2章 旅立ち その1
鳥達が鳴き交わす早朝。
川のせせらぎが聞こえるルゼリエール宮の敷地内の一角を、シャルロットとアンヌは歩いていた。
二人は質素な町娘の格好をして外套を羽織っている。常に丁寧に結い上げられている長い髪は、首の後ろで無造作に束ねられていた。
ヴァローズ帝国からシュルーズメア王国までの移動距離は長く、どんなに急いでも一泊する必要がある。普段の二人の格好では目立ち過ぎるため、昨日のうちにマルクがピエールに運ばせた服だった。二人の手に荷物がないのも、ピエールが荷を事前に受け取っていたためだ。
「この服は軽くて歩きやすいのう」
「どのようなお召し物でも、シャルロット様は着こなしてしまわれますわ」
シャルロットは夕べ、旅立ちが楽しみで一睡も出来なかった。にも関わらず気力がみなぎっており、跳ねるように歩く。
「おお、あそこにマルクたちがおるぞ!」
「シャルロット様、走ると危ないですわ」
シャルロットは舗装された道を全力で走り、アンヌも後を追いかける。
マルクは急遽用意した、装飾の全くないグレーのシンプルなダブレットを身に着けていた。ピエールはいつもと変わらず、ライトブラウンのヴェストにコートにキュロット姿。二人とも細身の剣を携帯している。
シャルロットは勢いをつけたまま、まるで体当たりのようにマルクに飛びついた。慣れたもので、マルクは涼しい顔で衝撃を受け止める。
「ごきげんようマルク。ピエールもご苦労であったな」
「誰にも見られず、部屋を抜け出せたか?」
「もちろんじゃ! ちょっと見つかりそうになってな、ドキドキしたのじゃ! スパイにもなれそうじゃな、アンヌ?」
「え、ええ」
息を切らしながらアンヌは答える。さすがのアンヌも、シャルロットの今日のテンションには振り回され気味だった。
シャルロットの白い肌は昂揚して赤く染まり、新しいおもちゃを与えられた子供のようにはしゃいでいた。
「よかったな」
マルクがシャルロットの形のいい頭に手を乗せると、シャルロットは嬉しそうに目を細め、マルクの胸に頬を擦りつけた。
「馬で移動するのじゃな。乗馬は久しぶりじゃ」
青鹿毛の馬が三頭、木の幹に繋がれていた。手入れの行き届いた黒く凛々しい馬で、一頭は特に体格がいい。馬には既に、四人分の荷物が括りつけられていた。
「四人おるのに、馬はなぜ三頭なんじゃ?」
「お前は、俺と乗るからだ」
「?」
シャルロットはマルクの腰に腕を回したまま、小首を傾げる。
「昨日も言ったが、山賊の被害が多数報告されている。警備隊も森の中までは手が回っていない」
「マルク様から離れないほうが安全ですよ」
「こいつの手間も一頭分減る」
「ありがたいです」
旅から戻るまで、馬の世話はピエールの仕事だった。
「待つのじゃ!」
シャルロットは不機嫌そうに、鼻筋に皺を刻んだ。
「山道で馬を走らせたことがないんじゃ。妾は一人で乗ってみたい!」
「言うことを聞けと言っただろう。一人では危険なんだ」
「そこを上手く守るのがマルクの役目じゃろう。妾はひとりで乗る!」
一度やると決めると、シャルロットは頑固だった。マルクは小さく息をはいた。こんなことで出発が遅れてしまっては、日のあるうちに宿に着かなくなる。
「……分かった。乗せてやるから、こっちにこい」
「やったのじゃー!」
小動物のようにピョンピョンと跳ねるシャルロットを馬に乗せてから、マルクは一番大きな馬の前に立つ。
「では、俺の後ろには……」
「はい! 僕が乗りたいです!」
「アンヌ、俺の後ろで文句はないな?」
「光栄ですわ」
ピエールが挙手するのを無視して、マルクはアンヌを馬に乗せた。
