、何が悪い?」

「……それが嫌なんだよ」


 エテルの返答に顔を顰めたピルーズは、表情を正してアイザックを見下ろした。美しい蜂蜜色にも関わらず、生気の感じられない瞳が不気味に感じ、背筋が冷たく冷える。


「君、名前は?」

「……アイザック、だ」

「そう、いい名だ」

「あんたは、ピルーズといったか。あんたは何者なんだ」


 額に冷や汗を浮かべながら静かに呟いたアイザックの言葉に、ピルーズは依然覇気のない顔つきでぽつりと言う。


「僕も君と同じようなものさ。こいつの思いつきで不老や不死を付与された化け物さ」

「……ばけ、もの」

「そう。だから君が怒る気持ちはよく分かるよ。でも、こいつ殴ったところで君の拳が痛くなるだけだから諦めな」

「……そんなこと、言われても」

「受け入れられないのも分かる。だけど、仕方ないんだ、僕だってこいつに目付けられて苦労したけど、どうしようもないんだから。諦めな」


 諭すように重ねて言われ、本当に諦めるしかないというどうしようもなさを察した。実際にそうなのだろう。反抗したくなる気持ちを無理矢理押し込めて、アイザックは黙る。

 その向かいで、エテルは不思議そうに零す。


「でも、アイザック。君は最後の最後に運命の相手と出会えたじゃないか。それで帳消しにはならないのかい?」


 純粋な気持ちから口にされたであろう問に、アイザックは瞳を伏せる。確かに、レベッカとの出会いは素晴らしいものであった。初めて『死にたくない』と心の底から思った、一番幸福だった人生だ。だけど、それがあるからといって、今までの苦悩は消え失せる訳では無いし、相殺にはならない。もちろん人によっては『最後に素晴らしいひとに巡り逢えた。そのための試練だったのだ』――なんて好意的に捉える人もいるだろう。だが、なにせ苦しんだ期間が圧倒的に長すぎたこともあるからか、アイザックはそんな思考を持ち合わせていなかった。

 大方そんな内容をエテルに伝えると、相手は素っ気なく相槌を返しただけだった。


「人間って面白いね」


 口角をあげたエテルの言葉に、アイザックは何も言わず顔を背けた。この子供とは真面目に話すだけ無駄のように感じた。

 直後、ピルーズが思い出したように短く声を上げる。


「そういえば、彼に託す役割の説明はしたの?」

「あぁ、まだだった。思い出させてくれてありがとう」

「それ一番大事でしょう。忘れてどうするの」


 アイザックの頭上で、大きな溜息の音が聞こえた。役割ってなんだろう――新たな事実にドキリと胸が強く波打つ。もしかして、ここに来た時に黒い服になっていたことも、関係あるのだろうか。なんにしろ、嫌な予感がする。

 身構え、体に力を込めたアイザックに向けて、エテルは問いかけた。


「君、死神って分かる?」

「え、死神?」

「そう、死神。大体どんなのかイメージできる?」


 アイザックは素直に自身が知る死神像を頭に思い浮かべる。骸骨が黒いローブを着ているような姿で、鎌を持っていて、足はなく浮遊していて、死者の魂を刈り取っていく。そんな、少し不気味な存在だ。しかし何故いきなりそんなことを聞くのか? 首を傾げるアイザックは、ふと気づく。『自分に任されるであろう役割』の話から死神の話をされた。これが無関係なわけがない。

 自分の心の揺れとともに見開いた目を、エテルに向けると、相手は、静かに肯定した。


「そう、お察しの通り。君には死神の役割をしてもらおうと思ってね」

「…………な、なん、で……?」

「だって僕だけじゃ全部こなせないし。色々なものを創るのと破壊こわするのだけじゃ終わらない。管理とか整備とか色々やろうと思うと、ひとりじゃねぇ」

「……は、はぁ」

「つまりは、ボクひとりに課される業務が多すぎるから分担したいってこと。死を迎える予定の人間が、いつまでも現世に留まい彷徨って悪霊化したら困るから、そういう人間をボクのところまで連れてきてほしいってこと。ほら、死神の役目でしょ」

「……そう、だな」


 話を聞きながら、アイザックは頭がぐるぐると乱れていくような感覚に陥る。少し前まで、愛するものと暮らしていて、満たされた最期を迎えたはずなのに。よく分からない子供に変な話をされて、死神だなんて。なんだこれは。理解できないししたくもないが、受け入れるしかないのだろう。思考の外で、ピルーズが言うのだ。『そのうち理解できるし、慣れるから』と。

 だから、快く受け入れるつもりなんて全くないのに、話を続けろとでもいうように、仔細を問う。


「……俺一人で出来ると思えない。死者なんて、毎日何人出ると思ってるんだ」

「それは大丈夫。本体は君だけど、同時に同じような場所に存在できるようになるから。分裂って感じかな。本体である君が真面目に役割をこなすなら、分身も真面目に役割をこなすだろうね」

「そーかい。ならよくわからんねぇが、やってりゃ分かるんだろうよ」

「そういうこと。すんなり聞きいれてくれてありがとう。ピルーズの時よりも話が上手く進んでよかったよ」

「そうかよ」

――そりゃ、この話をひとりで聞いてたら、俺だってもっと暴れてたろうからなあ。


 ピルーズがいなかったらという状況を推測して、ふっと冷ややかな笑みを浮かべた。アイザックの反応には誰も反応することなく、エテルは空中に生じさせた光の中から大きな鎌を取り出して、アイザックに渡す。


「それじゃ、これを君に託すから、頑張ってねシーマ」

「シーマ?」

「君の役割としての名前さ。シーマ・サイド・グリム。でもアイザックがいいならそれでもいいよ」

「……いや、シーマでいい。アイザックは……特別な名前だからな」

「あぁそうかい」


 エテルなりの気遣いを蹴って、アイザックもといシーマは、あっさりと答えた。エテルは大した反応を見せることもなく、ピルーズにこの白の空間の案内を依頼し、エテルは腰を上げる。互いに背を向けて白い床を歩く。

 そして、ここに来てからの一連の話や出来事を思い返して、ゆっくりと実感してく。

 生きていた頃の謎の不死性だけでも異様だったのに、それがこんなところに連れてこられて、死神だなんて役割を与えられて。

 これはきっと、もう自分ほ人間と呼べるものでは無いのだろうと。

 実感は全くないが、なんだか、少し寂しく虚しいような、そんな気がした。


(完)



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

死にたがりと人魚 不知火白夜 @bykyks25

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