2章 旅立ち その4
警備隊が到着するまで山賊を見張っているというギルフォードを置いて、シャルロットたちは先に下山することにした。
握力が弱まったシャルロットに、自分と同じ馬に乗るようマルクが指示をすると、今度は素直に従った。マルクとアンヌの二人乗りを見ていて、シャルロットは羨ましくなっていたからだ。
共に馬に乗ってマルクの体に包まれていると、シャルロットの心は安らいだ。
「さすが、妾の騎士」
「どうした?」
前に乗せたシャルロットを支えながら馬を走らせているマルクは、正面を見たまま尋ねた。
「妾は、強くて美しいマルクが大好きじゃ。怪我がなくてなによりじゃった」
「傷を負わせたらどうのと、啖呵を切っていたな」
「当たり前じゃ! 美しさは正義! それを奪う者は悪じゃ!」
シャルロットは先ほどの怒りがぶり返して興奮してきた。
「シャルロット」
「うむ?」
マルクの声のトーンが下がった。気になったシャルロットが見上げると、マルクは無表情で遠くを見ていた。
「この顔に傷がついたら、俺は用なしか?」
「恐ろしいことを申すな! 想像もしたくない」
「……」
マルクはそっと左胸の古傷に手を当て、眉間の皺を深めた。
それからの道のりにトラブルはなく、暗くなる前には下山して、予定どおりの宿屋に到着した。
馬を繋ぎに厩に行ったピエールや、宿の手続きなどをするというマルクと別れ、シャルロットとアンヌは先に部屋で寛ぐ事にした。二人は同じ部屋に泊まる。
シャルロットにとっては一般の質素な宿に宿泊するのは初めてなのだが、それを堪能することなくパタリと固いベッドに倒れこんだ。
「アンヌ。妾、体中が痛い」
鞍がついていても大したクッションにはならない。特に尻に痛みがあった。
「湯で疲れを取りたいところですが、ここで入浴していただくわけにはまいりませんわ。マッサージいたしましょうか?」
「うむ、頼む」
一日馬に乗っていたのはアンヌも同じで、相当の疲労があるが、微塵も見せずにそっとシャルロットの体を仰向けにさせる。きつく縛ったボディスの紐が解かれ、ワンピース型のシュミーズ姿になったシャルロットは、それだけで体が楽になった。
シャルロットの体を俯せにして、アンヌはベッドサイドに腰掛ける。
「明日は馬車を使いましょう」
「そうじゃのう。馬は一日中乗るものではないな」
アンヌがゆっくりとシャルロットの固まった筋肉を解していく。心地良さにシャルロットは目を閉じた。
「シャルロット様は、よくマルク様を抱擁されますでしょ」
「なんじゃ?」
「動かないでくださいませ」
振り向こうとしたシャルロットはアンヌに背中を押さえられて叶わず、「ううむ」と呻きながら、再び固い枕に小さい顔を埋めた。
「マルク様のお身体は、ダブレット越しでも肉感的ですわね。厚い胸板に、引き締まった腰、力強い腕」
「そんなことは分かっておるぞ」
アンヌの細くしなやかな指が、言葉と共にシャルロットの肌をゆっくりと這う。アンヌの囁きのような声に煽られ、触れられている箇所が熱くなってきた。
「アンヌ?」
「女性の誰もが虜になってしまうお身体ですわ。実際に宮廷では大変な人気です。逞しくて、心地良くて、官能的で」
「わ、妾は、そんなことは……」
考えたこともなかった。
シャルロットは純粋にアンヌとマルクがお気に入りで、触れるのも触られるのも好きだった。しかしそこに、性的な感情は全くなかった。
シャルロットはアンヌに守られるように暮らしていたので、マルク以外の男性と会話をすることすら少なかった。舞踏会に行けばダンスもするが、それも形式的なもの。異性との恋愛や結婚などは、現実味がなかった。
「縁談の話も、何度も持ち上がっていましたのよ」
「マルクが結婚?」
マルクが結婚する。マルクはシャルロットの騎士なのだから、所帯を持ったからといって、関係は今までと変わらないだろう。しかし……。
「アンヌ、もうよい」
何やらモヤモヤした感覚が混ざり始めて、シャルロットは居たたまれなくなってきた。
しかし、アンヌの手は止まらない。
「妾……わっ」
振り返ろうとすると、アンヌの顔に当たりそうになった。猫のように上がり気味の目で、アンヌはシャルロットを黙って見つめている。艶かしい光を湛えた瞳から、シャルロットは目が逸らせなくなった。
「あっ」
アンヌの手が首筋を撫で、シャルロットはゾクリとする。
「妾、何か変じゃ」
「普段と同じ事をしているだけですわ」
アンヌはシャルロットの瞳を捕えたまま、指先を体に沿って下げていく。生地の薄いシュミーズ越しの、触れるか触れないかの微妙な感触に、シャルロットの全身に今までにない感覚が走った。
「シャルロット様の肌はまるで極上の絹のようで、人を魅了するのですわ。忘れてはならないのは、シャルロット様が殿方に触れている時、その殿方も、シャルロット様のお身体を堪能されていること」
「そ、そんな……」
シャルロットは真っ赤になった。
どうしていいのか分からないシャルロットは、生理的な涙を浮かべてアンヌをただ見つめる。
「ですから触れたい、触れてほしいと思う特別な殿方を、これからシャルロット様は探すのです。お傍で仕えた私すら知らないシャルロット様の全てを晒し、生涯を共に生きるお方を」