アンヌは目元を緩めて魅惑的な笑みを浮かべている。反してマルクは上がり気味の眉を顰めつつ、片手を軸にひらりとスウィングアップで乗馬して、アンヌに囁いた。
「なぜシャルロットに、こんな無謀な旅をさせるんだ」
「シャルロット様が望まれているからですわ。私はシャルロット様の幸せを一番に考えておりますの。このままでは、思い入れのない方に嫁がれます」
「皇族とはそんなものだ」
「シャルロット様は恋に憧れておいでです」
「その憧れもお前が植えつけたんだろう」
そんな言い合いをしているとは露知らず、馬に跨ったピエールはマルクとアンヌを見て、感動したように両手を頬に当てた。
「ほわあ。お二人が乗られると、まるで絵画のようですね」
「うむ、当然じゃ」
ピエールが見惚れていると、シャルロットは自分のことのように胸を張った。
「俺が先頭を走るから、ピエールは最後につけ。シャルロット、頼むから落ちるなよ」
「乗馬が得意なことくらい、マルクも知っておるだろうに」
「俺と全く同じルートを辿ってこい。森は枝葉が飛び出して危ないからな」
「分かっておる! マルクは心配症じゃのう」
シャルロットは早く走りたくてウズウズしていた。馬をウロウロと歩かせている。
「私が注意して見ておりますから、安心してくださいませ」
アンヌはマルクの耳元で囁いた。マルクは頷く。
「途中で休憩を入れるつもりだが、その前にシャルロットの様子がおかしくなったら教えてくれ」
マルクはシャルロットが途中で力尽きるだろうと予想していた。リスク回避のために山を一気に駆け抜けたかったが、これではスピードを落とさざるを得ない。
ヒューイ、ヒューイ!
そこに、鳥の声が近づいてきた。
「ルルーか」
マルクは空を舞う白い鳥に気がつくと、腰袋から素早く皮の手袋を取り出してはめ、手を前にかざした。シロハヤブサはその左腕にゆっくりと降り立つ。マルクの屋敷で十羽ほど飼っている猛禽類の一羽で、マルクはルルーと名づけていた。
「おお、なんじゃなんじゃ?」
突然現れたルルーに驚くシャルロット。羽を広げると鳥の全長は、シャルロットの片腕の長さほどになる。
マルクはルルーの足に結ばれた紙を片手で器用に外した。広げた手紙を読むと少し口元をほころばして、読み終わった手紙を袋にしまった。
「誰からじゃ? 何が書いてあるんじゃ」
シャルロットは馬をマルクの左隣につけた。手紙も気になるが、ルルーも気になっている。
「今回の協力者、従兄殿からの手紙だ」
「まさか、妾の身の上まで話してはおらぬだろうな?」
「伝えた」
シャルロットはショックを受けた。
「誰にも秘密だと言ったじゃろっ!」
「無茶を言うな。隣国の城に身分を隠して侵入しようというのに、誰の協力も仰がずにできるわけがないだろう。ギルフォードには全てを話しているから、必要があれば相談するといい。今夜泊まる宿で合流することになったから、その時に打ち合わせをする」
「ということが、手紙に書いてあったんじゃな?」
「そうだ」
マルクの腕に止まるシロハヤブサを覗き込むシャルロット。
「手紙を運ぶなんて、賢いのう」
基本的には、飼っている猛禽類は狩りのために躾けられている。シャルロットも時には狩りに行くのだが、狩られる動物が可哀想な気がして、積極的に参加していなかった。
「よし、行っていいぞ」
マルクはルルーの額に労いのキスをして空に放った。ヒューイと一声鳴いてルルーは飛び立ち、すぐに見えなくなる。
「さて、俺たちも行くか」
「いよいよじゃな!」
シャルロットの胸は高鳴った。
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