太ももの際どいラインまで指先が滑り、シャルロットはピクリと体を震わせた。
「この果物のような唇で、口付けたいとシャルロット様が乞い願い、誰の手にも触れさせず独占したいと思わせる殿方。それがシャルロット様の夫となるべき人なのです」
アンヌの白い指がシャルロットの唇に乗せられ、やっとアンヌの動きが止まった。シャルロットはハッと我に返って、慌ててベッドの端まで避難する。
「ももも、もうよい! 理解したから、そんな風に触るでない!」
なにも考えられない真っ白な頭のまま、シャルロットは適当に叫んだ。
「残念です、もっと触れていたかったのですけど。愛しておりますわ」
おどけるようにアンヌがウインクをするので、シャルロットは涙目のままむくれる。
「妾をからかったのか!」
「たわむれに思われたのですか? では、もう一度」
「いやいやいや、もう充分じゃ!」
アンヌが近づこうとするのを、シャルロットは全力で止めた。
そこに、トントンとドアがノックされる。
「ギルフォード様も到着されましたよ。よろしければ、降りてきて来てください」
ピエールの声だった。
「シャルロット様、お着替えをいたしましょう」
シャルロットは首を横に振る。
「妾は疲れた、このまま寝る。食事もいらぬ」
シャルロットは動揺し、一人になりたいと思った。
アンヌは頷いて一度ドアの外に出ると、さほど時間をかけず部屋に戻ってきた。マルクたちにシャルロットの状態を伝え、簡単に明日の予定を確認してきたのだ。
「では、私も休ませていただきます。御用の際は、お声掛けくださいね」
「うむ」
「難しく考えることはありませんわ。愛する方には、自然に触れたくなるものなのですから。おやすみなさいませ」
アンヌはシャルロットの額にキスをして、布団を直してから蝋燭の火を吹き消した。部屋が真っ暗になる。毎晩恒例のキスだったが、シャルロットは初めて顔を赤くした。
恋とは、愛とは、結婚とは。そして、愛する人とは。
シャルロットは考えながら眠りにつき、マルクとの思い出を夢に見た。
● ● ●
シャルロットとマルクが出会って七年近くの歳月が経っていた。シャルロットにはまだ決まった侍女がおらず、マルクは一日に何度も、うんざりするほどシャルロットに呼び出されていて、夜の読み聞かせもマルクの仕事だった。
「そこではない! ここじゃ!」
ベッドサイドの椅子に座ろうとするマルクに、シャルロットは布団をめくって、隣のスペースを叩いた。
「お前はもうすぐ十二歳だ。いい加減、添い寝は卒業しろ」
シャルロットを皇族として扱うのを、マルクは半年でやめていた。
「イヤじゃ! マルクは妾のお守り役なのじゃろう? 妾の頼みを聞くのが役目じゃ」
周囲の大人たちがマルクに、「お守り役なのだから、多少の我儘は我慢しろ」と言っているのを、シャルロットは聞いていた。特に不快感はなく、我は押し通せるのだと理解し、むしろ便利だと感じていた。
シャルロットが主張を曲げないのを察して、溜息をつきながら、今日もマルクはシャルロットのベッドに身体を滑り込ませた。シャルロットは嬉々として、マルクの身体に腕を回す。少女特有の高い体温と柔らかい肌がマルクを包んだ。
「妾、こうしているのが好きじゃ」
「お前は、俺の外見が好きなのだろう」
「なんじゃ?」
尖った声を放つマルクをシャルロットが見上げると、複雑な感情の混ざった瞳とぶつかった。
「いっそ、俺の人形でも作ればいい。それで俺はお役御免だ」
「何を申すか! マルクはマルクだから好きなのじゃ!」
シャルロットはマルクの胸に頬を擦りつけた。
「マルクの声も、匂いも、全部好きなのじゃ。こうして眠るとマルクの夢を見る。妾たちは夢でも一緒じゃ」
マルクの頬が仄かに色づいた。恥ずかしげな台詞をよく言えるものだとマルクは思うのだが、本人は意味合いなど無自覚だろう。手のかかる主だが、こうして真っ直ぐな好意をぶつけられると憎からず思ってしまう。
「絵を見なくていいのか?」
マルクは平静を保って、幸せそうに微笑むシャルロットに声をかけた。
「見る」
マルクの腕の中で、小さな体が半回転した。シャルロットは本を持つマルクの右腕を枕にして、左腕を身体の前で抱きしめる。おかげでマルクは、右手だけでページをめくらなければならなかった。
――しばらく朗読をしていると、シャルロットはマルクの腕を抱えたまま寝息をたて始めた。
「眠ったか」
シャルロットの高い体温が更に上昇して、熱いくらいになっていた。薄いシュミーズごしでは、その熱がダイレクトにマルクに伝わる。入浴時の芳香剤の甘い香りが、むせるほどにシャルロットから漂っていた。
マルクはシャルロットを起こさないように、そっとベッドから降りて、布団を掛け直した。目を覚ました時にマルクがいないとシャルロットは大騒ぎをして、再び呼び出されることになるのだが、だからといってここで眠るわけにはいかない。
「勘弁してくれ」
天使のように愛らしい寝顔を見ながら、乱暴にダークブラウンの髪をかき上げた。
「俺だって、男なんだぞ」
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